「松本医院での治療を受けて」 吉田 幸司 32歳

私は、現在32歳。今の会社に入社して、まもなく10年目を迎えます。学生時代は、バスケットボールに熱中し、全くの健康優良児状態でした。ところが、会社に入り環境が変わったせいか、アレルギー症状が出始めたのです。花粉症もその一つなのですが、何よりも顔にかゆみを覚えたのです。

そこで、近くの皮膚科に通うことになるのですが、診断の結果、アトピー性皮膚炎でした。塗り薬を渡され、何も疑うことなく私はそれを塗りつづけました。しかし、一向に直る気配はなく、かゆみは治まりませんでした。今、思うと全てはこの薬が私の体には合わなかった。というよりは、アトピー性皮膚炎の方々に、渡すべき薬ではなかったのだと後で判りました。

その年、平成10年。実は、私はその年の10月に結婚することが決まっていました。しかし、かゆみは治まらず、徐々に顔に赤味も帯びてくるようになりました。自分としては非常にあせりましたが、何も出来ずただ時間だけが過ぎてゆきました。ある日、会社の同期の友人が、「俺の彼女もアトピーで悩んでいるが、高槻に良い病院があるので行ってみないか。」という話をしてくれました。それが、奇跡の始まりでした。

その時、既に5月位だったと思います。結婚まで半年を切った状況でした。藁をもすがる思いで、私は松本医院の門を叩きました。入った瞬間、漂う漢方薬の匂い。しかし、私はこれで治すと固く誓っていました。先生に診察していただき、「絶対治してあげる。何の心配もない。痒かったら、思いっきり掻きなさい。」と言われ、どれだけ気分が楽になったか。それは、当の本人しか判らないと思います。私は、病院の先生が「絶対」という言葉を口にしたのと、掻いても構わないと言われたことに正直驚きを感じました。今までの医者の見解とは全く逆と感じたからです。しかし、当の本人でさえ、あと半年を切った人生最高の舞台に間に合うのかどうかはその時点でも不安でした。

その日から、治療が始まりました。煎じ薬・消毒薬・塗り薬、それに薬湯。とにかく、全ての薬を言われた通りに使いました。これは、家族の協力なしには到底出来ない物でした。両親、弟の協力・理解が私を窮地から救ってくれたと言っても過言ではありません。本当に有難いと思いました。

そうこうしているうちに、私の顔はみるみる腫れ上がり、パンパンの真っ赤になりました。それでも、私は信じて薬を飲みつづけ、塗りつづけました。営業という仕事上、外に出るのが仕事であるため、お得意先に赤く腫れ上がった顔で行くのは正直精神的にかなりのダメージでした。しかし、お得意様も心配こそしてくれましたが、それ以上のことはありませんでした。これは、私も非常に有難かった心配りでした。治療の経緯で、顔から黄色い汁がでてきました。体に溜まっていた悪いものが出てきたと言うことを知り、つらいけど頑張ることを改めて誓ったのです。そういう日々の闘いの中で、私は遂に奇跡を掴んだのです。

先生がおっしゃった通り、私は結婚式に普通の顔で間に合うことが出来たのです。つい半年前までは、絶望の淵に立たされていた自分が嘘のようでした。まるで、魔法にかけられたかの如く、私は主役を演じることができたのです。先生を信じて治療を続けたことが、この奇跡に繋がったことは言うまでもありませんが、何よりも私は周りの人々に恵まれたと痛感しています。私に松本医院を紹介してくれた友人、漢方薬という治療に最後まで協力してくれた両親・弟、アトピーという事実を受け入れてくれた妻と妻の家族、一番ひどいときにも特別扱いのなかったお得意先。私は、これら全ての人々に生かされていると思っています。

今、私は妻と二人の男の子に恵まれて幸せを噛みしめながら生きています。今も、若干首のところに症状が残っており、治療も続けています。いつ、子供に症状が出るかもわかりません。しかし、その時は私はわき目も振らずに松本先生にお世話になると決めています。

この手記が、今苦しんでおられる方々にどう感じられるかはわかりませんが、とにかく先生を信じて欲しいと思います。ただの机上の空論を論じるよりも、自分で感じて欲しいと思います。そして、何よりも実際に感じた人間の話ほど真実味を帯びる物はないと思います。皆さんが一日も早く、苦しみから解放される日々を取り戻されることを心からお祈りしています。