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    「クローン病の完治に向けて」 匿名希望 31歳

    2010年1月20日

    2006年2月―病気の発症

    27歳、冬の終りのことでした。主人の様態は少しずつ悪化していきました。喉に無数の口内炎ができ、食事も通らない程の痛みが続きました。38度以上の高熱、腹痛に下痢と辛い症状が半月以上も続きました。総合病院を受診し、退勤後には点滴の毎日が続きました。約1ヶ月この抗生剤の治療を続けましたが、症状は改善されず、原因が分からないまま時間だけが過ぎていきました。この期間、主人の体重は7㎏も減少していました。

    クローン病の宣告

    4月上旬。何ら原因を追求することのない病院側の対応に不安を感じ、病院を変えることにしました。余りに喉の痛みが激しかったため、まずは耳鼻咽喉科を受診しました。そこで、別の消化器科を紹介され、大病院での細胞検査の結果、小腸にアフタ性潰瘍が見つかり、クローン病と宣告されました。発症から2カ月のことでした。
    主人の病気は一生治らない…。あの時受けた心の動揺は今でもよく覚えています。溢れる涙を抑えきれない日々が続きました。家族や周囲の人々の支えもあり、私達は現実を受け入れ、与えられた試練を、何とか前向きに受け止めていこうと努力しました。そして病名が比較的早期に分かり、本格的な治療に入れたことはせめてもの救いと感じられるようになりました。
    この年の7月。私達は結婚式を迎えていました。
    出会いは大学時代でした。私達は7年目となる桜の花を窓の外に眺めていました。

    入院生活

    入院生活は絶食、鎖骨下静脈からカテーテルを入れ栄養補給する治療から始まりました。その後、経口でエレンタールを摂取し、食事の回数は段階的に増やされていきました。体調は順調に回復し1ヶ月程で退院できました。この初めての入院で、ステロイド剤が投与される程、主人の腸相が悪化していなかったことは不幸中の幸いとも言えました。

    退院後の2年間

    退院してからは、1ヶ月に1度、消化器科の主治医のもとで定期的な診察を受けることになりました。1日のうち、1食はエレンタール、2食は食事で栄養を補う指導から始まりました。しかし、エレンタールを摂取した後は浸透圧が関係し必ず下痢を起こしていたため、服用を中止し3度全ての食事を取るようになりました。服薬はペンタサを12錠/日、消化剤であるベリチームにビオフェルミン錠でした。その他にも食生活指導などとても丁寧に説明してくださいました。ただ、外科系である主治医の先生は「ご主人は目立った狭窄がなかったので手術等は必要ありませんでした。それでももし悪くなった場合は‘チョッキン’すれば、またすぐに元気になれるのでご安心を。」と一言付け加えられました。内心(切った腸はもう二度と戻らないのに…)とその言葉がひどく胸に刺さり、二度と主人を入院生活に逆戻りさせることはしまいと、強く胸に誓ったことを覚えています。
    お昼は毎日、お弁当を作りました。料理本は数え切れないほど目を通し「高エネルギー・低脂肪・低残渣」に注意し献立を工夫していきました。また還元水の飲用やつめもみなど手軽で健康維持に良いとされることは全て試しました。7月には無事に結婚式も挙げることができました。1年後の血液・大腸検査の結果も退院後の状態を維持し、体調も良かったのでペンタサも量は12錠/日から6錠へと段階的に減らされていきました。
    調子の良い日々が続くと、2年目以降は食事管理も少しずつ緩やかになり、牛豚肉(脂肪分の少ない部位)の料理や繊維物なども日常生活でストレスのない程度を調理していきました。但し、揚げ物や脂質の多すぎるものは一切調理しませんでした。以前から人並みに飲酒もする人でしたが、退院後は1年間殆ど禁酒に近かったお酒も、この頃には少しずつ摂取するようになっていました。案の定、無理をしすぎた食事や飲酒の次の日は下痢を起こしていましたが2、3日程で何とか普通の便に戻っていました。この間、主治医としていた先生が他地方で新しく開院されることになり、その後任として別の先生に主治医が変わりました。同じく消化器科を専門とする先生でした。

    2009年 春―体調が少しずつ悪化していく

    ずっと良い日は続きませんでした。この頃から慢性的に下痢が続くようになり、8月に入るとペンタサの量が、6錠/日から12錠へと一気に増えてしまいました。また腸内に病原性の菌が見つかり、抗生剤のクラビット錠が処方されました。それでも下痢は止まらず、中旬には舌がひりひりと痛み、喉には口内炎のようなものが出来始めました。1ヶ月で体重も4㎏減少していました。(これはきっと再燃だ…。)この病が、緩解期と活動期を繰り返すものとは承知していましたが、現実へのショックと、将来への不安と、気持ちは押し潰されそうでした。3年間かけて減らすことができたペンタサも、呆気なく増えてしまったことには、何とも言えない虚無感を覚えました。悪くなったら、こうして薬で抑えるしかないのかと。であれば、更に悪化した場合はもっと強い段階の薬へと移行していく事を想像すると言い様のない恐怖さえ感じていました。

    松本医院との出会い

    何とかこの病気を根本的に治す方法はないのかと、私は久しぶりにネットを開きクローン病に関する情報を調べ始めました。そこで、奇跡とも言える一つのキーワードがヒットしたのです。『クローン病完治』という小西竜二さんの手記でした。この方の素晴らしい手記を胸に、松本医院の門を叩いた方も複数いらっしゃると思います。
    私は無我夢中で読みました。それから、松本先生の論文に移りました。内容の濃さに1度読んでも理解が難しかった為、2、3度繰り返し読み、頭の中に詰め込んで行きました。こうして、3年間受けてきた治療の概念は一転して変わっていきました。更に読みを深めていくと、血沈、ALB、抗核抗体…というように事細かな血液検査の項目が治療の判断材料になっている事を知りました。私達は発症以来、血液検査に関してはCRP値の推移のみで、説明をいただいていました。そこで、主治医に今の主人の状態をより精密な血液検査の結果で判断できないのかと、尋ねることにしました。すると残念なことに「それは特別ないですね。」という返答が返ってきました。
    8月下旬になっても抗生剤が効くことなく、主人の体調は益々悪化していきました。肛門にも痛みを感じ、座ることも辛い状況になっていました。主治医からはネリプロクト軟膏を処方されました。塗ると一時的に痛みは和らぎました。しかしその薬力が逆に疑わしく、ネットで調べたところステロイド剤が調合されていることを知り、自己判断で塗布を中止しました。下痢は止まらず、舌の痛みも改善しないことに対しては「栄養不足によるものと考えられるのでビタミンのサプリをとるように」と指導されました。私は主人の食事と体調の因果関係をある程度は理解していましたので、それで本当に症状が改善されるのかと疑問が残りました。

    何かが違う、一刻も早くにと。すぐさま新幹線の予約を取り、2歳の娘を連れて家族3人、私達は大阪に向かいました。8月29日。夏の終わりのことでした。

    2009年9月―松本医院での治療開始 

    そこは漢方の独特の匂いと熱気に溢れかえっていました。私達は開院時刻9時半に病院に入りました。もう席は満席でした。血液検査と視力検査を受け、しばらく待機した後、この日に初診だったクローン病の高校生親子と一緒に、診察は始まりました。松本先生は病気の原因と完治へのメカニズムについて、またこれまで受けてきた治療の誤っていた点を、非常に分かりやすく説明してくださいました。その後、個別の診断が始まりました。発症からの経緯と現在の症状を伝えた後、その時、最も気にかけていた舌の痛みについては、ヘルペスであると判断されました。「とにかく、血液検査の結果を見れば分かる。ヘルペスの抗生剤ベルクスロン錠を出しておくのでまずはそれを服用するように。それから3種類の漢方を食前・食間・食後に煎じて飲む。おそらく、ALB値も低いので、アミノバクトを朝・夕に服用する。温灸もしばらく続けた方が良い(効果が上がる)」と話されました。またペンタサは12錠/日だった量を6錠に、状況を見て減らしていき、最終的には服用を中止するとの指導がありました。
    最後に「ストレスをためるな。仕事はそこそこで諦めるように。」と笑顔でアドバイスくださいました。思い返せば過去の食生活に問題があったのは勿論のことですが、それ以上に、発症当時の主人の忙しさは仕事に式準備にとピークを迎えていました。今回の再燃も転勤が重なり職場環境は大きく変わっていました。真面目で誠実な主人の性格は、少なからずこの病気に拍車をかけていたのです。ストレスは病気の大きな一因であったと実感しました。
    こうして、松本医院での治療は開始されました。「絶対治るで!」最後に交わした先生の握手は、主人の免疫力を後押ししてくださる様な、何ともあたたかく生命力に満ちた力強いものでした。

    漢方治療の経過

    自宅に帰り、早速漢方を飲み始めました。良薬口に苦しとはまさにその通り。それでも免疫を抑える薬ではなく、免疫を上げるための漢方を飲んでいることは、主人にとっても大きな励みとなり、苦痛なく治療を開始することができました。そして驚くことに結果は目に見えて良くなっていきました。服用を開始した翌朝から固形の便が出たのです。それまでは1日3~5回程下痢を毎日繰り返しいましたので主人も私もただただ驚くばかり、二人揃って大喜びしました。1週間後、経過連絡の電話をし血液検査の結果が返ってきました。その時はすでに、松本先生に処方されたヘルペスの抗生剤により、あれだけ悩まされていた舌の痛みがわずか1週間程でほぼ完治に至っていました。松本先生の初診の所見は全て的中。ヘルペス値、アルブミン値も標準より大幅に外れていたのです。更に肛門病変も良くなり、痛みもなくなったため1週間で食間分の漢方薬が終了しました。ペンタサは2週間目から3錠/日に減らし、3週間目から服用を中止できました。

    リバウンドは発熱だった

    9月の中旬、主人は突然の高熱を出しました。初診の際、発熱時の抗生剤フロモックス錠を処方いただいていたのですぐに服用しました。しかし翌日になっても熱は下がらず(まだ免疫が戦っている途中なので当然のことなのですが…)それでもその日、大事な仕事を抱えていた主人は、他の内科で処方された解熱剤で熱を下げ、何とか会社に出勤しました。しかし薬が切れる頃になると、忽ち熱は上がっていきました。その時更に、内科と松本先生にいただいた抗生剤を両方誤って服用するという、とんでもない間違いを犯していました。松本医院はお休みの日でした。翌朝が来るのを待ち、松本医院に電話し、主人は全てを打ち明け報告しました。松本先生は話の内容に唖然とされる中で、「何かあったらすぐに家にでも携帯に電話しなさいって、言うたやないか!」と…。その後冷静に且つ真剣に様々な説明をしてくださいました。私達は、分かっていたつもりで、分かっていませんでした。あの時の先生のお叱りの言葉を今でも大変有難く思っています。本気で病気を治そうと、本当に患者の身を思わなければ出ない言葉だと感じるからです。私達は、先生のお言葉をしっかりと胸に刻みました。それは『免疫を以て病気を治す』という松本医学の本当の意味を再確認できた出来事となりました。

    リバウンドを超えて

    こうして発熱は5日目にして治まりました。熱の出方は、他の風邪症状が一切なく発症時のものとよく似ていました。漢方を飲み始め2週間までの便は、朝が固形それ以降に軟便を繰り返していましたが、発熱中は終始下痢を起こしました。松本先生は今回の発熱がリバウンドによるものであったと判断されました。そして発熱が治まった後、便の状態は劇的に変わっていきました。驚くほど気持ちのよい固形の便が1日1回出るようになったのです。その後は体調も良好、食べ物の吸収が良くなったのか体重も少しずつ回復していきました。
    リバウンドには人それぞれ様々な症状が出るものです。それ以前に服用してきた薬の質量で、その後の結果に著しい差が出てきます。8月、主人のペンタサの量は12錠/日と一日に利用できる最大量になっていました。万が一あの夏、更に症状が悪化し、その先にステロイド剤等の治療の選択肢がなされていたとしたら…想像するだけでとても恐ろしいです。主人の場合は、やはりステロイドや免疫抑制剤などの薬を使わず、ペンタサと食事療法のみで治療を進めてきたことが功を奏したと思っています。

    11月に2度目の診察に行きました。便の状態も体調も良好な日が続きました。初診時、基準値を外れた血液検査の推移は下記の通りです。
    ALB値 57.5⇒63.5
    α1 G 4.4⇒2.6   α2 G 11.9⇒8.1
    血清鉄  32⇒58     CRP値 2.7⇒0.16
    値は全て正常に戻っていました。一方、以下の値は外れたまま、まだ基準値には戻っていませんでした。
    抗核抗体 FA法 80⇒80
    水痘帯状ヘルペス VZV Ige EIA価 58.0⇒76.0
    肺サーファクト プロテインD   91.7⇒217.0
    松本先生の説明によると、水痘帯状ヘルペスについては免疫がまだ戦っている途中なのでこの値となり、肺サーファクトについては、間質性肺炎という合併症を心配し咳はひどく出ていないかとの質問をされました。この件に関して詳しくは分からないのですが、今のところ主人に症状も見当たらないので注意して様子を見ていきたいと思っています。この2回目の血液検査の結果、食前分の漢方とアミノバクトの服用は終了となりました。今では、食後の漢方のみで治療を継続しています。現在、主人は2週間の出張中です。先日、松本先生にご指導いただき、1週間分の漢方を凝固させ渡したところです。(ゼリー状になるまで煎じ、最後に蜂蜜を入れ固形にします)食事の面でも仕事に差し支えなく、こうして安心して長期出張ができることを大変有り難く思う今日です。

    最後に

    私達は松本医院に通い始め、医師から発病以来初めて『好きなものを食べていいですよ』という言葉をいただきました。一生それだけはできないと覚悟していたことだけにその喜びは一入のものでした。実際に料理の幅は広がり、以前と同じような味や食感を幅広く楽しめるようになりました。これだけでもストレスの問題は大きく解決できると、主人の表情を見て私は心底感じています。クローン病患者にとって『食生活のQOLを向上する』とは、本当にこういうことを言うのです。あの言葉は、これまで次々に難病患者を完治に導いてきた松本先生だからこそ言える言葉でした。免疫を上げ体調も良い状態を維持し、その上、患者が望む普通の食生活を送れることこそが、生活の質を上げることだと私達は痛感しています。
    クローン病治療にはこうした食事制限を主とし、投薬には段階があります。効かなくなれば次から次へと強い薬へ引き上げられます。ステロイドから免疫抑制剤、更にはレミケードと呼ばれる抗TNF-α抗体療法などと呼ばれるものです。これらが持つ薬の効果は絶大です。投与後、一定期間は調子が良くなるのですが、薬が切れてくるとまた下痢や腹痛などの副作用が伴ってきます。今の薬が効かなくなったら…と患者さんは不安な気持ちを抱きつつ日常を過ごしていきます。このような治療を一生続けていかなければならないのです。
    不適切な表現が含まれるとは思いますが、一個人の意見としてお許しください。治療に選択肢の余裕がない程、重篤な場合があるとは理解しています。それでも先に述べたような対症療法は、医師の思考を停止しかねないと懸念されます。これは免疫を抑える薬しか作れないからこその、治療医学の怠慢とは言えないでしょうか。病気の原因が追究されることなく、このような治療が繰り返し行われている医療現場には強い憤りすら感じてしまいます。患者さん達の胸の内にある辛い心情を、私達は痛い程よく理解しています。どうにかしてこの現状を変えていく方法はないのかと考えた時、同じくして患者である私達は、こうした実体験に基づいた真実を伝えていくことのみに力を尽くすべきだと感じています。同様のようなケースを引き起こさせない、広くは松本医学の真実を伝えるべく努力していきたいと思っています。
    このような理由から、私があの運命とも言える瞬間(情報)を手にした時のように、広く多くの方にこの手記が広渡ってほしいと願い、タイトルは敢えて『クローン病の完治に向けて』という言葉にさせていただきました。

    松本医院に出会ったことで、私達の将来は大きく変わろうとしています。病気を完治させる。自分の免疫を以て治していく。この自然の摂理を、ごくシンプルに可能にしてくださった松本医学に心から感謝しています。
    次は『クローン病は完治する』というタイトルで手記を書きます。これは私達の当面の目標になりますが、必ず実現すると思っています。完治の際はまたご報告させていただきます。
    長い文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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