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「クローン病手記」

匿名希望 20歳 2011年11月8日

はじめに

 

 この手記は、特定疾患に指定されているクローン病を発症してから、 松本医院での治療で、症状が改善するまでを記したものです。6年間の療養生活をできるだけ詳細に皆さんへ伝えるよう努力したのですが、記憶が定かでない部分も多々あり、具体的に記述できない部分が含まれています。また、松本医院にかかる前の血液検査のデータがあまり残っていません。ご了承ください。

1, 発症

 

 2005年の夏、中学3年の時に毎日腹痛に襲われるようになる。授業中や就寝時など、時と場所を選ばず激痛が走る。最初のうちは、誰にも言えず冷や汗をかきながら必死に耐える日々が続いた。当時部活を引退し、本格的に高校受験に向け勉強をしていた。学校帰りに週4日塾に通い、夜遅く帰宅する毎日。土日は終日自宅で勉強という生活を送っていた。父が教育熱心で、出身大学で一生が決まると言われ続けて育っていた。クローン病発症の原因は、明らかにこの時期に自分の副腎皮質でステロイドを大量に作っていたためだ。

 

 次第に症状が悪化して、自宅では寝込む日々が続くようになる。両親におなかが痛いと訴えても、「ストレスで胃が痛くなることぐらい誰でもある。」と言われ、まともに相手をしてくれない。当然、勉強をさぼってだらだらしていると思われ、罵声を浴びせられることもしばしば。後にクローン病患者会で知ることになるが、家族に自分の症状を全く理解してもらえず、クローン病と診断されるまでの数年間、1人で苦しんできた方が多くいるらしい。ちなみに、私の場合は3年だ。

 

 私が、クローン病と診断されるのに時間がかかった理由は、物心ついてから病院に行った記憶がほとんど無かったからだ。病院に行くといえば、予防接種か虫歯の治療ぐらいで、風邪や軽い怪我は、放っておけば自然に治るものだと思っていた。それに、母に薬の知識があり、病院で処方される薬は、かえって完治を遅らせると言われていたからだ。そのため、病院は敷居が高く、なかなか連れて行ってとは言えなかった。そして、腹痛を我慢しながらの猛勉強の結果、志望校に合格し、高校生活が始まる。

2, クローン病と診断

   

 高校生になり、さらに症状が悪化する。腹痛の他に、痔ろう、倦怠感、下血が加わった。というのも、県下で1, 2位を争う進学校に通っていたためだ。 毎日毎日課題に追われ、学校帰りは塾、土日は補習や模試という過酷な生活を送っていた。しかも、腹痛や倦怠感で思うように勉強が進まない。ライバルは深夜2時, 3時までやっているのに、自分は授業さえ集中できない。ストレスが相当かかっていることが、自分でも容易にわかった。大学受験が近づくにつれ、どんどんひどくなっていく。唯一の救いは、下痢はほとんどなかったことだ。その後も下痢に悩むことはあまりなかった。

 

 しかし、高校3年の1学期、ついに限界がきた。高熱が続き登校ができなくなった。病院へ直行し、クローン病と診断される。痔ろうが診断の決め手となった。即入院が必要なほど重症だった。2008年6月5日のことである。 その時、医者から「クローン病は原因不明の難病で、根本的な治療法はありません。時間が経つにつれ、徐々に悪化し、数年後には手術率が上がり、腸を摘出しないといけないかもしれない。さらに症状が悪化すれば、人工肛門の可能性もあります。」と言われ、当時17歳の私は、あまりに突然の宣告にショックすら感じなかったことを覚えている。とにかくこれで自分の人生は終わったと思った。さらに、「今年の受験は諦めてください。受験はいつでもできますよ。」と言われた。これは、受験は一生できないことを遠回しに言いたかったのだろう。

 

 そして高校を休学し、入院生活が始まる。絶食で点滴による栄養補給、ペンタサを1日12錠、朝と昼エレンタールも出された。しかし、自分が置かれている現状を受け入れられず、治療に対してやる気がほとんどなかった。エレンタールも、少し口を付けるだけで、ほとんど残していた。しばらくすると、一切手をつけなくなった。どうせ治らないのに、何でこんなにまずいものを食べないといけないのかと考えたからだ。子供ながらに、必死の抵抗だった。入院生活も2週間が過ぎ、消化器の検査が一段落したらしく、今後の治療法を医師と相談して決めることになった。今思えば、この日が私の人生を大きく左右する1日であった。

3, 母の選択

 

 診察室に呼ばれ、検査結果の説明を受ける。消化器全体に潰瘍が点在していた。クローン病の典型的な症状だった。医師から勧められた治療法は、エレンタールで栄養を補給しながら、ペンタサとステロイドで症状を抑えていく方法。クローン病では一般的な方法だった。ステロイドが効かなくなったら、レミケードという最新治療もあると言われた。しかし、母はステロイド治療に対する不信感から、私をすぐに退院させて自宅へ連れて帰った。

   

 特に考えもなく自宅に戻ったため、しばらくペンタサを飲み続ける生活が続いた。食事も、細かい食事制限をきちんと守った。病院に外来で行くたび、ステロイドを処方されるが、毎回飲まずに捨てていた。それが、先生に対してとても後ろめたかった。というのも、消化器内科のスペシャリストでクローン病の患者を何人も見ている先生だったため、できるだけ良い関係を保っておきたかったからだ。いざという時には、先生だけが頼りだった。

 しかし、ステロイドを服用していないことは、すぐにわかる。血液検査で炎症反応が下がらないためだ。すぐに指摘され、「僕の処方した薬を服用しないのなら、来る必要はありません。」と言われる。予想どおりの展開だ。悩んだ結果、ステロイドは使わないことに決めた。母が先生と話をつけてくれた。母の偉大さを感じた。この病院には、以来1度も行っていない。

4, 大学受験と治療の両立

 ちょうどその頃、母が友人から、漢方でクローン病を改善させる先生が県内にいることを聞いていた。医師自身もクローン病で、漢方薬で自分の症状も安定しているとのことだった。患者には免疫抑制剤を出さない非常に良心的な先生である。7月下旬からその病院に通いだす。田舎の個人病院だったため、診察時間をたっぷりとってくれる。同じ病気を罹患しているため、クローン病の痛みを分かってくれる心強い先生だ。先生は手術を数回され、腸を大きく切り取られていた。そのため、私が自分のように苦しまないように、必死に漢方を調合してくれた。

   

 こうして、漢方治療が始まった。栄養補給のため、プロテインとプルーンも摂取した。もちろん、ペンタサの服用は中止した。毎日漢方を煎じて飲み、できるだけストレスをかけないように努めていた。今後、この先生の漢方は松本医院での治療を始めるまで、飲み続けることになる。しかし、学校では同級生が必死に受験勉強をしている。休学し、戦線を離脱したことによる、ストレスが日に日に大きくなってくる。無理を承知でも、勉強は続けていた。

 

 さらに悪いことに、受験のことで父と母の対立が始まる。夕飯の度に、言い争いが起こる。楽しいはずの食卓が修羅場になることもしばしば。 父は、「とにかく受験のことを最優先するため、ステロイドで今年度中は症状を完全に抑え込み、治療は大学に入ってからゆっくりすればいいじゃないか。」 と言う。確かに、父の言い分も分からないでもない。大学受験のために、小学6年の時から塾に通って準備してきたのである。受験を諦めるということは、7年間の努力が無駄になるということだ。一方母は、「受験より体のことが大事だ。とにかく、ステロイドは1度使いだすと、依存してしまい、止めるのが困難なので、絶対に我が子には使わせたくない。」と言う。母がこのように言う理由は、私の妹が小さい頃、小児アトピーを患っており、その時ステロイドでひどい目にあっていたからだ。2人とも私のことを真剣に思ってのことなので、こちらとしても非常につらい。しかし、私は迷わず、母の肩を持つことにした。ステロイドを使って、副作用で様々な病気になり、人生を棒に振ってしまうことを恐れたからだ。一方、大学進学率は50%であり、行かないなら行かないでいいと考えた。

 

 8月末になり、出席日数の関係で復学することになる。激しい腹痛のため、遅刻と早退を繰り返しながら何とか高校へ通った。さらに、休学していた3カ月の間に授業は相当進んでいたため、ほとんどついていけない。思うがままに勉強ができる友人がうらやましかった。しかし、自分は先生や友達にとても恵まれていた。友達は率先してノートを見せてくれたり、分からない部分を教えてくれたりした。先生方は忙しい中、私1人のために個別指導をしてくれた。

 

 それから、受験当日まで、1日1時間でも2時間でもいいからとにかく勉強を続けていった。ちなみに、漢方治療を開始してからCRPは3~4で横ばいだった。満足に勉強はできなかったが、受験できるだけで幸せだった。そして2009年3月、なんとか地元の大学に合格。9か月前、受験は無理だと最初の医師に言われたことを覆してしまったのだ。

5, 大学生活とクローン病

 

 ようやく受験勉強のストレスから解放された。その上、大学は自宅から通える距離だ。そのため、症状は改善していくだろうと思っていた。しかし、現実はうまくはいかない。工学部だったため、物理や数学の課題、実験、レポートを毎週こなしていかなければならなかったからだ。

 講義の空き時間や放課後は、図書館で専門書とにらめっこする日々が続いた。普通の学生なら、勉強はそこそこにして、サークルやアルバイトで青春を謳歌するのだろうが、私の場合はそうはいかなかった。ただでさえ、難病を罹患しており、就職や結婚に不利なため、少しでも良い成績で卒業し、資格も取っておきたかったからだ。そう考えたのは、難病患者がいかに社会に偏見を持たれているか身をもって知っていからだ。

 受験生の時ある大学に推薦をお願いしていた。成績も基準を満たしており、合格する可能性も高かった。しかし、難病だと分かったとたん、受験することすら拒否されたのだ。ほとんど合格が決まっていただけに、ショックが相当大きかった。大学受験は病人や障害者を問わず、平等にチャンスが与えられるものだと思っていただけに、やり場のない怒りを感じた。この経験から、自分は人一倍努力しなければ生きてはいけないことを実感した。

 

 話がそれてしまったが、そういう訳で大学生活が始まっても、体調は全く改善しなかった。相変わらずCRPは3~4で横ばいだった。夏休みに、痔ろうの手術をしたぐらいで、特に変化がないまま、1年生が終わった。ちなみに、手術はしたものの、痔ろうは改善しなかった。それに、術後にしばらく痛み止めを服用していたのが悔やまれる。

 

 症状に変化が出だしたのは、2年生の夏ごろからだったと思う。新たに、腰痛が加わったのだ。とにかく背中の筋肉が張って、まっすぐに立てない日もあった。また、吐き気がある日もあった。これらの症状は、おそらくヘルペスによるものだ。漢方治療を始めて2年、免疫が上がりヘルペスウイルスとの戦いが始まったのだ。しかし、当時はそんなことは知る由もない。とうとうクローン病が悪化したと勘違いしていた。先生に相談してみても、運動不足による筋肉痛と言われるだけだったが、どうしても納得できなかった。しかし、素人がいくら調べても考えても、原因が分かるはずもなく、原因不明の腰痛とうまく付き合っていくしかなかった。

 

 しかし、ついに限界が来た。2年生も終わりに近づいた、2010年年末に通学すら困難になってきた。ヘルペス、クローン病共に悪化してきたのだ。激しい痛みの中、2011年2月までは、気力だけで大学に行き、なんとか2年生の単位を取得する。しかし、3月の検査では、CRPが7.5まで上昇していた。腹痛はもちろん、体中の節々が痛み、家から出ることもできなくなってきた。今思えば、ペンタサを止めて、漢方治療を地道に続けたために、リバウンドが起きていたのかもしれない。2カ月服用したペンタサのため、抑えられていた免疫が上がってきて、完治への一歩を踏み出していたのだろう。

 

 4月になり、3年生が始まろうとしていた。しかし、当時の体調では大学に通うことなど、不可能だった。泣く泣く1年間の休学届を提出するしかなかった。もちろん、今後の治療方針など決まっておらず、来年になったら症状が改善する見込みなど一切なかった。

 

 ここで、出てくるのが松本医院である。実は、大学1年の時には、松本医院のホームページを見つけていた。しかし、大阪は遠方であること、家庭の経済的な理由、それにこれまで口コミやインターネットで難病に効くと言われた治療法は全て効果がなかったため、行くことをためらっていたのだ。それでも、他に頼るところもないため、松本医院のホームページに掲載されている手記や院長のコメントをゆっくりと読むことにした。休学していて時間があったので、毎日のように読んでいた。すると繰り返し読んでいくうちに、クローン病の原因が分かってきた。簡単にまとめると、「本来はIgEを用いて処理すべき異物を、IgGを用いて溶かし殺そうとしているので、炎症が起こっている。そして、IgEからIgGの世界に逆クラススイッチする原因はストレスである。膠原病もアレルギーも同じ敵を排除しようとする働きにすぎない。漢方と鍼灸を用いて免疫を上げていけば、IgGからIgEの世界にクラススイッチすることができ、最後は自然後天的免疫寛容を起こせば異物と共存でき、完治することができる。」ということだった。全てが目から鱗だった。何よりも、「全ての病気を治せるのは患者の免疫だけ。」という言葉には大いに共感した。そこで、この医者は何かが違う、とにかく松本医院に一度だけ行ってみようと決意したのだ。

6, 松本医院での治療経過

 

 2011年5月20日に松本医院を初めて訪れた。午前9時前に到着したにもかかわらず、既に数人の患者さんが待合室に座っていた。医院に入ると漢方の独特の匂いが漂っていた。受付を済ませ、血液検査を行い、看護師さんからクローン病の説明を受けた。診察を待つ間は、患者さんの手記を読みながら過ごした。そしていよいよ診察の順番がきた。診察室に入ると、松本先生は全国の患者さんからの電話対応に追われていた。口調が強い人でしたが、患者さんのことを考えてのことだと思った。受話器を片手に持たれたまま、診察が始まった。

 

 電話口の患者さんと同時にこちらの診察も進んでいき、その巧みな話術は本場の大阪の漫才を見ているようだった。そして、必ず治してみせると、3回も手を強く握ってくれた。もちろん、治してあげると言ってくれたお医者さんは初めてだった。その日は、2種類の漢方、フロモックス、アミノバクトを処方してもらい、診察は終了した。その後、鍼灸を済ませ医院を後にした。

 

 5月22日から、漢方を煎じて飲み始めた。また、カマヤミニを購入しお灸も始めた。漢方もお灸も経験があったので、抵抗なく始められえると思ったが、漢方の方は独特の苦みと匂いに耐えられず、一口飲むたびに吐き気がした。それでも、なんとか蜂蜜でごまかしながら必死に飲んだ。こんな日々が続くと思うと、正直ゾッとした。しかし、漢方の効果の方は絶大だった。その日の夕方から、突然38度以上の高熱が出た。同時に激しい腹痛にも襲われ、食事も喉を通りそうになかった。夕食は雑炊を少々と、漢方を流し込み、抗生物質を飲んで倒れるようにベッドに横になった。しかし、日付が変わるころになっても、腹痛で眠れずにいた。初日から、波乱のスタートだった。

 

 先生に電話で問い合わせたところ、おそらく早くもリバウンドが始まったのだろうとおっしゃった。そんな状態が1週間続き、ようやく落ち着いたと一息ついていたころに口内炎、肩こり、腰痛などヘルペスの症状がひどくなってきた。しかし、リバウンドやヘルペスで死ぬことはないという先生の言葉を信じて、ただひたすら安静にして耐えていた。ここから、リバウンドとヘルペスを乗り越える戦いが本格的に始まった。免疫が上がってきた証拠だ。

 

 ヘルペスについては、抗ヘルペス剤を服用して、ヘルペスウイルスの増殖を阻止し、回復した免疫がヘルペスウイルスを神経節に封じ込めるのを待った。 しかし、ヘルペスウイルスはずる賢い。ストレスをかけないように努め、症状は改善してきたが、今でも口内炎ができている。ここで、私が経験したおそらくヘルペスである症状を挙げてみる。口内炎、頭痛、腰痛、肩こり、目の奥の痛、まぶたの痙攣、筋肉痛、こむら返り、手足の節々の痛み、倦怠感、冷や汗、吐き気。

 

 リバウンドについては、8月中旬までの3カ月に4, 5回あった。それぞれ、期間は5~7日程度だったと思う。リバウンド中は、これまでにないほどの腹痛と発熱に苦しみ、1日中横になっていた。自分の力でトイレにはかろうじて行けたが、それ以外のお世話は母にお願いした。漢方も飲めず、お灸もできない日もあった。くじけそうなときは、患者さんの手記や先生のコメントを読んでいた。リバウンドは皆さんが乗り越えられてきているので、必ず自分も乗り越えられると自信がついた。以上がリバウンドの経過です。

 

 私の場合は、ペンタサを2カ月服用しただけだったので、リバウンドはそれほどないと思っていたのですが、予想をはるかに超える苦しみだった。やはり、知らないうちにストレスがかかって、免疫が抑えられていたのでしょう。8月中旬からはアトピーが出てきた。ようやく一部のリンパ節でクラススイッチが始まったのだ。場所は腹、腕、足、顔、頭皮、股など体中のいたるところが痒くなってきた。アトピーが出るにつれ、クローン病の痛みも軽くなってきた。夕方から早朝にかけて、少し痛くなることもあったが、抗生物質を飲んでゆったりしていれば、問題なく過ごすことができた。外出したり、車の運転も出来るようになっていた。また、長年悩んでいた冷え症も改善していた。

 

 さらに、徐々に食事の量や種類も増やすことができた。松本先生に、「好きなものを食べてもいいのだよ。」と言われた時の喜びは、はかりしれないものだった。今では、体調に合わせて肉や脂質も摂取している。完治した際に大好きなカレーを思う存分食べることを楽しみにしている。また、この頃にはすっかり松本医院のホームページの常連になっていた。毎週月曜か木曜に松本先生のコメントや論文が更新されるのを楽しみに待つようになった。ご多忙な中、休診日に赤字でびっしりとコメントを書いて、一人でも多くの患者さんに真実を伝えようとする姿に深く感銘していた。

7, 現在の体調

 10月末まではアトピーとクローン病の痒みと痛みのいたちごっこの状態のまま時間が過ぎていった。ヘルペスの症状もあり、抗ヘルペス剤を服用する日もあった。

 現在、松本医院で治療を始めてから半年が経とうとしている。今はクローン病の腹痛は大幅に改善された。日常生活は問題なく過ごせており、日々楽になっていく実感がある。

 

 また、ストレスがかからないように心の持ち方を変えるように努力している。松本先生がいつも言われている、「仕事や勉強は自分の能力以上に頑張らず、そこそこで諦めろ。」「他人の幸せを心から喜んであげろ。」「他人に気を遣いすぎず、少しはやんちゃになれ。」という言葉を少しずつ実践するようにしている。クローン病の原因の1つにストレスがあると分かった今、自分にかかるストレスを最小限にとどめ、免疫を上げ続けることができるように心がけている。アトピーの方は、まだ腹と股にできている。これからも完治へ向けて、免疫を上げる治療を続けてクラススイッチを促していきたいと思う。

 

 まだ、完治していないので中間報告とさせていただきますが、これからも松本医院の院長、スタッフの皆さま完治までよろしくお願いいたします。

おわりに

 

 松本先生のコメントや、患者さんの手記を読んで何となく理解はできるものの、やはり難病が治ることがどうしても信じられない方も多いと思います。私もその1人でした。しかし、時間をおいて何度も読んでいるうちに分かってくることが多々ありました。クローン病を治すためには、漢方や鍼灸で免疫を上げること、心の持ち方をかえてストレスをかけないようにすることが必要だということです。また、病気は自分で作り、自分で治すということも分かりました。

 自分の病気を本気で治したいと思う方は、松本医院で治療を始めてもらいたいと思います。一人でも多くの方が健康になることを祈って手記を書き終えたいと思います。長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

TKさんの血液検査
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 アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。

 患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。 

アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。

 それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。

漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。

 市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。

松本医院の「なぜ」

病気とは何でしょうか?

 病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。

 それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。

アレルギーとは何でしょうか?

 アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。

膠原病とは何でしょうか?

 膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。

アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?

 敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。

リウマチの患者さんの家族の皆様に

 他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。

 そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。

 また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。

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