漢方はなぜ免疫を上げるのか? partⅠ
なぜ漢方は病気を治すことができるのか?

 タイトルを『なぜ漢方薬は効くのか?』としなかったか理由はお分かりですか?皆さん、古来から今も「薬がよく効く」という言葉がいたるところで頻繁に用いられていますが、「効く」という言葉の意味医学的に十分に理解していらっしゃるでしょうか?「病気に効く」という意味は2種類あるのです。しかも正反対の意味を持っているのです。このような事実をほとんど全ての人は理解しておられないと思います。どうしてでしょうか?まずそれから説明しましょう。そのためにまず、病気とは何かを説明しましょう。

 病気は人体に異物が侵入し、その異物を免疫で処理するときにみられる現象です。人体が感じる不愉快な見かけの現象を「症状」といいます。免疫の意味が全く理解されなかった昔は、症状そのものが病気だと考えられていたのです。ところが19世紀の後半からパスツールやコッホなどの西洋人の努力により、感染症という病気の原因は病原菌であるということが分かったのです。つまり、人体にウイルスや細菌などの病気の原因である異物が侵入したときに、免疫がこれらの敵を殺そうとしたときに生じる病気を感染症とよんだのです。病気の原因が人体に侵入しない限り、病気は絶対に起こらないということを初めて明らかにしたのです。これを証明するための有名なパスツールの「白鳥の首フラスコ」の実験はご存知でしょう。つまり昔は病気の原因は何であるかが全く分からなかったのが、このパスツールの実験で病気の原因は人体にとって異物である病原菌であるということが解明されたのです。この病原菌さえ人体に侵入しなければ病気は起こらないという真実を初めて明らかにしたと同時に、仮に人体に病原菌が侵入しても、この病原菌を殺せば病気を治すことができるということが、人類の歴史上初めて発見されたのです。この発見により、病気の原因を殺すためにワクチンが作られ始め、かつ抗生物質が作られ始め、と同時に人体を細菌から守ってくれる大食細胞や抗体も発見され、敵から人体を守るのには人間が生まれ持っている免疫の働きを高めることが大切だということが理解され、現代に至っているのです。ところが病原菌は人体に入らないようにすることができ、かつ入ったとしてもワクチンや抗生物質で病原菌を殺すことができるようになったのです。(残念なことには、現代文明の最も大きな病気の原因である化学物質とヘルペスウイルスを医学会は絶対に認めようとしないのです。)

 

 ところが遺伝子レベルで免疫の働きが解明された現在においても、今なお病気は免疫と異物との戦いでみられる現象、つまり症状であるということが医者自身も十分に理解していないのです。いわんや、医学に関して100%無知である大衆は、目に見える症状さえ良くなれば、病気が治ったと思い込んでいるという始末です。

 

 どうして今なお症状が病気だと大衆は信じきっているのでしょうか?その説明をしましょう。まず免疫の働きは外からは何一つ見えませんから、愚かな大衆は見えない免疫には一顧だにもせず「症状=病気」だと信じ込んでいるのです。次に医療に愚かな患者は病気の本質などはどうでもいいので、症状さえ取ってくれれば事足れりと考え、病気の症状である不愉快さだけをとってくれれば文句は何一つ言わないのです。この症状をとる方法は実は二通りあるのです。ひとつは19世紀の終わりにパスツールが証明したように、根本治療である病気の原因(病原体や化学物質)を除去することで完全に病気が治ってしまうのですが、まさにこの治療こそが医者がやるべき仕事になるのですが、これは極めて難しいので、2通りめの免疫の働きを抑え込むという極めて簡単な方法がまかり通っているからです。

 

 皆さん、現代文明にみられ、しかも一般の人に普通にみられる病気の原因は何であるかご存知ですか?細菌とウイルスと化学物質の3つだけです。細菌は抗生物質で殺せますから、何も心配する必要はありません。ウイルスには風邪のウイルスとヘルペスウイルスしかありません。風邪のウイルスは自分の免疫で殺しきることができますが、ヘルペスウイルスだけがあらゆるウイルスの中で別格の存在であるのです。なぜならばヘルペスウイルスだけは殺しきることができないからです。ヘルペスウイルスを神経節に封じ込めてしまえば、免疫とヘルペスウイルスとの戦いは一時的に休戦できるのです。

 

 それでは化学物質はどのような病気を起こすのでしょうか?アレルギーと膠原病であります。これらの病気の原因である化学物質を、どう免疫は処理すればよいのでしょうか?化学物質に対しては自然後天的免疫寛容を起こし共存する以外に道はないのです。従って人類が絶滅するまで苦しみ続けねばならない病気の原因で一番手強いのはヘルペスと化学物質だけであることを理解してもらいたいのです。

 

 さあ、ここで漢方煎剤の登場となるのです。風邪のウイルスを殺すにしろ、ヘルペスウイルスを神経節に閉じ込めるにしろ、化学物質と共存するにしろ、いずれも免疫の働きが生み出してくれるのです。皆さんは、毎日毎日新聞やマスコミ雑誌で医者や薬が治したという嘘話ばかり聞かされているので、自分の免疫がいかに素晴らしいか気づいていないのです。38億年もの間生命の歴史が続き、私たち人間という種が進化し、医者も薬も何もなかった時代を乗り越えることができたのも、生命の全てに与えられている免疫の遺伝子の働きであるということを誰かが説明したことがありますか?免疫の遺伝子の設計図そのものが最高の医者であるとか、その設計図によって作り上げられた免疫のタンパクが最高の薬であるということを誰かに聞かされたことがありますか?

 

 この世の中は建前の本音が全く乖離しています。医者と病気の関係とか、医者の患者の関係、薬と病気の関係についても、まるで嘘八百が並べられています、ずる賢い人たちが自分たちの快楽のために支配しているのが人間の世界です。勉強しない全てにおいて無知なる大衆は、ことの本質を知ろうとする努力は全く興味がありませんから、万事は賢い人たちの思うように動いています。言うまでもなく病気や薬や医学や免疫学に関しても、愚かな大衆は100%無知であります。病気を治しているのは医者や薬ではなくて自分の免疫が治している真実を誰一人知りません。医学に愚かな大衆が学ぶ唯一の道は、賢い医者たちに学ぶしか方法はないのです。この医者たちが病気を治すのは実は患者であるとか、病気の原因は何であるかとか、原因の分からない病気は何一つとしてないとか、現代文明には死ぬような病気の原因は何もないなどの真実を語れば、自分たちが儲からないとわかっているときに、どうして真実を患者に語ることができるでしょうか?不可能です。

 

 このような真実の全てをホームページで語り続けようと努力しているのが私です。病気を治せる唯一の方法は患者自身が持っている免疫の遺伝子を発現する以外にないのです。ここで登場するのが漢方煎じ薬なのです。どうして漢方薬があらゆる薬の中で唯一免疫を上げる力を持っているのかをこれから説明していきましょう。まず最初に語るべきことは現代の漢方医と言われる人たちが現代医学のいわゆる西洋医と同じ間違いをやっているということから説明を始めましょう。

 

 まず現代の漢方医がやっている漢方医学の実態とは何かから語りましょう。

 今日はここまでです。2013/08/22

 

 これからの話は、世界中の全ての医者が治せない病気が、なぜ私だけが治せるのかという回答にもなります。いやいや、私が治しているのではなくて、なぜ他の医者が治せないと宣告している病気を、なぜ私の医療が治せるのかの答えにもなります。その答えをひとつずつ道理を用いて詳しく説明していきましょう。この論文はこれまでの論文の総括とも言える最長最大の論文になることは確かです。さらに付け加えるに、いわゆる漢方医といわれる医者たちが日本中でいかに非科学的な遅れた医療をやっているかの論拠も述べましょう。彼らの漢方医学は古くさい経験だけに依拠し続けるだけで、中国人が築いたこの経験漢方から本質を引き出すことができない根拠も詳しく述べることになるでしょう。

   

<漢方医学とは何か?>

 

 原始時代の野蛮人たちは、もちろん病気もクソも何もかも分からない時代でありました。従って突然家族が熱を出したり、痛がったりしたときには、ただオロオロしただけでしょう。このよう異常な状態を起こす原因は、体内に入った異物であるなどということは全く分かりようもありませんでした。中国においても徐々に未開から文明に足を一歩ずつ入れるにつれて、病気を治すために祈祷をしたり、神の力を借りるために奉納したり踊ってみたり、さらに神の呪いを解いてもらったりするような、愚かな呪術的な医療が行われるようになりました。そのうちに神に祈ったところで病気が治る訳ではないということが徐々に分かりだしました。今でも未開な社会では、いや愚かなことに文明社会でも病気の原因は神の仕業であるという訳で、まじない、占い、お祈りをしたり、さらに宗教を信じたりしていますが、無駄なことです。

 

 さらに中国文明が発達するにつれて、人間と自然の関係についても理解し始めました。人は生きていくために必要な食べ物も空気も、すべて自然界に頼り、これらの産物は天と地によってもたらされるので、人間の生命も大自然の一部であるということを認識し始めたのです。人間の体の仕組みも大宇宙である大自然の営みによって生まれた小宇宙であると考えだしたのです。

 

 次にこのような大宇宙や小宇宙がどのようにして生まれたのかを考えだしたのです。気の思想であります。気の思想は、戦国時代から秦漢の時代に老子や荘子によって確立されました。気の思想とは何でしょうか?古代中国では気を空間と時間の中で生ずる具体的な出来事として解釈したのです。この気は何から成り立っているのでしょうか?相反する性質をもつ陰陽2種の気から成り立っていると考えました。万物の変化生成はこの2気の象徴によるものとしたのです。この陰陽思想から全ての中国医学が出発したといっても過言ではないのです。

 

 例えば天地万物の生成については、まず宇宙の始まりは混沌としたものがあるのみだったのですが、この混沌から気が生じて陰気と陽気が生まれたのです。天地の生成については、軽い気はあがって天となり、重い気はさがって地となったというわけです。万物の始まりはまずは天地の陰陽の2気から四季が生じ、さらに気が形となり人を含めて万物が生じると考えたのです。人の生命の始まりは、陰気の母と陽気の父の気を受けて、これが合体して一個の生命が始まるのです。人間の活動は天の陽気と地の陰気を取り入れて生命活動を維持するのです。生・病・死については体内の陰陽の気が調和すれば健康であり、陰陽の気が不調和になると病気になり、気が散逸してなくなると死んでしまうのです。

   

 皆さん、この気の実態は何だと思いますか?単に中国の古代人が勝手に考えだしたイデアにすぎないと思われますか?気については今なお認めない人もいますし、一方では今でも気の本体を探ろうとしている人もいます。私の答えは次のようです。気とは、一言でいうと、エネルギーでありエネルギーの働きであるといえます。森羅万象はエネルギーがなければ生まれ変化することは絶対にあり得ないのです。あらゆる活動の源として大宇宙、小宇宙に存在する力ともいえます。さらに言えば、熱、光、電磁気、さらに質量までもエネルギーの一形態であることが明らかにされたのです。植物は太陽光線のエネルギーを科学的エネルギーに変えることができます。動物はこの科学的エネルギーを食べ物として摂取して初めて生きながらえることができるのです。植物を作り出した科学的エネルギーを人体に必要な熱や機械的なエネルギーなどに変えて体温を維持したり運動ができるのです。

 

 皆さん、エネルギー保存の法則の原理をご存知でしょう。外部からの影響を受けない物理的な孤立系(太陽系)とその内部(地球)でどのような物理的、あるいは化学的変化が起こっても、全体的のエネルギーは不変であるという法則です。無からのエネルギーを創造しえないということを示す物理学の基本原理であります。私はこのような原理を中国人は気という思想でまとめあげたと考えています。結論から申し上げると、病気における気は免疫の遺伝子のエネルギーを指しているのです。病気の病は病原菌のことであり、病気とは病原菌と免疫のエネルギーの戦いにおいて生じた現象と言えるのです。このことをは後で詳しく述べましょう。この世に存在する万物間におけるエネルギーのやり取りが現象であり、その現象は時間の中で生々流転していくのであります。

 

 気の思想は戦国時代から秦漢期にかけて老子や荘子が発展させたことは述べました。戦国末期の『呂氏春秋』という本において病の要因を気の鬱滞として捉える考え方が書いてあります。このことは鍼灸は気を動かすという治療法です。この気の流れを解明した経絡説が形成される上での思想的な背景が準備されたのです。前漢の武帝期になって劉安が編纂した『准南子』になると、気の考え方はさらに大きく展開され、鍼灸医学を体系化する骨組みができたのです。黄帝内経に基づく鍼灸医学を気の思想で完成させたのです。今でも鍼灸がどうして気を動かせて免疫を上昇させるかは完全に分かっている訳ではありません。ツボや経絡の意味も現代医学や現代科学でもまだ完全に解明されてはいません。この解明には時間がかかるでしょう。

 

 このようにして、中国人が直覚的に悟った気の理論を正面に据えて発達させていったのが中国医学、つまり東洋医学であります。このような優れた古代中国人の直感的思考によって生まれた漢方医学には、漢方煎じ薬(湯液)、鍼灸、導引(あんま)、気功の4つがあります。古代の中国人が病気の原因も全く知らずして患者の病気の症状を楽にしてあげるために、何とかしてあみだしたのが、この4つの方法だったのです。

 

 あんまは別名マッサージといわれますが、中国漢方でなくとも体が疲れたり、凝ったり、痛みがあったりするときに、さすったり揉んであげたりすることで楽になることは、中国人ならずとも人類の全ての人が経験してきたことでしょう。生命の源になっている食べ物になっている植物の中に、病気を治す薬を見つけ出そうとするのも理の必然でありましょう。

 

 最初に生まれた最古の医学書は前漢のBC2世紀頃に人体の生理や病理を論じた『黄帝内経(こうていだいけい)』であり、この本は特に鍼灸の方にウェートがありました。続いて後漢の1世紀頃に薬物に関する『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』があります。365種類の薬物を上薬、中薬、下薬という分類に分けた優れた薬物学の書物であり、現在でも使われている主要な薬物が全て記されています。

 

 さらに後漢末期の3世紀には漢方薬物治療の古典である『傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)』という本が張仲景によって書かれました。現代でも漢方の聖典といわれています。この本は後に『傷寒論(しょうかんろん)』と『金匱要略(きんきようりゃく)』というふたつに分かれてしまいましたが、現在も実用書として用いられているのです。

 

 ここで張仲景の人物像についてWikipediaから引用させてもらいながら、コメントもしておきましょう。

 

 張機(ちょうき、AD150年? - 219年)は中国後漢の官僚で医師。一般には「張仲景」(仲景は字)としてよく知られ、その医学上の功績から医聖と称えられています。名は張璣ともいわれます。ちょうど、古代ギリシャのココス島の医師であったヒポクラテスが西洋医学の医聖であると言われているのと似ています。ヒポクラテスも病人についての観察や経験を重んじて、患者から病気の本質を学んだのは張仲景と全く同じです。現代の医学のように、患者さんから教えてもらうのではなくて、製薬メーカーから免疫を抑えるだけの薬を使うだけで満足し、さらに医学会から標準治療という名の下で全て事足れりとしているのとは大違いです。

 

 荊州の南陽郡(異説あり)で生まれた張機は親孝行で清廉であったため、孝廉として推挙されて官僚生活を送り、献帝の建安年間初期には長沙太守でありました。何十年か前に張仲景のお墓が中華人民共和国の湖南省の長沙で見つかったということで、日本でも新聞種になったことがあります。私たち漢方を志す医者の仲間たちにとっては実在の人物であるということが完璧に証明されたので、おおいに感激したものでした。(建安元年は196年にあたる。なお、その4年前までは孫堅が長沙太守にあり、建安三年にあたる198年には、張機ではない別人の張羨が長沙太守として劉表に叛逆したことが知られています)。

 

 青年時代に同郷の張伯祖から医術を学んだといいます。彼は、後漢末期の混乱と更に追い討ちをかける疫病(二百人いた親族のうち3分の2が10年間のうちに疫病によって死亡し、うち7割が「傷寒病」(急性熱性疾患、つまり感染症)だったという)に心を痛め、官を退いて医学の研鑽に務める事になりました。死んだ残りの3割の病気の原因は何だと思いますか?やはり全て腸チフス以外の感染症であり、破傷風やコレラやマラリアなどあったのです。古来から今もそうですが、若くして死ぬのはやはり感染症であったのです。感染症が制圧された現代文明においては、感染症で死ぬ人はほとんど皆無となり、長寿の時代になってしまったのです。医者は患者を脅かすために症状が激しければすぐに死んでしまうと患者を脅かし、免疫を抑える最高の薬であるステロイドを使いたがります。症状がよくなれば患者は命を救われたと思うのですが、再び後にステロイドの離脱症状が出現し、さらに重篤な症状になることを教えられないのです。

 

 古代から伝わる医書の知識と自らの経験を加えて書かれたのが『傷寒雑病論』であり、後に「傷寒論」と「金匱要略方論」の2種類の書として分割されたことは既に述べました。彼の医学は医道に精通して治療にあたると同時に、謹厳さと柔軟性、強い責任感を持つ事を旨とし、先人の知識を尊重しつつも患者個々のケースに応じて必要があれば、独創的な治療を試みたと言われています。

 

 中国の歴史も日本と同じく、神話伝説の三皇五帝が中国を治めた時代がありました。三皇は、伏義(ふくぎ)・女媧(じょか)・神農(しんのう)であり、五帝は、黄帝(こうてい)・顓頊(せんぎょく)・帝嚳(ていこく)・尭(ぎょう)・舜(しゅん)であります。中国の先史文明は黄河文明や長江文明であり、このような中国の黄河文明が興ったのは5000年以上前といわれています。黄河の治水の功績があった禹(う)は、五帝の最後の舜により帝位を禅譲されたことは高校の漢文で勉強したことがあるでしょう。禅譲とは、中国でその位を世襲せずに有徳者に譲ることであり、尭が舜に、さらに舜が禹に帝を譲った伝説上の話は皆さんご存知でしょう。さらに禹が帝位を舜から譲り受けたときに、「夏(か)」という国を作りました。この「夏」から有史時代が始まり、中国最古の王朝といわれています。夏の国は紀元前21世紀〜紀元前16世紀ごろまで続きました。ついでに書けば「夏」の最後の君主は、暴君で有名な桀(けつ)であります。この桀は、「殷(いん)」の湯王に討たれ、夏が滅び、殷王朝ができたのです。BC1600年ごろであります。

   

 もちろん人間が生きている限りは必ず病気が起こります。皇帝たちの仕事のひとつは病気を治すことであり、特に三皇の一人の神農は、民の幸せに心を砕き、農耕と医薬の祖とされ、今でも人々にあがめられています。この皇帝の名前を取って、『神農本草経』という漢方薬物の書物が後に書かれたのは既に述べました。伝説によれば、神農はあらゆる草木を毒味し、初めて医薬を生み出したとされています。五帝の最初の黄帝は、戦乱に荒れた神農の世を平定し、後を継ぎ、天地を司る陰陽五行の運行を初めて定めたといわれています。この黄帝の名前を託して『黄帝内経』という書物が書かれたのも既に述べました。

   

 このように、張仲景の時代に至るまで、様々な病気に対する治療法が伝わっていました。一族の大半が傷寒で亡くなっているのを見て心を痛めました。そこで何とか傷寒の病を治療するために、既に書かれていた『黄帝内経素問』や『陰陽大論』さらに『平脈弁証』などの古代から伝わってきた医書を選び出し、研究し尽くして『傷寒雑病論』を作ったのです。

   

 しかしながら今とは違って感染症を起こす原因がウイルスであるとか細菌であるとか原虫であるとかは一切知られていなかったので、薬物療法である漢方生薬を用いるしかなかったのです。この漢方生薬の用い方を症状に合わせてどのように使ったかを述べたのが『傷寒論』であります。「傷寒」という意味は、重篤な腸チフスを含む伝染性の感染症を意味します。従って、漢方生薬で腸チフス菌をはじめとするあらゆる種類の重篤な症状を起こす他の細菌やウイルスを殺すことはとても無理であります。昔は免疫の力でしか細菌を殺すしかなかったのです。もちろんその当時はインフルエンザウイルスも当然いたでしょうし、今も昔もウイルスを殺すのは患者の免疫だけですから、とてもではないけれども漢方で良い成績を上げることはほとんど不可能であったので、『傷寒論』を読んでも、彼がどれだけの「傷寒(流行性伝染病)」から患者を救ったかについては一言も言及されていません。普通、医者が書物を書くときには、どれだけ難病を治したかをまず述べ、次にどのようにして治したかを書き綴るものです。なぜなら医者の仕事は病気を治すことであるからです。私なんかがこのホームページを作っているのも、他の医者が治せない病気を、私がどのように治したかを世間に伝えるためです。おまけに治した患者さんの手記まで掲載し、その手記についての様々な医学的コメントまですることによって、できるだけ多くの患者さんの病気の真実を知ってもらおうとしているのです。

 

 いつまでも人体に入り続ける病気の原因は、8種類のヘルペスウイルスと化学物質しかありませんので、それらと戦っても免疫が負けることはないので、死ぬような病気がなくなった現代文明の医療と張仲景の時代の医療と比較するとは、張仲景とっては酷な話です。もちろん彼の時代は一切合成化学物質はなかったので、アレルギーや膠原病はゼロであったと極言しても許されるでしょう。ところがヘルペスウイルスは何億年も生命体に潜み、もちろん彼の時代もヘルペスで悩まされたのですが、彼はヘルペスについても何一つ知らなかったのは言うまでもないことです。

 

 彼は患者の症状で「傷寒」という病名をつけ、その症状のあり方や病気の進行のプロセスによって6つの病名に分けたのです。太陽病、少陽病、陽明病、太陰病、少陰病、厥陰病(けっちんびょう)の6つです。今から2000年近く前に、病気は自分の免疫と異物との戦いであるなどという本質が分かる由もありません。ただただ病人が苦しんでいる様子を精細に観察し、以上に述べた6つの段階に分けて、その段階に応じて用いる薬草を述べていったのです。

 

 皆さん、病気の原因も何一つ分からずに、どうしてそれぞれの6つの病気に対して用いるべき漢方生薬を決めていったとお考えですか?まさに張仲景に至るまでの古代の優れた中国人の経験をふまえて独創的な処方をあみだしていったのです。言うまでもなく、原始時代から人類は病気に悩まされてきました。その間、遠く原始時代から数千年にわたって蓄えられたおびただしい経験的医学知識が累積されていきました。中国の戦国春秋時代には既に医学の専門書もでき、221年に秦の始皇帝は中国を統一しました。この秦時代に確立された官僚制度にも医を司る太医令の官職が置かれるまでに発達していました。前漢(BC202〜AD8)のはじめには、漢方薬、つまり薬用になる植物の書物、つまり『本草』ができあがっていたのです。この『本草』の記載には様々の漢方薬の性質や薬効の他に、採取法や調剤法や配合や禁忌(病状を悪化させたりするので用いてはならない薬や、治療の目的に沿わない薬)についてや服薬の仕方まで、あらゆる項目が網羅されていたのです。このような書物を通して張仲景は『傷寒論』を作ったのです。この書物は中国のみならず、中国周辺の国家である韓国や日本は言うまでもなく、東南アジア全体においても、今もなお漢方医学の最も重要な文献として利用されることになったのです。

 

 腸チフスとはなんでしょうか?私も未だかつて腸チフスの患者さんは診たことがありません。腸チフス菌による感染症でありますが、サルモネラ属のグラム陰性桿菌で菌体周囲に鞭毛を持ち動き回ることができます。経口的に人に感染するのです。実はサルモネラはいわゆる食中毒といわれる急性胃腸炎を起こす腸炎菌や、腸チフスを起こすパラチフス菌以外に、人に病原性を持たないサルモネラ属に属する2000種類以上の菌がいます。現在でも小児の食中毒としては極めて重要な病原体が含まれています。黒色の血液が混ざった下痢と腹痛が主症状であります。

 

 張仲景の時代はまるで衛生概念のなかった時代でありますから、腸チフスは汚い水や食べ物などに混在しているチフス菌を経口摂取することがしばしばあったのです。この傷寒論のはじめに張仲景は次のように書いています。「自分の身内は200人もいたが10年も経たないうちに2/3が傷寒(腸チフス)にかかって死んだ。そこで傷寒で死んでしまった人々のことを思い出し、古人の教訓を探し求め雑病論を作ったと書いています。彼は10年で120人も傷寒で死ぬ経過を実に詳しく述べたのです。現代の医者でも不可能なほど詳細正確に傷寒の経過を描写しています。まさに今から2000年前に免疫と傷寒と戦った経過病態を述べるとともに、それに対してどのような漢方を使うのがよいかを述べたのです。それが『傷寒論』であります。

 

 この傷寒論はまさに感染症の発病から治癒または死に至るまでの病状の変化を克明に述べ、それぞれの症状に対する漢方による治療法を示しています。まさにこの傷寒論は、現代でいう臨床免疫学の書物といえるものです。ところがこの傷寒論は、当時医学に強い影響を与え、かつ支配していた道教や仏教や神仙家の思想を取り入れなかったため、最も正しい臨床免疫学を詳しく述べた傷寒論は主流から外れていったのです。医学に宗教や思想が侵入してしまうと、患者の免疫の真実はどこかに消えてしまいます。傷寒論が主流から外れたのは、ちょうど病気は自分の免疫でしか治せないという真実や、免疫で治せなければ病気は治らないという真実、さらに医者はこの免疫を手助けすることしかできないのだという私の真実の治療が主流から外れているのと似ています。

 

 ところが長い間中国において無視されていたこの傷寒論を再び復活させたのは、他ならぬ日本の江戸時代の古方派の医者たちだったのです。その代表が江戸中期の漢方医であった吉益東洞でした。傷寒論が書かれてから1500年後に、吉益東洞は「万病一毒説」を唱え、張仲景の傷寒論こそ唯一の正しい医学だと気づいたのです。

 

 この意味は一体なんでしょうか?そうです。江戸時代には人工的化学物質が一切なかった時代ですから、病気の原因はまさに感染症を起こすウイルスと細菌しかなかったのです。もちろん腸チフスで死ぬ人もいたでしょう。言うまでもなく彼は江戸時代の病気は感染症であるとか、その原因はウイルスや細菌であるだとかは一切知らなかったのでありますが、やはり人体に毒が入らない限り、病気は起こらないことを理解していたのです。すごい男ですね!彼は病気の根源は毒、つまり今で言うウイルスや細菌によって生じる感染症だと言っていたのです。彼は19世紀終わりのパスツールよりも先んじて、病気の原因は感染症であるということを直感的に悟っていたのです。

 

 今から200年も前に活躍した吉益東洞の医学が、その後免疫学が遺伝子のレベルまで解明された21世紀の私と同じ医学のレベルであると私が気づいたときに、彼の偉大さに体がブルブル震えました。やはり彼は根拠のない理論よりも実験や事実を重んじ、実証的な医学的研究の道を日本で初めて開いていたのです。ちょうど私が全く根拠のない自己免疫疾患の理論は間違いだと言い切り、実際に患者の免疫の働きにより膠原病をアレルギーに変えて最後は免疫寛容により全ての膠原病とアレルギーを治しているのと似ています。

 

 医学を実践し、患者の病気を治す中で彼は「薬、瞑眩(めんげん)せざればその病癒えず」とまで断言しました。つまり瞑眩(めんげん)とは症状がひどくなることです。私がいつも言っているように、「症状がひどくなることは、免疫が上がっているので良いことだ」と主張しているのと全く同じ真実を、彼は18世紀の日本で喝破していたのです。彼は世界に誇るべき医者です。医学が全く科学として芽生えさえもしていなかった江戸時代の1700年代に私の真実の医学のレベルまであがっていたのです。彼は日本医学の天才です。さらに自分の治療で患者が死ぬのは当然であるとまで言い切っているのです。

 

 この「自分の治療で治せなかったら患者が死ぬのは当然である」という言葉は、私が常々言っているように、「自分の免疫で治せない病気は絶対に治すことはできない」という言葉と同義語なのです。もちろん現代医学で最も難病といわれる膠原病の原因は化学物質であり、この化学物質との戦いで免疫が敗北し死ぬことは絶対なく、それどころか化学物質と共存して膠原病は治ってしまうのですが、私以外の医者は全て膠原病の治療でステロイドを使うものですから、ステロイドや他の免疫抑制剤をやめるときに免疫の激しい逆戻り現象、つまりリバウンドという医原病が生じます。このリバウンドに見られる激しい症状が死ぬほど苦しければステロイドを使えば命は取り戻すことができます。従って吉益東洞のように、「病気が治らなくて患者が死ぬのは当然である」ということは言う必要はないのです。死ぬような症状がひどいときにはステロイドを使えば命は取り戻せる時代になったのです。ステロイドは病気を治す薬ではなく、命を取り戻すだけの薬なのです。しかしながら現代の日本では、はじめから命がなくなるような病気も消滅してしまったので、いつまでも寿命が延びて老人天国となってしまったのです。

 

 吉益東洞が『死んでも当たり前だ』と言った言葉を現代の免疫学で説明すれば、次のようになります。「免疫の敵、つまり病気の原因はウイルスや細菌だったので、ウイルスや細菌を免疫が殺しきれなくて敗血症になって最後は死んだとしても、死ぬのは当たり前だ」と言っているだけの話なのです。今でこそ衛生状態が良くなり、飲食物から死をもたらすような猛毒のウイルスや細菌が人体に入ることもなくなり、さらに栄養状態がよくなりタンパク質で作られる免疫力も向上し、さらにワクチンや抗生物質が作られたので、感染症で死ぬ人は誰一人もいなくなりました。

 

 次に『傷寒雑病論』は『傷寒論』と『金匱要略』の2冊に別れたことは既に述べました。傷寒論の話は終わったので、金匱要略の話をしましょう。「金匱」という意味は金で作られた箱のことであります。「要略」という意味はご存知のように概略という意味であります。従って金匱要略とは「金で作った箱に納めておかねばならないほど大切な秘方を集めた概略本」となります。この本は感染症を取り扱った傷寒論とは違って、発熱性感染症以外の全ての病気について書かれています。現代的な言い方をすれば、いわゆる成人病であり、婦人病であり、かつ精神病の治療法について書かれています。中国医学の漢方薬の基礎は全て『傷寒雑病論』にあるといえます。その後の中国漢方医学は時代の流れの中で様々な紆余曲折を経て、いわゆる名医や名著を生み、数えきれないほどの医学の流派が生まれ現在に至っているのです。様々な時代に様々な漢方医が出現しましたが、基本的には漢方薬は免疫を上昇することができるので、その使い方についての理論が時代時代に変遷していったのでありますが、それについては後で詳しく述べます。

 次に鍼灸医学の基礎が築かれたのは、中国の春秋戦国時代(BC770年〜221年)に『黄帝内経』の原型が生み出されました。『黄帝内経』は気の通路を経絡として認識し、単に鍼灸医学の基礎を築いたのみならず、当時の世界的な医学水準を大幅に越えた内容が含まれています。『黄帝内経』は人体の生理や病理を解き、鍼灸により治療法が詳しく書かれたのです。中国医学の第一番目の古典として日本でも重要視されています。つまり鍼灸の理論は『黄帝内経』によって確立されたのです。ところが『黄帝内経』は難しすぎる部分があり、鍼灸による臨床実験の手引きとして作成されたのが『難経(なんぎょう)』であり、後漢の時代に作られました。

 今日はここまでです。2013/09/02

 

 以上、中国医学史のほんのさわりを書きました。本当の中国医学史を書こうとすれば膨大な書物になるでしょう。

 

 あらゆる病気は、人体に5大栄養素と酸素と水以外の異物が入ったときに、その異物を免疫が認識して初めて生じるものであることを中国医学上誰も気づいたことはないのです。現在においてさえ患者はもちろんのこと、ほとんど全ての医者も気づいていないことです。異物が人体に入って初めて病気が起こることを絶対に忘れてはなりません。残念ながら古代から現代に至るまで病気の定義は誰もしたことがないのです。昔も今も変わらず、患者は「病気、病気」と恐れうろたえ、医者は医者で怖い病気だと脅かすものですから、ますます体に異常が起これば、つまり症状が起これば、その原因を追求しないで、症状ばかりに目を向けてきました。ただ西洋医学が19世紀の終わりから、病気の原因はウイルスや細菌や原虫による感染症によるものであるということだけは分かり、感染症がワクチンや抗生物質によって制圧されてしまった現在でも、化学物質とヘルペスウイルスが病気の原因であるにもかかわらず、誰も認めようとしません。現代の難病やアレルギーといわれる病気の原因は「分からない、分からない」と医者が言い続けるだけで、結局原因を除去しようとする免疫の働きを抑える薬を医者が使うだけですから、症状は取れてもいつまでも病気の原因が除去されないので、病気の根本は治らず、患者が増えるばかりです。しかも製薬メーカーは免疫の遺伝子の働きを抑える薬しか作れないものですから、薬が売れれば売れるほど医者も医療費もグローバルに増えるばかりです。

 

 それでは免疫を上げる薬というのはあるのでしょうか?あるのです。実をいえば、現代の漢方医といわれる医者も、古代中国から中国で生まれた漢方を使って病気を治療してきた人たちも、実は漢方薬が免疫を上げる唯一の薬であることを知らずして用いてきたのです。それではどのようにして実際治療してきたのでしょうか?今日はそれを具体的に話したいと思っています。

 

 実は私は高名な某大学の名誉教授のもとで毎週1回漢方医学の古典を10年近く読み続けた経験があります。2000年の漢方医学の歴史において、室町の末期に初めて中国医学が日本に導入された李朱医学や、名医といわれる中国医学の医者や日本の江戸中期に興った古方派の医者たちが残した漢方医学の理論や、実際に用いられている漢方処方の治療カルテも数多く読んできました。その当時の病名に対する漢方処方を本当にたくさん読みました。それぞれの時代に応じて病名も変わり、なかなか病気の実態がつかめなかったことや、書かれた理論や処方が臨床医としての私が利用できるわけにはいかなかったことを覚えています。

 

 その頃も既に、病気を治すのは患者さん自身の免疫であり、中国医学にしろ古方派にしろ李朱医学にしろ、漢方煎じ薬は免疫を上げることによって患者の免疫が病気を治しているだけだと思っていたので、漢方をやっている臨床家としては、漢方医学を学ぶよりも難解な漢方医学の漢文を読み解くということに多いに興味を持って漢方漢文を10年近く勉強していたのです。しかも色々このような勉強をし続ければし続けるほど、漢方医学の流派のみならず、漢方医学を実践している個々の医者によって処方が無限にあるので、漢方医学の正しい理論と治療法はどこにあるのかますます分からなくなったことがありました。

 

 だからこそ明治維新になって、陳腐蒙昧たる漢方が簡単に当時の為政者によって放逐され、文明開化の音が鳴り響いている西洋医学に取って代わられてしまったと考えたぐらいです。もちろん明治時代に採用された西洋医学の医者も、病気を治すのは患者の免疫の遺伝子であるなどとは夢にも思わなかったのです。西洋医学はどちらかといえば、それまで日本になかった軍事医学としての外科学が尊ばれたのであります。手術や消毒法に優れた軍事医学はそれまでに日本にはなかったので、おおいに西洋医学はもてはやされたのです。ましてや明治時代は富国強兵のいわゆる侵略戦争ばかりやっていたので、外科医学である西洋医学ははるかに漢方煎じ薬よりも優れていると考えられても仕方のないことでした。ところが軍事医学としての西洋医学が東洋医学よりも優れていることを認めたとしても、薬を飲んで病気を治すいわゆる内科学に属する病気は直感的に漢方煎じ薬が優れていると悟っていた漢方医たちは漢方廃絶に対して激しい抵抗を続け、漢方の伝統を何とか持ちこたえ、やっとの思いで生き続けてきたのが現代の漢方薬であります。ところが漢方だけが免疫を上げるということが分かってきたのです。後でどうして漢方煎じ薬が免疫を上げるかについて詳しく書きます。

 

 それでは過去の漢方医は実際どのように病人を見立て、どのようにして病気を診断し、どのような処方を使って病気を治そうとしたのでしょうか?

 今日はここまでです。2013/09/05

 

 昔から漢方医学の研究は“『傷寒論』に始まり『傷寒論』に終わる”とまで言われてきました。この意味は何でしょうか?実際、東洋医学の古典のうち、『傷寒論』ほど多くの解説書や研究書が残されているものは他にありません。日本でもかの有名な故・大塚敬節先生の『傷寒論解説』は世界に冠たるものがあります。まさに『傷寒論』が東洋医学の白眉の書物であることを示しています。これは何を意味しているのでしょうか?はじめに述べたように『傷寒論』は、急性伝染性感染症に対する治療法について述べています。おそらく腸チフスに対する漢方薬物治療法を述べているのです。19世紀の後半から西洋医学は本格的に病気の原因を探求し、さらにその原因を除去する根本治療を求め始めたのです。

 

 いわゆる病気の原因を追及する近代医学がヨーロッパで確立されたのは19世紀後半であります。それに至るまでには数多くの科学者の功績があります。まず19世紀が開幕すると同時に、1805年にドイツの薬剤師ゼルチュルナーがアヘンから成分であるモルヒネを抽出し、純粋な結晶として単離することに成功し、ここから近代薬学が始まったのであります。その後、ゼルチュルナーに続いて1835年までに様々な植物から約30種類の有効成分が抽出単離されました。代表的な有効成分を順に挙げると、エメティン、ストリキニーネ、キナの皮からキニーネ、通風の特効薬といわれてきたコルヒチン、カフェイン、ニコチン、コデイン、アトロピン、パパベリン、コカインなどであります。このような薬用植物の有効成分がいずれも弱塩基性物質であり、つまりアルカリに似ているということからアルカロイドと命名されました。日本では植物塩基という訳語があります。

   

 このような薬用植物の有効成分以外に、植物や動物から種々の有機化合物が抽出単離され、様々な有機化合物が見いだされました。とりわけ1828年にウェイラー尿素を合成したのです。それまで生物だけが生合成できるといわれていた有機化合物が、人工的にも合成できることが判明し、有機化学が急速に発展し、現代に続いているのです。現代までに人工有機化合物は7500万種類も合成され、今なお1日に15000種類もの人工有機化合物が作られているのです。この人工化学物質が現代のアレルギーや膠原病の原因となっているのです。残念ですが、便利さは必ず何かの犠牲を伴うものであります。

 

 これらの人工有機化合物の中で、薬として用いるために実験薬理学という学問がマジャンディによって始められました。この実験薬理学、さらに実験生理学の方法を確立したのが、マジャンディの下で働いていたかの有名なクロード・ベルナールであります。ベルナールが有名になったのは、南米の土人が鳥を射殺すための矢毒として使っていた、ツヅラフジ科の低木のエキスであるクラーレの作用機序を動物実験によって解明したからです。さらにベルナールは、それまでの過去の医学は、漢方医学も含めて全て経験医学、観察医学であったのですが、それを実験医学、つまりいわゆる科学的医学へと導いたことでも名があります。

 

 その後、ミュラーによる解剖学的生理学の発展、さらにシュライデンとシュヴァンによる細胞学説の提唱、そこからさらにウィルヒョウによる細胞病理学の発展により、近代医学が確立されていったのです。最後に病気の原因は細菌であることを明らかにしたパスツールやコッホによる細菌学の確立があげられます。既に述べたように臨床医学ではモートンらによる麻酔薬であるエーテルを使用することによる外科手術の発達と、ゼンメルヴァイスやリスターによる消毒法の確立が外科医学と軍事医学の発達を支えたのです。抗生物質は20世紀の半ば近くまで待たねばならなかったのですが、手術の際に創傷から細菌が入らないように消毒をすれば抗生物質は必要なかったのです。さらに人体にメスを入れることに際する痛みが麻酔法によって緩和されたので、ますます外科軍事医学、つまり貼ったり切ったりする医学は繁栄を極めたのであります。だからこそ19世紀の終わりヨーロッパは侵略戦争で日が暮れていた訳ではないと思うのですが。

 

 そして最後に病気の原因としての微生物であるということを明らかにしたのは、フランスのルイ・パスツール(1822〜1895)とロベルト・コッホ(1843〜1910)でありました。彼らの伝記を読めば、19世紀後半から20世紀のはじめにかけて、どれほど病気の原因が細菌であるかということ、さらに病気を予防するためのワクチンを手を変え品を変えて明らかにしていったストーリーは大いなる興奮を感じざるを得ません。パスツールとコッホの伝記をしっかり読めば、どのように人間のみならず家畜の感染症が制圧されていったかがよく分かります。読んでください。

   

 そして原因が分かれば次は治療法であります。やはりこの病原微生物を殺す免疫の戦いにおいてもパスツールが先陣を切りました。パスツールは早くから18世紀の末に大成功をおさめた天然痘に対するジェンナーの牛痘接種(1796年)による免疫獲得の現象、つまりワクチンに対して深く関心を持っていました。ところがジェンナーの牛痘接種の成功の後も、長い間なぜ牛痘接種が天然痘にかからせないのかについての免疫現象の謎はあまり解明されていなかったのです。ただジェンナーに似たようなやり方で色々な感染症の予防接種をヨーロッパの医者たちは試みたのでありますが、これらは全て失敗に帰しました。なぜならば感染症の菌を直接接種すれば予防どころか、人を殺すための生物兵器になっていることを何も知らなかったからです。あくまでも弱毒菌を接種しなければ、ワクチン、つまり免疫をつけさせることにはならないことに気づいていなかったからです。免疫をつけるどころか殺人になってしまうのです。

 

 パスツールは初めて、いわゆる科学的にワクチンを発見しました。それも人間の病気に対してではなく、ニワトリのコレラに対するワクチンを彼は世界で初めて作ったのです。つまりニワトリコレラ菌にかかって死んだニワトリから得たニワトリコレラ菌の病原菌を放置し、炭酸カリを入れて古くさせて病毒が弱くなった菌をニワトリに接種しました。この弱毒菌を射ったニワトリに、再び強いニワトリコレラ菌を射つと病気にならないことを証明したのです。つまり弱毒菌によりこのニワトリは免疫がついたのです。一方、強いニワトリコレラ菌を別のニワトリに射つと、死んでしまうことに気がついたのです。つまりジェンナーの牛痘接種のときと同様に、弱いニワトリコレラ菌を射ったニワトリは免疫を手に入れたということを確信したのです。こうしてこの古い弱毒性のニワトリコレラ菌を全てのニワトリに射つことによって、ニワトリコレラの予防法を確立し、ニワトリコレラ菌にかかって死ぬニワトリがいなくなり、フランス農民を救ったのであります。

   

 次に彼が成功したのは炭疽病に対するワクチンを作ることでした。さらにパスツールの名声が高まったのは狂犬病ワクチンを作ったことであります。ただし狂犬病の原因はウイルスであったので、光学顕微鏡ではその当時発見できなかったのですが、狂犬病を発病した犬の脳や脊髄の組織を羊に注射すると、間違いなく羊は発病し死亡してしまいました。そこで、その羊の脊髄を防腐の意味で苛性カリの棒を入れたガラス瓶に入れて吊るしておくことによって、狂犬病を起こす微生物が日が経つとともに弱毒化していくことを認めることができたので、この弱毒化した羊の脊髄を健康な犬に注射すると発病しなかったのです。この狂犬病のワクチンを受けた犬を、狂犬病狩りで収容された狂犬病の檻の中に入れて狂犬病にかかった犬に噛み付かせても、免疫のつけた犬は発病しなかったことを証明したのです。これにより狂犬病にかかった犬に噛まれた人たちまでもが命を救われたのであります。

 

 皆さん、大食細胞という白血球をご存知ですか?マクロファージともいいます。これを発見したのはロシア人であるメチニコフであります。彼もパスツールの門下生でありました。知っておいてください!

 

 さて次にコッホの業績について述べるのは次回にしましょう。

 今日はここまでです。2013/09/12

 

 さて、ドイツでもフランスのパスツールに負けない仕事をしていた人物がいました。それがコッホであります。既に述べたようにパスツールは動物の伝染病のワクチンを作ったのですが、コッホはその当時、結核菌と炭疽菌とコレラ菌を見つけ、何とか人間の病気を治すためのワクチンをこっそり開発していたのです。コッホは結核の治療薬を見つけるために、実験に実験を重ねました。そして見つけたと彼が喧伝した薬が、皆さんご存知のツベルクリンであります。彼はツベルクリンの研究を、功績を独占したいためこっそり一人でやっていたので、ツベルクリンが結核のワクチンになる証明を充分し尽くしていなかったのです。彼は学会で自分が作ったツベルクリンで初期の結核は確実に治ると発表してしまったのです。皆さんご存知のように、ツベルクリンは結核菌が人体に侵入しているかどうかを見極める試験薬であり、絶対に抗結核薬ではないのです。しかしながら今なおツベルクリンは、結核菌に対して陽性であるか陰性であるかを見分ける重要な試薬となっています。結核菌を完全に殺すためには抗結核薬の開発まで待たねばならなかったのです。現在使われている抗結核薬は、イソニアジド(INH)リファンピシン(RFP)、ストレプトマイシン(SM)、エタンブトール(EB)、ピラジナミド(PZA)の5つであります。これらを3〜4剤併用して使われています。

 

 このような勇み足をしたコッホでありますが、その後くじけずに伝染病の研究のためのコッホ研究所を作り、その所長に就任し門下生の指導に専念しました。その結果彼の門下生によって抗毒素血清療法が発見され、コッホは名誉を回復し、いわゆる免疫療法を確立したのみならず、さらに血清医学という化学療法への道を開いたのであります。このコッホの門下生の一人がかの有名な北里柴三郎であります。北里柴三郎は破傷風菌をベーリングと一緒に純粋培養に成功しました。さらに北里とベーリングは破傷風菌毒素に対する抗毒素血清を作ったのですが、北里は間もなく帰国し、福沢諭吉らの好意により、日本で今なお存続している伝染病研究所を作り、その所長となり、赤痢菌を発見した志賀潔や、梅毒の特効薬であるサルヴァルサンを作った秦佐八郎や、野口英世を輩出したのですが、東大との確執で北里研究所と東大伝染病研究所に分離してしまいました。ちなみにベーリングは、それまで数多くの幼児の命を奪ったジフテリアの抗血清療法により、1901年に第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

 

 このように18世紀後半から19世紀前半にかけての西洋医学史に拘泥したのは、この時代に人類発生以来、人類を殺し続けた感染症がほとんど制圧されたからであります。その後、アレクサンダー・フレミングによる抗生物質によって感染症は完全に制圧される端緒が始まりました。フレミングは1928年に青カビペニシリウムからブドウ球菌や連鎖球菌などに有効な抗生物質を発見しましたが、実用化されたのは第二次世界大戦中の1942年でありました。その後、あらゆる細菌に有効である様々な抗生物質が作られ、現代では細菌感染症で亡くなる人はほとんどいなくなってしまったのです。

 

 こうして細菌感染症で死ぬ人がなくなり、かつワクチンによりウイルスによって死ぬ人もなくなり、先進国は長寿の時代に突入していったのです。現在では人が死ぬ病気の原因は老化に伴って生じる癌であり、贅沢がもたらす成人病になってしまいました。言ってみれば、原因の分からない病気で死ぬことは全くなくなってしまったのです。

   

 皆さんご存知ですか?2038年に厚生年金の積み立ては枯渇し、2040年に国民年金の積み立てもなくなることをご存知ですか?つまり人体に入った異物、とりわけウイルスや細菌などの感染症(傷寒)の病気で死ぬ人がほとんどゼロになってしまいました。65歳以上のいわゆる老人は、国民の4人に1人となり、3000万人を超えてしまいました。働かなくても死ぬまで保証するという福祉社会が根底から崩れ掛かろうとしています。この老人年金システムが永遠に続けることが可能であれば、それこそ社会主義・共産主義を上回るシステムとなるでしょう。しかしそんなユートピアは土台無理なのです。若い人がこのような老人年金システムを支えているのですが、非正規労働者は3000万人を超えると言われています。いつ仕事がなくなっても仕方のない若い労働者の群れが老人を支えている社会となってしまいました。この世から若いときに死ぬ病気がなくなってしまったので、このようないずれ崩壊せざるを得ない老人ユートピアを作ってしまったのですが、感染症をなくした医学がもたらした社会ですから、なんとも皮肉なことでしょうか?しかも有機化学工業や製薬メーカーが作り出した化学物質が新たなる病気を、つまりアレルギーと膠原病を生み出したことを考えると、医学や化学工業の発展をどのように捉えてよいのか、途方に暮れてしまいます。

 

 漢方生薬がどうして免疫を上げるのかというテーマで書き始めたのですが、大いに遠回りしたようです。なぜこんなに遠回りしたかお分かりでしょう。もう既にお分かりのように、古来から不慮の死は感染症によってもたらされたということを是非知ってもらいたいと思ったからです。早かりし死は感染症で始まり、感染症で終わるということを伝えたいために、西洋医学と東洋医学の歴史を振り返ってみたのです。さぁ、これから本論に入ります。中国医学、つまり漢方と鍼灸がどのように感染症に対して対応してきたかをこれから書いていきます。

 

 漢方医学の根本的な成り立ちから話を始めましょう。何十回、何百回も述べていますように、病気は異物が人体に入ったときに、免疫の働きがまず異物を認識し、その異物の処理の仕方を免疫の遺伝子に伝え敵を処理するタンパクを作り、このタンパクや免疫細胞と敵が戦いを始めるときに見られる現象が病気なのです。その異物の処理の仕方、つまり病気の治し方は殺すか、排除するか、共存するか、人体のどこかに封じ込めるかの4つしかありません。従って、病気の診断というのは、まず敵が何であるかを決めることであります。治し方は免疫の仕組みを邪魔せずに発揮させて、4つの病気の治し方のいずれかをもたらすことを手助けしてあげればよいだけの話です。この4つの結果のうちいずれかが出れば病気は完治したといえるのです。それでは病気の治療というのは何でしょうか?免疫の遺伝子の自然な発現を手助けするだけなのです。つまり医者がやらねばならないことは手助けするだけでよいのです。

 

 言うまでもなく、現代文明に残された人類の消滅まで永遠に人体に異物となるのは神経の奥深くに住み着くヘルペスウイルスと化学物質であります。8種類のヘルペスウイルスは、人類発生以来あらゆる人種に住み着いて人類を悩ませてきたものでありますが、人工化学物質は過去200年余の間に、文明が作り出した異物であることは既に述べました。この化学物質とは共存すればよいのであり、ヘルペスウイルスは神経節に押し込むだけでいいのです。しかし殺しきることができないので、人類の消滅まで戦いを続けざるをえないのです。ときにかかる風邪などは一過性に戦いがあっても、簡単に風邪のウイルスを殺すことができるので、あえて病気というほどのものではありません。

 

 ただ医者が免疫をヘルプするときに、どのような免疫を高める薬を用いるかが、医者の腕の見せ所となります。風邪のウイルスを殺すときには、風邪のウイルスを殺すことができやすい漢方処方を用いればよいだけです。化学物質による様々なアレルギーに対しては、免疫の遺伝子にIgE抗体を作らせて、化学物質とIgEの働きにより、その化学物質を吐き出すときに見られる様々なアレルギー症状を出し尽くし、漢方を用いて最後はレギュラトリーT細胞に自然後天的免疫寛容を起こさせ、その化学物質と共存すればアレルギーは治ります。さらにIgG抗体を用いて化学物質と戦うときは様々な膠原病となるので、この戦いを免疫の遺伝子にクラススイッチさせてアレルギーに変えてしまえば、後はアレルギーの治療と同じになるのです。

   

 ヘルペスは、漢方で免疫を上げながら、患者の免疫のキラーT細胞でヘルペスウイルスを殺させると同時に、抗ヘルペス剤を投与してヘルペスが増えないようにすればよいだけの話です。ときに風邪にかかったときは、漢方生薬を用いて患者の免疫を上げて、患者自身に風邪のウイルスを殺させるしか治療法はありません。ブドウ球菌や連鎖球菌などの細菌に対しては抗生物質を投与すれば事足ります。重篤なウイルスに対しては乳幼児の間にワクチンを接種すればよいだけです。

   

 ただ残念なことに、日本の医学会のみならず、世界の医学会は、難病といわれる病気の原因は全てあらゆる種類の化学物質とヘルペスウイルスであるということを認めようとしないものですから、絶対正義の免疫を傷つける製薬メーカーの薬は症状だけを取るだけに専念しまくっているので、その間に人体に化学物質はたまり続け、その間知らぬ間にヘルペスはこっそりあらゆる人体の神経で増え続けるものですから、永遠に化学物質とヘルペスによる現代の病気はなくならないのです。それでも幸いなことに、ヘルペスで死ぬわけでもなく、化学物質で死ぬわけでもないものですから、死なない病気が増え続けるだけで、命はなくなることはないのですから、ますます病人だけが生き続け、永遠に医療費もかさんでいくことになるのです。死なないことは喜ぶべきでしょうけれども、病人が増え続けることが残念です。病気を治すのは古今東西全て患者の免疫であり、医者でもなく薬でもないのです。

 

 このような究極の医学のレベルまで達した私は、過去現在の全ての医学を批判できる立場にいるのです。ただこの言い方は極めて傲慢です。許してください。正しくは究極の医学を実践しているのは、患者さんの免疫の遺伝子であり、免疫の遺伝子によって作られた免疫のタンパクであり、他の免疫の働きだけであります。免疫の遺伝子が医者であり、免疫のタンパクが薬であるということが分かったレベルまで到達した私、と言うべきです。病気の治し方を全て知っているのは、患者の免疫であるということを知っている私という人間だけが書ける漢方医学批判を忌憚なく書き綴っていきます。

   

 まず漢方医学の根本原理は、人体は大自然・大宇宙の縮図である小宇宙であるという考え方から出発します。大自然は陰と陽の二つの相対するものから成り立っているものと考えます。生体現象も全て陰陽の調和が保たれた平衡状態が健康状態であり、この平衡が崩れると病的状態になると考えます。治療を行うということは、平衡状態に戻すことであります。まずこの考え方自身が、既に病気を治しようがない考え方なわけです。なぜならば病気の原因はあくまでも人体に入った異物であり、免疫と異物との戦いの結果、平衡状態が崩れるということを全く認識していないからです。つまり現代の医者がやっていることと何も変わらないのです。現代の医者は症状が病気だと考え、免疫と異物との戦いが病気だとは考えていない点においては、3000年前の中国医学と何の違いもありません。

   

 ただ、西洋医学は身体を臓器別に、さらに臓器を作っている細胞や組織の異常を求めるだけで、なぜ異常な病変が出るかということをまるで考えません。一方、中国医学は小宇宙である人体を二元論的に全て説明しようとします。その概念は、陰(日陰)と陽(日向)、虚(から)と実(つまる)、寒(さむい)と熱(あつい)、表(おもて)と裏(うら)、内(うち)と外(そと)、上焦(じょうしょう)と中焦(ちゅうしょう)と下焦(げしょう)などの6種類の概念で病人の心や体の調和の乱れを理解しようとしたのです。このように病人の症状を臓器別に分けるのではなくて、以上述べた陰陽・虚実・寒熱・表裏・内外・上焦中焦下焦などの6つの有機的な繋がりを持った症候群をまとめて「証」として取り出し、この証に対して漢方薬方を決めて治療するという「随証療法」へと発達したのです。つまり診断がつけば使う漢方薬の治療が同時に決まってしまうのです。

 

 もう少し随証療法について詳しく述べましょう。はじめに書いたように、『傷寒論』は急性熱性感染症について詳しく書かれており、既に述べたように、太陽病、少陽病、陽明病、太陰病、少陰病、厥陰病(けっちんびょう)まで陰陽の状態を詳しく分類して、感染症のために生きるか死ぬかは別として、人間の免疫とウイルス・細菌との戦いのプロセスを詳しく書いていることは述べました。一方、『金匱要略』は急性の感染症ではなくて、その時代の慢性疾患の治療について書かれています。慢性病の場合には寒熱虚実を中心に書かれています。

 

 19世紀の終わりまでは病気の原因が皆目分からない上に、かつ免疫の働きが何一つ分からなかった時代においては、他に仕方がなかったことなのです。このような症候群を知るために用いたのは4つの方法がありました。まず「望診」といって視覚で患者の状態を知り、次に「聞診」といって嗅覚や聴覚によって患者を診断し、さらに「問診」といって、患者や家族から状態を聞き出し、最後は「切診」といって、患者に直接触れて病状を診断したのです。これを四診といいます。私は患者の話を聞いたり見たり問いかけたりするに加えて、熱を測ったりして、病気の原因が細菌によるものであるのか、化学物質であるのか、ヘルペスウイルスであるのか、風邪のウイルスであるのか、を確かめることはありますが、患者の病気の原因さえ分かれば、即治療法が分かってしまうので、私にとっては病名などつける必要はないのです。しかしながら現代の医療は病名をつけなければ保険治療は一切できないので、仕方なくつけているだけなのです。

 

 私の場合は特に他の医者と違って、私との出会いまでにどんな間違った治療をしてきたかを知ることがもっと大事なのです。つまり現代の製薬メーカーが用いるどんな種類の免疫抑制剤を使ってきたか、どれだけ使ってきたか、とりわけステロイドがどれだけ人体の免疫の遺伝子を変えたかを常に着目しています。免疫だけが化学物質と共存させ、ヘルペスを殺すことができるわけですから、当院に来られるまでに使われてきたステロイド、ネオラール、プロトピック、ペンタサ、サラゾピリン、イムラン、などなど数えきれないほどの免疫抑制剤が出回っていますが、それらの使われた量と期間を十分に聞くのです。それを聞くことによって医原病であるリバウンドがどれぐらい激しくなるかを予想し、患者にリバウンドの意味や苦しさ言い聞かせる必要があるからです。私から言わせると現代の病気は99%医原病なのです。なぜならば病気の原因は免疫を患者自身が抑えて作ったのにもかかわらず、さらに治療と称して免疫を抑え続ける訳ですから、病気が治るどころかますます病気がひどくなってしまうのです。

   

 全ての病気の症状は免疫が化学物質とヘルペスウイルスと風邪のウイルスをやっつけようとしているときに見られる症状ですから、しかもこれらの敵に対しては免疫は負けることはないので、従って死ぬことはないので、従って免疫が必ず勝利を得ることができるので、病気は良いことだということを患者に説明してあげることも大切なのです。私の診察はいつも伝えているのでありますが、病気を治すのは患者さん自身の免疫であるということを何回もしつこく伝えるのです。患者さんのほとんどは、他の病院では絶対に治らないと言われているクローン病、潰瘍性大腸炎、リウマチ、シェーグレン、喘息、SLE、MCTDなど全国から私を求めてこられる重症患者さんばかりであります。このような患者さんは、既に私のホームページで病気の成り立ち、リバウンドの意味、病気の治し方を理解しているつもりでいらっしゃるのですが、実はしっかり分かっていない方が実は多いので、繰り返し説明せざるを得ないのです。そして説明が終わった後に漢方の処方を決めるのでありますが、私には随証治療には全く縁がありません。なぜならば私の治療は原因療法であり、病気を治すのは患者さん自身であるからです。

 

 それではなぜ漢方生薬を使うのでしょうか?過去3000年の中国人の知恵が煮詰まった漢方処方があるのです。先ほど言ったように随証治療とは見方を変えれば、過去の中国人は原因を知らずして、様々な症状を止める処方をあみ出していたのです。しかも漢方は絶対に免疫を止めることはないということも彼らは露知らずして、様々な病気の症候群に対して、もちろん主に感染症に対してでありますが、その症状に合わせて最適の漢方生薬を集めて処方に作り上げてきたのです。この最適な処方を知るために、私は27年間漢方処方を使ってきたのです。従って、いわゆる現代の漢方医が言うように、「患者の症状」に合わせて漢方処方をしているのではなくて、「患者の病気の原因」に合わせて漢方処方を選び出してきたのが過去27年間の私の治療であったのです。ここの所が大事なのです。原因に合わせて処方を決めてきたのですが、結果的に、過去3000年の中国漢方医学の随証療法と同じになったのです。

 

 後で詳しく、漢方生薬がどのようにして人間の免疫をヘルプするかについて説明します。このテーマがこの論文の目的であることは今更言う必要もないでしょう!

   

 陰陽とは何でしょうか?患者の体力や、病気の勢いの強さや弱さを表しています。陰の人は病気の勢力が弱く、症状が少なく、患者は活気がなく手足が冷えている人です。これを陰証といいます。これに対して陽の人は病気の勢いが強く、戦いも激しく、発熱や炎症や充血などが見られます。この状態を陽証といいます。

 

 虚実とは何でしょうか?虚は、虚弱の意味で生命力が衰退し、今にも倒れんとする気力のない状態です。これを虚証といいます。実とは充実のことであり、生命が旺盛で活気にあふれています。脈や筋肉なども緊張しています。これを実証といいます。

 

 寒熱とは何でしょうか?寒は身体が冷える状態であります。熱とは熱感がある状態をいいます。

 

 表裏とは何でしょうか?表は病気のある場所が体表にある状態です。裏は病気のある場所が体内にある状態です。

 

 内外とは何でしょうか?内は消化管や血管や筋肉、骨髄などとし、その外側を外とします。

 

 上焦中焦下焦とは何でしょうか?身体を3つの部分に分け、病気がある場所を決めています。上焦は横隔膜から上であり、中焦は横隔膜からへそまであります。下焦はへそより下であります。

   

 このように病気が強いか弱いか、患者が強いか弱いか、病気のある場所がどこであるかにより、漢方処方を決めるのです。何回も繰り返して言いますように、病気の原因そのものが何であるかが分からないわけですから、それこそ隔靴掻痒の的外れ医学というべきものです。しかしながら、過去に中国漢方を確立させた中国人はとにかくなんとかして病人の症状を良くしたい、病気を治したいという思いで、あらゆる種類の薬草を集め吟味して、症状、つまり病気を治す手助けをしたのです。しかも当たっていたのです。なぜならば薬草は全て患者の免疫を上げることを、中国の漢方医は全く知らずして患者が治せる病気を治す手伝いをしていたのです。

 今日はここまで 2013/09/19

 以上述べたように、中国人は病気の原因がウイルスであるとか細菌であるとかについては全く知らないものですから、仕方なく目に見える病気の経過や、病人の状態、つまり病態を詳しく追求するのに大いなる力を注いだのです。一方目に見えない病気の原因が何であるのかについては興味を示すことさえできなかったのです。いうまでもなく中国医学が確立した二千数百年前には、人間の免疫が人体に侵入した敵と戦っている症状が病気であるということを知る訳がありません。医学が分子レベルで、さらに遺伝子のレベルで分かってきた現代においてさえ、無知なるほとんどの大衆は症状が病気であると考えているぐらいですから、中国医学を集大成した張仲景のような天才でも、病気の原因を考えることさえしなかったのは当然のことでした。いわんや人間が生まれ持ってきた免疫の働きと異物との戦いが病気であるなどとは夢にも思うことなかったのです。

 

 AD200年頃に彼が書き表した『傷寒論』の傷寒というのは、今から想像するに腸チフスではないかと考えられるのですが、彼の親族たちが次々と死んでいったのは、腸チフス菌に人間の免疫が敗北して死んでいったなどとはどうして想像できるでしょうか?不可能でありました。その他の、死なないけれども様々な病気の症状が、免疫とウイルスや細菌やスピロヘーターやマイコプラズマやその他あらゆる種類の病原菌との戦いであったことも知る由もありません。つまり、中国に限らず地球上のあらゆる文明を作った我々人類の祖先たちは、誰一人として死んでいく病気の原因が感染症であることを知りませんでした。つまり最初に述べたようにパスツールやコッホが活躍した19世紀の終わりまでは、病気の原因は誰も知らなかったのです。

 

 皆さん、1868年に明治が始まり、西洋文明が東洋文明よりもはるかに優れているという理由で、それまで日本で行われていた地上で最高の医学であった全ての漢方医学が全否定されたのはなぜだかご存知ですか?漢方は上に述べたように、病気の原因を全く無視し、「随証治療」によって病人を治療しました。つまり「証」が決まれば、それに応じた治療のための漢方薬の処方が決まってしまうのです。このような漢方医学には原因療法という概念さえも生まれる余地がなかったのは既に述べました。ところが西洋医学においては、1796年にエドワード・ジェンナーが経験的に種痘をやりだしてから、天然痘で死ぬ人たちが激減し、徐々に徐々に病気の原因は感染症を起こす病原菌であるということが分かり始めました。日本にも西洋医学であるオランダ医学が江戸時代でも長崎の出島から徐々に染み込みだしていました。明治維新を始めた政府要人たちにとっては、病気の原因を全く追求しない漢方医学がいかにも古くさい価値のないものに思えたのも当然だったのです。

 

 それではここで皆さんはある疑問を感じられるでしょう。21世紀に突入した現代文明において行われている現代医療が、果たして病気の原因を考えて行われていると思いますか?答えはNOです!ワクチンと抗生物質と抗ヘルペス剤を用いる治療だけは唯一原因治療といえますが、他のあらゆる治療薬は病気の原因を増やしているだけだということはご存知でしょう。現代文明に残された3つの病気であるアレルギーにしろ、膠原病にしろ、ヘルペスにしろ、全て原因がわかっているにもかかわらず、症状だけを除去しようとする抗炎症薬を用いることによって、化学物質は身体に蓄積し、ヘルペスがますます神経に増殖していることはご存知ですね。

 

 半ば冗談ですが、日本維新の会の候補者が堺市長選で大敗北を喫しましたが、代表である橋下大阪市長が原因治療をしないどころか、病気を拡大再生産する現代医療をストップさせるために『日本の医療維新の会』を新たに今後本気で実行してくれれば支持したいと思ったのですが、残念ながら日本維新の会も『その他大勢の党』になりそうです。

 

 ここでお分かりのように、中国医学はあらゆる病気が起こるのは、心や身体の調和の乱れによるものだと決めてかかっているものですから、それではなぜ心や身体の調和の乱れが、どこから何によって起こるかについては一切触れられていないのです。つまり病気の根源的な原因を一切追求しようとしなかったのです。

 

 ところが江戸時代中期に現れた『万病一毒説』で有名な吉益東洞は、病気はひとつの毒で起こるものだと主張したのです。このひらめきも天才的なひらめきであります。つまり一毒というのは、感染症を起こす病原菌であると直感したのです。この意味でも日本漢方が伝統的な中国医学よりも一歩先んじた時代が江戸時代だったのです。彼の子供も天才でありました。その名を吉益南涯といいます。彼は東洞の『万病一読説』をさらに発展させて、「気・血・水」という3つの因子の乱れによって病気が起こると言い出したのです。もちろんこの説も、病気は免疫と異物との戦いで起こるという根本には全く触れていないのですが、それなりに病気の原因を何とか極めようとする非常に興味のある説ですから説明しておきましょう。吉益南涯は、人体の「気血水」の3要素が体内を正常に循環していれば病気は起こらないと考えたのです。「気血水」の乱れが病気を起こす原因と考えたのです。現代的な解釈も含めてこの3つの要素について少し詳しく説明しましょう。

 

 1番目の「気」は、生命活動を営む根源的なエネルギーです。「気」とは、形はないのですが、働きだけがあるもので血や水を動かす原動力となっているものです。2番目の「血」は、血管内を流れ全身に酸素と栄養素を運ぶ血液そのものであります。3番目の「水」は、体内の水分、つまり体液であり、リンパ液、細胞内液、組織間液、胃液、消化液、唾液、汗、涙、尿などの水分を含むものであります。漢方医学では津液(しんえき)と呼びます。このような話は現代では常識となっていますが、江戸時代の中期では革命的な考え方であったのです。それではこのような3つの要素がどのようにして病気を起こすのでしょうか?

 

 まず気の異常は3つあります。まずは「気虚(ききょ)」という気の不足があります。次に「気滞(きたい)」という気の鬱滞があります。最後に「気逆(きぎゃく)」という気の逆流があります。それでは気とは一体何だと思いますか?私は、気は中枢神経から末梢神経に至る全ての電気活動のことだと考えています。この電気活動は目には見えなくて、形も残らない瞬間的な働きですから、つかみ所がないものですから、今なお「気」とは何かについて議論されています。次に「血」が原因となる異常は2つあります。ひとつは「血虚(けっきょ)」という血液量の不足であります。「貧血」と言ってもいいものです。もうひとつは「瘀血(おけつ)」という血液循環の障害があります。いわば脳卒中や心筋梗塞を起こす原因であります。最後の水の異常は、「水毒(すいどく)」であり、「水滞(すいたい)」ともいわれます。これは体液が不足したり停滞したりする状態をいいます。脱水であります。

 

 この「気・血・水」説にしろ、これらの異常がどうして生じるかについては吉益南涯は全く説明しておりません。江戸の中期に例のごとく免疫学があるわけでもなく、解剖学もなく、顕微鏡も何一つなかったのですから、病気の本当の原因に肉薄することは100%不可能であったのです。にもかかわらず、彼らは張仲景の『傷寒論』に基づき、さらに「気血水の理論」に基づいて、漢方薬を縦横に用いて何とか病気を治そうと努力し続けたのであります。それでも彼らが使っていた漢方薬の全てが免疫を上げることができるので、知らず知らずのうちに患者の免疫を手助けし、患者が治すことができる病気は治すことができていたのです。

   

 それでは現代医学に目を移してみましょう。病気の原因が全て分かっている現代医学が果たして最高の医学だと思いますか?この答えも絶対にNOです。毎日毎日マスコミは現代医学の発展ぶりをはやし立てていますが、本当にそうでしょうか?医学は何のためにあるのでしょうか?患者の病気を治すためにあるものです。医学が発展するということは一体どんな意味を持つのでしょうか?言うまでもなく病気がなくなることです。病人がいなくなることです。皆さん、見回してください。病気が減っていますか?病人が減っていますか?医療費が減っていますか?全く逆ですね。なぜでしょうか?医者が毎日毎日病気を作っているからです。過去15年日本はデフレで苦しんできたといわれています。ところが医薬業界だけはすごいインフレであります。デフレに突入した15年前から毎年1兆円近くの医療費が増え続けてきました。医薬業界だけはデフレとは全く無縁の業界でありました。なぜでしょうか?医薬業界が病気を増やしてきたからです。皮肉を言わせてもらえば、医学の研究は病気を増やすために行われているだけなのです。

   

 原因療法をやればあらゆる病気は治るのですが、現代の日本の医療、いや世界中の医療は全て3000年前の医学と全く変わるところがないのです。つまり症状に合わせてやってきた中国医学と何ら変わるところがないのです。口先だけでは原因療法で病気を根絶しようといいながら、結局は医学の発展が無いに等しかった3000年前の中国医学と全く変わるところがないのです。だからこそ毎年毎年患者が増え、患者の苦しみが増え、医療費が増え、国家財政破綻へと一歩一歩近づいているのです。言うまでもなく、中国医学は絶対に病気を増やしたことはないことはお分かりですね。

 

 今アメリカ合衆国は連邦予算が組めません。医学や医療のことを何一つ知らないオバマ大統領が「オバマケア」という新しい保険システムの実施について、民主党と共和党が激しく攻防しているからです。4000万人以上のアメリカ人が私的公的医療保険に加入していないといわれています。そのような人たちを救済するため、オバマケアにより新しい医療保険制度を作りかけたのですが、頓挫しかけています。

   

 実は残念なことにオバマ大統領は現代医療が病気を作っていることを何も知らないのです。彼は無邪気にもお金よりも命が大事という単純な思いだけでオバマケアをやり始めたのですが、彼は現代の医療の実態を何も知りません。もちろん免疫のことも何も知りません。最も彼に欠けているのは、病気を治すのは患者自身であり、38億年かけて作られた免疫の遺伝子であるということを知らないことです。また病気を作るのも患者自身であることも彼は何も知りません。さらに現代の薬は、ワクチンと抗生物質と抗ヘルペス剤と漢方薬だけが、病気を治す患者の免疫を手助けする唯一の薬であることも知らないのです。医療費を税金で払うのは、病気を作るためであるという真実も、彼は知らないかもしれません。病気を作るために医薬業界が薬を作っていることも知るわけがありません。

 

 一方、イギリスの医療制度について少し述べてみましょう。イギリスには国民健康サービスという制度があります。イギリスは資本主義国家として世界で最初に繁栄し、世界で初めて福祉国家(National Health Service(NHS))を目指し、「ゆりかごから墓場まで」という社会が面倒をみる福祉制度というキャッチフレーズまで生みました。NHSは全ての国民には無料で利用できるのでありますが、国の財政負担が重く、薬代も高く、かつ能率が悪く、患者に不親切きわまりのない制度に成り代わってしまいました。NHSに加入している医者に診察してもらうために何時間も何日も待たねばならないという問題が以前から指摘されています。言うまでもなくイギリスにおいても老人医療にもお金がかかりすぎて、日本と同じ問題を抱えています。

   

 イギリスにおいてもアメリカにおいても、結局は病気を治して初めてお金を支払うべきだという原理原則が確立されない限りは、永遠に国民健康医療費はうなぎ上りにあがっていくことでしょう。と同時に各国の国民の病気も治らずに患者も増え続けることになるでしょう。例えばクローン病や潰瘍性大腸炎は原因が全く分からず絶対に治らないという医者のふれこみで特定疾患に指定され、医療費全て税金で支払われます。なぜ絶対に治らないと言い切れる治療を、どうして国家が面倒を見る必要があるのでしょうか?私はこのような難病をはじめとするほとんど全ての病気を治していますが、実は私が治しているのではないのです。患者の免疫で治してもらっているのですが、アメリカのファイザー、メルク、ジョンソン&ジョンソン、アボット、イーライリリー、スイスのノバルティス、ロシュ、イギリスのグラクソ・スミスクライン、アストラゼネカ、フランスのサノフィなどの巨大な多国籍製薬企業が作り出している薬の大部分は患者の免疫を抑える薬です。世界で売られている薬は毎年80兆円を超えると言われていますが、免疫を抑える薬を売ってはならないと言ったところで「金は力なり」ですから、地球上の人間の命は製薬メーカーと、それを使う医者に支配され続けるのはどうにもならないでしょう。命を守るのは自分の免疫だけであることを誰が教育してくれるでしょうか?私だけですか?アッハッハ!残念です。

 

 さぁ、ここから本論に戻りましょう。中国医学において、免疫を上げて治せる病気は治した名医についていくつか面白い話を書きながら、彼らが治した病気の意味や彼らが治せなかった病気の意味についても、真実の医学という観点から説明をしておきましょう。この文を書くときに勉強させてもらったのが、春陽堂書店出版の大塚敬節著作集の別冊である『東洋医学史』であります。大塚敬節先生は稀に見る尊敬できる真実の漢方医です。もちろん彼も漢方薬にのめり込みすぎて免疫学の勉強をほとんどやっていないので、真実の医学とは言えません。しかしながら気がつかないで漢方が免疫を上げるという王道を一直線に突き進まれた偉大な漢方医であることを認めざるをえません。彼の時代は免疫学は今ほど進んでいなかったので、免疫学を勉強しようがなかったことも言うまでもないことです。

 

 大塚敬節先生は、明治33年2月25日に生まれ、昭和55年10月15日に80歳で亡くなられました。昭和期の漢方復権に尽力した代表的な日本の漢方医であり、東洋医学の発展に貢献した業績により1978年に日本医師会より最高優功賞を日本で初めて受賞されました。

 

 日本漢方は明治維新の後、文明開化の風潮に毒された軍医総監である石黒忠悳(ただのり)が、明治の初年に漢方医学の無用を唱え、西洋医学のみを採用することを決めた後、衰退の一路を突き進みました。漢方の素晴らしさを熟知し細々と漢方臨床を続けていた漢方医の一人が湯本求真でありました。大塚敬節先生は湯本求真の書いた『皇漢医学』に出会い、独学で漢方の研究を続け、昭和期の漢方医学の復興に尽くされました。死後に春陽堂書店から刊行された書物が『大塚敬節著作集の第1巻〜第8巻』であります。この別冊が『東洋医学史』であります。この『東洋医学史』を一部参考にしながら、かつ他の伝説も含めて春秋戦国時代以後から明の時代までの中国医学の名医を辿りながら、さらに名医が診た病気についての考察を交えながら、もう少し中国医学の歴史について述べておきましょう。中国医学は世界に冠たる医学であり続けています。なぜならば、彼らの医療は人間の免疫の働きを手助けするという、この上もない永遠に正しい唯一の医学であるからです。彼らは現代の医者のように決して免疫を抑えなかったというだけでも、永遠に語り継がれるべき人たちであるのです。しかもこの世からあらゆる病気を治し続けることができるのは、ただひとつ中国医学であるからです。なぜならば病気を治すのは患者の免疫を手助けする漢方しかないからです。

 

春秋時代(BC770年〜403年)と戦国時代(BC403年〜221年)の名医

 

○文摯(ぶんし)(BC770年〜403年の間に生きた人といわれています)

 春秋時代の宋の国の医者で斉の国の閔王(びんおう)がひどい頭痛で治らなかったときに呼ばれ、「王を怒らせれば治る、しかし治れば私を殺すでしょう」という予言をして、予言通り王の頭痛は治り、殺されてしまったというエピソードがあった名医です。なぜ殺されたかというと、王の診察に来いという命令を何回も拒絶したために、王を侮辱したという理由で殺されたのです。

 

 この斉の閔王の頭痛はヘルペスによる頭痛だったのです。なぜならばヘルペスの頭痛は免疫を抑えない限りは治るからです。病気は医者が治すものでもなく薬で治すものでもないのです。自分の免疫で治すものです。皆さん、現在の原因不明の頭痛、偏頭痛の全ては脳の血管神経に三叉神経から入り込んだヘルペスと免疫との戦いによって起こされたヘルペス性血管神経炎であることはご存知ですか?

 

 ヘルペスは、4〜5億年前に初めて脊椎動物の祖先である魚類の神経に住み着くようになりました。その後両生類、は虫類、鳥類と脊椎動物は進化し、最後は哺乳類にまで進化し尽くしました。これらの全ての脊椎動物の神経にヘルペスが住み着くようになったのです。

   

 脊椎はなぜ生まれたのでしょうか?それは脊椎の中に脊椎動物の生命にとって最も大切な中枢神経を入れ、保護するためであります。この中枢神経から末梢に向かって様々な末梢神経が出て行くのです。この末梢神経にヘルペスが住み着くようになったのです。神経に住み着く戦略を進化させたのは唯一ヘルペスウイルスだけでした。私が現代に残された病気の原因はヘルペスであると言い続けていることはご存知でしょう。ヘルペスは人間をはじめとする脊椎動物を殺すことができるほど邪悪なウイルスでもないのですが、逆に脊椎動物の免疫によっては、ヘルペスは殺しきれない特徴があります。神経の奥である神経節にヘルペスが隠れてしまえば免疫は手も足も出ないのです。このヘルペスに全ての脊椎動物は悩まされ続けてきたのです。皆さん、観賞用の何百万円もする緋鯉がヘルペスのために鑑賞価値がなくなって緋鯉のコレクターが大損害を受けたニュースはご存知ですか?

 

 中国の春秋時代の殺し合いの時代に、王たちもストレスいっぱいにして勝ち抜くためにステロイドホルモンを出し続け、繰り返し頭痛に悩まされた王が斉の閔王であったのです。文摯は閔王を怒らせて、さらにステロイドホルモンを出し続けさせて、免疫とヘルペスとの戦いを一時的に終わらせたのです。こんな真実を知っていた文摯のすごさがお分かりになりますか?もちろん言うまでもなく、文摯は経験的に怒れば頭痛が治るということを知っていただけのことですが。ワッハッハ!

   

 文摯が閔王を怒らせてひどい頭痛を治癒させたのは、「五行説」を実行しただけだといわれています。ここで五行説について少し詳しく書きましょう。五行説は天地万物は人間を含めて5つの基本的な属性からなっていると考えます。このような考え方は殷の時代の宗教的観念にまでさかのぼることができます。中国の古代人は日常の生活や生産活動に不可欠な基本物質として認識したのが5種類の物質であります。「木・火・土・金・水」の5種類であります。嫌味なことを言わせてもらえば、中国の古代人の目には空気が見えなかったので、空気を加えなかったのは当然です。空気がなければ生きることができないのに。この一つをとっても中国人の医学思想の限界があることが分かるでしょう。

 

 この五行の物質である「木・火・土・金・水」の間の病気の関係を最初に説き始めたのは、戦国時代末期の鄒衍(すうえん)であるといわれています。その後、五行学説は秦漢の時代になって、例の陰陽論と結びつき、五行陰陽説と呼ばれるようになり、医学のみならず政治や社会活動の理論として活用されるようになりました。さらに前漢の『淮南子』では五行の物質の間に、相生・相剋の関係が主張され、事象の発生、発展、変化、交替などの運動法則として確立されたのです。

 

 五行説が人間の生理や病理などの医学にまで応用されるようになったのは前漢から後漢にかけてであります。特に鍼灸医学の基礎理論は陰陽論と共に五行理論が医学に取り入れられ、大きな発展を遂げたと言われています。相生とは、ひとつの事物が別の事物に対して手助けする作用があることです。相剋とは、ひとつの事物が別の事物に対して抑制的な働きをすることです。東洋医学では五行の相生・相剋の関係については全ての自然界で行われているものと考え、人体でも正常な生理現象が相生・相剋によって営まれていると考えるのです。相生・相剋の関係を利用して病気も治すことができると考えたのです。

 

 これを現代的な言い方をすれば次のようになります。皆さん、ホメオスタシスという言葉をご存知ないですか?あるいはフィードバックという言葉をご存知ないですか?さらに副交感神経と交感神経の働きは互いに抑制的だということはご存知ですね。つまり一方が強くなりすぎれば、それを抑える必要が出てきます。逆に一方が弱すぎれば、それを手助けする必要が出てきます。特にホメオスタシスというのは人体の恒常性や平衡性を維持することです。つまり常に自然も人体も全て、あるバランスを維持された状態で営まれているのです。従って五行説の相生・相剋の関係と難しい言い方をしていますが、何も特別な理論ではないのです。非常に素朴な事象の成り立ちを述べているだけなのです。ただその関係が2つの事象の関係ではなくて、あえて5つの物質を持ち込んだために少し複雑に見えるだけなのです。ところが残念なことに、全ての出来事を5つに分けようとする考え方を無理矢理適用させようとしたものですから、そこに矛盾が出てきました。確かに「風が吹けば桶谷が儲かる」という理論は、それこそあり得ることではありますが、単なる偶然の一現象にすぎません。

 

 人事をはじめとする全ての事象はファクターが多すぎて、それを絶対的な五行陰陽論で説明しようとすることは土台無理です。例えば経済についても同じことが言えます。今現在行われているアベノミクスは、まずデフレありきから出発しております。なぜデフレが起こったかについては一切考慮せずに、いかにしてインフレにするかを考えるだけです。そのために札をふんだんに刷って市場に流し、かつ財政政策により公共工事をやったところで、国民の生活がよくなるわけではありません。国借金が増えるばかりです。国民の生活が良くなるためには、バブル前の生活がそうであったように、作ったものがどんどんいつまでも売れ続け、会社が儲かり、賃金が高まっていくことでありますが、現在はそれが不可能となったのでデフレの状態が続いただけなのです。モノを作っても売れなければ安くせざるをえなくなります。これがデフレです。円安で国際競争力のある自動車や精密機械はいくらでも儲かるでしょうが、競争力の弱い部門は逆に輸入をせざるを得ないので、ますます儲けが少なくなります。食料自給率も40%前後ですから、60%は外国から高い食材を買うしかないので、円安を喜ぶのはトヨタだけかもしれません。

 

 このように考えていくと、現在のアベノミクスも一種の五行陰陽論用のように思えてきます。ただ五行陰陽論で用いる薬は、免疫を上げる鍼灸と薬草ですから害は何もないのですが、日本銀行が刷った紙幣の借金は誰が支払うのでしょうか?そういう意味ではアベノミクスは五行陰陽論よりも悪いと思われませんか?ワッハッハ!もちろん言うまでもなく、現代の医療は人間がいわば五行陰陽論で動いている免疫の働きを外から乱しているのが現在の医療ともいえます。やはり現代の医療は五行陰陽論よりもはるかに悪事をなしていると考えられます。

 

 皆さんご存知ですか?ステロイドは多くても少なくても人体に害になるのです。だからこそフィードバックがかかっているのです。副腎皮質で作るステロイドが多くなれば、大脳の視床下部はそれを感知して副腎皮質で作ることをやめさせます。逆に副腎皮質がステロイドを作る量が少なければ大脳はステロイドを作れと命令します。このような二者の間で繰り返しの相生・相剋やりながら人間はホメオスタシスとバランスを保ちながら一生を健康に過ごせるのです。しかし現代はまさに五行陰陽論をさらに下回った医療といえます。さらに言わせてもらいたいことがあります。この人体の中の五行陰陽論は38億年かかってできたのです。つまり遺伝子の働きに勝る五行陰陽論はないにもかかわらず、遺伝子を変える治療が人間の恒常性と平衡性と永遠性を損ないつつあります。ステロイドもそうですしiPSもそうであります。

 

○医緩(いかん)(春秋時代のBC6世紀頃の秦の国の医者)

   

 彼は今なお用いられている「病膏肓(やまいこうこう)に至る」という言葉を生んだ名医といわれています。

   

 晋の国王の景公が病気になり、晋の国の医者の手には負えなくなり、秦の国の名医である医緩が呼び寄せられました。医緩が景公を診察したところ、「病気は肓の上、しかも膏の下にある」と診断しました。現代の解剖学で説明すれば、肓の上とは横隔膜のことであり、膏の下とは心臓の下のことであります。医緩が言うことには、「鍼を用いても届くことができない場所であり、かつ薬草も届かないので治すことができない」と言ったのです。結局のところ、鍼灸や漢方薬を用いても治らない病気は一体何でしょうか?おそらく癌です。免疫を高めても治せない病気は癌ですから、医緩は治療することをやめたのです。漢方や鍼灸で免疫を上げて癌を治せるものであれば、私はとっくに治してしまっています。もちろん医緩が癌という病気を知っていたかは疑問ですが。中国では人体にメスを入れることを許されていませんでした。従って解剖学が全く発達することがありませんでした。晋の医者たちが色々と手を下しても良くならなかったので、わざわざ遠い国の秦の医緩を時間をかけて呼び寄せるまでのいきさつを考えると、急性の感染症、つまり傷寒ではなかったはずです。すると残る死に至る病は癌です。おそらく膵臓癌ではなかったかと考えられます。現在でも膵臓癌の悪性は恐るべきものがあります。この医緩と景公の故事により、不治の病にかかることを「病膏肓に至る」というようになったのです。

 

○扁鵲(へんじゃく)(春秋時代のBC500年頃の人)

 歴史上の中国の名医といえば、この扁鵲であります。姓は秦、名前を越人といいます。扁鵲はひとりの医師ではなくて、過去の中国の名医を何十人も集めたシンボルが扁鵲であったといわれています。従って、扁鵲に関する本を読むと、人間離れをした名医ぶりが華々しく描かれています。扁鵲は死んだ人を生き返らせたというエピソードを持った人でありますが、彼自身が言うことには「私が死人を生き返らせることができたのではなく、これは当然生きるべき人を起き上がらせただけだ」と言ったといわれています。これは一体何を意味するのでしょうか?2500年前の医学が全く暗黒時代であったにもかかわらず、扁鵲は病気を治すのは薬でもなく医者でもないことを知っていたのです。病気を治すのは患者自身であるということを、なんと2500年前に見抜いていたのです。この点が、扁鵲が中国医学史上でナンバーワンの医者であるといわれる根拠なのであります。この扁鵲が中国医学史のトップに位置しているということは、扁鵲が体現している中国漢方、中国鍼灸が世界ナンバーワンであることを中国人自身が自負してきたのです。私も彼らが作り上げた中国医学の全ては今も昔も今後も世界のトップに居続ける資格があることを認めざるをえません。なぜならば彼らの医学こそが人類の免疫を手助けし続けることができるからです。

 しかしながら漢方の薬草は育てるのに1年はかかります。3000年前の薬草の栽培方法は現代と何も変わりません。生産性を上げる余地がほとんどないのです。従って金儲けができません。現代の中国は政治体系は社会主義でありますが、経済は完全に資本主義であります。金が儲からなければ企業の存立が脅かされます。中国の製薬メーカーもまず儲けを考えます。病気を治すことは二の次になります。従って患者の免疫を手助けて病気を治せる漢方薬用植物を栽培するよりも、近代的な製薬工場を造り、免疫を抑える薬を無限大に作る方がお金が儲かるので、徐々に徐々に漢方の生産量も減っていくでしょう。おそらくは世界中から漢方生薬が消え去っていく恐れさえあります。対症療法、つまり患者の免疫を殺して症状だけを取る新薬に、病気を治すことができるけれどもお金が儲からない漢方薬が駆逐されるのも近い将来に起こることになるでしょう。残念ですが。

今日はここまでです。 2013/10/03

 さぁ、今日は前漢・後漢時代の中国の名医の話をしましょう。

○淳干 意(じゅんう・い)

 現代の医者は、必ず診療録に患者の病状を記し、それに対してどのような処置を行い、どのような薬を投与したかを保険診療をやっているかぎりは必ず残さなければなりません。皆さんご存知のように、これをカルテといいます。カルテという言葉はドイツ語であり、英語で言えばカードという意味になります。昔の中国漢方ではこれを「医案」といっていました。現代は大学の医学部を卒業し、国家試験に合格して医師の資格を国家から得た人だけが医療をやることができますが、昔の中国や韓国や日本や他の東南アジアでは医師国家試験などというものはありませんでしたから、いわば誰でも漢方医になることができたのです。つまり偽医師などは誰もいなかったのです。従ってどんな漢方の生薬を使うかは自由勝手だったのです。ところが現代の医者はまず病名を決めて、病名が決まれば大学の医学部の授業で習った標準医療といわれるやり方に従って自然に薬や処置が決められているので、決められた範囲の医療しかできないのですが、昔は誰でも医者になれたので、患者一人一人に対してどのように医療をするかについての考えを決めて、それを記したものが『医案』と呼ばれるようになったのです。つまり病名はどうでもいいのです。

 

 私もこの考え方に同意します。もちろん私の考え方の根本は、病気の原因をまず考えます。いつも書いているように、現代文明に残された最後の病気の2大原因はヘルペスと化学物質であり、病気の症状はこれら二つの原因と免疫が戦っているときに見られる現象にすぎないことが分かっているので、ヘルペスには抗ウイルス剤を出し、敵が化学物質であるときには漢方や鍼灸で免疫を上げ続ければ、最後は患者の免疫がその化学物質と共存してくれるのです。

 

 以前に述べたように、中国医学の大権威でいらっしゃった某国立大学の名誉教授の元で、過去の中国漢方医が漢文で書いた『医案』をかなりたくさん読んだのですが、例のごとく陰陽や虚実や表裏などの漢方独特の言葉が羅列されているだけで、病気の原因は言うに及ばず、客観的根拠も何一つなく、ただただ漢方処方が書かれているだけで、治療の結果についても詳しく書かれていないので、これらの『医案』を読んでも全く興味が持てなかったことは既に語りました。この『医案』を勉強したのも、過去の中国漢方医がどんな治療をしたかよりも、漢文を勉強したかっただけで、高名な先生のセミナーに参加させてもらったのです。従って原因療法に基づく治療法である免疫を上げるために漢方煎じ薬を用いて医療をやっている私にとっては、何のメリットもなかったことを覚えています。

 この『医案』をまず最初に中国で書いた人が『淳干 意(じゅんう・い)』という人であります。もちろんそれまでも医案は書かれていたのでしょうが、淳干意の医案が中国に現存している最も古いものとされています。彼は前漢の初期の医者でありました。彼の書いた医案の中身は司馬遷の書いた『史記』に詳しく載せられています。司馬遷の史記は、黄帝内経を作った前漢の武帝までの歴史を記した歴史書でありますが、そこに詳しく淳干意の医師としての詳しい人となりと業績が書かれています。特に淳干意の治療した25人の人たちの治療内容について述べられ、さらに20種類あまりの病気の症例ごとに患者の住所、氏名、病状、脈の状態、病因の分析の後に、薬草、鍼灸、治療方法、さらにその患者の生死の予想などが詳しく記載されているのです。現代のカルテには患者の生存と回復の予測(これを現代では病気の予後といいますが)などについては絶対に書かないのですが、また書く必要もないのですが、昔は病気で死ぬ人が多かったので書かざるをえなかったのでしょう。この淳干意について詳しく知りたい人は、史記の列伝に書かれていますから、興味のある人は読んでください。この淳干意の列伝を読めば、前漢時代の医術の実際を知ることができます。

 

○郭玉(かくぎょく)

 次に後漢(AD25〜AD220)の時代に鍼灸の名人であった「郭玉(かくぎょく)」の話をしましょう。郭玉は、後漢の和帝(在位89〜105年)の時代に医者の役人である医官の副長官の「太医丞(たいいじょう)」まで上りつめ、和帝にその鍼灸の腕前を驚嘆させた鍼灸の名人でした。昔から人間は痛みで苦しんできました。痛みさえ取れれば幸せになれるという人はたくさんいます。とりわけ鍼灸は痛みを除去する効能においては抜群の効果を発揮します。しかも免疫の遺伝子を変えずに、であります。いわば郭玉は皇帝である和帝の痛みを即座に鍼一本で治してしまったのです。そして和帝の寵愛を一身にし、官吏である医官の副長官まで上りつめた人でした。

 

 現代の西洋医学は、痛みを生み出す免疫の遺伝子の働きを変えることによって、痛みを一時的に取るだけで、痛みの原因となる異物を処理しないどころか、逆に古来から人間の神経にすんでいるヘルペスウイルスをどんどん増やすだけですから、二重で人体にとっては害悪を加えているだけなのです。一方、鍼灸は免疫の遺伝子に全く影響せず、かつ免疫を上げながら痛みの感覚を一時的に麻痺させるだけですから、最高の痛み取りの手技になるのですが、日本政府は健康保険で治療することを許してはくれません。残念です。鍼灸が全て3割負担になれば、痛みがこの世から永遠になくなってしまうでしょう。痛みがこの世からなくなると製薬メーカーも医者も仕事がなくなるので許さないのでしょうか?と勘ぐりたくなるぐらいです。

 皆さん、西洋医学の麻酔薬を使わないで、鍼だけで手術のための麻酔を行う鍼麻酔法をご存知でしょう。麻酔薬とは一体なんでしょうか?神経の伝導は電気信号によるものというよりも、神経にナトリウムイオンを連続的に神経細胞外から入れることによってナトリウムイオンが伝わっていくと考えてよろしい。神経線維の膜にナトリウムイオンが連続的に流入していく通り道があります。これを神経のナトリウムチャンネルといいます。痛みが感覚神経に伝わらなくしようと思えば、この神経のナトリウムチャンネルを塞いでしまえば、ナトリウムイオンが神経線維に流入できなくなり、神経伝達が遮断され痛みを感じなくなってしまうのです。従って、麻酔薬とは神経のナトリウムチャンネルを妨げることによって神経をブロックし、痛みを感じる脳にその痛みの信号を送ることをできなくさせる薬です。この麻酔薬と同じ効果が、鍼をツボに刺すことによって生み出すことができるのです。これを鍼麻酔といいます。

 

 ついでに日本で初めて麻酔薬を使った華岡青洲についてふれておきましょう。亡くなった有吉佐和子という女流作家を覚えておられますか?彼女が書いた『華岡青洲の妻』という本を読んだことがありますか?彼女はこの書物で書きたかったテーマのひとつは、江戸時代に置ける絶対的な主(長男である夫)に対する忠誠の度合いを嫁と姑に争わせた激しい葛藤劇を描くと同時に、実は華岡青洲を世界で初めて麻酔による手術を成功させ、息子であり夫である男の功と成りを達成するために母と嫁の犠牲的精神も同時に描いたものであります。華岡青洲(1760〜1835)は江戸時代末期の外科医であり、全身麻酔薬である「通仙散」を用いて乳ガンの手術を世界で初めて行った人であります。この「通仙散」を完成させるために、自分の母親と妻が実験台になり、何回か人体実験を繰り返した結果、母親は死んでしまい、妻も失明し、青洲自身も「通仙散」を服用するという自分に対して行った人体実験のために、下肢の神経障害を残すという結果になりました。

 この「通仙散」は曼陀羅華(まんだらげ)や烏頭(うず)が主成分であり、他にセンキュウ、トウキ、ビャクシなど10種類以上の植物成分からできていたようですが、正確には分かっていません。この曼陀羅華は、現在はチョウセンアサガオとして知られており、烏頭はトリカブトの根から作られた漢方薬であります。チョウセンアサガオは副交感神経抑制作用とともに、中枢神経興奮作用があり、いずれも痛みを感じなくさせるのです。一方、トリカブトの根の主成分はアコニチンであります。このアコニチンは植物成分では最高の猛毒といわれています。何年か前に、このトリカブトの根を食用として用いて食べた人が死んだというニュースを知っている人もいるかもしれません。このアコニチンはチョウセンアサガオと同じく副交感神経遮断作用や、交感神経興奮作用があり、さらに鎮痛作用や局所麻酔作用があることも知られています。このように中国医学の漢方や鍼は、麻酔作用、つまり痛みの神経伝達に必要なイオンチャンネルの働きを遮断することによって外科手術さえも可能となるのです。皆さん、中国医学はすごいと思いませんか?華岡青洲は世界で初めて乳ガンの麻酔手術を行ったのです。江戸時代に外科手術も可能であったことを知って驚かれませんか?しかし手術創に繁殖する見えない細菌の心配を彼らはする必要がなかったのでしょうか?「盲目、蛇に怖じず」の心境だったのでしょうか?

 大塚敬節先生についてはもう述べましたね。彼は昭和の漢方復興の第一人者でありますが、バブル前後の一時期は「漢方、漢方」ともてはやされたのでありますが、近頃は漢方ブームも去ったようです。なぜでしょうか?漢方と西洋医学の薬を同時に使う人が増えすぎたために、漢方を使う意味がなくなってしまったからです。免疫を上げる漢方を使えば、絶対に免疫を下げる西洋新薬を使ってはならないにもかかわらず、患者を集める方便で漢方をついでに使う医者が日本列島を埋め尽くしてしまったのです。私のように漢方だけを、とりわけ漢方煎じ薬を使う医者が全国津々浦々に現れれば、アレルギーも膠原病も全て治ってしまうのです。漢方エキス剤は私は補助的に用いていますが、やはり漢方を2回3回と煎じて成分を取り尽くしたものを服用することが一番効率よく漢方植物の成分を取り入れることができるのです。

 とりわけ漢方学会のお偉い方は、大学の医学部の漢方講座の先生が多いのです。彼らは漢方は免疫を上げる手伝いをするだけで、患者の免疫を全面的に発揮させて初めて患者自身が病気を治すと言い切ることがどうしてもできないのです。なぜならば同じ大学病院で西洋新薬を使っている先生に対して異議を申し立てることになるからです。つまり、他の西洋の新薬を用いる先生方は、免疫を抑えて対症療法をするだけであるので、意味がないということなどは口が裂けても言えないのです。さらに患者の免疫の遺伝子の発現を抑えているだけで、新たなる病気が生まれるだけであるなどということは死んでも言えないのです。

 こんな患者さんがいました。慶應大学の漢方講座は結構有名であります。クローン病の患者さんで、慶應病院の有名なクローン病の権威ある教授にかかっていたのですがなかなか治らず、それどころか悪くなっていくので慶應大学の病院の中にある漢方専門医の先生に診てもらいたいと言った途端に、その有名教授は烈火の如く「漢方なんかは意味がない、漢方なんかでは治らない」と怒鳴られたようです。それで仕方なく東京からはるばる大阪の当院に来られたのであります。そして自分の免疫で漢方の力を借りてクローン病を完治させました。このような患者と先生とのやり取りの光景は、何も慶應大学の医学部の付属病院だけで行われている訳ではありません。ここで大学の医学部の付属病院で漢方専門部門のある大学を羅列してみましょう。

 

 慶應義塾大学、京都大学、大阪大学、京都府立医科大学、日本大学、神戸大学、千葉大学、東邦大学、近畿大学、北里大学、東北大学、昭和大学、順天堂大学、富山大学、富山医科薬科大学、東海大学、筑波大学、金沢医科大学、三重大学、大分大学、福岡大学、鳥取大学、横浜市立大学、久留米大学、広島大学、日本大学、福島県立医科大学、岐阜大学、金沢医科大学、群馬大学、杏林大学、東京慈恵会医科大学、国際医療福祉大学、東京医科歯科大学、東京女子医科大学、日本医科大学、神戸大学、和歌山県立医科大学、愛知医科大学、山口大学、高知大学、九州大学…

 漢方外来治療を本格的にやっている大学病院の大学をずらっと並べても50ぐらいはあります。日本列島の北から南まで漢方治療が行われています。しかしながら私のように全ての病気を治すと豪語しておられる、いわゆる漢方医はいらっしゃらないようです。なぜでしょう?答えは簡単です。漢方で病気を治そうと考えるのが間違いの第一歩です。病気を治すのは原因療法であり、この文明に見られる病気の原因は、とどのつまりは化学物質とヘルペスしかないのです。ときにウイルスによる風邪や細菌による腸炎が見られることがありますが、いずれにしろ病気を治すのは、その病気の原因を殺すか、排除するか、共存するか、神経節に閉じ込めるかの4つしかないことを、どの大学病院の専門医も気づいていないのです。しかもこの4つの病気の治し方を生み出してくれるのは、患者の免疫の遺伝子だけなのです。

 余計な話ですが、以上に挙げた大学の病院で、私と同じように抗生物質と抗ヘルペス剤以外のあらゆる他の西洋新薬を使わないで、ただ漢方煎じ薬だけを使うようになれば、私の医院はもとよりあらゆる病院の医療も不必要になってしまうでしょう。なぜならば漢方だけを使っている限りは、患者さんの免疫が患者さん自身の病気を治してくれるからです。そんな事態が生じれば日本国は漢方大不況を招くことになってしまうでしょう。アッハッハ!

 さらに漢方専門医がいる大病院を探せばゴマンとあります。日本には10万軒近くの医療機関がありますが、ほとんどの施設では漢方エキスは使われているようでありますが、使っている先生の中で、病気を治すのは患者の免疫だけであるということに気づいている漢方医は誰もいないようです。この極めて単純な真実を一般大衆に知ってもらうために一生をかけたいと思っています。

○華佗(かだ)

 次に進みましょう。後漢時代の最後の名医は『傷寒論』を書いた張仲景(AD150〜AD219)でありますが、既に語り終わりましたから、次は後漢の末から三国南北朝時代の人である華佗(かだ)について話を進めましょう。華佗は、中国では外科の元祖といわれています。彼がさらに有名なのは、三国の魏の始祖である曹操に殺されたエピソードを持っている人であることです。曹操は後漢に仕えて、後漢の崩壊の原因となった黄巾の乱を平定し、新たに魏を作り国王となったのです。曹操が華佗の名医ぶりを聞き、常に自分の健康を守らせたのです。華佗は漢方生薬の優れた使い手であったのみならず、鍼灸においても天才ぶりを発揮し、その令名ぶりが魏の皇帝の曹操にまで伝わったのです。

 

 皆さん、ここでむちゃくちゃ面白い話をしてあげましょう。先ほど華岡青洲が世界で初めて全身麻酔をして乳ガンの手術をしたときに用いた麻酔薬は「通仙散」であると書きました。この通仙散のことを別名「麻沸散(まふつさん)」というのです。実はこの麻沸散を使って、歴史上初めて全身麻酔による切開手術を行ったのは、まさにこの華佗だといわれているのです。まずこの華佗はこの麻沸散を酒で飲ませました。酒に酔って知覚が鈍麻になり、かつ麻沸散でさらに意識がなくなったときに病巣である腹や背中を切開して異物を切り取ったのです。おそらくこの異物は今でいうガンだったのでしょう。病巣が腸管にあるときは切断し、洗浄し、その異物を切り取って、残りの腸管をつなぎ合わせて、後は縫合したと伝えられています。そしてその縫合跡に神膏という軟膏を塗って縫合創を治したのです。傷は4〜5日で回復し、1〜2ヶ月で全快したのです。このような華佗の手術ぶりや治療については後漢書の方術伝の『華佗伝』に書かれたり、皆さんがご存知の、三国志の方技伝の『華佗伝』に記されています。もちろん彼が手術をした患者の多くが感染症で亡くなったことでしょうが?

 私は、この話を華岡青洲はどこかで読んでいたはずだと思います。この華佗の手術のやり方を読んで、彼は通仙散を作ったと考えられます。通仙散の主要な成分は烏頭であり、現代でもこの烏頭は使われています。さらにトリカブトの塊になった根のうち、元の母根を烏頭といい、母根から出た子の根を子根といい、これを附子と呼んで、痛み止めの生薬として現代の漢方煎じ薬でもしばしば使います。附子が含まれている最も有名な漢方は、皆さんがご存知の「八味地黄丸」であります。

 

 どうして曹操は華佗を殺したのでしょうか?曹操は長年、頭風眩(とうふうげん)という病気で苦しんでいました。頭風眩とは、頭がしびれたり痛くなったりめまいがする病気です。つまり現代の病名では、本格的な「メニエール氏病」です。私のホームページを呼んでいらっしゃる方は既にご存知のように、このメニエールの原因はヘルペスウイルスです。第8脳神経の蝸牛神経の前庭神経でヘルペスウイルスと免疫が戦うと、頭風眩つまりメニエール氏病が現れるのです。天才的な鍼師であった華佗が魏王の曹操に鍼をすると即座に治ってしまったのです。春秋戦国時代の文摯の話を覚えていますか?斉の国の閔王が頭痛で苦しんでいたのも原因はヘルペスであったことは述べました。斉王である閔王の頭痛を治してあげたために殺されたいきさつも既に述べました。もう一度読み直してください。

 

 昔からヘルペス性の頭痛やメニエールは、ストレスの多い国王たちを悩ませていたのです。敵を殺し尽くして王様になる人ほどストレスに耐えた人は他にないはずです。ストレスに耐えている間にヘルペスウイルスが神経に増殖し、国王になってホッとした瞬間に免疫が回復し、ヘルペスとの戦いが始まるのです。魏の国王曹操もヘルペス性慢性頭痛に悩まされていたのですが、華佗の鍼ですぐに治るものですから、華佗をいつまでも自分の左右に置きたがったのです。ところが華佗は自由人で早く郷里にかえりたいと願い出て、その後妻が病気だと言って戻らなかったのです。ところがいくら曹操が華佗を呼びつけても戻らなかったので、曹操が使者を遣って調べさせてみると妻の病気が仮病だと分かり、怒りに狂った曹操は華佗を殺してしまったのです。

 華佗が発明して有名になったもう一つの健康法があります。皆さん、中国には儒教はあっても唯一神を作ってその神だけを信じる宗教はありません。しかしあえて中国漢民族の宗教といえば道教があります。道教の始祖は黄帝と老子であります。中国の古来からの巫術がありました。巫術はシャーマニズムといい、シャーマンを仲介として霊的な存在とのやり取りを中心とする宗教儀式がありました。シャーマンというのは、ある薬草を飲んで自らをトランス状態、つまり我を忘れて恍惚状態になって、神、精霊、死者の霊などに直接交渉し、その力を借りて託宣や予言を行うと同時に、病を治したりすることができるとされた宗教的職能者のことです。シャーマンを巫女(みこ)と訳してもいいのです。このような古来からの巫術や老荘思想や道教の流れをくんで、それを陰陽五行説や神仙思想を加味して不老長生の術を古代の中国人はあみ出していたのです。これを導引といいます。もっと一般的には気功といわれているものです。

 シャーマンがどんな薬草を食べてトランス状態に没入したかについては後で詳しく書きます。今の麻薬や覚醒剤といわれるものを摂取して、神と交信して占いやまじないを行ったのです。このような薬草の主成分を分析して、近代になって医薬品の原料として用いられたからであります。これらの薬用植物は直接的に免疫を上げる訳ではないのですが、脳の中枢神経どうしを結びつける神経伝達物質として解明され、免疫を抑えずに痛みを除去する薬として使われるようになったのです。

 この導引の術に華佗は新たに「五禽の戯(ごきんのぎ)」を発明して加えました。皆さん、中国に行くと、今現在でもこの五禽の戯は一般大衆が朝に公園で行っているのを見られたことがありませんか?もうひとつ中国人が好きな健康法に太極拳があります。この太極拳は陰陽の変化の理にのっとったものだといわれています。ゆるやかに円を描く動作が主であります。身体の鍛錬や精神修養に行われています。五禽の戯と太極拳の違いはすぐに分かります。華佗が作った気功は5種類の動物の仕草を行うために五禽の戯といわれるのです。5種類の獣は「鳥、鹿、猿、熊、虎」であります。この5種類の動物の身体の使い方を真似ることによって、気を集めて生のエネルギーを強めるものとされております。確かに五禽の戯をやっている人の話を聞くと、身体が不快なときに起き上がって、5つの獣のどれかの真似をすると心が和らぎ、汗が出て元気になるといいます。現代もなお続いている導引、つまり気功のひとつである五禽の戯を創作したのも華佗でした。

 今日はここまで 2013/10/17

 今日から漢を終わって、三国(魏・呉・蜀)、さらに西晋、東晋を経て、南北朝時代の中国医学に進みましょう。華佗は後漢の末の人といわれていますが、三国時代に入れるべき人物であったかもしれません。

○皇甫 謐(こうほ・ひつ)(AD215〜AD282)

 

 彼は三国時代の魏の国の人であり、西晋の頃まで生きていた人です。名家の出であったのですが、家は貧乏でありました。思うことがあり、20歳を超えてから寝食を忘れて様々な学問の独学をし始めました。彼は医者というよりも民間の学者でありました。実際彼は医業をやったことはないのです。

 

 曹操の子の曹丕(そうひ)によって作られた魏王朝は家来の司馬昭(しばしょう)によって滅ぼされ、司馬昭の子の司馬炎(しばえん)が帝位について晋を打ち立てました。これが晋の武帝であります。武帝は噂で聞いていた優秀な皇甫謐を晋の官僚にさせたいと何回も招いたのですが、病弱の故に断り続けました。皇甫謐は自分の病気を治すために独学で医学の書を読んだのですが、そのような医書が役に立たないということを知り、中国医学の原典である『黄帝内経』に戻ってそれを充分に勉強しました。生理、病理、診断、治療、漢方生薬、さらに養生法を論じた『黄帝内経』から選び出して編集し直し、新たに『素問』という本と、さらに『黄帝内経』から鍼灸医学の基本となる人体の組織や機能、さらに鍼の使い方が書かれている『霊枢』から、同じように大事なところを選び出して編集し、新たに『鍼経』という本を書きました。さらに最後に最古の経穴書、つまり鍼のツボの書物である『明堂孔穴鍼灸治療』を元にして、この書物を編纂し直し、かつ注釈をしたのです。これら3つを合わせて、『鍼灸甲乙経』という本を書いたのです。この『鍼灸甲乙経』は、皇甫謐自身が病気になって苦しんだために、やむにやまれずに病気というものがどのようなものであるかを世間一般の人に伝えるために書いたといわれています。

   

 彼自身は何も医者ではなかったのですが、役に立つ医学書を学問好きな皇甫謐が、自分の病気を自分で治すために必要に迫られて書き記した本ですが、まるで私が自分の病気を治すために、3つ目の大学である京都府立医大に入り直したのと似ていますね、ワッハッハ!!今時、皇甫謐のような医者でない人間がこのような医学書を書いても誰も読む人がいないでしょう。なぜこのような書物を医者でない皇甫謐が書けたと思いますか?それは、中国医学の原典が『黄帝内経』であり、この『黄帝内経』が書かれたときに、既に中国医学の根本が築きあげられていたからです。

 

 張仲景の書いた『傷寒論』の話は最初にしました。この『傷寒論』も古代からの医書を選んで編集したものなのです。いわば中国医学は、中国古代からの病気の治療に用いられる漢方生薬と鍼灸のやり方についての経験を集大成したものが『黄帝内経』であるのです。一方、現代医学では、学会のお偉い方が作った治療指針、つまりガイドラインが作られます。日本全国の医者はこの治療指針に従って、病名を決めたり使う新薬を決めたり量を決めたりして、一般の医者が毎日の診療を行っているのと似ています。

 

 ただ決定的に違うところがひとつあります。『黄帝内経』に基づいた中国伝統医学は漢方にしろ、お灸にしろ、鍼にしろ全て免疫を上げることができるので、中国の過去の医療行為を行っている人たちは、医師免許は何も持っていないのですが、『黄帝内経』の治療指針に基づいて医療を行っているので、知らず知らずのうちに患者の免疫を上げて根本治療をしていたといえます。患者の免疫で治せる病気は『黄帝内経』の治療法に基づいて知らず知らずのうちにその病気を治すことができていたのです。敵の方が免疫の方よりも強ければ、例えば『傷寒論』に書かれている腸チフスやコレラや天然痘やペストなどの場合は、患者の免疫よりも病毒性が強いので免疫の方が敗北して死ぬこともあったのです。いずれにしろ中国医学は、患者が治せる病気は医者も治せるのですが、患者の免疫が治せなかった病気は医者は治せなかったのです。

 

 ところが現代のガイドラインに沿った医療は、中国伝統医学と違って免疫を懲らしめて敵を増やすだけですから、根本治療ではないのです。つまり対症療法にすぎないので、いつまでも敵を体内に残すことになり、病気が長引いてしまうのです。言い換えると、病気を治しているどころか病気を作っているのです。医原病づくりの始まりですね。ただし、現代医療でも法定伝染病に使われる必要なワクチンと、抗生物質と抗ヘルペス剤はもちろん免疫をヘルプしていることは今更言う必要はないでしょう。

 

 翻って、私の医療について考えてみましょう。私は結局2000〜3000年前に作られた『黄帝内経』に書かれた指針に従って治療をやっていることになるのです。こんな話をするとびっくりされるでしょうが、実はその通りなのです。漢方を使い、鍼を用い、患者さんにお灸をやってもらうという、たったそれだけの治療法なのです。もちろん抗生物質と抗ヘルペス剤は必要に応じて用いるのは言うまでもないことです。私が『黄帝内経』に基づいて行われてきた、いや今も行われている中国伝統医学が世界医学であるという意味がお分かりでしょうか?世界医学と名付けるだけではもったいない医学が中国医学なのです。永遠の世界医学と名付けるべきものです。なぜならば生命が誕生して以来38億年の間に、生命が築き上げてきた免疫の遺伝子に基づいて治療は、まさに免疫が行っているからです。その免疫を助ける治療こそが永遠不滅の医療であるからです。

 

 ましてや現代文明には、免疫が負けてしまうような敵が存在しません。過去人類が苦しみ、挙げ句の果てに死なざるをえなかった病気は100%感染症であったといえます。この感染症を現代の文明は制圧してしまったのです。まず病原菌が体内に入らないように衛生状態を完璧にし、病原菌の全てを明らかにし、人体への侵入ルートを完璧に断ち切ったのです。数日前の新聞を読まれましたか?腸出血性大腸菌であるO−157の媒体となる生のユッケをこっそり出していた焼肉店が摘発されたことをご存知ですね。このように衛生当局は国民の健康を守るという目標を掲げて厳しく取り締まっているのです。さらに免疫を構成している栄養分はタンパクです。日本中に痩せ衰えた栄養不良児や栄養不良大人がいますか?誰一人見つけることはできません。逆に栄養過剰の人たちが多すぎて糖尿病や高脂血症や肥満でワンサカあふれきっています。にもかかわらず、ずる賢い会社は不必要な補助食品と称して価値のないものを売りさばいています。一体何を補助するつもりなのでしょうか?悲しいことです。

 

 このように人体に侵入する怖い敵がいなくなったこの文明の世の中に、急に知らぬ間に入る敵は何でしょう?風邪のウイルスだけですね。唯一の急性疾患と言えるものですが、こんなものは病気と言えるでしょうか?医者に行く必要はないでしょう。自分で治せるでしょう。医者に行っても、ウイルスを殺す薬は何もないものですから、医者に行っても意味がないでしょう。もちろん漢方は免疫を上げる手助けをするので価値はあるので、風邪のときも漢方薬は素晴らしいものです。他に急性の感染症はありますか?ないでしょう。

 

 さぁ、それでは最後に残った慢性の感染症はあるでしょうか?あるのです。それがヘルペスウイルスなのです。このヘルペスこそが最後に残された唯一の慢性感染症の原因となっているのです。ヘルペスについてはヘルペスのコーナーを読んでください。あえて付け加えれば、結核菌も、ときに慢性の感染症を起こすものでしょうが、抗結核剤を飲んでしまえば死ぬことは絶対にありません。他にいつまでも人体に居残り続けて慢性的に感染症を起こす病原菌はあるでしょうか?何もないでしょう。

 

 ところが問題が出てきています。現代の製薬メーカーが作る薬は99%が免疫を抑えてしまうので、あらたなる病気を生み出しつつあります。つまり普通の食事をし、普通の規則正しい生活をする限りは免疫が落ちることはないのですが、免疫を抑える薬を飲み続けると、本来強い敵でない弱毒のウイルスや細菌に罹患し、苦しまざるをえないことがあります。しかしこのような感染症も免疫を抑える薬をやめれば、自分の免疫で敵を殺すことができます。死ぬことはありません。必要であれば抗生物質や抗ウイルス剤を飲めばいいのです。

 

 さぁ、人類が悩んできた感染症が100%平らげられたこの現代文明に、最後に残った病気の原因は何だと思いますか?化学物質です。有機合成化学物質が200年前に作り出されるまでは、この世には何一つ人工的な化学物質はありませんでした。従ってそれまで中国人は、感染症を起こす病原菌以外に悩む必要はなかったのです。確かに天然の化学物質が異物になることがあったでしょう。飢餓や乾きの為に普通は食べてはいけない植物を食べてみたり、思わず飲んではいけない飲み物を飲まざるをえないときがあったでしょう。それによってその飲食物の中に毒が入ったりして死なざるをえないときもあったでしょう。ときには天然の化学物質が混入したために、それを排除するためにアレルギーを起こしたこともあったでしょう。しかしながら化学物質で成り立っている文明社会とは比べ物にできないほど、天然の化学物質が口に入ることはなかったでしょう。従って化学物質が原因となるアレルギーや膠原病は、今と比べて皆無と言ってよかったのです。ですから、過去の中国人が敵とせざるをえなかったのは、病原菌だけだったのです。このような状況は言うまでもなく、過去の中国の人たちに当てはまるだけではなく、世界中の過去の人々に通ずる話であります。つまり人工的化学物質が作られなかった17世紀の終わりまでは、病気は全て感染症であったと断言していいのです。従って若くして感染症で死なざるをえなかったので、それまでの寿命は極端に短かったのです。

 

 しかし今のように死ぬことはないけれども不愉快である病気が、実はまだ現在に残っているのです。その病気は何でしょう?何回も繰り返して言いますが、アレルギーと膠原病なのです。アレルギーは化学物質をIgEで処理しようとする病気であり、膠原病は化学物質をIgGで処理しようとする病気であります。どちらも免疫が戦っている敵は化学物質であります。IgGをIgEに変えてしまえば、これを抗体のクラススイッチといいますが、膠原病がアレルギーになり、最後は制御リンパ球によりこの化学物質と免疫寛容を起こしてしまえば、戦いは終わり共存できるようになるのです。

 

 ついでに書いておきますが、ガンは病気ではありません。ガンは遺伝子の老化です。年をとって死ぬのにはガンが一番良さそうですよ。このうるさい私もいずれガンで死ぬでしょう。子供たちに言っています。私がガンで死ねば喜んでくださいと。やっと口うるさい親父が死んだと喜んでください、と遺言を作りつつあります。死が一番悲劇なのは、若い人が死ぬときだけです。若い人が死ぬのは事故と自殺だけです。この2つの死は誠に悲しい死に方です。

 

 皆さん、現代文明に残された病気の原因であるヘルペスウイルスと化学物質以外に、他に病気を起こす原因があると思いますか?何もありません。いや、書き忘れました。あるのです。あるのです。現代の病気の最も大きな原因が残されているのですが、何だと思いますか?医薬原病です!医薬原病とはなんですか?医者が作った病気であり、薬が作った病気であります。どうしてこのような医薬原病が起こるのかを説明しましょう。

 

 既に述べたように現代の病気の原因は化学物質とヘルペスであることはご承知ですね。さらに化学物質が起こすアレルギーと膠原病の治療も全てステロイドをはじめとする免疫抑制剤であることもご存知ですね。化学物質をIgEで処理する病気がアレルギーであり、IgGで処理する病気を膠原病であることもご存知ですね。このときに用いられる薬はなんだかご存知ですか?アレルギーのときは、ステロイドであり、抗アレルギー剤であり、抗ヒスタミン剤であります。膠原病、その代表がリウマチやクローン病や潰瘍性大腸炎でありますが、これに用いられる薬はステロイドであり、免疫抑制剤であり、近頃は生物製剤といわれる免疫抑制剤であります。化学物質を免疫がIgGやIgEを使って体内から排除しようとしているときに、このような免疫を抑える薬を使えば、化学物質がどんどん体内に蓄積していきます。

 

 免疫を抑えるというのはどういうことなのでしょうか?免疫の遺伝子の発現のスイッチをきることです。つまり敵が侵入したときに免疫はその敵を異物と認識して、免疫の遺伝子をONにして敵を処理しようとするのですが、このONをOFFに自由自在にしてしまうのが、まさにステロイドなのです。他の免疫抑制剤はこのように免疫の働きを発動するスイッチをOFFにする働きを持っているものもありますが、スイッチを切ることができずに、スイッチを入れることによって出来上がった免疫の働きをするタンパクの働きを阻害してしまうかのいずれかであります。ひとたび免疫のスタートのスイッチが切られてしまうと、一時的に敵と戦うことができなくなります。しかしながら人間の免疫というのは、人体を守るために必要であったスイッチをONにした後で、無理矢理に薬でOFFにされたところで満足できないのです。なぜならば一度ONになってしまえば、必ずONになった状態を覚えているので、薬が切れるとOFFになったスイッチをONに戻そうとするのです。

 

 皆さんご存知ですか?ワクチンは何のためにするのでしょうか?弱毒にした病原体をワクチンと呼ぶのはご存知ですね。このワクチンを人体に投与することによって何をしていると思いますか?免疫の細胞に弱い敵を覚えさせておいて、本物の強い病原菌が侵入したときに仲間だと記憶させておくことができるのです。免疫の働きは記憶のシステムそのものなのであります。だからこそ一度病気にかかっても、同じ病原体で病気になることはないのです。これは古代から知られていた現象です。この現象を「2度なし病」といいます。このような記憶を死ぬまで持ち続けている細胞をメモリT細胞とかメモリB細胞というのです。なぜこのような記憶細胞が残され続けるのかは遺伝子的には完全には解明されておりません。この現象を遺伝子的に解明すればノーベル賞は確実です。

 

 同じことが京大の山中教授が作られたiPS細胞についてもいえるのです。このiPS細胞は皮膚の線維芽細胞に山中4因子という遺伝子を入れこみ、線維芽細胞であることを決める遺伝子の発現のスイッチのON/OFFをやみくもに変えてしまうとiPSになるのです。ところがこのiPSは必ず時間の経過の中でONにされたものをOFFに戻したり、OFFにされたものをONに戻してしまうのです。これが「iPSが逆戻りする」といわれる現象です。つまり一時的に皮膚の線維芽細胞をiPSに変えたところで、必ず元の線維芽細胞に戻ってしまうのです。戻れない細胞はガンになってしまうか、アポトーシスを起こして自殺してしまうのです。必ずiPSの臨床応用は失敗することを予言しておきましょう。遺伝子を勝手に変えることは神が許さないのです。

 今日はここまで 2013/10/24

○葛洪(かっこう)(283年〜343年)

 

 過去の中国の医者たちを調べているうちに、最も強く印象づけられることがあります。彼らは全てが全て、誰かに医学を学んだという訳ではなくて、自学独習でその時代の名医になっていったということです。過去の優れた先輩たちが書いた漢方処方薬や鍼灸のやり方を書いた書物から学べば誰でも医者になれたのです。しかもこれらの中国の伝統医学は全て患者の免疫を上げることができるので、患者を殺さない限りは患者の免疫を手助けができるので、患者が治せる病気は治すことができ、一方いくら手助けしても、患者が治せない病気は治せなかっただけの話なので、診断学とか検査学とか病理学とかは全く必要でなかったのです。医学そのものが即、治療学であり、治療することが即、医学であったのです。つまり病人が来れば、既に述べた随証治療に従ってすぐに漢方処方を出し、かつ鍼灸を実行すれば良かったのです。漢方の処方の出し方も、もちろん数多くの患者を見る中で、患者から一番効果のあるやり方を患者から学んでいったのです。親類縁者に医術を行う人がいれば、それを継ぐために個人的に教えてもらったりすることはできるのですが、現在のように医者になるために医学を修める大学があったわけではないので、自学独習せざるをえないのは当然といえば当然だったのです。人を殺すような漢方生薬もありませんし、お灸で人が死ぬわけでもありません。ただ鍼はある程度の熟練さが必要だったのですが。

 

 葛洪も向学心に燃えて儒学を始め、諸子百家の学や導引や養生の方法が書かれている書物を勉強し、と同時に、医術をも極めていったのです。中国の医学史上に名医として言い伝えられていった医術者たちは、その名声や天才ぶりがその時代の皇帝に伝わり、皇帝の寵愛を得るのですが、それだけでは満足せずに、生涯全ての分野における真実を求め続けるという求道者の感があります。この求道者に通ずる道には、いかに健康で長生きするかという目標があります。葛洪の場合も最後は世間的な名声を逃れて神仙道に没入して、「尸解仙(しかいせん)」になって天に昇ったといわれた人です。尸解仙とは、仙人の道を極めた人が死んだときに、体の抜け殻を残して、魂だけが天に昇る術を身につけた人のことだといわれました。

   

 特に葛洪は、不老長寿をもたらすという薬を作る「煉丹(れんたん)の術」に秀でていたといわれています。煉丹とは、道教を実践している道士たちが辰砂(しんしゃ)を練って金丹を作ることです。辰砂は硫黄と水銀を化合したものであります。辰砂は、硫黄と水銀が混ざると金のように見えたので、金丹ともいったのです。さらに辰砂のことを丹砂(たんさ)ともいうことがあります。「丹」の元の意味は赤土でありました。実はこの赤土は硫黄と水銀が化合したものであるので辰砂ともいわれるのです。

 

 皆さんもご存知のように、水銀というのは白金のような色合いがあり、しかも形を自由に変える金属であります。普通金属というのは固形でありますから、自由自在に姿を変え、固形物であるようでしかも液体のような水銀は、何かとても神秘的な力を有しているように現在でも見えるでしょう。時には得体の知れない生き物に見えることもありますね。このような金色に似た黄色の硫黄と、変幻自在の神秘な水銀とを化合して作った薬を、色々割合を変えたり様々な他の物質を混ぜてみたり、ときには熱してみたり冷やしてみたりして、様々な工夫を凝らして長生きするための煉丹術に励んだのです。煉丹術をさらに発展させていれば中国にも西洋に負けない科学の道が開けたのでありましょうが、残念ながらそこまで研究する知識人はいませんでした。

 

 どういうものか煉丹術で作った煉丹を、道教では根拠もなく不老不死の薬として飲んだのです。葛洪も最後は不老不死の薬を求めて煉丹に励んだのですが、この煉丹によって作られた辰砂、つまり水銀と硫黄の化合物を飲み過ぎて水銀中毒となって死んだ状態を尸解といったのかもしれませんね、アッハッハ!ちなみに水銀といえば、水銀中毒で有名になった水俣病があります。この水俣病は有機水銀であるメチル水銀による中毒でありますが、一方、葛洪が作って飲んだ煉丹は無機水銀であり、葛洪の最期は無機水銀中毒による死であったので、尋常な死に方ではなかったので、尸解という死に方をしたと語り継いだのでしょう。

 

 中国医学史で今なお名を残すことができたのは、彼らが生きている間に書いた優れた書物のおかげであり、その書物が現代まで知られているからです。葛洪の書いた最も有名な書物が『神仙伝(しんせんでん)』と『抱朴子(ほうぼくし)』と『肘後備急方(ちゅうごびきゅうほう)』(『肘後方』ともいいます)であります。この『肘後備急方』は救急に役立たせる書物であり、実用的で効き目のある簡単な漢方処方薬と、簡単にできるお灸や鍼のやり方が書かれているのです。ちなみに抱朴子というのは葛洪自身が自分につけた名前であります。この『肘後備急方』を増補訂正して発展させたのが、この南北朝時代に興った梁(りょう)の国の「陶 弘景(とう・こうけい)」であります。

○陶 弘景(とう・こうけい)別名:陶 宏景(456年〜536年)

 

 陶弘景は10歳のときに葛洪の『神仙伝』を知って昼夜勉強し、養生の志を持つようになりました。彼は万巻の書物を読み、20歳にもならないうちに、梁の前の斉の国の大臣に任じられた人でもありました。斉の国が梁の国に変わったときに、この梁という国名をつけたのが陶弘景でありました。彼も葛洪と同じく道教を信じ、道教の教団を作ったほどでありました。各地を遍歴して仙人になることができる「仙薬の薬」を探し求めました。例のごとく仙薬の薬とは、服用すれば不老不死が得られるという薬のことです。

   

 葛洪にしろ陶弘景にしろ、医者というよりも万能の学者と言った方がいいくらいです。ときには政治にもかかわり、ときには帝王のアドバイザーになったりしたのです。ちょうど西欧のルネッサンス期のレオナルド・ダヴィンチやミケランジェロのような時代の天才的な知性の代表者ともいえる人たちです。はじめに書いたように、梁の武帝が斉に代わって王朝を開いたときに、陶弘景は吉凶を占って、武帝の国を梁という国名を見いだして武帝に進言したりしました。討伐などのときにも武帝は陶 弘景に諮問したために、世間の人は陶弘景を“山の中の宰相”と称したぐらいです。

 

 陶弘景は中国の本草の中興の祖ともいわれる人でした。本草というのは、薬用になる植物のことをいいます。本草学は薬物の研究にとどまらず、現代の博物学ともいってよいほどです。漢の時代に作られた『神農本草経』が最初の本草の本でありますが、陶弘景はこの『神農本草経』を発展させて、『神農本草経集注』という薬物学の本を書きました。皆さん、中国の黒竜江周辺のアムール虎が激減したことはご存知でしょう。なぜ激減したのでしょうか?虎の骨は強壮のために酒の原料や薬として使われるので、密猟が行われ虎が激減してしまったからです。虎の皮はただ単にコートに使われたりするのみならず、いろいろ薬物として使われてきたのです。本草学の研究は単に植物だけではなく、玉、石、木、竹、禽獣、虫、魚、亀、貝など動物や鉱物も含まれています。もうひとつ陶弘景が書いた本に『肘後百一方』がありますが、これは葛洪が書いた『肘後備急方』を増補改訂したものであります。

 

 皆さん、なぜ中国人は古来から不老不死の研究に余念がなかったのでしょうか?かの有名な秦の始皇帝も不老不死の薬を求めさせるために、徐福に莫大なお金を渡して東海の三神山に不死の仙薬を探させたのですが、コロッと騙されてしまいました。この世に不老不死の薬などはないからです。どうして中国の皇帝をはじめとして、当代随一の優れた学者たちは不老不死の薬を作ったり探したり、できれば仙人になって永遠に生きたいと思ったのでしょうか?答えは簡単です。宗教がなかったからです。西洋においては永遠に生きることはハナから考えていません。西洋人にとって最も関心にあったことは、死ぬのは当たり前で死んだ後にどのような運命が待っているかということです。その答えを宗教、特にキリスト教は出してくれていました。死んでしまったら神の国に行けるか、地獄に行くかのどちらかでした。神の国に行きたい人は、生きている間に良いことをしなさいと説いたのです。つまり死んだ後は神様が面倒を見ましょうというわけです。中国人は死んでしまえば全てが終わりだと考えているので、できる限り長生きしようとして、長寿のために煉丹の術を磨いたり、仙人になる方法をいろいろと考えたのですが無駄でした。まさに仙人になる道が宗教であり、道教であったのです。

 

 中国人は世界三大発明である活版印刷術、羅針盤、火薬を発明しました。にもかかわらず、なぜ科学技術において西欧に遅れを取り、清の時代の19世紀の後半から20世紀にかけて西欧や日本に侵略されてしまったのでしょうか?さきほど述べたように、道教の不老長寿を作るための煉丹術は存在していたにもかかわらず、なぜそれが化学にも発展しなかったのでしょうか?一方西欧中世の錬金術であるアルケミーが化学の基礎といわれていますが、その差はどこにあったのでしょうか?練金術は古代エジプトに起こり、アラビアを経てヨーロッパに伝わって原始的な科学技術が西洋に伝わり、非金属を金銀などの貴金属に変化させたり、不老不死の万能薬を作り出すことをやったのです。このような錬金術は成功はしなかったのですが、様々な化学物質を見つけ出したり、取り扱う技術の発達が促進されたのです。このような試みが近代化学の基礎となったのです。ひいては近代科学の基礎を作ったのです。西洋も中国も似たようなことをしてきたにもかかわらず、歴史的には世界最高の文明を築いてきた中国が、なぜ科学技術を独自にあみだすことができなかったのでしょうか?この問いに対する正しい答えを出すことは極めて難しいので、いずれ答えを出しましょう。答えの一つは中国にはヨーロッパに見られるルネッサンスがなかったからです。ではなぜ中国にルネッサンスがなかったのでしょうか?この答えは後で書きましょう。乞うご期待!

 

 人間は今も昔も永遠の生命を求めるのが常であります。これほど医学が進んでいてもいつまでも生き続けたいという欲望は今も昔も同じです。私は年老いて死ぬことは老化の最終的なゴールだと考えているので、自分が生を与えた子供たちに対して親としての責任を果たせば、最後の仕事は子供に迷惑をかけずに死ぬことだと思っていますが、思いと実際とは超えられない深淵があるようです。

 

 2500年前に仏教を作ったお釈迦様も生老病死をどう克服するかに悩まれたようですが、生と死というのはまさに一体のものであり、あえて言えば、生命は死ぬために生きているようなものです。しかしながら植物のように5000年も生きることができることを考えると、人間もできる限り寿命を延ばしたいと考えるのは今も昔も変わりません。しかしながら遺伝子や生殖の意味を考えれば、元々生命は遺伝子を永遠に引き継ぐために企てた遺伝子に描かれた設計図の命令でありますから、命令のままに生き、死んでいく事実は受け入れざるをえないのです。もし一個の人間が永遠に生きるように遺伝子に設計されていれば、生殖による受精というものも元々ありえないものですから、それこそ死というのは生まれたときに定められた運命ですから、年老いて死ぬことに悲しみを感じる必要はないのです。恨むべきは遺伝子を運んでいるDNAに向けられるべきものです。DNAに文句を言ったところで仕方のないことでしょう。一言で言えば、永遠は生殖によって保証されるとも言えますが、結婚しない人が増えてきている現在では、個々の遺伝子の永遠性は途絶してしまうので、永遠性を保証されたいと思う人は絶対に結婚すべきでしょう!アッハッハ!

 

 ここで人はなぜ死ぬことを恐れるのかを考えてみましょう。と同時に、なぜ人は自殺をするのでしょうか?実はこの2つの現象は、見かけはまるで相反することでありますが、共通項があります。その答えは何でしょうか?死ぬことによって快楽を失う人は死ぬことを避けようとしますが、死ぬことによって生きるよりもより多くの快楽を得られる人は死を選ぶのです。いつまでも生きたいと思う人は、今現在享受している多くの快楽を失うことが苦痛であり怖いので、いつまでも死にたいとは思いませんが、自殺したいと思う人は今生きているときに味わっている苦痛が死ぬことによってなくなり、死ぬ方がまだ快楽があると考えるからです。結局人間は自分だけに与えられている遺伝子によって生かされているエゴの欲望を最大限に増やそうとするのが生きることです。従って死ぬということはエゴの欲望を充足できないという感覚から逃れられないために、いつまでも生きたいと思うのでしょう。

 

 皆さんご存知かもしれませんが、日経新聞は毎月、1ヶ月にわたって名を上げ功を成した人物ご自身が書かれる「私の履歴書」というコラムを何年も前から掲載しております。10月は日本で初めてノーベル医学賞を受賞された利根川進先生自らがお書きになられた履歴書が掲載されていました。履歴書というよりも、実はささやかなる自伝と言った方が相応しいコラムであります。10月30日に驚くような事実を私は目にしました。私は以前から利根川先生の姿を写真やマスコミで見たときに、何かいつも悲哀の雰囲気があったことを見て取っていました。日本で数少ないノーベル賞受賞者でいらっしゃるのに、なぜ華やかさがないのかという気がいつもしていました。その答えが分かりました。彼には2男1女の子供さんがおられます。次男に知(さと)というずば抜けた才能に恵まれたミステリアスな子供さんがおられたのです。その知さんが悲劇の死を遂げられたと知って、全ての謎が解けました。彼の書かれた文章を書かせてもらいます。

 

 『知は何をやっても見事にすんなり素晴らしく良くできてしまう。物理・数学・歴史をはじめとする学業はもちろん、チェロとピアノを演奏しましたが、ピアノのコンペティションで勝ってカーネギーホールで演奏するほど、音楽の才能にも恵まれていました。いつ見てもクールで余裕がある。これほどすごい才能を持った子供は将来どうなるのだろうと、本当に楽しみにしていました。知は小さい頃からサイエンティストになると決めていて、3人の子供の中で唯一、私の知っている世界を目指していました。夏休みにMITの生物物理研究室で働いてみたいというので、彼が教授との面接に行ったのです。後で何を質問されたのかを尋ねてみると「何を目的にこの研究室で働きたいのかと聞かれた」と。それに対して「エデュケーション、インスピレーション&ファン」と答えたというのです。まったく17歳とは思えないような答えです。もちろん研究室に受け入れてもらい、かなり真剣に研究したようで、後に「セル」という有名な科学誌の論文に共著者として名前が載ることになっているそうです。「一高校生がここまでできるとは信じ難い」と教授から言われました。科学を志していた知は、残念ながらMIT一年生のとき、誰にも何も告げずに、18歳で夭逝してしまいました。親にとって、これ以上の残酷はありません。私も残りの人世はそれほど長くはありませんが、最後まで十字架を背負って生きて行かなくてはなりません。実は、私はあまりにも次から次へと幸運にめぐまれてきましたので、以前から時々「大丈夫かな」という気がしていました。私は宗教を持たない人間ですが、やはり天は禍福を調整したのではないかと。もしそうなら、ノーベル賞その他の幸運は要らないから、知を返してほしいと心から思います。深い悲しみにくれる日々ですが、本当に短い間ではありましたが、あれほど魅力的な若者と過ごせたことを、感謝しなくてはならないのかとおもうこともあります。』

 

 天才の一人でおられる利根川進先生さえもが驚愕された才能を持って生まれた知さんが、なぜ誰もがうらやむ世界一の大学のひとつであるMITの学業中の18歳で自らの命を絶ったのでしょうか?私が上に書いた生死の理屈からいくと、これほどの才能に恵まれ、最高の家庭にも生まれ育ち、日本人の子供としてナンバーワンといってもいい人物である知さんは何に悩んだのでしょうか? 確かに永遠の謎です。

   

 ギリシャ時代にもギリシャ神話にナルキッソス(ナルシス)という美青年がいました。ナルキッソスは妖精のニンフであるエコーをも失恋させたことはご存知でしょう。このエコーの意味は、こだまという意味です。ナルキッソスは水に映ったあまりにも美しすぎる自分の姿に恋をして、会いに行くために水に飛び込んで水仙の花になったという伝説をご存知でしょう。このナルキッソスからナルシストやナルシシズムという言葉が生まれたのです。自分自身に恋をした運命を示唆する悲しい話ですが、日本語では“自己陶酔する人”であり“自分以上に優れたものを許すことができない考え方”であります。まさか知さんは現代神話におけるナルシスだったのでしょうか?いや、そんなことは絶対にありません。ナルシスは池の水面に映った顔を持った人が自分であることを知らずしてその人を求めて水に溺れて死んだのです。何もナルシスは自ら命を断とうとした訳ではないのです。ニンフであるエコーよりもはるかに美しい人、自分自身に恋をしただけの話なのです。ナルシスのように、この世に自分よりも優れた美しき人がいないので、他に探し求めることができなくてこの世をはかなみ、絶望して死ぬなどということは絶対にありえないことなのです。まさに人間のエゴは自分が誰よりも優れているということを知っているが故に、人はますます生きたくなり、エゴの実現のために寿命のある限り生き続けるのです。

 

 利根川先生は知さんのことを、ミステリアスな子供だと書いていました。利根川先生自身がご理解できないようなミステリーの本体は何だったのでしょうか?

 

 ひるがえって、できの悪い自分の過去を見てみますと、物心ついてから中学までは勉強しなくても周囲が「何でも良くできる」と言ってくれるものですから、有頂天で幸せがいっぱいでした。こんな幸せが許されてもいいのかと思ったときもありました。ところが右目にボールが当たった後遺症のためにひどい偏頭痛に悩まされ、右目が極度に見えにくくなり、勉強したくてもできなくなり、私の不幸が始まりました。高校1年生のときに、既にその不幸さ故に自殺をしようと考えたほどでした。あのボールさえなければ自分の才能を思う存分伸ばせたのに…と思ったところでどうにもなりませんでした。20年間死ぬことばかりを考えていました。最後は自分の病気の原因を知るために3つめの大学である京都府立医大に入り直したのです。医者になったら死んでやろうと決意していたのです。今では子供にも恵まれ、周りの人たちは私の人生を幸福な人生だと言ってくれますが、私は全くそんな思いはありません。

 

 利根川先生もお書きになっておられます。『私はあまりにも次から次へと幸運にめぐまれてきましたので、以前から時々「大丈夫かな」という気がしていました。私は宗教を持たない人間ですが、やはり天は禍福を調整したのではないか』と。この言葉は利根川先生の心を語られているだけであり、知さんの心については何一つふれてはおられません。利根川先生以上に優れた遺伝子を持っておられた知さんは、ナルシスの心境だったのでしょうか?才能のある若い人たちは気づかないうちにナルシストになってしまうのは必然の理であります。自分自身がナルシストになりたくてなるのではないのです。周りの人たちが才能のある子供たちをナルシストに仕立て上げてしまうのです。

 

 ところが日本一の優れた遺伝子を持って生まれた才能あるナルシストの最も大きな弱点が2つあります。ナルシストは全てに心が満たされている状態です。ナルシストは、自分が作り上げた世界ではなく、他人が押し着せをした心のあり方であります。いわば、自分自身の意思が全くなく、自分の遺伝子の素晴らしさを努力なしで発現できる完璧なナルシストが、自分に欠けているものを初めて知ったときに、その不完全さの耐え方を全く身につけていないということです。言い換えると、自分よりも優れた他人がいくらでも存在し、自分よりも勝っているということを知ったときに、初めて自分の不完全さを知り生まれて初めて嫉妬という感情を抱いてしまうことです。この嫉妬という自分の心のおぞましさに耐えることができないことがあるのです。自己の汚らしさを知ってしまい、それから逃れられないことがあるのです。

 

 2つめは、自分が完全であるために、他人に嫉妬されているということに気づくときがあります。この世に生きている限り、人はどんな優れた人でも必ず遅かれ早かれ完全であればあるほど、人は他人の醜い嫉妬の目にさらされ、その邪悪な感情のエネルギーから逃れることができないのです。とりわけ優れた知性と高貴なる感性において最高級の人間は、劣った他人のおぞましい嫉妬の感情から逃れることができないのです。ナルシシズムを死ぬまで貫徹することはできないのです。つまり自己中心的な世界をいつまでも持ち続けることが不可能となるのです。

 

 あらゆる才能に恵まれた優れた人間が成長するということはどういう意味を持つのでしょうか?ナルシシズムを捨て去ることです。ナルシシズムを捨て去った後の心の空虚さを埋めるのは何でしょうか?私にとっては真実です。真実以外にナルシシズムを乗り越える正しい道はないのです。つまり相対的な損得や他人の評価の世界ではなくて、絶対不滅の永遠なる世界がナルシシズムにとって代わることができるだけなのです。

 

 普通の人にとっては、もとよりナルシシズムに関わりがないかもしれません。はじめから汚れた損得のエゴを拡張するだけです。誰よりも多くの快楽を増やし、権力を増やし、名誉を増やし、富を増やすことだけです。知さんはこのような人とは全く別世界の人だったのです。

 

 道教を遵法していた人たちは肉体の不滅を求めたのです。現代の人たちも肉体の不滅を求めようとあがいています。つまり肉体の快楽を最大限に増やそうとあがいているだけです。知さんは有限の時間の中でいずれ消え去る肉体よりも、無限の時間の中で永遠に続く何かを求めていたのでしょう。その何かは私には分かりません。

 今日はここまでです。2013/10/31

 

隋(581年〜618年)と唐(618年〜907年)の時代に移りましょう。

○孫 思邈(そん・しばく)別名:孫 真人(そん・しんじん)(581年〜682年)

 

 100歳以上も生きた長命の人だといわれています。彼もやはり医者というよりも神仙家で、羽化登仙(うかとうせん)して死んだ後も仙人として尊敬され、その百歳以上も生きたという伝記にも、神秘めいた脚色があります。羽化登仙とは、人間に羽が生えて仙人となって天に昇ることです。7歳にして書を読み、1日に1000字の文字を暗唱したといわれています。20歳を過ぎるときには、荘子や老子をはじめとする諸子百家の学問にも精通し、隋を立てた文帝から是非召し抱えたいと請われたのでありますが、他の神仙家と同じく病気だと言って行かなかったのです。さらに隋が滅びて唐の3代目の高宗にも招かれたのでありますが断り、神仙の術の修行を続けたといわれています。孫思邈はその当時の学問の全てに通じたのですが、とりわけ医学にも精通していました。『備急千金要方(びきゅうせんきんようほう)』という医学全書を書きました。この書名の由来は、人の命は千両の黄金にも代え難いという意味であり、孫思邈自身が子供のときに苦しんだ病気をできるだけ治してあげたいという思いで名付けたのです。彼も隋唐時代の天才的学者であったのです。

   

 『備急千金要方』には病理、薬の処方、鍼灸の治療法だけではなくて、医師の修学法や、倫理についても述べているほか、一部は自分自身の医者としての経験も記され、医療の全てが網羅されており、まさに『備急千金要方』は医学全書といってもよいぐらいでした。この『備急千金要方』には7世紀の中国医学について知りえる全てが書かれていました。いわばこの7世紀の医学百科事典ともいえるものです。

 

 彼が医術に志したのも、幼い頃にたびたび病気にかかり、この子供のときにかかった病気もいわゆる死なない程度のウイルス感染症や細菌感染症であったのですが、よく医者にかかったために薬代、つまり漢方煎剤の費用で財産を使い果たしてしまったので、若い頃から医学書から学び、身近な人の疾病も治すことができるようになったのです。このような病気は傷寒ではなくて、風冷(ふうれい)と呼んでいました。実は孫思邈は、この千金翼方を表すときに、非常に苦労して江南、つまり揚子江の南の地に伝わる傷寒い論のテキストを探したのでありますが、この張仲景が作った傷寒論には随証治療に従って臨機応変に治療できる処方が書かれていたのですが、江南の医者がこの素晴らしい傷寒論に基づく治療法を極秘にしてなかなか手に入れることができなかったので、『備急千金要方』には傷寒を論じた部分はかなり少なかったのです。既にご存知のように、傷寒というのは急性伝染性感染症であります。その後数十年経って初めて傷寒論の本を手に入れて、『備急千金要方』を補うものとして『千金翼方』を30巻書き表したのです。「翼方」の意味は、まず翼は鳥の翼であり、方は処方の方であります。鳥の翼に処方を運んでもらって、国中の全ての病気を治してあげたいという思いがあったのでしょう。まるで私がこのホームページを書いている気持ちと同じだったかもしれません。アッハッハ!天才、孫思邈といえども、最後は張仲景の『傷寒論』に戻ったのです。だからこそ、中国医学は「傷寒論に始まり、傷寒論」に終わるといわれるのです。

 

 私のホームページを読んで、私以外の医者が治せない病気を治してもらうために全国から当院に患者さんが来られます。その患者さんの中に抜群の頭脳を持った人もおられます。彼らは冗談で言います。「ホームページに私の治し方の全てが無料で公開されているので、治療法や処方が盗まれたらどうしますか?」と。私は答えます。「良いことは真似をすればいいのではないでしょうか?」と。すると、「著作権や知財法の問題はどうなるのですか?盗まれるのは嫌でしょう」と聞き返す患者がいます。それに対して私はまた答えます。「私の医学をそっくり真似することができる人は、おそらく誰もいないでしょう」と。「だって私の患者で医者もたくさんいますからね、ましてや家族が医者の患者さんなんかは何十人もいますよ」と。「なぜ自分の病気や家族の病気を他の医者が治せないのですか」と。どうぞ、全国のお医者さん、私と同じぐらいに勉強して、全ての病気を一緒に治しましょうよ!いや、実を言えば病気を治すのは私でも薬でも他の医者ではなく、患者さん自身の免疫なんです。全国の35万人のお医者さん、私と同じぐらいにこのホームページを通じて、患者さんの免疫の遺伝子自身が病気を治すことができることを理解され、免疫を抑えない正しい医療を全国でやりましょうよ!そうすれば医者も病院も薬も要らなくなり、もちろん病気もなくなりますから、万々歳でしょう。私は金儲けで医療をやっているのではありません。病気を治すからこそお金をいただいているのです。治して初めてお金をもらう医療をやりましょうよ!私は孫思邈が生きていた江南の医者にはなりたくないのです。言うまでもなく、今も昔も、これから先も『傷寒論』は、あくまでも免疫を上げる薬草を用いて初めて、患者さん自身に病気を治させているだけなのです。私も今『傷寒論』に書かれた処方を始め、その後の中国医学の天才たちが作り上げた処方を学びとって、患者さん自身の免疫を手助けして、あらゆる病気を患者さんに治させているだけなのです。その意味では張仲景の立場と孫思邈の立場と私の立場は同じなのです。

 

 孫思邈の時代はもちろん社会保険医療などというものはあるはずもないので、やはり病気を重ねると漢方煎剤が高くて家が破産することもあったようです。いわば医療費は資格がない医者の言い値で決まるものですから、貧乏な一般大衆は昔の中国の医者にかかるのも大変だったようです。

 

 それでは現代の中国の医療はどうなっているのでしょうか?医療保険に入ることができる人は人口のたった3%であり、残りの97%の人は自費で受けざるをえません。社会主義であった時代はタダであったのですが、医者は社会主義医療では金が儲からないので非常に患者に不親切であったようです。やはり儲からなければ誰も真剣に医療を施す医者はいなかったのでしょう。中国が社会主義を国家資本主義に変えてからでも、お金のない人は医療にかかれないようです。国民皆保険が貫徹されている日本においては医療費の7割は絶対に確保できるので、しかも競争ですから患者には親切でありますが、今もなお中国では医者はあまり儲からないので患者に対しては非常に不親切であるようです。中国も病気を作って医者がお金を儲かる国民皆保険を確立すれば、中国の医者も真剣に患者に親切になるでしょう。

 

 皮肉を言わせてもらえば日本の医療は出来高払い制ですから、余計な検査をしたり余計な薬を出して、逆に病気を作り続けるというスペシャルサービスの弊害が問題になっています。治していくらというシステムに戻さない限り無限に病気は増えて行くでしょう。国家財政が破綻するまでは…アッハッハ!国民皆保険を作り上げようとしているオバマケアも、結局はアメリカの赤字の国家財政をさらに破綻に追い込むだけであることを、残念ながらオバマ大統領は知らないようです。治さなければお金を医者に払わなくてもよいという前提条件がなければ、あらゆる国家の国民皆保険は最後は破綻してしまいます。

 

 さて本論に戻りましょう。私も実は孫思邈の作った「千金内托散(せんきんないたくさん)」という漢方処方をよく使います。「千金」がついているのは、彼の『千金方』に載せられている処方の一つだからであり、感染症である「癰(よう)」や「せつ」やニキビ、クローン病や潰瘍性大腸炎のときに、排膿のためによく用います。

 

 今書いているホームページのテーマは「植物はどうして免疫を上げるのか」ということでした。このテーマの結論は最後に書くつもりですが、なぜ千金内托散が感染症である「癰(よう)」や「せつ」やニキビ(痤瘡)の膿を簡単に吐き出させることができるのでしょうか?まず千金内托散の「内托」というのはどういう意味を持つのでしょうか?化膿性疾患、特にレンサ球菌や黄色ブドウ球菌や肺炎球菌による化膿性疾患などの場合にこれらの細菌と免疫が戦うときに生じる炎症を広がらないようにさせ限局させて、はやく好中球がこれらの細菌を殺して自分も死んでしまい、その死骸が膿となってしまうのです。

 

 どうしてこのようなレンサ球菌や黄色ブドウ球菌は簡単に殺せないのでしょうか?これらの細菌は菌体の表層に“Capsule(カプセル)”と呼ばれる莢膜(きょうまく)を有しています。この莢膜の構成成分である莢膜多糖抗原を持っています。この抗原を好中球が殺して処理するのが極めて難しいのです。殺しにくい一番大きな要素は莢膜が堅すぎるということです。堅すぎるので莢膜に穴をあけることが極めて難しいからです。元来莢膜は細菌にとって自分自身の発育や増殖には何も意味を持っていないのです。ただただ感染したときに好中球や大食細胞から逃れることができる、いわば一種の兜のような役割をしているだけなのです。好中球の寿命は4日といわれます。おびただしい数のレンサ球菌や黄色ブドウ球菌や肺炎球菌を敵にした好中球は、敵を殺すと同時に相手が強すぎるので自分も討ち死にしてしまうのです。この好中球の死骸と細菌の死骸に加えて、戦場となった組織が壊死融解した遺残物が膿(Pus)であり、黄白色から黄緑色の不透明な粘稠な液体の塊となっているのです。

   

 さらになぜレンサ球菌や黄色ブドウ球菌や肺炎球菌に体するワクチンが作りにくいのでしょうか?この問題は、アトピーの治療においても大きな障害となるので、少し詳しく説明しましょう。

 

 ご存知のように、現代の病気の原因の全ては化学物質とヘルペスウイルスであります。しかしながら、残念なことに医原病という新しい病気が加わります。それが免疫を抑えたために生じるリバウンドであります。免疫を抑えるという意味は何でしょうか?リバウンドとは一体何でしょうか?免疫を抑えるというのは、敵が人体に入ってきたときに、その敵と戦うために免疫の遺伝子がONになり、症状が出ます。このときにステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使うと、戦いの免疫の遺伝子が一時的にOFFになってしまいます。ところが遺伝子は記憶のシステムでありますから、ステロイドの効果が切れると免疫の遺伝子の修復が行われ、必ず再びONに戻そうとします。ONに戻ったときに戦いが一挙に何倍も再開されます。これがリバウンドです。本来医者がステロイドを使わなければこのようなリバウンドは起こらないわけですから、これを医原病というのです。

 

 膠原病もアレルギーも同じ化学物質を相手に戦っているのはご存知でしょう。膠原病もアレルギー(アトピー)に変えて、最後は免疫寛容を起こして化学物質と共存することができることもご存知でしょう。いずれにしろ、アトピーに変えてしまうと、免疫は皮膚から化学物質を出そうとします。このときに痒みを引っ掻いたりすると、内側から皮膚に穴が開き傷ができてしまいます。この傷に頑丈な莢膜を持った黄色ブドウ球菌が大量に付着し増殖しようとします。つまりブドウ球菌性伝染性膿痂疹を起こしてしまうのです。増殖したブドウ球菌が体内に入り込むと、まさに化膿性皮膚疾患となってしまうのです。そのために常に皮膚を消毒し、ひどいところは抗生物質を塗り付け、熱が出ると抗生物質を飲まざるをえなくなるのです。

 

 さらにブドウ球菌に仲間には様々なタイプがあるのです。この黄色ブドウ球菌のタイプのひとつは、菌体外毒素といわれるトキシンを作り出すのです。このトキシンを表皮剥奪素ともいいます。この表皮剥奪素は表皮や粘膜に水泡を形成したり、表皮を剥離したり、粘膜を剥離させたり、さらに広く紅斑などの変化を生じさせるのです。このような症状が見られるブドウ球菌感染症をブドウ球菌性熱傷性皮膚症候群(SSSS)といいます。極めて重症な病気ですから、治療しなければ死ぬことがあります。

 

 ついでにブドウ球菌による食中毒についてお話ししておきましょう。ブドウ球菌が毒素を出すのは、表皮剥奪素だけではありません。食中毒の原因のひとつが、黄色ブドウ球菌が産生する耐熱性のエンテロトキシンであるのはご存知でしょう。吐き気、嘔吐、腹痛、下痢を起こすブドウ球菌性食中毒はこのエンテロトキシンによるものなのです。もちろん抗生物質でブドウ球菌を殺してしまえば簡単に治る病気です。

 

 ところが残念なことに、黄色ブドウ球菌やレンサ球菌や肺炎球菌に対しては、いまだワクチンができていないのです。製薬メーカーに「非常に医学が進んでいるのに、どうしてこれらの細菌に対してワクチンが作れないのか」と尋ねたのですが、明確な答えはありませんでした。私が答えを出しましょう。これらの細菌が持っている莢膜に対するワクチンが作れないからなのです。言い換えると、莢膜が持っている多糖類(ポリサッカライド)に対するワクチンが作りにくいからです。さらにブドウ球菌に対するワクチンが作れないもっと大きな理由があります。ブドウ球菌の仲間は数十種類あるのです。たとえひとつの一種のブドウ球菌に対するワクチンができても、他の種類のブドウ球菌には効かないのです。ちょうど多すぎる風邪のウイルスに対するワクチンができないのと同じ理由ですね。風邪の原因となるウイルスの一種に対してワクチンを作っても、他の種類の風邪のウイルスには全く効かないので意味がないのです。かといって、全ての風邪のウイルスのワクチンを射つことは現実的ではありませんし無理なことなのです。

 

 ついでにブドウ球菌性肺炎についてもお話ししておきましょう。先程述べたようにブドウ球菌が様々な菌体外毒素を産生しています。成人の15%が実は鼻腔の常在菌として保有しているのです。インフルエンザにかかった後に、同時に起こる病気としてブドウ球菌性肺炎が見られます。このブドウ球菌性肺炎の原因は鼻腔の常在菌であるブドウ球菌が鼻から喉、さらに気管支に広がってインフルエンザの後にブドウ球菌性肺炎になるのです。私が風邪のときに熱が出たり喉が痛いときに抗生物質を出したりするのは、この鼻腔にいる常在菌のブドウ球菌に悪さをさせないためです。

 

 ついでにブドウ球菌が作るコアグラーゼという酵素について話をしておきましょう。コアグラーゼは血漿(血液)を凝固させる酵素であります。黄色ブドウ球菌が体内に入ると、黄色ブドウ球菌が作ったコアグラーゼが周辺の血管に入り、このコアグラーゼが働くと、血管の中にある血を固まらせる元であるフィブリノーゲン(線維素原)を網の目を作るフィブリン(線維素)に変え、血球を捕まえて血を固まらせてしまうのです。その目的は何でしょうか?ブドウ球菌はフィブリンの網を形成して食細胞である好中球や大食細胞に捕まえられて貪食されないように、自分の周りに網を張っているのです。さらに血が固まると、その周辺の小さい血管の血流を停止させ、免疫の軍隊を集まらなくさせてしまうのです。このために「癰(よう)」や「せつ」ができやすくなるのです。

 

 「癰(よう)」や「せつ」の違いについても述べておきましょう。「せつ」は毛の穴である毛孔からブドウ球菌が侵入し、そこで上に述べたようなコアグラーゼを出して、好中球に食べられないようにしながら周りをフィブリンで取り囲んでブドウ球菌が炎症を起こしながらも生き続けている状態といえます。「癰(よう)」は英語では“カルブンケル”といいます。「せつ」を英語では“フルンクル”といいます。「癰(よう)」は隣接している「せつ」が集まってできたものであります。従って「癰(よう)」の方が、病変が「せつ」よりも深く広くおよび、炎症の4つの特徴である発赤、腫脹、疼痛、発熱、さらに硬結などの症状が激しくなります。いずれも抗生物質で治療が可能です。

 今日はここまで 2013/11/07

 

このホームページで書いたことがあるのですが、ユダヤ人がなぜ民族として頭脳が最も優れている根拠を遺伝学的に説明しました。ここでさらに中国人が世界で一番頭の良い人の集まりであることを証明したいと思います。ひいては彼らが7500年以上かけて作った中国医学が最高である証を示したいと思います。結論から言うと、ユダヤ人は神経伝達を最高に効率よく伝え、かつ神経細胞のシナプスを最大に増やすことができる優れたスフィンゴミエリン鞘を古来から持ち合わせていたことは既に私のホームページで証明しました。知りたい人は「なぜユダヤ人は頭が良いのか」を読んでください。今回は中国人が優れた遺伝子の多様性が世界一多いということと、その多様性をエピジェネティックに7500年間磨いてきたので、中国人はユダヤ人よりもはるかに優れている可能性があることを伝えたいのです。エピジェネティックという言葉やエピジェネティクスという学問については後で詳しく説明します。このエピジェネティクスという学問はジェネティクスという遺伝学と匹敵する学問に成長しつつあります。

 

 現代人の祖先であるホモサピエンスの遺伝子を最初に広めたのは、アフリカのイブという女性であります。この事実は遺伝学的に100%正しいことが証明されています。この女性はミトコンドリア・イブと呼ばれます。あなたも私もその最初の始祖はミトコンドリア・イブなのです。なぜミトコンドリア・イブといわれるのでしょうか?まずイブの説明をしましょう。イブというのはヘブライ語で「命」という意味があります。ユダヤ人が作った旧約聖書ではイブはアダムの妻であり、人類最初の女性であり母であります。イブはときにはエバと呼ばれることも知っておいてください。いずれにしろイブは母なのです。

   

 次にミトコンドリアの意味を説明しましょう。皆さんご存知のように、哺乳動物は全て細胞の中に遺伝子を運んでいるDNAを入れている核があります。ところが細胞の核以外にもDNAがあるのです。DNAが核以外の細胞質にあるのを知って驚かれる人がいるでしょう。このDNAは実はこれはエネルギーを生み出すミトコンドリアという細胞の小器官の中にも含まれているのです。このミトコンドリアにあるDNAは、全ての母親からのみ子孫に伝えられるのです。男性のミトコンドリアのDNAは子供には伝わらないのです。このミトコンドリアのDNAの元を辿って行くと、20万年前にアフリカに住んでいた共通の祖先であるイブと同じDNAを全ての人類が持っていることが分かり、私たち人類の祖先がこのミトコンドリア・イブという女性であることが判明したのです。この人こそ私たちの母であるのです。

 

 このミトコンドリア・イブという女性はエチオピアあたりで1万人〜5万人ほどの集団を作って暮らしていたということも分かっています。我々は全てこのミトコンドリア・イブと少なくともいくつかの遺伝情報を共有しているのです。このミトコンドリアにあるDNAを研究することで、その子孫であるホモサピエンスの地球上の移動を追跡することもできるのです。世界中を移動していく私たちの直接の祖先であるホモサピエンスのDNAの解析をすれば、おのずからいつ頃どの場所に定住したのかが正確に計算できるのです。皆さん、遺伝子ってすごいと思いませんか?このように遺伝子を追跡できるのも、遺伝子を人工的に変えたりいじったりしなかったからです。自然の生命の営みの中で環境に適応するために自然に変異していくDNAの姿を研究することによって、人類の進化のプロセスも手に取るように分かるのです。その遺伝子を無理やりに人工的に変えて再生医療とか訳の分からない医療をしようとしている研究者たちがいるのは神なる遺伝子に対するとんでもない挑戦だと思いませんか?iPSはステロイドと同じく一時的にめったやたらに訳も分からなく変えることができるのですが、早かれ遅かれいずれ必ず元の細胞である皮膚の線維芽細胞に戻るか、奇形種という癌細胞になるか、アポトーシスという細胞自殺が生ずるしかないのです。残念です。

 

 現代の人間の子孫であるホモサピエンスは20万年前に東アフリカのエチオピアあたりで出現しました。この事実も遺伝子の研究によって確立され、どんな学者も異論ができない人類の歴史の真実です。20万年前から私たち人類の進化が始まったと確言できます。この20万年の間にホモサピエンスは徐々に徐々に脳を発達させました。脳の細胞に刻まれている遺伝子の設計図は今も昔も同じであるのですが、どのようにして脳を発達させていったと思いますか?エピジェネティックによってであります。つまり20万年前に生まれたミトコンドリア・イブから現代にいたるまで何世代続いたかはすぐに分かります。1世代は30年と計算すれば20万÷30=約7000世代です。この7000世代を通じて、まずそれぞれの一世代のホモサピエンスが得た知恵を順繰りに子孫に伝えて、エピジェネティックに脳を進化させていったのです。脳を発達させるということは、神経細胞どうしのやりとりを高めるということです。神経細胞のやりとりは、神経と神経を結びつけているシナプスの連結をいかに数多く増やすかということであります。

   

 赤ちゃんは生まれたときには脳の神経細胞の遺伝子の設計図は私たち大人と全く同じものです。にもかかわらず能力の差は天と地の差があります。なぜでしょうか?それはエピジェネティックな遺伝子の働きによるものです。さらに仮に20万年前のミトコンドリア・イブの脳の働きと私の脳の働きとではおそらく天と地の違いがあるでしょう。この違いはどこから生まれたと思いますか?ミトコンドリア・イブが生まれつきバカで、私が生まれつき賢いから差が生まれたのでしょうか?いいえ、違います。その違いは2万年の脳に対するエピジェネティックな違いと同時に、彼女個人が生きている間に受けたエピジェネティックな違いと、私が生まれて今まで生きてきた間に受けたエピジェネティックな違いの差だけなのです。私は今このホームページをを作っている間にも脳のシナプスの連結をどんどん増やし、ミトコンドリア・イブとの差をつけているのです。もちろんこの瞬間遊んでいる人との差もつけているのですがね、アッハッハ!

 

 ホモサピエンスの遺伝子が乗っているDNAの塩基は30億対であるということが2003年にわかりました。この30億対の塩基は20万年前に生まれたミトコンドリア・イブも持ち合わせていたのです。現代の脳科学で分かったことは、人間の脳には1000億個の神経細胞(ニューロン)があり、1個のニューロンに対して平均1万個のシナプスがあると分かっています。シナプスとはニューロンとニューロンをつなげるスイッチであります。従って人間の脳には1000億×1万個=1000兆個のシナプスがあります。想像するのも不可能なほどの数字であります。この膨大なシナプスを20万年の間にエピジェネティックに上手に使ってきた文明がホモサピエンスの歴史であったといえます。

 

 人間の遺伝子は常に自分だけが偉いと考えるようにさせます。自分の民族だけが偉く、自分の属する国家が一番偉いと考えたくさせます。しかし実は人間が生まれ持った遺伝子の設計図は基本的には全て同じなのです。20万年前のミトコンドリア・イブとも同じなのです。もちろん多かれ少なかれ、遺伝子に決められた能力の差は当然あります。資本主義現代文明においては、全ての能力は金を儲ける能力によって判断されます。金は確かに全ての欲望を満たすことができます。今も昔も金と権力が世界を動かしていることはまぎれもない事実です。正義や真実が世界を支配したことはいまだかつて一度もないことも確かです。しかしながら果たして金をたくさん儲けた人だけが優れた才能を持った人といえるでしょうか?もちろんそんなことはありません。

   

 個人個人の資質の比較ではなくて、集団の能力や資質を比較して考えるときには、その能力や資質の違いは全て正規分布します。なぜかというと、精子と卵子が受精するときに、その染色体の組み合わせはいくらあるかご存知ですか?人間の染色体の上に遺伝子が乗っています。この染色体を23対、計46本の染色体を人間は持っていることはご存知ですね。受精に際して父親から23種類の染色体から1本ずつと、母親からも23種類の染色体から1本ずつをもらって計46本にしますから、「2の23乗」種類の組み合わせから23対1組だけの受精卵を作り、その世界で唯一の自分だけの遺伝子を持って生まれてくるのです。2の23乗は約840万になります!しかも、全てを説明できませんが、受精する前に精子も卵子も同じ種類の2本の染色体どうしで組み替えをするので、無限という多様性の染色体の組み合わせを受精卵に与えることになるのです。このような無限の組み合わせから生まれた遺伝子によって決められる特性を比べるときに、その特性、例えば背の高さについて比べると、一番背の低い人の集団と一番背の高い人の集団が一番少なく、中ほどの背の高さの人が一番多くなるという分布が見られます。これを正規分布といいます。つまり人間が持っている様々な形質は多数の要因が互いに独立に作用して決められると考えられ、この意味で自然現象の多くは正規分布になるのは当然といえるのです。この正規分布の理論は数学の確率を用いて証明できます。

 

 人間の遺伝子の設計図はほとんど同じなのにもかかわらず、どうして現代の文明における民族や国家のあらゆる側面において大いなる違いが生じたのでしょうか?それを遺伝子的に説明するときに絶対に必要なのがエピジェネティクスといわれる学問なのであります。一言でエピジェネティクスを定義すれば、「持って生まれた遺伝子を使うか使わないか、ONにするかOFFにするか、あるいは遺伝子の使い方を記憶する機構についての学問」といえます。皆さん、この遺伝子を使うか使わないかのON/OFFのスイッチが人間の1個の細胞にいくつあるかご存知ですか?400万個あるのです!人間の細胞は全てで60兆個ありますから、400万個×60兆個=???暇がある人は計算してください!ここで面白い話をしておきましょう。数の呼び方の最大は10の68乗、これを無量大数といいますが、この無量大数よりも一人の人間が持っている遺伝子のスイッチの数が大きいかどうかを知りたいのですが、計算された方はお知らせくださいませんか?ワッハッハ!

 

 今をときめくiPS細胞はまさに無理矢理に遺伝子の使い方の記憶、つまり遺伝子発現のON/OFFをランダムに切って生まれた細胞ですから、訳の分からない細胞であり、遺伝子を持っていても使い方の記憶をなくしてしまった世界一かわいそうな細胞といえます。アッハッハ!だって60兆×400万のスイッチのON/OFFをどうして点検できるでしょうか?

   

 ここでさらに文明とエピジェネティクスとの関係について説明しましょう。ホモサピエンスの始祖であるミトコンドリア・イブという女性が持っていた30億対の塩基の並びは全く同じでありますが、ときにはホモエレクトスをホモサピエンスという別の人間の種に変えるほどではなかったのですが、それでもわずかな突然変異は蓄積していったのです。にもかかわらず基本的には私たち現代人と違わない塩基配列を変えない遺伝子を持ちながら、20万年の間にその遺伝子を発現させるためのスイッチをどんどんONにして、大量の知恵と知識を脳に素早く蓄積し、これを繰り返して現代という文明を作ったのです。このようなエピジェネティックな働きが現代の人類が持っている認識能力をはじめ、感情の表現を発達させ、4万年前に旧石器時代を作ったのです。

 

 20万年前に東アフリカのエチオピアに生まれたホモサピエンスの人口は100万人ばかりでありました。そのアフリカからあちこちに徐々に徐々にホモサピエンスは移動を始めたのです。最も人類の重要な意義あるアフリカからの移住は、最後の氷河期である5万年前に本格的に始めたのです。そして彼らはユーラシアの全土に定住し、今でこそベーリング海峡であるのですが、4〜5万年前は陸橋だったので、その陸の橋を通ってアメリカへと移動して行きました。ホモサピエンスは熱帯の海をカヌーやいかだを使ってニューギニアやオーストラリアまで移動して行ったのです。もちろん世界中を植民するためではなく、生き続けるために食料となる獲物の移動に従って新しい食べ物を求めて移動して行ったのでありました。ホモサピエンスはエピジェネティックに脳を発達させていったので、新しい環境に適応する能力を備えだしていました。世界中に定着するようになったのは、5万〜15000年前でありました。

 

 北アメリカへの定着はインディアンの祖先たちによってベーリング海峡にあった陸橋を超えて1万年前まで続きました。ジャワやスマトラやボルネオへの移動は5万年前に行われました。ジャワは皆さんご存知のように、現在のインドネシアの中心であり首都ジャカルタがあります。ジャワ原人はピテカントロプスエレクトスと同じであります。北京原人とともにジャワ原人はホモエレクトスに含められています。ホモエレクトスは、ホモサピエンスの直前の人類の祖先であります。ホモサピエンスがホモエレクトスを打ち負かして取って代わったことも両者のミトコンドリアDNAを比較して証明されているのです。しかしオーストラリアやニューギニアへの到達は35000年前でありました。現代のオーストラリアのアボリジニの先祖が住み始めたのでした。

 

 4万年前頃にはホモサピエンスは東ヨーロッパ、さらに南西シベリアに移動し、35000〜3万年前頃に日本に定住したのでした。

 

 皆さんご存知のように、ヨーロッパの祖先はクロマニョン人といわれていますが、45000年前に南西ヨーロッパに到達し、先住民であるネアンデルタール人と取って代わりました。このようにしてアフリカから4〜5万年前にその当時の全世界に移動し始めたのですが、1万年前にはその移住が完結したのでした。ミトコンドリアのDNAの研究により、クロマニョン人とネアンデルタール人とは全く違った人種であることも証明されました。クロマニョン人がネアンデルタール人を完全に抹殺してしまったのです。

 

 ホモサピエンスは12000前頃までは生きるための唯一の方法は狩猟と食料を集めることでありました。今日でも、アマゾン川流域やアフリカの奥地やパプアニューギニアなどでは先史時代の祖先の生活様式をし続けています。最終的にはこのような狩猟採取生活も農耕に取って代わられました。もちろん先史時代の狩猟採取の生活の中からも人間の脳と心によって生み出された芸術や宗教がありました。先史時代の4万年前には西ヨーロッパのクロマニョン人たちは、既に洞窟の壁に動物、特にマンモスや毛深いサイや野生の馬や野牛やトナカイなどの絵を描いたりしていました。とりわけ狩猟に依存している社会では飯の種になるこのような動物を捕まえるための儀式も必要であったのです。ところが16000年前頃に書かれたフランスのショーヴェ、ニオ、ラスコなどの洞窟や、スペインのアルタミラの洞窟の壁に描かれた絵には芸術の芽生えが見られます。これらの絵は、クロマニョン人の祖先と霊魂と強い関わりがある自然物や事物と混じり合うために、魂の世界と死後の世界を結びつける仕事をしたシャーマン(巫女・まじない師)が描いたといわれています。このシャーマニズムは、原始宗教の一形態であります。その後さらに定住生活が進み社会が複雑になるにつれて本格的な宗教が生まれてきました。このような宗教が生まれたのも脳の遺伝子のエピジェネティックな働きの結果であると考えられます。

   

 初期の社会は農耕生活と結びついています。12000前に農耕が始まり、4000年前頃に完成しました。この11000年前頃に最後の氷河期が終わって、狩猟採集生活から農耕と動物の飼育の生活様式に変わったのです。そして世界の文明が発祥し始めました。まず最初に文明が興ったのはBC8500年頃に肥沃な三ヶ月地帯といわれる今のトルコやシリアやイラクに始まりました。この人類の文明の萌芽期を飾ったシリアが現在内戦のために血まみれになっている映像を見るたびに心がえぐられるようになります。最初に農耕された植物はもちろん穀物でありました。まずエンマー小麦や、アインコルンといわれる小麦でありました。大麦やライ麦も栽培され始めました。食べ物を常に供給してくれる農業に支えられた定住生活は人口を急激に増やしました。この定住農耕により人口を急激に増やしたために土地が足らなくなり、ホモサピエンスは農耕とともに肥沃な三ヶ月地帯からBC6000年前までには南東ヨーロッパのバルカン半島にまで到達し、BC5500年頃にはリベリア半島ににまで広がって行きました。BC3500年前にはドイツのスカンジナビア半島、さらにイギリスにまで広がっていったのです。さらに農耕はコーカサスやトルクメニスタンやパキスタンにまで広がっていきました。BC3000年頃にはインドのガンジス川、BC2500までにはアルタイ地方にまで広がりました。

 

 一方BC7000年頃に始まった揚子江の農耕は主に米ときびを栽培していたのですが、BC3000年頃には南中国まで到達、BC2300頃には今をときめく南東アジアにまで到達したのです。

 

 エジプトに最初に農耕が伝わったのはBC5500年頃であります。そしてエジプト文明が開始され始めるのであります。BC2000頃には、今でこそ砂漠になってしまったサハラ砂漠以南のアフリカにおいても農耕が始まりました。

 

 アメリカにおいてはひまわりがBC4000年に食べ物として栽培されました。インディアンの祖先である土着のアメリカの農場の主要な穀物はとうもろこしと豆類でありました。これらはBC3500年までには中央アメリカで栽培植物化されました。南アメリカのアンデス山脈の耕地において、じゃがいもが早くもBC3500年に栽培されていたのです。

 

 ついでに動物の家畜について述べておきましょう。だいたい農耕が行われたときと一致します。まず最初に飼いならされたのはヤギ、羊、豚、牛でありました。これらは肉やミルクや他の動物から得られる産物を供給してくれました。南アメリカ特産のラマがBC4000年頃に家畜化されました。

 

 なぜ皆さん、こんなに長々と農耕の発祥にいたるまで世界史を復習しながら文明とエピジェネティクスとの関わりを語った理由がお分かりですか?農耕が薬草栽培の第一歩であるからです。しかもこの農耕から生まれた薬草を世界でただ一つ、中国医学だけが古代に完成させ、その優れた中国医学を3000〜4000年も維持し続けたその秘密を少しずつ明らかにさせたいための序章がこのような長い文章にさせてしまったのです。さらにホモサピエンスが飢餓ストレスに耐えるために農耕が必要であり、かつ飢餓ストレスとエピジェネティクスとの関係を明らかにするための長いプロローグになってしまったのです。壮大な話になりつつありますが、乞うご期待!とどのつまり、生きることは人間の遺伝子をいかにエピジェネティックに上手に発現させるかどうかに依存し、さらに中国医学の発展がどのように過去の文明の歴史と関わっているかを証明したいためであります。

 今日はここまでです 2013/11/21

 

 ここでお約束した通りに「エピジェネティクス」とか「エピジェネティック」の言葉の説明をしましょう。「ジェネティクス」という言葉は「遺伝学」を指すことはご存知ですね。「ジェネティック」というのは形容詞で「遺伝学の」という意味もご存知ですね。「エピジェネティクス」というのは、ジェネティクス(遺伝学)という言葉の先頭に「エピ」をつけただけです。皆さん、「プロローグ」という言葉と「エピローグ」という言葉をご存知でしょう。「プロローグ」は序章とか序幕という意味であり、「エピローグ」は結びの言葉とか終幕という意味であることもご存知でしょう。つまり「プロ」は「前」という意味があり、「エピ」は「後」という意味があります。どちらもギリシャ語から由来しています。さて、それでは「エピジェネティクス」は「後の遺伝学」という意味になります。難しい言葉を使いたがる日本の学者は、「エピジェネティクス」を「後成学」と訳しています。変な訳ですね。なぜこのような言葉をつけたのでしょう?言葉が出来上がった歴史も合わせて説明しておきましょう。

 

 元来、「エピジェネシス」という言葉がありました。この言葉を「後成説」と訳しました。大昔からどのようにして人間の形をした赤ちゃんが生まれるかについて色々説がありました。例えば17世紀のオランダの学者は、精子の中に「ホムンクルス」という小人が住んでいて、母親の胎内でこの小人が成長して人間の赤ちゃんが発生したと考えていました。いかにも無知蒙昧な人間が考えることですね。このように精子や卵子や受精卵の中に赤ちゃんの原型があるという説を前成説と言っていました。一方、赤ちゃんの原型である小人が母親の胎内にあって徐々に大きくなって行くにすぎないのだという前成説に対して、1個の細胞である受精卵が細胞分裂を繰り返し、様々な機能を持つ細胞に分化し、その細胞があるべきところに配置されることで体が作られ最後は赤ちゃんになるという考え方が科学が進むにつれて出てきました。これを「エピジェネシス(後成説)」といいました。本来「ジェネシス」という言葉は「創造」という意味ですから、後から徐々に体が作られるという説であります。もちろん後でエピジェネシスの考え方が正しいということが分かったのですが、どのようにして1個の受精卵から人間という極めて複雑な構造を形成して行くかの発生の仕組みに、多くの科学者が関心を持つようになっていきました。このような観点から1940年代にイギリスの発生学者であるワディントンは、「発生機構論」という意味で「エピジェネティクス」という言葉を使い始めたのです。

 

 ところが現在では、それまで用いられてきた「エピジェネティクス」の意味合いが全く違っているのです。というのも、2003年にヒューマンゲノム計画で人間の遺伝子の塩基配列の全てが解読されてしまいました。この30億対の遺伝情報は受精卵から様々な細胞が細胞分化によって200種類以上作られることは知られていたのですが、どのようにして細胞分化が行われるかという機構についてもはっきりしないうえに、赤ちゃんとして生まれたときには3兆個の細胞を持っているのですが、その3兆個の細胞の遺伝子は全て同じなのはなぜなのかも分からなかったのです。もちろん抗体の遺伝子は除きますが。それでは、なぜ3兆個の全ての細胞で遺伝子情報である塩基配列が同じであるにもかかわらず、形も働きも異なる細胞を作り、全く違った組織や器官や臓器が作られて正常な生命活動を続けることができるのでしょうか?これに対する答えを出そうとするのが「エピジェネティクス」という学問であります。

 その答えは一言でいえば、生まれたときに与えられた30億対の塩基に暗号されている遺伝子情報、つまり遺伝子の設計図を用いて人間という家を作ることが生きることです。人間という家の設計図を何億枚持ったところで、その設計図どおりに家を建てたり、工場を建てたり、学校を建てたり、道や橋を作ったりしない限りは何の意味もないでしょう。その設計図のどれを選び、その設計図どおりにあらゆる種類の建物や道路を作っていくのに、あらゆる職種の仕事人を動かす必要があるでしょう。そのためにはまずどの設計図を使うかを決める必要があるのです。つまり必要な設計図を使うことを命じるために、まず設計図を決めるスイッチが必要なのです。1つの細胞に遺伝子を働かせる400万種類のスイッチがあるのです。必要に応じてそのスイッチを決め、つまり生きるために必要なときに必要な場所で必要な数のスイッチをONにし、必要がなくなればOFFにすることで生命の営みが瞬間瞬間に行われているのです。このスイッチのON/OFFの組み合わせの全てがどのようになされているかを知るための学問がエピジェネティクスなのです。従って「エピジェネティクス(後成学)」という言葉は相応しい言葉ではないのですが、今なお使われ続けているのです。エピジェネティクスの正しい訳語は「遺伝子という設計図の用い方の学問」と訳すべきなのです。

 

 ちょうど免疫学のほとんど全てが解明された現代文明では、病気という言葉は「怖い」とか「治らない」という意味はなくなったのにもかかわらず、大昔から人間が抱いてきた「怖い」とか「良くない」という強いイメージが残っているので、今なお悪い意味で使われているのと似ています。このような言葉の概念の変遷が、同じ言葉がまるで無知な時代に用いられていた意味と、科学の進んだ現代のようにおいて用いられる意味とが、まるで真逆になる例がいくらでもあります。昔は病気といえばまず心配したものですが、現代は病気は免疫が化学物質とヘルペスと、あえていえば風邪のウイルスやブドウ球菌やレンサ球菌と戦い、自分の免疫で敵を殺すか、共存するか、排除するか、ヘルペスの場合は神経節に封じ込めるかだけですから、現代文明には怖い病気など何もないのです。

 

 異なる細胞では異なる組み合わせの遺伝子のスイッチがONになっています。言うまでもなく、大人の60兆個の細胞が生き続けるためには常に働かなければならない最低限の遺伝子があります。お分かりのように、一生休むことなく遺伝子を働かさなければならないのは心臓や呼吸でしょう。心臓の働きは一瞬たりとも止めることはできないのです。意図的にさえ心臓の働きを止めることは不可能です。呼吸は意図的に止める遺伝子をONにすれば止めることができます。もちろん海で素潜りをやるときには、意図的に呼吸を止めなければ溺死するでしょうが。アッハッハ!エネルギー代謝に関する遺伝子は常に働かなければ、細胞は生き続けることができないのです。そのエネルギーを用いなければならない全ての細胞は、エネルギー代謝を命令する遺伝子のスイッチが常にONになっているのです。このような遺伝子を「ハウスキーピング遺伝子」といいます。つまり「家事遺伝子」とか「人間という機械を動かし続けるための管理遺伝子」とでも訳せば一番良く分かっていただけるでしょう。

 

 確かに60兆個の細胞は常にエネルギーが必要なのですが、エネルギーを与えれば全ての細胞が心臓や呼吸器の働きをする訳ではありません。皮膚や肝臓の細胞が心臓の代わりをすることはできません。逆に心臓の細胞が皮膚の細胞の代わりになることはできません。肝臓の細胞が呼吸器の細胞の代わりをすることもできません。このように全ての細胞は全く同じ30億対の遺伝情報は持っているのですが、種類の違った細胞の働きがどうして異なるかについて、皆さん疑問をもたれませんか?しかも皮膚の細胞である線維芽細胞はいくら分裂しても線維芽細胞であり、肝臓の肝細胞はいくら分裂しても肝細胞です。このようにそれぞれの組織の200種類の細胞の働きが独自な機能を持つのはなぜでしょう?それは心臓の細胞は血液を全身に運ぶことができる遺伝子だけがONになっているからです。呼吸器の細胞は酸素と二酸化炭素を入れ替えることができる機能を持った遺伝子だけがONになっているからです。皮膚の線維芽細胞は膠原線維だけを作れという命令を下すスイッチだけがONになっているからです。肝臓は肝臓の働きだけを行う肝細胞になるように肝細胞の遺伝子だけがONになっているからです。このような遺伝子を「ラグジュアリー遺伝子」といいます。「ラグジュアリー」という名前を付けた学者はあまり言葉巧みな人ではなかったようです。ご存知のように「ラグジュアリー」は「贅沢」とか「快楽」いう意味ですから、人間が生きるのに必要な遺伝子の働きを贅沢というのはおかしいでしょう。あえてこのような遺伝子の名前をつけるならば、「スペシャル」とか「スペシフィック」という名前をつけるべきであったのです。アッハッハ!つまり「特化した細胞」という意味をつけるべきなのです。

 

 このように遺伝子の働きをスタートしたり止めたりするスイッチをON/OFFのスイッチといいますが、この働きは遺伝子の設計図(ゲノムDNA)とは直接関係がないのです。つまり親から子へと受け継がれた遺伝子の研究、つまり「ジェネティクス」とは全く異なっているので、「ジェネティクス」に対して「エピジェネティクス」という言葉が使われるようになったのです。一言でいうと、全て同じ設計図を持っている遺伝子がどうしてハウスキーピングの働きがあったり、ラグジュアリーの働きがあったり、かつどうして心臓の働きをする細胞になったり、神経細胞の働きを行うのか、皮膚の細胞がどのようにして皮膚の仕事をするのかの研究に対して使われるようになったのです。従って最初に発生学において用いられた「エピジェネティクス」という意味とはまるで異なっていることを知っておいてください。現代の「エピジェネティクス」の正しい意味は次のようになります。「細胞分裂した後でもDNAの配列に変化を起こさずに、遺伝子の働きをON/OFFにする仕組みの学問」というべきであります。この定義には2つの違ったエピジェネティクスの意味があることを知っておいてください。後で説明します。

 

 皆さん、遺伝子は何のためにあると思いますか?一言でいうと、人体の細胞にタンパク質を作らせるためです。植物が光と水と二酸化炭素から光合成によって炭水化物を作ります。その炭水化物からさらに植物は脂肪やタンパク質を作ります。私たち人間は植物からこの3大栄養素を摂取し、タンパク質をアミノ酸にまで分解します。残りの脂肪や炭水化物は他の用途に用います。DNAの遺伝子はこのアミノ酸を用いてタンパク質を作らせるのです。このタンパク質を作るように指定する遺伝子がずばり2万687個であることも分かりました。この遺伝子がタンパク質を作るようになることを遺伝子の発現といいます。あるいはこのタンパク質を作る遺伝子のスイッチがONになったといいます。

 

 それでは遺伝子の発現の結果生まれたタンパク質はどのようなものがあるのでしょうか?10種類あります。①60兆個の細胞や200以上の組織や器官や臓器の形態を保持するために必要なタンパク質であり、これを構造タンパク質といいます。②人体に取り込んだり人体で作った特定の化学物質の輸送に預かる結合タンパク質③様々な物質を作ったり処理したりする化学反応、つまり代謝を触媒する様々な酵素④身体の機能を調節するペプチドホルモン⑤細胞外から細胞内へ情報を伝達するために必要な受容体タンパク質⑥細胞内に情報を伝達するシグナル伝達タンパク質⑦細胞内から細胞外へ分子を移送させるのに必要な細胞膜にある輸送タンパク質、これをトランスポーターといいます。⑧いわずとしれた皆さんご存知の液性免疫を担当するIgG、IgM、IgD、IgA、IgEの5種類の免疫抗体⑨細胞分化や器官の発生を誘導するタンパク質、つまり受精卵である1個の細胞が心臓になったり肝臓になったりするときに必要なタンパク質⑩転写を調節する転写因子のタンパク質。この転写因子がエピジェネティクスの学問におけるヒーローであります。この転写因子を研究することが生命科学の中心になるのです。その意味は後で詳しく書きます。

 

 ここで注意を喚起しましょう。実はこのタンパク質を指定する遺伝子は全DNAのたった1.5%しかないのです。つまり30億対の塩基からできているDNAの中のたった1.5%がタンパク質を作る遺伝子にすぎないのです。つまり30億対×0.015ですから、4500万の塩基対だけがタンパク質を作らせる、いわゆる遺伝子なのです。それでは残りの98.5%、つまり29億5500万対の塩基は何の仕事をしているのでしょうか?それが2万687個の遺伝子をONにしたりOFFにしたりするのに使われている情報、これが転写因子と関わってくるのです。この情報を伝える転写因子を研究することがエピジェネティクスであります。この研究も緒に就いたばかりです。この2万687個の遺伝子をON/OFFにさせるスイッチが転写因子と呼ばれるものです。この転写因子がひとつの細胞になぜ400万個もあるかお分かりになりますか?細胞が生き続けるためにはこの400万個の転写因子の働きをONやOFFにする必要があるのです。生命とはこの400万個の転写因子の働きによって支えられているのです。この天文学的な転写因子の働きを完全に解明しようとするのが生命科学の主題といえます。しかしながら400万個の転写因子の働きを解明し尽くせると思いますか?絶対不可能です。400万個の転写因子こそが生命が38億年かかって作り上げたDNAの働きであり、DNAが神たる所以であります。

 

 ここでもう少し正しいエピジェネティクスと転写因子との関係についてさらに詳しく解説しましょう。先ほどエピジェネティクスの定義の後で2つの意味が隠されていることを述べました。今ここで説明しましょう。まずひとつめは、「ハウスキーピング遺伝子」と「ラグジュアリー遺伝子」であり、それぞれの遺伝子のON/OFFについても述べました。この遺伝子のON/OFFがどのように行われるかを研究するのがエピジェネティクスであることも述べました。ここでさらに付け加えておかなければならないのは、この遺伝子のON/OFFは生きている環境や時間、人間の感情、努力、人間関係、ストレス、食欲、性欲、睡眠欲の全てに影響されて、必要に応じてONやOFFになるのです。言い換えると、可逆性があるのです。ステロイドで免疫の遺伝子をOFFにしても、永遠に免疫の遺伝子がOFFになっているわけではありません。ステロイドの効果がなくなると免疫の遺伝子は再びONに戻るのです。これが遺伝子の修復であり、可逆性であります。何も医者がステロイドを医者が病人に投与しなくても、全ての人間自身が毎日必要に応じてステロイドを作ったり作らなかったりしているのです。ストレスが強くなればステロイドホルモンを増やし、ストレスがなくなればステロイドホルモンは減ってしまうのです。このことは全てのホルモンについて当てはまることです。従って人間が生きているということは、必要に応じて自由自在にDNAを発現させるために生きているといえます。いや、発現させることができるので、私たちは生きることができるのです。

 

 ところが転写因子にはもう1種類あるのです。それが、心臓が心臓の細胞になり続け、肝臓が肝臓の細胞になり続け、皮膚の線維芽細胞が死ぬまで線維芽細胞であり続けさせる仕事をしている別種類の転写因子なのです。私たちの人体には200種類以上の特殊に分化した細胞があることは何回も述べました。この分化した状態を死ぬまで続けるのにも転写因子が関わっているのです。この研究がふたつめのエピジェネティクスの意味なのです。これを語るのは実に極めて難しいので簡単に説明します。

 

 先ほどから簡単に転写因子が働いて遺伝子がONやOFFになるような書き方をしていますが、なぜ転写因子が遺伝子をON/OFFにするメカニズムを説明することもまた難しいので、今のところは簡単に述べます。心臓が心臓の細胞になったり、肝臓が肝臓の細胞になったりするのは、エピジェネティックにどのような意味を持っているのでしょうか?DNAは実はヒストンというタンパク質に巻き付いています。この細胞1個にあるDNAは1本につなぐと2mにもなります。それを1万倍ぐらいに圧縮した形でDNAはヒストンに巻き付いています。この話は既にしたことがあります。それではどうして心臓の細胞は肝臓の細胞にならないのでしょうか?一言でいえば、メチル基がDNAやヒストンにあるアミノ酸にひっつくことによって細胞の分化が行われ、死ぬまでこのメチル基がDNAやヒストンから離れないからです。これをDNAやヒストンの「メチル化」といいます。このメチル基がDNAやヒストンの特定の場所についてしまうと細胞の分化が決まってしまうのです。このメチル化が起こる場所が細胞の核の中でいくつ決まってしまえば、1種類の細胞にしかなれないのです。メチル化に場所に応じて、その細胞は肝臓にしかなれなかったり、心臓にしかなれなかったりするのです。つまりそれぞれの細胞のDNAとヒストンのメチル化の特定の場所が決まると、その細胞がどんな組織になるかが決まってしまうのです。これが細胞の分化といわれている現象です。従って人体の200種類以上の分化した細胞のDNAとヒストンのメチル化の場所は全て異なっているのです。1つの細胞にはこのメチル化の場所が1000カ所もあるといわれています。しかもこのエピジェネティクスは一度決まれば不可逆的であり、死ぬまで変えることができないのです。変わってはいけないのです、当然でしょう!心臓の細胞が肝臓の細胞になったら何が起こりますか?つまり個々の細胞のメチル化は永遠に記憶されてしまうのです。いや記憶されねばならないのです。

 

 この記憶を無理矢理喪失させたのがiPSであります。いわばiPSは記憶喪失細胞といってもいいぐらいなのです。皆さん、人間が過去の記憶を全て喪失してしまえば何が起こると思いますか?人間でなくなるでしょう。iPSの研究も7年以上も続いていますが、今なおiPS細胞の99.8%がガンにならざるをえないのです。記憶を失った細胞はガンになるか、アポトーシス(細胞自殺)するか、生命誕生以来出現したことがない異常な細胞に変えたところで、遅かれ早かれ生き続けることができなくなってしまうのです。残りの0.2%がiPSになったとしても、ときには元の線維芽細胞に戻る可能性があるということを山中先生は最近新聞でおおやけにされました。これがiPSの逆戻りということであります。iPSが元の線維芽細胞になるのはどうしてだと思いますか?iPS細胞は記憶喪失細胞だといいましたが、実は少しは元の細胞である線維芽細胞の遺伝子の働きを覚えており、それがiPS細胞の修復遺伝子によって修復され、元の線維芽細胞に戻ったと考えられます。炎症を抑えるステロイドを使っても再び細胞は逆戻りし、炎症が生じてしまうのと一部分似ています。

 

 皆さん、私が常々言っていますように、ステロイドで遺伝子の働きを無理矢理かえるということは実際的にはハウスキーピング遺伝子やラグジュアリー遺伝子のON/OFFを変えてしまうことであります。ところがiPSは分化の遺伝子のメチル化をはずすことになるわけですから、とんでもない細胞を作っていることになるのです。だからこそiPSはガンになるか、逆戻りをして元の線維芽細胞にならざるをえなくなるのです。ヒストンやDNAのどのアミノ酸にメチル化が起こっているかを研究するのもエピジェネティクスの学問であり、非常に難しい分野であります。この研究も緒に就いたばかりです。これがふたつめのエピジェネティクスの意味であります。

 

 従ってエピジェネティクスという学問が極めて難しいことがお分かりになったでしょう。ひとつはハウスキーピング遺伝子とラグジュアリー遺伝子がどのようにON/OFFにしているのかという研究と、もうひとつはDNAとヒストンのアミノ酸のメチル化による分化がどのようにして行われるかという研究であります。もちろん細胞分化の研究は、同時にハウスキーピング遺伝子とラグジュアリー遺伝子の研究と重なることもあるのです。それもいずれ明らかにされるでしょう。

 

 皆さんにここで質問をしましょう。ステロイドという薬は何をやっているのでしょうか?まさにステロイドはエピジェネティックな働きをアトランダムにやっているのです。細菌やウイルスや化学物質と免疫が戦うときに、様々なタンパク質を作る必要があります。そのために免疫の細胞の遺伝子はONになります。このときステロイドを投与すると免疫細胞の遺伝子の中にステロイドが入り込み、無理矢理にONがOFFになります。免疫反応の遺伝子を無理矢理OFFにするときにもタンパク質が必要なのです。エピジェネティックな働きがステロイドによって変えられてしまうのです。まさに私たちはタンパク質があるからこそ生きているといえます。病気においてエピジェネティックな働きを変えるということは、このタンパク質を作るスイッチを勝手にONやOFFにすることであります。この目的のためにほとんど全ての薬が作られているのです。これが対症療法といわれる医療であり、確かに対症療法をやるとウイルスや細菌や化学物質に対する戦いは一時的にはなくなるのですが、無理矢理に薬を入れて変えられたスイッチは必ず元に戻ってしまうのです。これを私は医原病と呼んでいるのです。

 

 薬は遺伝子の設計図を変えることはできません。あらゆる薬はとどのつまりは、38億年かかって出来上がった命を守る免疫の遺伝子の発現を無理矢理に切ってしまうことなのです。つまり敵をやっつけるタンパク質を遺伝子に作らせないことです。先程述べた遺伝子をONにして様々なタンパク質を作る説明を利用して具体的に薬がどんな悪いことをしているのか説明しましょう。

 

 ほとんど全ての薬、とりわけ抗炎症剤や免疫抑制剤や鎮痛薬や解熱剤はどのようにして作用を発揮するのかご存知ですか?皆さんはなんとなく薬を飲めば効いているとか効いていないとかいう感覚しかお持ちでないでしょう。全ての薬は先ほど遺伝子はタンパク質を作るためにあると説明しました。そのタンパクの一つが「⑤細胞外から細胞内へ情報を伝達するために必要な受容体タンパク質」を作ると説明しましたが、薬は必ず細胞の受容体と結びついて作用を発揮するのです。受容体と結びつかなければ薬効は発揮できません。ステロイドも必ず細胞の中の受容体と結びついて、最終的には免疫の遺伝子の働きをOFFにしてしまうのも同じことなのです。さらにウイルスや細菌や化学物質が入ってきたときに、最初に働きだす免疫の細胞は樹状細胞であり大食細胞であり好中球であることもご存知でしょう。これらの免疫細胞の全ても膜の受容体と敵と結びついて初めて免疫の仕事の開始となるのです。つまり敵が情報を細胞の遺伝子に伝え、その敵を処理する様々なサイトカインといわれるタンパク質を作らせるのです。その後、このような免疫細胞やサイトカインがリンパ球に結びついて、例の複雑な免疫のカスケード反応が生ずるのです。このような免疫の反応の全ては受容体で細胞同士やサイトカインといわれる化学物質が結びつくことによって初めて臨戦態勢に入り、最後は敵を処理することができるのです。免疫の詳しい話は私のホームページのいたるところに詳しく書かれていますから、どこでもいいですから読んでください!

 それではこのような受容体と結びつくということは何を意味しているのでしょうか?答えは簡単です。受容体と結びつくと、その情報が細胞の核に伝わり、「⑥細胞内に情報を伝達するシグナル伝達タンパク質を作らせ、敵を処理する様々なタンパク」を作らせ、必要なときには「⑦細胞内から細胞外へ分子を移送させるのに必要な細胞膜にある輸送タンパク質」を活動させ、細胞内で作った敵をやっつける分子を細胞外に送るのです。ときには「⑧いわずとしれた皆さんご存知の液性免疫を担当するIgG、IgM、IgD、IgA、IgEの5種類の免疫抗体」を作って、敵をやっつけようとするのです。

 ところが薬がこの受容体にひっつくと、上記に説明した免疫の働きが全てストップしてしまったり、ときには自然な免疫の働きが変わって本来の免疫の作用が低くなったりしてしまうのです。従って受容体がなければ免疫反応も一切なくなるでしょうし、同時に薬を作っても全く意味がないのです。言い換えると、細胞の受容体というのは人間の視覚であり、聴覚であり、嗅覚であり、味覚であり、触覚の5感の全てを備え、敵をやっつけるための情報を細胞の核の遺伝子に伝えて、免疫のタンパク質を作っているといっても過言ではないのです。

 本論に戻りましょう。中国の天才たちが5000年以上も続く中国医学、つまり漢方医学・鍼灸医学を発展させてきた根拠を、遺伝子学的、かつエピジェネティックス(後成学)、さらに中国医学や西洋医学の歴史を含めて、あらゆる観点から証明しようとしているのです。残りの中国医学史における天才の足跡を簡略に続けて辿ってみます。とどのつまりは漢方薬や鍼灸は免疫のエピジェネティックな働きをONにしているだけであるということを証明しようとしているのです。

○王翻(おうとう)(670年〜755年)

 彼も歴史に名を残すほどの中国の天才の一人です。彼の祖父は唐の第2代の太宗皇帝の宰相になった人です。当時の人口統計は残されていませんが、今も昔も天才が最も多かったのは、最も人口の多い中国であることは確かです。生まれつき親孝行であったのですが、母親が病気がちであるうえに自分も病弱であったため、名医から学び、かつ医書をよく読み、医学を学んだのでありました。私も医者になるつもりは全くなかったのですが、既に何回も書いていますが、目にボールが当たって偏頭痛と嗜眠と不愉快さで15年近くも悩み続け、この自分の病気の原因を勉強して治せるものなら治そうと京都府立医大に入ったのは、天才・王翻の1万分の1は真似をしたかもしれませんね、ワッハッハ!

 昔の人物が世に名を残すのはやはり書物です。彼は『外台秘要(げだいひよう)』という医書を残しました。唐以前の時代の医書を集めてまとめたものであり、いわゆる当時の唐の国立図書館に24年も出入りして、数千巻の書物を学び40巻にまとめたものであります。処方についての記載が極めて多く、6000以上の処方がおさめられています。この当時も6000種類の病気があったわけではないのですが、様々な生薬を組み合わせた処方を集め尽くしたのでしょう。いずれにしろ、植物から採取され薬草は全て免疫を上げることができるうえに、毒にならない薬草を集めたので、薬草はいわば医食同源であり、死なない限りは病気を治すのは患者の免疫であるので、必ずどの漢方処方も免疫を上げる価値があります。ただ6000処方もある意味は何だと思いますか?今でこそ栄養不良な患者は誰もいませんが、昔は個人差が大きかったので、患者の栄養状態に合わせて様々な生薬の組み合わせを試み、最良の組み合わせを選んだ処方を集めたものと思われます。さらに免疫を上げるといっても、どの器官や臓器で症状が出ているかに合わせて処方を変えていったので、6000種類という処方が集められたのでしょう。

 

 『外台秘要』は、孫思バクの『千金翼方』や、かの有名な『傷寒論』や『金匱要略』などの元の姿を窺う上でも貴重な資料となっています。従って唐以前の医学を勉強する人にとっても重要な参考文献の役割を果たしているのです。ところがこの『外台秘要』は、お灸療法は記載されているのですが、鍼療法は危険だとして原則的には削除されているのです。おそらくその時代に素人が勝手に鍼療法をして、「生兵法は怪我の元」ということわざがあるように、人を死に至らしめた例が多かったためでしょう。

 

 今日はここまでです。 2013/11/28

 やっと宋の時代の中国医学に到達しました。宋王朝は趙匡胤(ちょうきょういん)が960年に創建し、北方から攻め入った金の国によって1127年に宋(北宗)は滅びました。南方に落ち延びた宋の一族が再び南宋を1127年に打ち立てたのですが、1279年に元に滅ぼされました。

○王 惟一(おう・いいつ)  

 王惟一は北宋の鍼灸学の第一人者でありました。当時、鍼の経穴(ツボ)についての学説や鍼の打ち方について様々なやり方があり、人命を害する恐れもあったので、正しい経穴学を確立する意図から、1026年に『銅人腧穴鍼灸図経(どうじんゆけつしんきゅうずけい)』を編纂しました。腧穴とは、中国で使われている言葉であり、日本で使われている経穴、つまりツボのことであります。王惟一は、銅で人体を鋳造させ、これを銅人といい、銅人の体に経脈と絡脈の2つの気血の通路を経絡といい、その経絡の通り道とその途上にある経穴(ツボ)を記し、そのツボの名前も書き記したのです。経絡だけが銅人の表面に記されたのではなく、経絡と内臓の関係を明らかにするために、その経絡とつながりがある人体の中にある臓腑(内臓器官)も全て作られて、銅人の体の中に人工の臓器が備えつけられていたのです。今で言えば、解剖学や手術のやり方を教えるために作られたプラスチックの人体模型の原点といえるものです。この銅人に記された経穴の数は354穴で、後代の経穴学の原点となったのです。現代のWHOが承認している経穴の数は351となっています。その後、北宋ではこの銅人を用いて医師の試験を行ったといわれるほど精巧に作られていたのです。ちなみにその試験方法は、銅人の表面に黄蠟(おうろう)を塗り、中に水を満たしておき、受験者に鍼の経穴を当てさせて、穴にうまくあたれば水が出て合格とし、はずれれば水が出ないので不合格としたのです。

 

 さぁここで、経絡とは何であり、またツボとは何かについて説明しましょう。まず経絡の一般的な定義を書き記しましょう。経絡とは、中国医学、つまり漢方医学で「気」と「血」が人体を巡り流れる道筋のことであり、人体を縦方向に走る通路を経脈といい、経脈から分岐してさらに身体各部に広く分布する通路を絡脈というのです。既に述べたように、中国医学の根本の書物は『皇帝内経』であります。この『皇帝内経』は『素問』と『霊枢』から成り立っていることも述べました。とりわけ『素問』は、東洋医学の原点とされ、生理、病理、診断、治療、養生法の全てを論じています。一方、『霊枢』は鍼灸医学の基本となる人体の組織や機能、および鍼の具体的な使い方について述べています。さらに『皇帝内経』の成立の後、その難解な部分を解説するために、鍼による臨床実践の手引きとして作成されたのが『難行』だということも述べました。

   

 手から発する3本の陰経(三陰経)と3本の陽経(三陽経)が計6本と、足から発する3本の陰経(三陰経)と3本の陽経(三陽経)が計6本出ているので、合計で12経路出ているので、手足の12経脈といいます。陰と陽という言葉は既に述べました。人間の体力や病気の性質を表すために陰陽という概念を中国人は作ったのです。今でも陰気や陽気という言葉で使われているのですが、陰の人は活気がなく手足が冷えやすいのですが、陽の人は積極的で男性的な傾向を持っているのはご存知でしょう。さらに胴体の腹側と背中側のど真ん中、これを正中線といいますが、この正中線を走る2つの経脈があります。腹側を任脈といい、背中側を督脈といいます。従って全てを合わせると12+2で、14経脈となるのです。ついでですから、さらに詳しく書きましょう。三陰経には、太陰経、厥陰経、少陰経があります。三陽経には、陽明経、少陽経、太陽経があります。この三陰経や三陽経の前に“手”をつけると手の三陰経や手の三陽経となり、“足”がつくと、足の三陰経や足の三陽経となるのです。手の三陰経には、手太陰経、手厥陰経、手少陰経があり、足の三陰経には、足太陰経、足厥陰経、足少陰経があるのです。手の三陽経には、手陽明経、手少陽経、手太陽経があり、足の三陽経は、足陽明経、足少陽経、足太陽経があるのです。従って、手足の経脈は12経脈となることがお分かりになるでしょう。左右の手足の経脈を合わせると24経脈となることも理解できるでしょう。

 

 この経脈の途中に361の経穴(ツボ)があり、全身に分布しているのです。鍼灸師はこのツボに鍼をするのです。この経穴が経絡の要所(ポイント)にあたり、病気の診断と治療の対象となる点とされるのです。ただこの鍼灸の経路は、現代医学で明らかにされている血管系、リンパ系、神経系の3つの経路とは別の経路とされていますが、今なおツボの科学的医学的な解明がされていないのです。下で私が世界で初めての解説をすることになります。

 

 さて、それでは一体経絡の上にあるツボとは何なのでしょうか?今日はこのツボの本質について詳しく書きましょう。鍼灸医学に常に中心となり、日常会話でもヒーローでありながら、決して現代医学ではヒーローになれないものは何でしょうか?「気」であります。確かに「気」は医学用語ではほとんど重視されていませんが、一般に最も使われる言葉です。「気」のつく単語は書き連ねる必要もないぐらいに無数にあります。現代医学では絶対に使われることのない「気」は、東洋医学では常に使われています。なぜでしょうか?常々過去も現在も未来も全てにおいても、東洋医学が最高の医学であり続けると主張している私が、「気」について述べないのは許されないことです。この「気」とは何かについて今明らかにしていきたいと思います。

 

 ちょうど過去の中国の天才医学者たちは、漢方生薬が免疫を上げるということをまるで知らないであらゆる病気を漢方薬で治してきました。それでは中国の天才鍼灸師たちは、何を知らずしてしかも正しく病気を治してきたと思われますか?常に鍼灸師たちは気の流れをよくすることで病気を治すと言い続けています。もちろん免疫を上げることによってであります。それではどうして鍼灸が免疫を上げることができるのでしょうか?さらに考究していきましょう。

 

 皆さん、何のために中国人は鍼やお灸をやり始めたと思いますか?言うまでもなく痛みを止めるためです。世界中に痛みがなければ医学などは全く必要なかったでしょう。私が既に述べたように、魏の皇帝であった曹操の頭痛を治したのは誰だったでしょう?外科の元祖でかつ「五禽の戯」の創作者である華佗でしたね。魏の曹操はどうして頭痛やめまいに苦しんだのでしょうか?ヘルペスウイルスが曹操の脳血管神経に入り込み、免疫がヘルペスを殺そうとして、それが頭痛となっていたのです。

 

 皆さん、最近のビッグニュースはご存知でしょうか?既に書いたように、21歳から69歳までの48年間、頭痛に悩まされたあの有名な歌手である宇崎竜童の話です。この宇崎竜童の頭痛を東京女子医大脳神経科の教授の清水先生がヘルペスと診断し、抗ヘルペス剤を投与することによって治してしまったのです。なんと今を去る約2000年前の魏の皇帝曹操の頭痛と、現代人のセレブである歌手の宇崎竜童の頭痛の原因が同じヘルペスであったとはびっくりしませんか?しかも有名人である宇崎竜童は、頭痛を治すためにあらゆる頭痛の名医をたずね回ったことでしょうが、48年間どの名医も彼の頭痛の原因がヘルペスであるということを診断できなかったのです。それどころか、免疫を抑えるあらゆる種類の頭痛薬を飲まされている間に、ヘルペスがどんどん彼の脳の血管神経で増え続けたことも、医者も彼自身も知らなかったのです。何もヘルペスを体中に増やされたのは宇崎竜童だけではありません。現代の製薬メーカーの作る薬は全て免疫をいじめる薬だけですから、薬を飲めば飲むほど全ての人の神経にヘルペスが増殖しまくっているのです。いつも言っているように、現代の文明の病気の原因は化学物質とヘルペスしかないといっても過言ではないのです。

 

 何億年も前から脊椎動物の神経に住みついてきたヘルペスは、現代の人間の祖先であるホモサピエンスが生まれたときから、人類の神経組織をすみかとして人間の最大の苦痛である痛みを引き起こし続けてきたのです。つまり病気を作り続けてきたのです。この痛みは全てヘルペスと免疫との戦いによって生じる正しい症状であるにもかかわらず、世界中の医者はヘルペスとの戦いによるものだということを誰一人として現在も気づいていないのです。

 

 最近私は新しい発見をしました。まずひとつが、あらゆる癌患者に対して抗癌剤を入れる時は、ほとんど必ずステロイドホルモンを注射したり内服させているという驚くべき事実であります。なぜこんなバカなことをするのでしょうか?ステロイドで癌細胞は減るのでしょうか?逆に免疫を抑えることによって癌細胞は増えるばかりではないのでしょうか?癌は感染症でもありませんし、かつ化学物質を排除しようとするアレルギーでも膠原病でもありません。つまり癌は、遺伝子の変異により普通は10年以上もかかって初めて目に見える大きさの癌になるのです。知らないうちに大きくなっていく癌に対して、炎症症状が出るでしょうか?絶対に出ません。こんなときにアレルギーや膠原病でステロイドを使っている間に癌細胞はどんな挙動をするでしょうか?増える一方でしょう。免疫こそが唯一小さい癌をやっつけることができる方法であるにもかかわらず、知らずして使ったステロイドはますます癌を促進させていくのです。こんな簡単な真実を癌専門医は知っているでしょうか?あらゆる細胞の遺伝子を一時的に変え続けるステロイドホルモンこそが癌の原因だと私は考えています。言い換えると、ストレスに耐えるために作り続けるステロイドホルモンこそが、他の人よりも早く若くして癌になる原因なのです。もちろんステロイドホルモンだけが癌の原因だと言っているわけではありません。

 

 免疫の遺伝子の働きを落とすことによって、若い人たちの癌が生まれるのです。癌を治すことができるとすれば、唯一免疫を上げることによってしか方法はないのです。癌が大きくなるまで見つからないのは、まさに免疫を抑えるからであります。さらに癌が見つかった時にステロイドを抗癌剤と一緒に使うということは、免疫では絶対に治らない癌に仕立て上げていることに癌専門医は何も気づいていないのです。これはちょうどあらゆる膠原病はアレルギーで排泄すべき化学物質を、免疫を抑えることによって、つまり免疫の様々な遺伝子がOFFになり、いつの間にか膠原病を起こすIgGの世界に、いわゆる抗体の逆クラススイッチをしていることに気づかないのと同じことなのです。

   

 どうして癌専門医はステロイドと抗癌剤を一緒に入れると思いますか?この答えも極めて簡単です。  抗癌剤を使うということは、癌細胞のみならず他の全ての正常な細胞の遺伝子の働きを異常にさせて、癌細胞と一緒に正常な細胞も一緒に殺してしまうことです。だからこそ抗癌剤を使うなという発表する医者が増えてきたのです。なぜかというと免疫細胞の遺伝子も異常にし、癌をやっつける免疫細胞をも殺してしまうからです。免疫細胞の中枢は何でしょうか?リンパ球です。このリンパ球がどんどん減っていくのです。免疫の働きを抑えれば、何が起こるでしょうか?あらゆる感染症ににかかりやすくなります。風邪のウイルスにも感染しやすくなります。もっと重大なのは、地球上の73億人の全ての人間の神経に住みついているヘルペスウイルスが増えることになることです。

 

 皆さん、癌の患者が抗癌剤を使えば使うほど、あるいは放射線を当てれば当てるほど、徐々に痛みが出現し、最後は痛みのために生き地獄を味わわなければならないことをご存知でしょうか?なぜでしょう?ちょっと考えてください。  逆にかの有名な『大往生したければ医者とかかわるな』という本を書かれた京都の介護医療施設の病院長でいらっしゃる中村仁一先生のことをご存知でしょうか?彼は長い間あちこちで「癌治療は何もしない方がいい」と言い続けています。彼は癌治療の3大治療といわれる、外科手術、化学療法、放射線治療はやらない方が、癌患者さんにとって一番幸せだと言い続けています。何もしないで自然に任せれば痛みも少なく、自然に数百人も看取ってこられたのです。なぜ癌治療を受けない人が痛みもなく自然死できるのでしょうか?これもちょっと考えてください。私のホームページを熟読しておられる方は、答えが分かっていらっしゃるでしょう。もう少しすれば正答をお教えしますからついてきてください。

 

 癌患者の断末魔の痛みは、確かに癌病巣が感覚神経にまで播種したり転移したりすることで起こることもあるでしょうが、私は未だかつて「癌が神経に転移したために痛みがひどくなった」という話は聞いたことがありません。にもかかわらずなぜ断末魔の苦痛がひどくて麻薬などを使わざるを得なくなるのでしょうか?さぁ、皆さんも答えは出たでしょう。そうです。ヘルペスとの戦いであったのです。手術で癌病巣を取った後の痛みを取るために痛み止めを飲まされ、そして免疫が落とされ、ヘルペスウイルスは増え続けます。次には抗癌剤をたっぷり放り込まれ、抗癌剤に一番弱い免疫系の中枢であるリンパ球や樹状細胞がどんどん減り続け、逆にまたまたヘルペスウイルスがどんどんどんどん増えていきます。とどめの最後の一発は放射能であります。放射能に一番弱いのは皆さんご存知のように、リンパ球であり、免疫系の細胞であります。この間、リンパ球をはじめとする全ての免疫系の細胞が痛めつけられている間に、ヘルペスウイルスは無限大にまで増殖し続けます。従ってヘルペスが最も好きな人間は癌専門医であります。癌専門医ほど相性の良いヘルペスの連れはいないのです。しかしながら癌専門医にこれだけ癌患者の免疫がいじめ尽くされても、癌患者さんが死なない限りは免疫系は働き続けます。あらゆる神経に増殖したヘルペスは、息も絶え絶えの免疫系も見つけ出さざるを得ないのです。免疫系は生きている限り、彼らの高貴なるヘルペスウイルスを殺す義務を最後までやり遂げようとするのです。免疫は癌細胞を見つけるよりもはるかに簡単に増えすぎたヘルペスを見つけ出すのです。免疫は癌細胞と戦うよりも、さらに必死に神経細胞にいるヘルペスと戦うのです。これが癌の断末魔の激痛が死ぬまで続くことになる理由です。

 

 私は全世界の他の医者が知らない真実をたくさん知りすぎてしまいました。まさか癌患者が息を引き取る間際まで耐え続けねばならない痛みが、ヘルペスと免疫の戦いであるということをつい最近まで知りませんでした。とうとう分かりました。実はこの事実も私だけが知っているのではないのです。癌患者の全てにステロイドを投与している癌専門医の全てが知っている真実なのです。だからこそ最近全ての癌患者に抗癌剤とともにステロイドを投与しだしたのです。そのいきさつを少し詳しく書きましょう。

 

 最近、転移している子宮癌と診断され、転移しているにもかかわらず手術で子宮を摘出され、その後に抗癌剤を飲まされ、かつ放射能を浴びせられてきた患者さんが私をたずねてきました。彼女は20年前にアトピーを治してあげた女性であったのですが、2年間抗癌治療をしているうちに、最近激しいアトピーの症状が出て、再び当院に来られたのです。一方、子宮癌の方はさらに転移巣が大きくなってどうにもならなくなり当院を再受診されたのです。つまり、現代医学の抗癌治療では治らないと気づいて、免疫治療となる漢方治療を求めてこられたのです。彼女は私が以前からステロイドは治療薬ではなくて、病気を作るだけの薬であると言い続けているのを知っていたので、2年間大学病院の癌治療をやって治ると信じていたにもかかわらず、再発したということにショックを受け、全てを語ってくれたのです。彼女は子宮癌の治療のために、2年間も抗癌剤と一緒にステロイド剤を点滴されたり飲まされているということを告白したのです。

 

 若い時に当院でアトピーのために使ってきたステロイドを離脱する苦しみを経験し、乗り越えてアトピーを治したのでありますが、そのときにステロイドを絶対に二度と使うなと教育していたのです。こっそり大学病院の先生にステロイドを出されていたのに気づいてはいたのですが、癌を治すために必要であると思い込まされ2年近くも飲み続けたのです。子宮癌が治ると信じていたので、仕方なく飲まされていたというわけです。ところが最近になって癌の再発がみられるということで私に相談に来たのです。私はそれまで他の大病院で抗癌剤と一緒にステロイドをいれるということは聞いたことがなかったので、びっくり仰天しました。なぜ抗癌剤にステロイドをいれるのか、その根拠が全く理解できなかったからです。免疫を落とすことによって作られた癌細胞に、なぜ大量のステロイドの点滴を定期的にやるのかが全く解せなかったからです。実は堂々とステロイドが使われる癌があります。悪性リンパ腫です。これについて少し説明しましょう。

 

 悪性リンパ腫の治療ではCHOP療法といって、「Cyclophosphamide - シクロフォスファミド。商品名:エンドキサン」と、「Hydroxydaunorubicin - ドキソルビシン、アドリアマイシンの別名。商品名:アドリアシン」と、「Oncovin(商品名:オンコビン) - vincristine、ビンクリスチン」と、「Prednisone または Prednisolone. - ステロイド(プレドニゾロンなど)」の4つの薬を原則的には21日1サイクルで投与し続ける標準治療法があります。上記の4つの薬の頭文字をとってCHOPと名付けたのです。はじめの3つの薬は抗癌剤です。最後のPであるプレドニンやプレドニゾロンは、まさにステロイドホルモンそのものです。

 

 私は実は悪性リンパ腫という癌が存在するかさえいぶかしく思っています。なぜならばステロイドが用いられる根拠が何もないからです。しかも二次リンパ節が腫大したのでリンパ腫とつけ、悪いものであるからという理由だけで悪性リンパ腫と名付けられているだけで、臨床的にも病理学的にも極めて多様な疾患が含まれ、今なお明確な疾患概念が確立していないからです。そのうえに悪性リンパ腫は二次リンパ組織由来の癌といいながら、リンパ組織のどの成分が癌化したのかについては一言も触れていません。さらにリンパ組織自身の癌といいながら、実はB細胞やT細胞が癌化しているといい、しかもこの癌化したB細胞やT細胞が末梢には一切出てこないのです。ただただ二次リンパ節でB細胞やT細胞が増殖しているだけなのです。これは実はリンパ節に見られるヘルペスウイルスを殺すために増えただけに過ぎないと考えざるをえないのです。このようなわけで、今もなお悪性リンパ腫という癌があるかどうかを疑問に思い続けている理由です。この悪性リンパ腫の治療にステロイドを使うのも8種類のヘルペスウイルスのどれかが関わっていると考えています。ステロイドで免疫の末梢器官であるリンパ節の働きを抑えれば、ヘルペスとの戦いがなくなり、従ってB細胞やT細胞が増える必要もないので、リンパ腫もなくなっていくのです。

 

 ステロイドを入れておく限り、ヘルペスとの戦いは一切見られないので、症状は出ません。また抗癌剤を入れる限りは免疫が落ちるのでヘルペスが増えるだけで症状は消えてしまうのです。悪性リンパ腫と診断された患者が命を失うのは、抗癌剤の副作用と、免疫を落とされたためにあらゆる種類の感染症を起こしてしまうからだと考えています。抗癌剤にしろステロイドにしろ、これらは病気を治す薬ではありません。症状が取れるのは免疫を落とすことによってだけでありますから、たまたまリンパ腫の腫れが取れても、もともと癌ではないので、免疫を落とし続けて免疫がヘルペスウイルスを殺すことができなくても、ヘルペスで死ぬわけではないので助かることがあるようにみえるだけなのです。最後は訳の分からない病気で死んでしまうことがあるのです。

 今から25年も前の話ですが、私の義理の親父も最後は癌で亡くなりました。原発巣が胃で転移巣が肝臓やリンパ節にもあったのですが、覆水が大量であったので入院させました。病院は色々癌治療をすすめてきたのですが、私は一切癌治療をさせませんでした。義理の親父もそれを望んでいたので、全て自然に任せました。彼自身は自分の漢方薬局で漢方煎じ薬を自分で調合し、死ぬまで飲み続けていました。私が最期を看取りましたが、何の痛みも訴えずに入院1週間で静かに静かに死んでいきました。その頃は親父自身が自分で調合していた漢方が痛みを消し去ったと考え、漢方はすごいと感動し、さらに漢方医学を勉強し臨床を漢方でやり続ける強い動機となりました。今まさに答えがはっきりしました。確かに漢方が免疫を上げていたのですが、それ以上に彼の体には一切免疫を抑える薬が入らず、しかも何の処置もなく、放射線も浴びせていなかったので免疫も元気だったのです。彼の免疫も癌を駆逐することはできなかったのですが、ヘルペスウイルスを増やすことをしなかったので痛みがなかったということが今やっと分かりました。

 今日はここまでです。2014/02/06

 

 免疫を抑えない漢方オンリーの医院を開業して30年近くなります。今から思い出すと、現代医療の3大癌治療の手術療法や化学療法や放射線治療をしたくないという理由で、漢方治療を求めて来られた癌患者さんが何人かいました。その頃も癌が漢方で治る訳ではないと思っていましたし、今も癌を漢方の免疫療法で治せるとは考えていません。しかし思い出してみると、何人かの癌患者の家族に感謝されたことがありました。というのは、癌患者であった家族が、死の最期まで苦痛なく生活できたと喜んでもらったことです。その頃、漢方は癌の痛みさえも取る何かがあるのだという印象を持ったことがあります。

   

 言うまでもなく漢方は全て免疫を上げることができる成分から成り立っているということと、かつほとんどの痛みは神経に住みついているヘルペスと、そのヘルペスを殺そうとする免疫との戦いの結果痛みが出現するという真実を知った今現在では、漢方だけが痛みを取った訳ではないということがわかりました。既に上で述べたように、現代医学の3大癌治療は、全て癌患者の癌細胞のみならず、正常な免疫の細胞の遺伝子をできる限り殺していることになるので、免疫の働きが落ちている間にヘルペスを全身の神経に増殖させてしまうのです。とりわけ3大癌治療を施された癌病巣周辺は最も免疫が抑制されてしまっているので、その周辺の神経に大量のヘルペスウイルスが増殖してしまうのです。ところが一切現代の3大癌治療を受けなかった人は、人為的かつ医原的にヘルペスウイルスを増やすことをしていないので、新たにこのようなヘルペスと知覚神経で戦う必要がないので、痛みのない死を迎えることができたのです。もちろん漢方生薬も免疫を上げることができるので、ヘルペスウイルスを増やさないような貢献をしたことも言うまでもないのです。

 

 さぁ、回り道が多すぎましたが、本論に戻りましょう。鍼をツボに刺すことは、どのように免疫を上げるのかという難問です。既に経絡のツボについては解剖学の一分野である形態医学の立場から、鍼を刺すと痛みやむくみが取れるという働きは明白なものであるので、何とかして形態学的にその根拠を解明しようとしてきました。この働きはツボに鍼をすることによってもたらされるわけですから、他の部分とは違って何か特別にツボに独自な形態が見つけ出されるのではないかと必死に調べられたのですが、ツボには何一つ特別な細胞や組織や構造物がないということが判明しました。ただ分かったのは、経穴と呼ばれるツボの部分には、他の組織と比べて神経線維や血管やリンパ管の数が多い傾向があることが分かりました。まさにこれがツボの正体だったのです。形態学者はツボに神経線維や血管やリンパ管が多いということを無視してしまったのです。形態学者は鍼灸師ではないので、鍼をやるのは実はツボだけではなくて、患者が痛いという箇所も鍼を打つと痛みが取れるということを知らなかったのです。ツボも痛むことがありますが、ツボでないのにもかかわらず痛みがある箇所はいくらでもあるので、頻繁にツボでない痛みの場所を鍼師は鍼を打つのです。いずれにしろ痛みを感じるのは全て感覚神経であります。全身に痛みの感覚神経は網の目のように張り巡らされています。しかも神経は必ず血管とリンパ管が並走している意味をも形態学者は見逃してしまったのです。

   

 さぁ、さらにここで鍼の本質を考える前に、痛みとは何かを考える必要があります。皆さんは痛みを感じる特別な装置があるとお考えでしょう。確かに触覚には皮膚の下の真皮は触れられたら反応できるマイスネル触覚小体というものがあり、強く触られた時には真皮の下の皮下組織にあるファーターパッチーニ小体という特別な装置が反応するのです。その他に圧を感じる特別な装置はメルケル小体やルフィニ終末といわれる受容体もあります。実際は圧と触りの違いを区別することは難しいのですが。

 

 ところが痛みを感じる特別な装置は何もないのです。それでは何が痛みを感じているのでしょうか?皆さんご存知のように、神経には中枢神経と末梢神経があります。脳から出た神経は脊髄に入ります。この脳と脊髄にある神経は中枢神経であります。さらに脊髄から体の隅々まで出て行く神経を末梢神経といいます。末梢神経は脊髄から出るとすぐに、脊髄神経節にいきます。神経節という言葉は皆さんご存知でしょう。ヘルペスウイルスは永遠に人間に免疫では殺しきることができずに、ただ神経節に追い込むことしかできないと何百回も言っていますね。この脊髄神経節は中枢の脊髄から出た神経がたくさん集まっているところです。この脊髄神経節にいる神経細胞から神経軸索、別名神経突起とか神経線維といわれますが、これが出て行きさらに枝分かれし、この分岐した先端の最後を終末分枝といいます。この終末分枝が皮膚や筋肉や腱や関節や内臓の組織に入り、この終末が痛みを感じるのです。神経線維は太さによって大きくA、B、Cの3種類に分けられますが、痛みを脳まで運ぶのは、A線維がさらに細分されたAδとCであります。刺すような痛みは太い線維で運ばれ、鈍い痛みは細い線維であります。

 

 それでは手を切ったり火傷をしたりするとどうして痛いのでしょうか?皮膚が傷つけられると、その周辺にある血管は一時は縮みますがすぐに広がります。すると広がった毛細血管の圧力が上がり、毛細血管の中から液状成分が周りに滲み出し、その血液成分が様々な免疫細胞を刺激します。毛細血管の血液も鬱滞し腫れてきます。ところがいったん縮んだ毛細血管はすぐに広がるときに痛みを引き起こす様々な化学物質が組織に出て行きます。その代表がブラジキニンであり、セロトニンであります。さらに傷ついた組織内にいた肥満細胞からもヒスタミンが出ます。このブラジキニンとセロトニンとヒスタミンの3つが、先程述べた痛みを感じる神経末端を刺激します。この刺激が末梢神経を通って中枢神経の脊髄に入り、脳に伝わっていくのです。

 

 もっと詳しく説明すると、脊髄に入った痛みの感覚は、中枢の脊髄の神経細胞に中継された後、その神経細胞から出た神経線維は脊髄の中で反対側に行ってから脳へと上がっていきます。脳の間脳にある視床にまで行き着いて、そこで視床後腹側核にいきます。ここまでの道筋を外側脊髄視床路と専門的にはいいます。視床まできた痛みの情報は、さらに脳の皮質にある知覚野にいき、痛い場所の特定や程度が知覚されるのです。末梢神経の終末枝で感じられた痛みの感覚は、首から上の痛みは三叉神経により痛みの情報が伝えられます。他には、後頚部や首の痛みは頚神経により、かつ胴体の前と後ろの痛みは胸神経により、腰や両下肢の前部は腰神経により、最後は両下肢の後部と生殖器は仙骨神経により脳にまで痛みの情報が伝えられるのです。こむら返りの痛みは、仙骨神経から出た座骨神経が筋肉に入って、この神経にいるヘルペスとの戦いのために生じるのです。

   

 例えば、ヘルペスで顔の痛みや頭痛が起こる時の痛みはどのように脳にまで伝わるのかを説明しましょう。皆さん、なぜ三叉神経というのかご存知ですか?三叉神経というのは3つの末梢神経から成り立っているからです。一番上の枝の神経を眼神経、真ん中の枝を上顎神経、下の枝を下顎神経といいます。この3本の神経はどこから出て行くのでしょうか?三叉神経神経節から3本に分岐するのです。この三叉神経神経節は半月神経節ともいわれます。この三叉神経は首から上にある末梢神経である12本の脳神経の中で最大であり、脳の橋という場所から出て、三叉神経節を作った後に、第1枝の眼神経、第2枝の上顎神経、第3枝の下顎神経の3本に枝分かれして行くのです。この左右にある眼神経が脳の血管を支配している神経であります。この三叉神経が12本の脳神経の中で最大である理由の一つは、この分枝である眼神経が全ての脳の血管神経や脳膜の痛みを感じ取るためであります。

 

 それではどうしてヘルペスによる頭痛は起こるのでしょうか?三叉神経神経節(半月神経節)にいるヘルペスウイルスが、知らぬ間に左右の眼神経に沿って脳の血管神経に入っていくのです。この脳血管を支配する神経でヘルペスと免疫が戦うと、その情報は三叉神経神経節に痛みの情報としてまず伝わります。そこから脳の痛みを知覚する知覚野に伝わって頭痛となるのです。

 

 皆さん、絶対に知っておいてもらいたいことがあります。脳の中自身には痛みを感じる感覚神経の受容体は何もないのです。頭痛は脳の表面にある動静脈や、脳膜の間にある動静脈や、脳底の動静脈などにきている痛みを感じる神経が感じているのです。この神経は何だと思いますか?まさに三叉神経の一分枝である眼神経なのです。脳の全ての血管神経を支配し、痛みを感じるのは、まさにこの三叉神経の眼神経なのです。これをしっかり覚えておいてください。この眼神経にはびこった水痘帯状ヘルペスが免疫に見つけられ、免疫がこのヘルペスを殺そうとした時に炎症を起こし、それが痛みとして先に述べたように脳に感じられて頭痛として認識されるのです。全ての脳の痛みは三叉神経を通じて脳の知覚野に伝えられるのです。

 ついでに脳膜について説明しておきましょう。脳膜は、別名脳脊髄膜といわれる脳と脊髄を包む膜であり、3層から成り立っております。外から硬膜、くも膜、軟膜です。くも膜と軟膜の間には脳脊髄液が満たされています。一般にはこの3つの膜を脳脊髄膜とか、髄膜ともいいます。

 さらについでにお話ししておきましょう。ブドウ膜炎はどうして起こるのでしょうか?まずブドウ膜とは何でしょうか?ブドウ膜は眼球血管膜ともいい、虹彩、毛様体、脈絡膜で構成されています。なぜブドウ膜のことを眼球血管膜というのでしょうか?まず眼球を取り囲んでいる壁は3層でできています。最外側は強膜といい、別名眼球線維膜ともいいます。内側は網膜であります。この網膜に光を感知し、物体を見ることができる視神経細胞があります。強膜と網膜に挟まれた中間の膜を眼球血管膜といいます。つまり、ブドウ膜は血管と神経に富んでおり、多量のメラニン色素を含んでいて黒褐色をしています。この眼球血管膜は眼球の後ろの方から前の方に向かって脈絡膜、毛様体、虹彩の3つに名前が変わっていくのです。この眼球血管膜にある神経にヘルペスウイルスが潜んでいるのです。このヘルペスと戦う時にブドウ膜炎が生じるのです。(ブドウ膜炎については、ブドウ膜炎の手記を読んでください。)ブドウ膜炎というのは、このブドウ膜とこれに隣接する組織の炎症のことをいいます。ブドウ膜炎を起こす3つの病気があります。サルコイドーシスとフォークト−小柳病とベーチェット病であります。これらは全て水痘帯状ヘルペスウイルスによる炎症でありますが、世界中の全ての眼科医が知りません。残念です。この眼神経に沿って目に増殖したヘルペスウイルスが免疫に見つけられて、角膜炎や虹彩炎や毛様体炎や脈絡膜炎を起こすのです。

 

 もちろん一部膠原病も隠れていることがあります。皆さん、膠原病という病気の由来はどこから来たのかご存知ですか?膠原病は別名、結合組織病といってもよいのです。既に何回も述べたのですが、細胞と細胞を結びつけたりするのに膠原線維が必要です。膠原線維の多い結合組織で炎症が起こるので膠原病や結合組織病というのです。現代医学で最も難病といわれている膠原病はどうして生じるか皆さんはもう既にご存知でしょうが、復習のつもりで勉強し直しましょう。医学書には膠原病は原因が分からないので難病であり治しようがないと書かれていますが、それどころか恐ろしいことに自分の免疫が自分の組織を攻撃するという自己免疫疾患という嘘八百の病気まで現代医学は作り上げました。『自己免疫疾患はない』というコラムを読んでください。もちろん言うまでもなく難しいですよ。実は文明が作り出した化学物質が異物となり、その異物を免疫がIgGで戦う時に生じる病気であることは、皆さんもうご存知でしょう。これらの化学物質は飲食物や大気から摂取されて、血液によって栄養や酸素と一緒に人体のあらゆる組織に運び込まれ、結合組織に毛細血管からしみだしていきます。必要な酸素や栄養物はその組織の細胞によって取り込まれるのですが、不必要な化学物質が結合組織に蓄積します。これをあらゆる組織に張り巡らされている免疫が異物と認識できる優れた免疫の働きを持っている人は、排除するために戦いを始めます。この異物とIgGで戦うと膠原病になり、IgEで戦うとアレルギーとなるのです。

 

 最近ドライアイという病気が増えてきました。どうしてドライアイが増えたかを説明しましょう。もともとは花粉に運ばれてきた自動車排気ガスなどの大気汚染物質が眼の結膜につくと、いわゆる花粉症、つまりアレルギー性結膜炎になります。このときに眼科医はリンデロンや抗ヒスタミンや抗アレルギー剤などの免疫抑制剤を出して、一時的に免疫の遺伝子の働きを抑えてしまいます。つまり本来ならば結膜に付着した化学物質を排除するために目が痒くなったり涙が出たりするのは当然のことなのですが、ステロイドを使われると、結膜の周辺の免疫の働きが一時的に無理やり止められるのみならず、涙腺からも涙を出すことができなくなってしまいます。つまり涙腺の遺伝子の働きが止まってしまうのです。アレルギー性結膜炎が起こるたびに免疫抑制剤を使い続けると、いつの間にか涙を作る細胞の働きが止まってしまいドライアイになるのです。このドライアイも医原病の一つであります。

 ついでですが、シェーグレン症候群という病気はご存知ですか?目が乾き、口が渇くという症状で診断される人が多いのです。これもまさに医原病の一つです。というのは、花粉症でリンデロン点眼薬を使っていると、リンデロンというステロイドホルモンは鼻涙管を通じて鼻腔に流れ、それが口の中にまで流れていきます。もう少し説明しましょう。まず化学物質である異物が目につくと、人間の免疫はそれを洗い流すために涙腺より涙を分泌します。涙の一部は目の結膜表面から溢れ出てまぶたに流れるものもありますが、涙腺より分泌された涙の一部は眼球表面を洗った後、両目の内側、これを内眼角といいますが、この近くにある涙点という入り口から上下2本の涙小管を通って涙蓑に入り、さらに涙蓑を下って鼻腔に流れるのです。

 ついでに面白い話をしておきましょう。日本人は昔から他の民族に比べて涙もろいといわれていますが、なぜだかご存知ですか?本当でしょうか?白人は日本人に比べて涙を下まぶたに溢れることが少ないので、「日本人は情感にあふれ、白人は冷たい」などといわれることがありますが、実はそうではないのです。白人の鼻涙管は日本人に比べるとはるかに広いので、白人が感動のあまり涙を流しても、その涙の全てが鼻腔に流入してしまうので目から涙が溢れることが少ないのです。一方、日本人をはじめとする東洋人は鼻涙管が比較的狭いために、多量の涙は目から外へ溢れ出てしまうのです。これが日本人が涙もろいといわれる根拠です。

 さて本論に戻りましょう。シェーグレンはステロイドのリンデロンにより目の結膜から入ってくる化学物質を無理やりIgEの働きをIgGに変えてしまったためにまず目の乾きが生じるのです。さらに長期にリンデロン点眼薬を使い続けると鼻腔から口腔にもれ出たステロイドが、唾液腺周辺に取り込まれ、唾液腺の細胞の遺伝子まで変えてしまい、唾液も出なくなってしまうのです。すると口の中まで渇いてしまうのです。このような目が乾き口も渇くという症状を持った患者さんに、医者はシェーグレン症候群と診断し、ステロイドを投与したりします。するとさらに免疫の遺伝子が抑えられ、本格的に膠原病になってしまい永遠に治らない病気となってしまうのです。残念です。

 ステロイドホルモンがアレルギーを膠原病に変えてしまっているということを、現代の医薬業界が認めようとしないのはさらに残念なことです。もちろんステロイドホルモンは全ての人が毎日毎日生き続けるために出し続けているのですが、ストレスが強い人は自分の過剰に作りすぎたステロイドホルモンでシェーグレン症候群になっている人はたまにはいます。しかし自分で作り続けるステロイドホルモンは脳の視床下部や下垂体によって、ステロイドを多く作れば、作られないようにネガティブフィードバックがかかっていますから、たいしたことはないのです。ところが医者が病気の治療と称してステロイドホルモンを投与する量は無限大ですから、ひとたび医者がシェーグレン症候群と診断すれば、治療と称してステロイドを出し続けるので一生治らない病気となってしまうのがさらに残念至極です。

 それではシェーグレン症候群についてもう少し詳しく述べておきましょう。シェーグレン症候群は別名、乾燥症候群といわれます。症候群とよばれるのは、それぞれ直接かかわりがないと思われているいくつかの症状が集まって作られた病気という訳です。その主要な見かけ上かかわりのない症状は3つあります。まず1つめが乾性角結膜炎であり、2つめが口腔乾燥症であり、3つめが乾性リウマチやその他の結合組織疾患、つまり膠原病を示す症状を持った病気であります。この3つの病気をまとめて持っている人をシェーグレン症候群というのです。スウェーデン人のシェーグレンが1933年に初めて報告したのでこの名前がつきました。やはりリウマチと同じく女性が男性の9倍も多いのです。皆さん、なぜ女性が常に男性よりも膠原病が多いのかご存知ですか?それは女性ホルモンが免疫を抑えるからです。この答えを出すのは極めて難しかったのですが、やっと答えを見つけことができました。ユーライカ、ユーライカ!

 なぜ女性ホルモンが免疫を抑えるのかについて2年前に書き始めましたが、答えが分からなかったのですが、やっと分かりました。その答えを書きましょう。30年間一切ステロイドを用いずに、患者の免疫であらゆる病気を治させてきました。ステロイドを使わない日本で唯一の臨床医師としての私の存在を知った難病の患者さんが全国から、いや外国からも来ました。なぜ彼らははるばる遠路から私を求めて来られたのでしょうか?時間と交通費と労力を費やしてなぜ私を訪ねてこられたのでしょうか?ステロイドをはじめとする全ての免疫抑制剤を使えば使うほど病気が治らないことを身をもって知った患者さんたちだったからです。そう、その通りです。病気は38億年かかって作り上げられた命の救世主である免疫が治してくれるのです。しかしながらそんな真実を一切知らないで医者の魔手にかかってしまった患者さんたちは、この魔手から逃れるために当院にやってこられたのです。魔手が用いた薬はステロイドホルモンであります。70年前にケンドールやラインシュタット、ヘンチらによって初めてステロイドが人工合成されて薬として用いられた時に、まさにステロイドは魔法の薬であり奇跡の薬と喧伝されました。ところが70年経ってもこの魔法の薬は病気を治すものではなく、一時的に遺伝子の発現を変えるだけで、病気は永遠に治らずひどくなるばかりで、ステロイドが病気を作っているということに気づいた人たちが全国から当院にこられたのです。ステロイドで免疫の遺伝子の働きである症状を一時的にとっても、必ずその遺伝子の働きは修復されて元に戻ってしまうことに気づいた患者さんたちが当院に来られたのです。この遺伝子の修復を行うには、リバウンドという激しいステロイドの離脱症状を乗り越えなければならないのです。松本医院の30年間はまさにステロイドという麻薬の離脱症状を乗り越えさせた30年間の歴史であります。彼らの病名は何だったと思いますか?あらゆるアレルギーとあらゆる種類の膠原病でありました。この2つの病気は、ご存知のように化学物質をIgEで戦うとアレルギーという名がつき、IgGで戦うと膠原病という名がつくのです。さらに3つ目の病気はヘルペスとの戦いであったのです。ヘルペスについてはヘルペスのコーナーを読んでください。

 ところが膠原病は圧倒的に女性が多いことに気づきました。膠原病で一番難病といわれるSLEやMCTDという病名を持ってこられた患者の中には誰一人男性はいませんでした。しかも女性の場合は膠原病にしろアレルギーにしろ、必ず生理の前後にリバウンドの症状がひどくなるということも分かったのです。さらに出産後には必ずリバウンドが激しくなるということも分かっていました。もちろん言うまでもなく、リバウンドというのは免疫が抑えられていたものが、その抑制をはがされて免疫が敵である人体に侵入した異物との戦いが激しくなったということも分かっていました。さらに加えれば、人体が生きるために自然に作り出す唯一の免疫を抑える物質はステロイドホルモンしかないということも分かっていました。従って女性ホルモンが免疫を抑える根拠は、女性ホルモンとステロイドホルモンとの関係を明らかにすることだけだったのです。もっとはっきり言うと、女性ホルモンが一時的にステロイドホルモンを作らせないか、もしくは、女性ホルモンがステロイドホルモンを間接的に大量に作らせた後女性ホルモンが急になくなると同時に、ステロイドホルモンも同時になくなってリバウンドを起こして病気が生まれるかのどちらかであるということも分かっていました。

 この論理的な思考回路を皆さんが完全に理解されるかどうかは心もとないのですが、要するに理解してもらいたいことは、女性ホルモンが間接的なステロイドホルモン作用をどのように持っているかを説明すればいいだけなのです。その完全な説明をするために、私が2年前に『なぜ女性ホルモンが免疫を抑えて、女性ホルモンが減る生理の前後に症状が悪くなるのか』をテーマにして書き始めたのですが、どうしても答えが出ずに、いずれ分かるだろうという思いで勉強し続けました。それがやっと分かったのです。今までなぜ答えが出なかったのかというと、考え方の方向は正しかったのですが、卵胞ホルモンも黄体ホルモンも、両方とも免疫を抑える力があると考えていたことが解答を得る障害になっていたのです。

 さらに世界中の医者がこのように女性ホルモンが免疫を抑えるという認識を持つことができないのは、医者たちが毎日毎日70年間用いてきたステロイドが免疫を抑え続けるかぎりは病気は治すことはできないという真実から目を背けているからです。つまりステロイドをやめれば、ステロイドを用いる前の症状よりもはるかにひどくなるということを認めようとしないからです。言い換えるとステロイドの離脱症状を真剣に真っ向から向かい合うことを避け続けてきたためです。このステロイドの離脱症状を敢然と挑んだのは、ステロイドを使い続ける限りは病気は治らないと気づいた患者さんだけであり、かつこの離脱症状30年間真摯に対応してきた医者は世界でたった一人私だけだったのです。つまりステロイドを使うが故に病気が治らないということを知っているのは世界で私だけであり、患者さんの免疫の遺伝子のみが病気を治すという真実を知っているのは私だけであったからです。

 リバウンドは免疫の遺伝子の働きを取り戻す尊い戦いなのです。この戦いを最後まで勇気を持って挑戦し、病気を自らの免疫の遺伝子の力で治された過去30年間の患者さんに心から感謝します。真実のためにリバウンドの苦しみを乗り越えて、自分の免疫で全ての病気を治された患者さんに栄光あれ!!

 まずいわゆる女性ホルモンは、ステロイドホルモンのひとつであるエストロゲン(エストロジェン)を指します。このエストロゲンは、卵胞ホルモンとか発情ホルモンともいわれます。メスの動物(人間も含めて)に発情現象を起こす、いわゆる女性ホルモンといわれるものであります。つまり男性を好きになったりするホルモンがエストロゲンであります。ときに『女性を女性たらしめるホルモン』ともいわれます。もうひとつ女性にとってエストロゲンと同じぐらい重要な性ホルモンがあります。女性の生理や妊娠を起こしたり、妊娠を維持するのに重要な役割を果たすステロイドホルモンであるプロゲステロンとよばれる黄体ホルモンであります。以前からわかっていたことは、この2つのホルモンが直接的には免疫を抑えることはないということです。これは正しい方向だったのです。結論から先に言いましょう。黄体ホルモンであるプロゲステロンが間接的にステロイドを作り続け、プロゲステロンがなくなった時に免疫の様々な遺伝子が修復され、免疫の力が取り戻されステロイド離脱症状を起こし、症状がひどくなるのです。エストロゲンは関係なかったのです。

 まずエストロゲンがステロイドを作ることがないことを証明しましょう。なぜステロイドホルモンという名前がつけられたかご存知ですか?このステロイドホルモンの全てが肝臓で作られたコレステロールが原料であることを知ってください。ステロイドホルモンという名前はこのホルモンが全てステロイド骨格とよばれる4つの環が結びついてできた基本構造を持っているからです。

 下にコレステロールから作られていく全てのステロイドホルモンの合成のチャートを掲載します。卵巣エストロゲン合成経路を見てください。赤線で記されています。このチャートには人体で作る全ての卵胞ホルモンが載せられています。皆さんはステロイドホルモンといえば、アトピーやリウマチの治療で用いるホルモンと思い込んでおられるようですが、実はその治療に用いられるステロイドホルモンは、正確には副腎皮質ホルモンというべきなのです。ところが臨床の分野ではこの副腎皮質ホルモンが大量に毎日使われているので、いつのまにかステロイドホルモンはこの治療のための副腎皮質ホルモン薬を指すようになってしまったのです。しかもこの副腎皮質ホルモン薬にも様々な製薬メーカーが作っているので、さらにたくさんの商品名がありすぎて、一般の人には何がステロイドホルモンであるのか、その正しい区別が全くできなくなっています。化学をまともに勉強していない人に対してステロイドの全てを語っても意味がありません。医学って難しいでしょう?しかし医学ってめちゃ面白いんですよ!だからこそこのようなホームページを作り続けることができるのですよ。とにかく下図のステロイドの合成経路を見てください。

 下図に書かれているエストロゲンは5つあります。17βエストラジオール、エストロン、16ケトエストロン、16αヒドロキシエストロン、エストリオールの5つです。特に17βエストラジオールは、別名E2といわれ、このE2が少ないために不妊症を起こすことがあり、不妊症の検査では必ず調べられるエストロゲンであります。図を見られたら分かりますように、この5つのエストロゲンからは副腎皮質ホルモンであるステロイドが作れないことはお分かりになるでしょう。

 さぁ、次に下図の中で真ん中の上あたりに書かれているプロゲステロンに気がつきませんか?このプロゲステロンこそが黄体ホルモンであります。このプロゲステロンから副腎皮質ホルモン合成経路が真下にあるのがお分かりでしょう。それが2つの副腎皮質ホルモンである、11デオキシコルチコステロン、コルチコステロンであります。最後のアルドステロンはステロイドホルモンではあるのですが、これは鉱質ステロイドホルモンであって免疫を抑えることはないのです。この黄体ホルモンであるプロゲステロンが作られれば、知らないうちに副腎皮質ホルモンである2種類の11デオキシコルチコステロン、コルチコステロンが副腎皮質の束状層で作られてしまうのです。ところがこの11デオキシコルチコステロンとコルチコステロンは、あくまでもプロゲステロンが作られて初めて作られるものであります。

 それではどんなときに黄体ホルモンであるプロゲステロンが作られるのでしょうか?排卵のときのメカニズムについては、『なぜ女性ホルモンは免疫を抑えるのか』を読んでください。少し説明します。生理が終わると再び妊娠のために卵巣にある卵胞から卵子を放り出すための排卵の準備をします。脳の下垂体からFSHという卵胞刺激ホルモンがでていきます。そうすると卵巣にある卵胞のうち1個が成熟してきますと、卵胞からエストロゲンが徐々に増えていきます。このエストロゲンが増えるにつれて下垂体にあるLHホルモンが増えていきます。このLHホルモンは卵胞から卵子を排卵させる仕事をします。LHホルモンは黄体形成ホルモンといいます。つまり卵胞から黄体ホルモンであるプロゲステロンを出させる仕事をするのです。排卵の直前に卵胞から最大限作られたエストロゲンが、さらに下垂体に命令して最大限のLHホルモンを出させます。これをLHサージといいます。このときに同時に排卵が起こります。排卵が起こるまではエストロゲンが大量に出され、LHサージが起こるとエストロゲンは減って行きますが、LHによって卵子がでてしまった残りの卵胞から徐々にプロゲステロンが作られるのです。ところが受精が起こらなければ増えたプロゲステロンが急に減ってしまうのです。プロゲステロンが増えている間に、このプロゲステロンを原料として、11デオキシコルチコステロンとコルチコステロンも作られ続けているのです。生理が始まる前後にはこのプロゲステロンはほとんど作られなくなり、一方卵胞ホルモンであるエストロゲンが徐々に作られ始めるのです。と同時に、11デオキシコルチコステロンとコルチコステロンで抑えられていた免疫がプロゲステロンの減少とともに免疫の仕事が一過性に増大して、免疫のリバウンド現象が出現するのです。これを初潮から何年も繰り返しているうちに、徐々に徐々にアレルギーになるべき人が膠原病になってしまうのです。ちょうど子供のときからアレルギーである人が、免疫を抑えるステロイドホルモンを使っているうちにアレルギーがいつの間にか膠原病になってしまうのと同じなのです。

 それにもうひとつ付け加えておきたいのは、出産後にリウマチになる女性が多いことです。あるいは妊娠中に出なかったアレルギー症状が、出産後に免疫のリバウンドを起こしてアレルギーがひどくなったり、膠原病が出たりするのも同じメカニズムであります。それを説明しましょう。先ほどの話の続きになりますが、排卵後受精すれば妊娠が生じます。妊娠したら胎盤ができ始めます。胎盤は性ホルモン的という観点から見れば、何をすると思いますか?排卵が終わったのち黄体ホルモンが増えると言いましたね。排卵の後に残された卵胞から黄体ホルモンが出ることも述べましたね。ただ妊娠がなければ黄体ホルモンが作られなくなるということも述べましたね。ところが妊娠が生じれば、この卵子のなくなった残りの卵胞から黄体ホルモンが作られ続けるのです。妊娠すると胎盤が徐々に作られますが、胎盤が完全なものになるまで3ヶ月かかります。この受精後3ヶ月間、黄体ホルモンを作り続けるのです。胎盤ができてしまうと、今度は胎盤自身がこの黄体ホルモンを作り始めるのです。胎盤は妊娠3ヶ月目から出産の10ヶ月までずっとプロゲステロンを作り続けます。つまり黄体ホルモンは妊娠を継続するために絶対に必要なホルモンでもあるのです。出産とともに胎盤も排出されてしまうので、急激にプロゲステロンが減ってしまいます。

 一方、エストロゲンは胎盤で妊娠3ヶ月目ぐらいから徐々に増えだしていきます。エストロゲン自身は妊娠の継続のためには必要ではないのですが、それではエストロゲンはどんな仕事をしているのでしょうか?妊娠末期に向かって乳汁分泌の準備として必要なのです。つまり乳腺の導管を妊娠中に発達させるために必要なのです。一方徐々に増えていく大量のエストロゲンは妊娠中に乳汁の分泌を止めているのです。

 しかし胎盤でのエストロゲンの合成はちょっと複雑なのであります。やはりこの胎盤のエストロゲンの合成は、胎盤の絨毛でコレステロールからプレグネノロンが作られるのです。下のステロイド合成のチャートをみてください。プロゲステロンの書かれている場所はすぐわかりますね。プレグネノロンはプロゲステロンの前駆物質であることもチャートを見ればすぐお分かりになるでしょう。プレグネノロンの下を見てください。すぐ下にデヒドロエピアンドロステロンが書かれています。このデヒドロエピアンドロステロンをDHESと英語の略語で書くことがあります。このデヒドロエピアンドロステロンから赤色の卵巣エストロゲン合成経路を辿ってください。辿っていくと最後にエストリオールというエストロゲンが出来上がることがお分かりでしょう。

 このエストリオールはどのようにして作られるのでしょうか?それはプレグネノロンが胎児の体に入ります。まさに胎児の体に入るのですよ。エストロゲンを作るのに胎児が協力しているのです!びっくりしませんか?この胎児の体に入ったプレグネノロンは胎児の副腎でデヒドロエピアンドロステロンに硫黄がひっついて、デヒドロエピアンドロステロンサルフェートになるのです。これをDHEASと書きます。このDHEASはさらに胎盤に入ると、チャートを見たら分かるように、エストリオールになるか、もうひとつは胎児の肝臓でDHESに水酸基がついた後に胎盤に戻されてエストリオールになるのです。ここまで医学は解明しているのです。医学って面白いでしょう。

 ついでに避妊用のピルがどのようにして作られるか説明しておきましょう。実はプロゲステロンとエストロゲンであるエストリオールは単に妊娠を維持するだけではなくて、脳の視床下部に働いて排卵を止める働きをしているのです。つまりプロゲステロンとエストロゲンの2つの性ホルモンが協力して脳の視床下部にネガティブなフィードバックをかけて、GnRHを出させないようにしているのです。(GnRHについてはここを読んでください。)GnRHが視床下部から出ない限りは卵巣から排卵は絶対に起こらないのです。

 ついでにもう一つ述べておきましょう。妊娠中の母親の体温が非妊時と比べて高くなっているのをご存知ですか?それは妊娠中に胎盤から作られたプロゲステロンが、視床下部の視索前野の体温中枢に働いて体温を上げているからです。なぜ妊娠中の母親は体温を上昇させる必要があるのでしょうか?体温を上げることによって母親の体の全ての細胞の代謝を高めることにより、胎盤での赤ちゃんの老廃物を処理しやすくしたり、さらに血流をよくして胎児にあらゆる栄養分や酸素を供給するためであります。しかしながらそれは母親の体に大変な負担をかけることになり、自分自身と赤ちゃんの2人分の老廃物の処理をしなければならないので、出産後に腎機能障害を起こしたり、腎臓性の高血圧を起こしたりするからです。

 70年前にノーベル生理医学賞をもらったラインシュタインとケンドールが見つけたステロイドというのは、このコルチコステロンであったのです。ラインシュタインは副腎皮質から取り出した化学物質をH化学物質と名付け、ケンドールが取り出した化学物質をB化合物と名付けたのでありますが、結局は同じコルチコステロンであったので、2人が同時にステロイドホルモンを発見したということでノーベル賞をもらったのです。このステロイドホルモンの仕事のひとつに抗炎症作用や免疫抑制作用があるので、臨床において歴史的にも世界的にも最もよく使われてきた薬となったのです。患者は症状さえ取ってもらえれば快楽を得られるので、このステロイドを使うことを納得し、かつ永遠に病気は治らないので医者も仕事が増えるので、今もなお世界中の全ての病医院で最もさかんに使われている薬となっているのです。言うまでもなく松本医院は例外ですが。アッハッハ!

 ついでにこの図の左端下にあるコルチゾルを見てください。これこそが最も重要で主要な副腎皮質ホルモンであります。まさに副腎の皮質で作られるホルモンの代表がコルチゾルであります。このコルチゾルは正確にはグルココルチコイドと呼ばれ、糖質コルチコイドと訳されます。このグルココルチコイドであるコルチゾルは、先にあげた11デオキシコルチコステロンやコルチコステロンの免疫抑制作用や抗炎症作用が4倍以上も高いのです。さらにコルチゾルよりも何十倍も強い免疫抑制作用を持った人工合成ステロイドホルモンを作り出すことができ、それが臨床で毎日使われているのです。残念です。

2014/02/20

 長い長い道草をしましたが本論に戻ります。王惟一の項目でなぜ鍼灸が免疫を上げるのかという大テーマに挑戦しましたが、このテーマはなぜ漢方を免疫を上げるのかという論文に匹敵するぐらいの難問ですから、項を改めて正しい答えを書きます。お約束します。

○宋慈(そうじ)(南宋時代1127〜1279)

 彼は南宋時代の1247年に中国で最初、もちろん世界で最も古い法医学の専門書となる『洗冤集録(せんえんしゅうろく)』という本を書きました。宋慈は現代の上級国家公務員の試験よりもはるかに難しいといわれている「科挙の進士」に合格した秀才で、広東の刑法官として司法や検察の重職を歴任した正義漢でありました。不審な死に対して疑問を明らかにし、無実の罪で濡れ衣を着せられていた多くの人々のために法医学的な見地からその疑いを晴らしていったのです。冤罪は人間が自分の快楽だけを最大に増やそうとする遺伝子を持っているので、今もあらゆる社会で起こっています。この冤罪を晴らすために『洗冤集録』を書いたのです。「冤」というのはご存知のように無実の罪のことであり、冤罪と同じ意味です。「洗う」はまさに洗い流すという意味で、無実の罪を綺麗にしてただすという意味で、『洗冤集録』と名付けたのです。この書は彼自身の長年の経験の中で、罪なき人を救った記録であります。正しく罪を罰するために、どのようにして罪を確定するのかを系統的にまとめたものであり、法医学領域における死因の鑑別、生理・病理・外科手術についても述べられています。この後中国では罪人を調べる時に判断の基準に用いる書は全てこの『洗冤集録』によっているのです。

 

 医原病もある意味では冤であり冤罪であるといえます。医薬業界における冤罪の最たる病気は自己免疫疾患であります。自己の免疫が自分の成分を殺しにかかるというとんでもない冤罪であります。この冤罪を明らかにするために私は毎日の臨床をやり、休みの日にはこのホームページを作成しているのです。自分の免疫は自分を守るためにあるのです。皆さん、生命は38億年かかって自分の命を守ってきました。命を守り続けるために進化し続けてきたのです。生命の頂上に君臨する人間が、自分を守る免疫に自分自身を殺させると思いますか?利己的な遺伝子は、自分自身の生命を守るためには、許される限り他人を傷つけ殺すことさえあります。そんな利己的な人間が、そもそも自分自身を内側から殺そうとする遺伝子を持ち合わせると思いますか?絶対にありえないことです。ところが自己免疫疾患は、まさに自分で自分自身を傷つけ、最後は死んでしまうという病気なのです。こんな笑止千万な病気が現代の最大の難病とされているのです。なぜこんな病名が生まれたのでしょうか?答えは簡単です。優れた強欲な医者たちが、自分のエゴなる遺伝子に最大限の快楽を与えるために、他人を傷つけても罰せられないような病気を作ったのです。これこそ冤罪の最たるものですね。アッハッハ!従って自己免疫疾患という病気は、正しくは「医者が自己の快楽を最大限に増やすために、他人の免疫を傷つけて生み出す疾患」という名前が一番相応しいのですが、ちょっと長ったらしいですが、略して「自己免疫疾患」という病名になりますね、アッハッハ!

 

 少し免疫学を勉強するだけで自己免疫疾患などというものはありえないとすぐに分かるのですが、世界中の偉い学者たちは、まず自己免疫疾患という病気を勝手に作り上げてしまいました。ところが免疫学を学者たちは勉強すればするほど、自己免疫疾患の原因や、その成り立ちや、その治療法を極めようとすればするほど、自分を守る免疫の概念さえも破壊するほどの矛盾に遭遇せざるをえないのです。かといって自分たちが捏造した自己免疫疾患という病気は遺伝子病だという言い方もしないのです。嘘八百で塗り固めた病気が自己免疫疾患なのであります。医学者が自己免疫疾患を語りだすと、彼らは途端に医学の論理を忘れてしまい、下手な小説家に堕落してしまうのです。彼らが語れば語るほど、自己免疫疾患について述べられている医学書は矛盾相克で満ち溢れるばかりなのです。その矛盾を解こうとすると、「まだ解明されていない、今なお分からない、研究されていない、知られていない」の連続であります。「分からない、分からない」と言い続けて何十年も経っています。さらにその矛盾を説明するために、さらなる不合理な説明を加えて、ますます自己免疫疾患という病気をさらに訳の分からない複雑な病気に仕立て上げているのです。最後は患者が悪いという結論にならざるをえないのです。

 

 医療界における冤罪の最たるものが、自己免疫疾患という病名をつけられた患者さんです。病気を治すのは、先ほど述べた南宋の宋慈でもなく医者でもなく薬でもないのです。もちろん私でもないのです。私はさしずめ医薬業界の冤罪を解明しようとしている現代の宋慈でしょうか?アッハッハ!私のこのホームページは現代医薬業界の冤罪集録と言っても良いかもしれませんね!アッハッハッハ!自己免疫疾患については、自己免疫疾患のコーナーを読んでください。さらに詳しく勉強した成果を書きたいのですが、ご期待ください。難しいですが、膠原病の人は必ず読んでください。」とりわけ他の病院で医者に、「あなたの病気は自己免疫疾患で治らない病気だ」と言われた人は真剣に読んでください。

 

 何も自己免疫疾患という病気だけが現代医学の冤罪ではありません。病気を起こす犯人を見つけることができない世界の医学会は冤罪のオンパレードです。なぜならば現代文明の病気という罪を一般大衆に引き起こしているのは化学物質とヘルペスであるにもかかわらず、誰一人として病気の原因(罪)を認めようとしないのです。正しい裁判官である免疫は、化学物質に対しては共存できるという答えを出し、ヘルペスウイルスに関しては神経節に閉じ込めるという判決を下すことができるにもかかわらず、絶対的に正しい免疫という裁判官を、医学者たちがステロイドをはじめとするあらゆる種類の免疫抑制剤を用いて懲らしめて、いつまでも病気を治せなくしているのが現代の医療界なのです。残念です。いかに私が現代の医療界の宋慈になろうと努力しても、権力と金力には永遠に勝つことができないでしょう。残念です。

 

 病気の原因の全てが分かった現代では、医者も薬も病院も宋慈も要らないのです。必要なのは人間が全て生まれつき持っている免疫の力を発揮させるだけで全ての病気は治るのです。遺伝子病以外は。

 この項は今日はここまでです。2014/02/27

○銭乙(せんいつ)

 北宋時代の人で、中国医学の小児科の祖といわれている人であります。北宋の皇帝であった神宗の皇子のてんかんをよくしたことで、皇帝の寵愛を得ました。銭乙が飲ませた薬はまさに漢方であり、もちろん彼が飲ませた薬は免疫を上げることができるのです。必ずヘルペスに対して、皇子の免疫は勝つことができるので、言い換えるとヘルペスを三叉神経核に押し込めることができるので治すことができたのです。原因も免疫のイロハも何も知らなかった銭乙は、漢方を飲ませるだけで皇子のてんかんをよくしたのです。というよりも、やはり皇子が自分のてんかん発作を治したと言った方が正しいかもしれません。今なおてんかんの原因や脳の免疫は謎に満ちあふれていますが、どうしててんかんが起こるかについて少し考えてみたいと思います。と同時に、小児の熱性痙攣とてんかんの関わりについても述べてみましょう。

 今も昔も、小児は自分の症状を医者に正確に訴えることができないので、医者を困らせます。しかしながら病気の原因や治し方を昔の医者も患者も知らなかったのですから、小児の病気の正しい診断はなされたことが実はないのです。ただ症状を見極めることを診断と思い込んでいただけなのです。このような何となく病気を診断するために、中国医学では4つの診断の手がかりである、望(ぼう)・聞(ぶん)・問(もん)・切(せつ)を用いて行いました。望診は医者の視覚を通して行い、聞診は医者の聴覚と嗅覚を通じて行い、問診は医者の問いかけに対する患者の応答によって行い、最後の切診は指や手のひらの触覚を通じて行うものです。

 私は30年前にはこの四診をやっていたのですが、そのうちに病気は病気の原因を知ることが一番大事だということが分かり、いつの間にか問診以外はやらなくなりました。四診を全てやったところで病気の原因を突き止めることができないからです。もちろん問診は充分に病気の原因が分かるまでやり続けております。今では問診だけで病気を治すことができるようになりました。というよりも、病気を患者さんに治させることができるようになりました。いつも言っているように、病気を治すのは患者の免疫であり、現代文明の病気の原因は、化学物質とヘルペスと風邪と成人病、つまり贅沢が作った病気と、老化による後天的遺伝子病である癌と、生まれつきの遺伝子病しかないということが分かり、無駄な四診をする必要がなくなってしまいました。必ずやるのは問診だけです。言うまでもなく、心の異物と戦う人は心の病にかかりますが、これも精神の薬で治すことはできません。心の異物が何であるかを見極め、それを除去することができない限り精神の病は治すことはできません。除去できなければ心の異物を受け入れるか、諦めるかのどちらかしかありません。

 銭乙が小児の病気を診断するのに最も重んじたのは、望診の際の顔面や体の色つやであり、顔面に現れた症状を面上症といい、目に現れた症状を目内症と名づけたりしました。こんな診断法は全く意味がなかったのですが、彼なりに納得したのでしょう。彼の小児の病気に対する臨床経験をまとめた本が『銭氏小児薬証直訣(せんし・しょうにやくしょう・ちょっけつ)』であります。

 今も昔も、病気の定義が全くされないで、医者達のみならず患者達も「病気、病気」と騒ぎ回っています。病気の実態が分からないのに、病気を治すなどということは不可能でありますが、今も昔も変わりません。この世の森羅万象は全て原因がなければ生じないのです。

 人体に異物が侵入し、免疫とその異物の戦いのために人体に異常が生じ、その異常を感じ取る原因である異物が存在しないかぎり病気は起こらないのです。既に何百回も述べたように、病気とは異物が人体に侵入した時に、その異物を免疫が排除しようとするときに、患者自身が不愉快だと感じる症状を病気といっているのです。20万年前にホモサピエンスがこの世の現れたとき以来、この病気に関する原理原則は何も変わらないのです。免疫がその異物に打ち勝つことができなければ、今も昔も死ぬしかありません。昔は免疫よりも異物が強かったので、病気で若くして人間は死んでいったのです。最も強かった異物はペスト菌であり、天然痘のウイルスであり、結核菌であったのです。

 皆さん、日本は老人大国の先端を走っていることはご存知ですね。60歳以上の老人が四千数百万人います。なぜでしょうか?病気で死ぬ人がいなくなったからです。昔は60歳になれば、人生が1回終わったということで還暦のお祝いをしたものです。60年で一度終わった人生を、病気で死なずに再び生まれ変わったという意味で還暦のお祝いをしたのです。逆に言うと、昔は60歳までに死ぬのは当然であったのです。昔の人は何が原因で死んだのでしょうか?熱が出る感染症です。つまり細菌、ウイルス、真菌、原虫などの伝染病で死んだのです。現代に伝染病で死ぬ人がいますか?誰もいません。だから日本は老人大国となったのです。

 それではなぜ今現在病院に患者が溢れているのでしょうか?先ほど病気とは、異物が人体に入り、その異物と免疫が戦う時に患者自身が不愉快だと感じる症状が病気だといいました。人間は異物が体内に入ったことを認識することができないのですが、免疫が異物と戦う時の症状を不愉快だと感じます。気になる人はその不愉快さを除去してもらうために、日本の医療費は安いものですから喜び勇んで病院に駆け込みます。その治療たるや、病気の原因を除去するためではなくて、症状を取るためだけのものですから、いつまでも原因は体に残ります。なぜ症状がなくなるのでしょうか?それは人類が出現した時以来確立していた免疫の働きを、現代医学の薬は抑制できるので、免疫が弱まり敵との戦いがなくなり、見かけの症状が消えてしまうからです。しかもその敵がいつまでも残ってしまうのです。その敵とはヘルペスウイルスと化学物質でありますが、世界中の医学者は認めようとしないのです。この2つの巨大原因物質と戦っても死ぬことがないので、いつまでもいつまでも原因不明の症状が残され、あちこちの病医院のはしごをしたり、たらい回しにされたりしてしまうのです。

 ところが松本医院に来ると、原因が分かり、患者さんは自分の免疫で自分の病気を治してしまうものですから、ウサギ小屋である松本医院が最終医院となるのです。アッハッハ!東大病院や京大病院や阪大病院や九大病院などの超一流の大学病院で治療すればするほど病気がひどくなるということを知った患者さんが、この私のホームページを読んで私を求めてやって来られます。このような現象は極めておかしいと思いませんか?実は大学病院は免疫を抑える薬を出すだけですから、病気が治らないのは当然であり、患者の免疫で病気を治させる松本医院が最終医院となるのは全く当然のことなのです。

 しかし残念ながら、他の大学付属病院で免疫を抑える薬、つまり免疫の遺伝子をOFFにしてしまう薬をたっぷりしゃぶらされた患者さんは、そのような薬をやめる時に出現するリバウンドに耐えられなくて、ときには治療を中断しなければならないことがあることが残念です。難病の病名で免疫の遺伝子を変えて作られた病気、つまり医原病の後始末で松本医院は死にたくなるほど大変です。ほとんどの患者さんはステロイドを用いられてから来られます。ステロイドは治療薬ではなく、死ぬような時にのみ使うように神様がくれたのに、何でもかんでもステロイドを入れて医原病を作る最大の原因となってしまっています。残念です。ステロイドは死ぬ時にのみ用いざるをえないのです。ステロイドで病気が治った例は何一つとしてないのですが、今なおステロイド医療が大繁盛しています。なぜでしょう?

 皆さん、古来から敵をどのように免疫が処理しようとしているのかご存知ですか?4つの方法があります。1つめは殺すことができる敵は殺し、この敵が感染症の原因となるものです。2つめは下痢や嘔吐で体外へ排除できるものは排除し尽くします。これが毒や消化吸収してはならない異物です。3つめは共存できるものは共存するのです。これが天然の化学物質であり、人工の化学物質であります。4つめはこれが一番大敵でありますが、封じ込めるものは封じ込めるのです。これこそ、人類を今もなお人類を苦しめ続けている敵、ヘルペスウイルスなのです。このヘルペスウイルスは、人類を殺すことはしないのですが、逆に人間の免疫の方もヘルペスウイルスを殺しきることができないのです。なぜならばヘルペスウイルスが人体に住む場所は神経であるからです。このヘルペスこそ、子供のひきつけや熱性痙攣や、神宗の皇子のてんかんの原因となっていたのです。

 てんかんの現代的な定義を見直してみましょう。原因不明の大脳神経細胞の過剰な電気的異常発射活動によって起こる発作の反復を主症状とする慢性の疾患です。つまり慢性であるというのは治らないという病気であります。私はこの世に原因のない病気はないと常々考えています。何も治らないとされているてんかんで苦しんでいる人に同情し、何とか助けてあげたいと思うためだけに言っているのではありません。ただ真実を求め、その真実を述べているだけです。原因の分からない病気は、生まれ持った遺伝子病だけですから、生活をしている中で生じた病気は全て原因があると考えています。この世に生まれつきてんかんの人などは誰もいません。それではてんかんの原因は何でしょうか?

 痙攣に興味を持ち始めたのは、熱性痙攣の原因がヘルペスであると分かったからです。熱性痙攣は風邪などをひいたときに38度以上に発熱に伴ってよく見られる小児の全身痙攣であり、一過性の症状です。通常、5歳以下の小児に生じやすく、ピークは1歳台であります。その中の数%はてんかんに移行し、一生治らない病気であるといわれていることを知ったからです。さらに熱性痙攣の再発に関する要注意因子として、両親または片親の熱性痙攣の既往があげられており、抗痙攣薬を熱の上昇時期に適当に投与したり、連日内服させる方法が行われていることを知ったのです。

 以上述べたことは何を意味するのでしょうか?まず第一に風邪を引いて熱が上がった時に免疫が上がっているということです。人類は母親や父親から何万年にもわたってヘルペスウイルスを子供達にうつし合ってきたのです。このヘルペスが免疫が上がる時に、当然神経に隠れています。乳幼児の頃はヘルペスの数も大人ほど多くありませんが、風邪のウイルスを殺す時に様々な免疫の力が上がります。風邪のウイルスやヘルペスウイルスをどのようにして殺すかについてはここを読んでください。ちょっと難しくなりますが、免疫を上げるということはどういうことか具体的に述べておきましょう。

 風邪のウイルスが入ってきます。この風邪のウイルスを食べた大食細胞は、自分の遺伝子をONにして、やみくもに免疫を上げる様々なサイトカインを作り出して他の免疫細胞の働きを開始させる情報を作り出します。それがIL-1、IL-3、IL-4、IL-5、かの有名なTNF-α、GM-CSFなどであります。つまりこれらはまさに炎症を起こすサイトカインといわれるものであります。さらにこれらのサイトカインが様々な免疫細胞に働きかけて、炎症のメディエーターといわれるプロスタグランディンや、ロイコトリエンやNO(一酸化窒素)を増やします。このメディエーターというのは、細胞の遺伝子の転写調節因子の働きを仲介する因子という意味で、媒介者ともいいます。英語のメディエーターを日本語で媒介者と言いますね。皆さん、ステロイドがこの転写調節因子の働きを抑えることもご存知ですね。さらにこのようなサイトカインやメディエーターは炎症にかかわる様々な免疫細胞同士が結びつくための細胞接着分子を発現させます。この細胞接着分子を英語でadhesion molecules(アドヒージョン・モレキュール)といいます。これらのadhesion moleculesは、血管から様々な白血球やリンパ球を炎症の組織に呼び込みます。喉の細胞に入り込んだ風邪のウイルスを殺すためでありますが、実はこのとき周辺にいるあらゆるウイルスや細菌をも一緒に殺すことができるのです。まさにその周辺の神経に隠れているヘルペスウイルスは、その免疫の最高の標的となるのです。なぜならばあらゆる神経に潜んでいるヘルペスは、死ぬまで取り付いているので、風邪を引くたびに免疫が上がり、ヘルペスウイルスも同時に免疫の戦いの標的となるのです。

 皆さん、免疫の話は極めて難しいのですが、理解してもらいたいことは、風邪のウイルスを殺すのと、ヘルペスウイルスを殺すのも、基本的な免疫の働きは同じであるということです。ただ一つだけ違いがあります。風邪のウイルスを認識するT細胞とB細胞は、ヘルペスウイルスを認識するT細胞とB細胞とは別であるということだけなのです。さらに言い換えれば、B細胞が作る抗体の種類が風邪のウイルスとヘルペスウイルスとは違うのであり、かつ風邪のウイルスを殺すT細胞とヘルペスウイルスを殺すT細胞も違うということです。つまり、人間の免疫機能が高度に進化したのは、ウイルスの仲間でも種類が異なれば、免疫がそれらのウイルスを殺すためには、それぞれの異なった個々のウイルスに対して特異的なT細胞やB細胞が進化によって生まれたということです。一方、大食細胞や好中球はこのようなT細胞やB細胞が持っている特異性を持っていないのです。好中球や大食細胞やNK細胞のように、特異性を持たないで、どんな細菌やウイルスでも食べようとする働きを先天免疫とか自然免疫といい、T細胞やB細胞のように、ウイルスや細菌をやっつけるときに、たった1種類のウイルスや細菌に対してしか戦えない免疫の働きを後天免疫とか獲得免疫とかいうのです。つまり免疫が上がるというのは、先天免疫に関わる免疫の働きが上昇することであるのです。従ってどんなウイルスや細菌でも人体に侵入してくると、常に先天免疫、つまり自然免疫は必ず刺激されるのです。従って風邪のウイルスが侵入した時には、既に人体の神経に潜んでいるヘルペスウイルスをも同時に先天免疫で殺しやすくなっていることを十分理解してください。この話はなぜ漢方が免疫を上げるのかという疑問に対する答えの一部になっていることを知ってください。結論から言うと、あらゆる漢方生薬は先天免疫を上げることによって免疫の働きを高めているのです。

 熱性痙攣はまさに風邪のウイルスをやっつけるときに、同時に生まれてから死ぬまで人体にとどまっているヘルペスウイルスをもやっつけようとしてしまうのです。それでは熱性痙攣において、免疫はどこにいるヘルペスウイルスと戦っているのでしょうか?それは左右の三叉神経節から出る一番上の上枝(眼枝)から出た神経が、脳の血管神経となっていることは既にお話ししました。この血管神経に三叉神経節に住んでいたヘルペスウイルスが眼枝に沿って、脳のあらゆる血管神経に潜んでいるのです。風邪をひいた時に上に述べたような形で免疫が上昇し、免疫はヘルペスウイルスを見つけ出しやすくなって、脳の血管においてヘルペスと戦い、頭痛が起こったり、この戦いが激しすぎると血管での炎症が脳に影響を与えて痙攣が起こるのです。これを熱性痙攣と古来から言い続けたのでありますが、実はヘルペスウイルス性脳血管炎と名付けるべきものなのです。皆さん、お分かりになりましたか?ついでに確認しておきましょう。風邪を引いた時に頭痛が起こるのは、何も風邪のウイルスとの戦いによって起こっているわけではないのです。今述べたように風邪にかかったために免疫が上昇し、既に隠れていた脳血管神経に隠れていたヘルペスとの戦いによって頭痛が起こったのです。この発見も世界で私が見つけたのです。数々の新しい発見による私の貢献に対して「ノーベル賞飴」ぐらいは授与されても良いのですが、ひとつも来ません。アッハッハ!それでは熱性痙攣とてんかんについて書き続けましょう。

 さらにてんかんのことに興味を覚えたキッカケがありました。色々昔からてんかんの薬は作られていました。ところがてんかんの患者さんに治験で熱冷ましとして使われていたカルバマゼピンという薬がよく効いた事実を知ったのです。この薬は本来解熱剤であり痛み止めの薬であったのです。実際に三叉神経痛に対して用いられていた薬がカルバマゼピンであり、この薬がまさに抗てんかん薬の代表的な薬になっているということがわかったのです。さらに三叉神経痛に対して抗ヘルペス剤が原因療法として著効を示すということも知っていました。つまり三叉神経痛の原因はヘルペス性三叉神経炎であるので、抗炎症剤のひとつであったカルバマゼピンが効くのは当たり前なのです。このカルバマゼピンがてんかんに効くということは、その原因がヘルペスによる神経の炎症であることが分かり、てんかんは免疫とヘルペスとの戦いであるということも分かりだしたのです。脳の中にいつまでも居続けるてんかんの原因は、まさにヘルペスであるということがピンと閃いたのです。そこでヘルペスと免疫の戦いがどのようにして起こるのかを勉強し始めたのです。

 長期にてんかんの人が飲まされている薬は、一般名カルバマゼピンのひとつである例のノバルティスが作った商品名テグレトールであります。テグレトールの効能は、脳の中枢の神経細胞のシナプスにおける電気的反復刺激された後に、神経伝達が増強され、同時的な多数の中枢神経細胞の電気的発射を抑制します。この発射が起こった時に生じるてんかん発作を止めるのです。もうひとつてんかんで最もよく用いられる薬は、一般名がフェニトインであり商品名アレビアチンであります。アレビアチンもテグレトールも同じ作用があるのです。

 もちろん熱性痙攣になりやすい人は、脳の血管にヘルペスウイルスを増殖させていた子供たちですから、風邪が終わっても殺しきれないヘルペスウイルスはいつまでも脳血管神経に居座り続けるのです。それでは5歳以後は熱性痙攣が見られないのはなぜでしょうか?それは子供達の免疫が徐々に確立し、ヘルペスウイルスは三叉神経節のみならず、三叉神経節と繋がっている中枢の脳の中の神経核に隠れてしまうからです。これらの核を三叉神経核といいます。三叉神経核には5つあります。三叉神経運動核、三叉神経中脳路核、三叉神経上核、三叉神経主感覚核、三叉神経脊髄路核の5つです。これらは脳の一部である中脳から橋、延髄にかけて存在しているのです。脳の話をしだすとまた難しくなりますがついてきてください。病気の真実を探るための医学は本当に面白いでしょう!!

 ちょっとここで脳の構造について触れておきましょう。いわゆる皆さんが一番ご存知である脳は、つまりは大脳のことです。ときに終脳ともいいます。さらに終脳のことを大脳半球ということもあります。終脳の下に間脳があります。間脳のことを視床といい、視床下部を含んでいるのは既に述べました。間脳の下に中脳、橋、延髄がある、脳は大きく5つに区別されます。中脳、橋、延髄の3つを合わせて脳幹ということがあります。なぜ脳幹というかというと、脳という大木を支えている幹のようであるから、脳幹というのです。いずれにしろ一番大事な脳の下には、つまり延髄の下には脊髄があるのはご存知でしょう。小脳は、脳幹といわれる中脳と橋と延髄の背部にひっついている脳部であります。

 本論に戻りましょう。てんかん発作は脳の細胞の一部が電気的に異常に興奮し、その興奮が広く脳内に伝わります。そのため脳波を記録すると異常が見られます。実際的なてんかんの分類をしてみましょう。大きく3つに分かれます。1つめが焦点発作であり、2つめが全般発作であり、3つめがてんかん重積発作であります。意識がなくなるのが全般てんかん発作であり、意識がほとんどなくならないのが部分てんかん発作であり、さらにてんかん発作が連続的に反復して生じるてんかんを、てんかん重積発作といいます。次に、全般てんかんの中に大発作と小発作の2つに分かれます。上に述べたカルバマゼピンやフェニトインは全般てんかんでも部分てんかんでも用いられます。先ほど5つの三叉神経核である三叉神経運動核、三叉神経中脳路核、三叉神経上核、三叉神経主感覚核、三叉神経脊髄路核が中脳から橋、延髄にあることを述べました。これらの5つの神経核で受け取られた情報は、全てが中脳の上にある視床を通り、かつ視床の上にある大脳皮質にまで伝えられます。しかもそれぞれの三叉神経核にはあちこちからの感覚神経からの情報も入力されます。これらの5つの神経核のニューロンはお互いに情報を交換し、互いに影響し合っています。さらに三叉神経運動核や三叉神経上核は、口の開閉の筋肉に関係のあるニューロンの核もたくさん集積しています。ヘルペスとの戦いが三叉神経核のいずれかの神経回路で激しい免疫との戦いが起これば、その激しさの度合いに応じて焦点発作や全般発作や重積発作が起こるのです。

 皆さんの中には小中学校の授業中にてんかんの持病を持っている友達が突然に全般発作を起こして、椅子から転げ落ちて床に倒れて、口から泡を吹き出した状況に遭遇したことがありませんか?舌を噛むと死ぬからといわれ、すぐにハンカチを口の中に入れてあげた経験を持っておられる人もいるかもしれませんね。時には白目をむき出して全般大発作を起こした患者の姿を見たこともあるでしょう。しゃべりもしないのに、口にものを入れている訳でもないのに、ガクガク口を開閉する状態を見たこともあるでしょう。まさに三叉神経運動核の異常な電気信号発射が何の前触れもなく突然に生じ、その電気信号が大脳皮質の全般に無秩序に伝わったために生じたのです。実は、このような発作が起こるのは、その発作が起こる前日までに睡眠不足が続いたり、強いストレスがかかって免疫を抑えている間に三叉神経核にどこかに潜んでいたヘルペスウイルスが増殖し、それを授業中に脳の免疫が見つけ出し、戦いを始めたために生じたのです。いずれにしろ原因の分からない病気はこの世にないのです。

2014/03/06

 

 今日は宋の時代から金・元時代の中国医学について書きましょう。金は南宋を滅ぼした女真族が建国しました。金は1115年から1234年まで続きました。その金を滅ぼしたモンゴル族のフビライが元(1271年〜1368年)を打ち立てました。この時代の中国医学をとりわけ金元医学とことさら名付ける根拠を下に書きましょう。

 

 中国を支配する支配者が変わったからといって、医学が同時に変わるものではありません。なぜならば病気は支配者とは関係ないからです。金元時代に生まれた医学を、とりわけ金元医学と称するのですが、金元医学の芽生えは既に宋の時代に見られます。高校の世界史の授業で学んだように、朱子学を作った朱子のことはご存知でしょう。宋代に新しい儒教が起こり、人間の道徳的な本性は宇宙の原理に基づいて生じると考える宋学が興りました。この宋学を確立したのが朱子であります。朱子は、万物は道理の本質である原理と、ガス状の物質的要素との合成によって成り立つという理気二元論を唱えました。つまり理と気が合わさって万物が生まれると考えたのです。

 

 さらに金元時代に医学思想が発展したのは、宋代において印刷術が勃興し、様々な医学書や思想書が数多く出版されたために、学者の間のみならず一般社会にも医学思想も広まっていったので、中国医学が大きく発展したのです。

 

 この理気二元論の考え方と五行説を結びつけて、人体の病気を理解しようとして出来上がったのが運気学説です。もちろん思惟の世界である朱子学のような哲学思想と、絶対不変の世界である遺伝子が支配する医学とを結びつけるのは、はじめから土台無理な話なのですが、中国医学の歴史を勉強するために必要な理論なので、少し説明しておきましょう。運気学説ではまず天地と人体を貫いて五運と六気が存在すると考えました。五運とは、五行説で述べられた「木・火・土・金・水」であり、六気とは「風・寒・暑・湿・燥・火」であります。この五運と六気が自然の巡り会わせによって変化し、その変化が病気の原因になり、とりわけ、この変化が人間の脈にも現れると考え、とりわけこの時代に脈診が重要になったのです。この運気学説である五運六気説が金元時代に中国医学の天才達が独自に研究し、理論を発展させて4つの学派ができたのです。そして新しい漢方の処方が生まれたのです。その派のひとつである温補派の李杲(りこう)が作ったのが「補中益気湯」であります。「補中益気湯」は当院に来ておられる人はよくご存知でしょう。現在私がアトピーの治療で一番よく使っている漢方処方のひとつであります。その理由は後でお分かりになると思いますが、免疫を上げるからです。

 

 この4つの学派のひとつが、劉完素(りゅうかんそ)(河間(かかん))(1110年生)の作った寒涼派であり、ふたつめが、劉完素の後継者である、張従正(ちょうじゅうせい)(子和(しわ))(1156年生)の作った攻下派で、みっつめが、李杲(りこう)(東垣(とうえん))(1180年生)が作った温補派で、よっつめが、朱震(しゅしん)(丹渓(たんけい))(1281年生)の作った養陰派であります。この4人について個々に下に詳しく書きましょう。その前に五行説について復習しましょう。以前に私が書いた文章を引用させてもらいながら、少し詳しく説明しましょう。

 

 五行説は、天地万物は人間を含めて5つの基本的な属性からなっていると考えます。このような考え方は殷の時代の宗教的観念にまでさかのぼることができます。中国の古代人は日常の生活や生産活動に不可欠な基本物質として認識したのが5種類の物質であります。「木・火・土・金・水」の5種類であります。現代人でも納得できそうな考え方ですね。嫌味なことを言わせてもらえば、中国の古代人の目には空気が見えなかったので、空気を加えなかったのは当然です。空気がなければ生きることができないのに。この一つをとっても中国人の医学思想の限界があることが分かるでしょう。本当は「木・火・土・金・水・空」の6種類であるべきでしょう。ワッハッハ!

 

 この五行の物質である「木・火・土・金・水」の間の病気の関係を最初に説き始めたのは、戦国時代末期の鄒衍(すうえん)であるといわれています。その後、五行学説は秦漢の時代になって、例の陰陽論と結びつき、五行陰陽説と呼ばれるようになり、医学のみならず政治や社会活動の理論として活用されるようになりました。さらに前漢の『淮南子』では五行の物質の間に、相生・相剋の関係が主張され、事象の発生、発展、変化、交替などの運動法則として確立されたのです。

 

 五行説が人間の生理や病理などの医学にまで応用されるようになったのは前漢から後漢にかけてであります。特に鍼灸医学の基礎理論は陰陽論と共に五行理論が医学に取り入れられ、大きな発展を遂げたと言われています。相生とは、ひとつの事物が別の事物に対して手助けする作用があることです。相剋とは、ひとつの事物が別の事物に対して抑制的な働きをすることです。東洋医学では五行の相生・相剋の関係については全ての自然界で行われているものと考え、人体でも正常な生理現象が相生・相剋によって営まれていると考えるのです。相生・相剋の関係を利用して病気も治すことができると考えたのです。

 

 この五行説が、ますますまるで流行病であるかの如く宋代に隆盛を極め、相生・相剋の理論がさらに複雑になっていったのです。五行とは本来は、「木・火・土・金・水」であったのですが、これらの事物、あるいは概念が、人体を成り立てている五臓である「肝臓・腎臓・脾臓・肺臓・心臓」に無理やり割り当てられたのです。「肝臓は木であり、腎臓は水であり、脾臓は土であり、肺臓は金であり、心臓は火」となったのです。この五行を自然界に見られるあらゆる事物に当てはめるというバカなことをやったのです。例えば、家畜にも穀物にも果物にも、全ての物に当てはめていったのです。例えば「ニワトリは木、羊は火、牛は土、犬は金、豚は水」であるとしたのです。このレベルが金元時代の中国医学であったのです。

 

 五行説がいかに非科学的であることがお分かりになったと思いますが、実は現代医学の方がはるかに非科学的であるのです。確かに金元時代は中国の医学者が五行説遊びをしたのですが、現代の医学は病気造り遊びをしているだけなのです。なぜならば、病気は38億年かかって出来上がった免疫によってあらゆる生命は病気の原因である異物を処理し尽くしてきたからこそ38億年の命が支えられてきたにもかかわらず、その免疫の遺伝子の命令に敵対する薬を作って病気を治さないようにしているからです。残念です。そのおかげで医薬業界は大繁盛です。偏差値の高い頭のいい学生は東大理Ⅲ、京大医学部をはじめとする、全国の国公立医学部に殺到します。医者になれば永遠に飯の食いはぐれがないからです。なぜならば病気を作ってお金が儲かるからです。外科の仕事は別ですが。

 

 連日マスコミは、小保方晴子さんの作ったSTAP細胞がまやかしものであることを報道しています。彼女を支えてきた理研出身の山梨大学の分子生物学者でおられる、マウスのクローン細胞を日本で最も上手に作る第一人者の若山照彦先生が、「STAP細胞は作れない」と明確に記者会見で述べたにもかかわらず、理研はSTAP細胞の根幹は揺るがないと言い張っています。理研のメンツは丸つぶれです。しかしながら、たとえSTAP細胞ができたとしても、遺伝子を変えるだけですから、iPSと同じように遺伝子を無理やり変えてしまうと、その細胞は必ず癌になるか、アポトーシスによって細胞が自殺してしまうか、この世に見られたことがないような異常極まる役に立たない細胞になるか、元の細胞に戻るかの4つしかないので、このような細胞を医療に用いることは許されないのです。

 

 ステロイドも70年前に合成され、ステロイドを初めて作った医学者達はノーベル賞を受賞したのですが、ステロイドで治した病気は何一つとしてないのです。ステロイドも遺伝子の発現を制御する転写因子のON/OFFを一時的に切って症状は絡になるのですが、再び遺伝子を修復する逆戻りがあり、リバウンド症状が出るので全く意味がないのです。さらに遺伝子そのものを一一時的のみならず永久にミューテーションを起こしている可能性があるので、ステロイドは新たなる病気を作り続けてしまいます。ステロイドをひとたび使われるとやめることができないので、永遠に患者は救われないのです。残念です。もちろんステロイドは死ぬ時には使わざるをえない最高の薬でもあります。しかし死をもたらす原因を治している訳ではないのです。残念ですが。

 

 今日の新聞に、日本国際賞を受賞したデビッド・アリス博士のインタビュー記事が載せられていました。彼は遺伝子の発現を制御するエピジェネティックな働きの一部を明らかにしたのです。2003年にヒューマンゲノム計画で、人間のDNAの塩基配列が全て明らかにされました。ところが遺伝子の配列が分かったからといって、遺伝子の働きが全て分かった訳ではなかったのです。さらにDNAを巻き付けているタンパク質であるヒストンの働きも遺伝子の発現には絶対に必要であるということがその後に発見されたのです。

 

 DNAにコードされた遺伝子が直接タンパク質を作るのではなくて、遺伝子を発現させるためのスイッチがONになったりOFFになったりする必要があるうえに、ヒストンに巻き付いたDNAが、ヒストンから緩やかにほどける必要があるのです。そのためにはヒストンのタンパク質をアセチル化する必要があるということを見つけたのが、デビッド・アリス博士なのです。しかしながら、どのようにしてヒストンタンパクがアセチル化するかというメカニズムは、完全には分かっていないのです。

 

 いずれにしろ遺伝子の働きを理解することは許されますが、変えるということは絶対に許されないのです。それは製薬メーカーが作る薬は、全て免疫の遺伝子のONをOFFに一時的にするだけであり、病気を治しているのではないからです。しかも現代の病気の原因は化学物質とヘルペスしかありません。化学物質とは共存できるように、免疫の遺伝子は答えを持っており、ヘルペスに対しては免疫の遺伝子は神経節にヘルペスを追い込むシステムを備えているので、薬は何も要らないからです。もう一度述べますが、死ぬ時にはステロイドは必要なのです。生死にかかわりのない時にはステロイドは無用の長物なのです。

 

○劉 完素(りゅう・かんそ)

 

 先ほど紹介したように、彼は寒涼派を創設した人です。実は五運である「木・火・土・金・水」と、六気である「風・寒・暑・湿・燥・火」については、中国医学の、というよりも世界医学の最高峰である、『黄帝内経素問』に書かれていた学説であります。かれはその学説をさらに研究し、臨床に応用したのです。劉完素は六気のうち、暑(熱)と火の二気がひとつとなると、暑さと火が運気の中で中心を占め、病気の原因となる『火熱論』を唱えたのであります。六気が全て火になるというわけで、これを彼は六気化火と名づけました。金元医学が新しい発展を遂げたといったところで、やはりその医学の元は『黄帝内経素問』にあります。この『黄帝内経素問』がいかに偉大な書物かがお分かりになるでしょう。

 

 劉完素が、火熱が病気の原因としたのも頷けるところです。いつも私が言っているように、今も昔も病気の原因は感染症であるのです。感染症は細菌・ウイルスなどと戦うときに必ず熱が出ます。彼は熱を下げれば病気が治ると考え、漢方で寒涼剤といわれる生薬を用いたので、後の人々は劉完素のことを寒涼派と呼んだのです。今なお現代の医者も患者さんも同じように考えているようですから、医学は金元時代と何も変わっていないと言えるでしょう。アッハッハ!しかも現代の医学の方がはるかに罪が多いのは、無理やり解熱剤であるバファリンやロキソニンを飲ませるので、ますます免疫の働きがなくなり病気が重くしているので、劉完素の方がはるかに優秀な医者といえますね!アッハッハ!ついでに付け加えれば、体を冷やすと免疫を落とすことができます。ヘルペスも感染症のひとつでありますが、熱は滅多に出ません。ヘルペスとの戦いの時に体を冷やすと、ヘルペスとの戦いの症状も消えてしまうので、劉完素の寒涼派の効果はあった可能性があります。でもそれは間違っています。その理由は皆さん考えてください。答えを言いましょう。冷やしている間にヘルペスが増えているからです。

 

 彼が作った今もなお使われている有名な処方は、「防風通聖散」です。某有名製薬漢方メーカーが、「これを飲めば痩せる」ということで売り出しましたが、絶対に痩せることは無理です。なぜならば全ての漢方は光合成によって植物が作ったものであり、必ず三大栄養素である炭水化物・脂質・タンパク質が漢方の全ての生薬に含まれているからです。痩せる方法ほど簡単なことはありません。痩せるためには使う以上のエネルギーを食べなければ必ず痩せられます。要するに食贅沢をしなければ痩せることなんかは至極簡単なことなのです。食欲を美容欲に換えてしまえば、どんな人でもスマートになれます。東大に合格するためには自分より頭のいい人と競争せざるを得ませんが、スマート競争は敵がいないので簡単なことです。ワッハッハ!美しくなる欲望を増やせば増やすほど痩せられます。アッハッハ!

○張 従正(ちょう・じゅうせい)

   

 彼は劉完素の説を受け継ぎ、六気である「風・寒・暑・湿・燥・火」などを、全て病気を引き起こす「天の邪」と見なし、さらに「霧・露・雷・氷・泥」などの現象を「大地の邪」と見なし、さらに「酸・苦・甘・辛・鹹(かん)・淡」なども「飲食の邪」と考えたのです。ちなみに「鹹」は塩辛いという意味です。鹹湖(かんこ)という言葉をご存知でしょう。塩湖と同じ意味ですね。従って病気になると、これらの邪が病気の原因と考え、これらの邪を排除できる漢方治療をしたのです。つまり、邪を排除するために、発汗法、吐法、下剤法を用いたので攻下派といわれたのです。この考え方は一理あるのです。いつも私が述べているように、病気は人体にとって異物が入った時に、免疫がその異物を認識して排除しようとするときに見られる症状ですから、体内に入ったものを汗と吐と下の三方で排除するのは正しいのです。ちょうど私がアトピーは体内に入った化学物質を皮膚から免疫が出そうとしているので、ステロイドや抗アレルギー剤を使って出させまいとする現代医学は間違っていて、引っ掻いて出し尽くせば治ると言うのと同じです。もちろん張従正は免疫のことは何一つ知りませんから、出し切れない化学物質は、最後は免疫寛容を起こして共存するということは知らなかったのですが。もちろん彼は攻撃だけではなくて、補い養う漢方も使っていたのは言うまでもありません。

○李杲(りこう)(1180年〜1251年)

 

 彼は脾胃論を唱えた温補派の祖であります。李杲は晩年に東垣老人(とうえんろうじん)と号したので、李東垣と呼ばれることがあります。李杲は全ての中国医学の天才達と同じように、『内経』・『難経』などの医学書を深く勉強しました。彼の生きた時代はチンギスハンが1206年にモンゴル帝国を打ち立て、西夏や金を攻撃し、トルコ系のホラズムを征服したりして、その影響で当時の社会環境が不穏であったために、社会的なストレス、飲食の不摂生、生活の不規則などによって引き起こされた病気が非常に多いことに気づきました。ところがこれらの病気は傷寒、つまりウイルス感染症や細菌感染症を治療する処方では治らないことが多かったことにも気づいていました。そこで李杲は当時のこのような病気の原因は、人の元気を奪いとる内なる傷を引き起こすという「内傷説」を唱えました。つまり、脾と胃が傷害を受けて様々な病気が引き起こされると考えたのです。これが彼の「脾胃論」であります。このような内傷を治す治療として、脾と胃の気を補って元気にすることができる漢方である「補剤」をよく用いたのです。そのために李杲の一派は温補派と呼ばれたのです。この代表的な漢方処方が現在も最もよく用いられている「補中益気湯」であります。ちょうど彼が生きた時代は、今の日本に似ています。

 

 永遠不滅の日本が20年前のバブル崩壊により、どんどん世の中の未来に対する不安が満ちている状況とよく似ているのです。モンゴルではなく中国が経済的にも軍事的にも力を持ち始め、人々の生活は生きるのが精一杯になってきました。さらに学校やあらゆる職場でストレスが満ち満ちています。ストレスが増えれば、李杲の時代に関わらず、人間は全てそのストレスに耐えるために副腎皮質ホルモンを出し続けざるをえません。その間に免疫が落ち、6億年前から脊椎動物の神経に住みついているヘルペスウイルスが増え続けます。ホッとしたときにそのヘルペスウイルスをやっつけるために、死ぬことはないのですが様々な不愉快な症状が出てしまいます。

 

 脊椎動物はどうして無脊椎動物から進化して分かれていったと思いますか?それは脳を発達させたためです。そのためには神経を全身に張り巡らせる必要がありました。とりわけ骨で覆われている脳と脊髄に中枢神経を入れる必要がありました。中枢神経をウイルスや細菌やカビや寄生虫や外敵から守るために、脳や脊髄を骨で覆う必要があったのです。この中枢神経から末梢神経が同時に生まれました。この末梢神経に住みつくことができるように、他のウイルスからミューテーションしたのがヘルペスウイルスだったのです。

 このヘルペスと脊椎動物の戦いは、実は脊椎動物が生まれた6億年前から始まっていたのです。しかしヘルペスは極めて狡猾なウイルスですから、脊椎動物の免疫で殺されないように神経節に隠れる特技を持っていたのです。神経節は神経細胞体の集合体であり、この神経節は外套細胞といわれる細胞で何重にも囲まれているので、ひとたびヘルペスウイルスが神経節に隠れてしまうと免疫は手が出せなくなるのです。従って脊椎動物の免疫は死ぬまでヘルペスウイルスを殺しきることができないのです。ヘルペスについてはヘルペスのコーナーを読んでください。もちろん李杲もヘルペスという言葉さえ知らなかったのは当然ですが、今もなおあらゆる神経症状は、神経に隠れたヘルペスウイルスとの戦いであるにもかかわらず、世界中の医学者の誰一人として知らないのが残念です。いや本当は一流の医学者は知っているのですが、しゃべらないのです。なぜでしょうか?もう皆さん答えはお分かりでしょう。ワッハッハ!

 温補派の李杲は、脾と胃の気を補う補剤をよく用いたのですが、実はこの処方は現代の優れた免疫学から判断してもずばり百点満点なのです。皆さん、脾臓は何のためにあるかご存知ですか?彼は脾臓の働きを高めるということを知らないで、最高の答えを知っていたのです。李杲こそ張仲景を超える最高の中国医学者です。なぜだかお分かりになりますか?そうです。脾臓は最も大切な二次リンパ器官であるのです。つまり脾臓は細菌やウイルスを殺すために最も重要なリンパ器官のひとつであることを思い出してください。脾臓の働きも知らないで、ヘルペスウイルスを殺すための免疫をヘルプしていたのです。すごいでしょう!彼は張仲景が著した『傷寒論』に書かれた処方で治せない病気を見つけて、かつその治し方も脾臓を手助けしてあげれば、ヘルペスウイルスをも殺す力を増やすということを見つけたのです。ヘルペスの「へ」も知らないで、治し方だけを経験からあみ出したのは、今から1000年近く前であることを考えると度肝を抜かれそうです。李杲はすごい男です。私の1000倍も賢い男です。李杲に乾杯!もちろん李杲は脾臓がどんな働きをするのかも知らなかったのですが、経験的に人体を敵から守る臓器だということは知っていたことにしておきましょうね。ワッハッハ!

 

今日はここまでです。 2014/03/13

○朱震(しゅしん)(朱震亨(しゅ・しんこう))(丹渓(たんけい))(1281年生)

 朱震亨の考え方は、李杲が唱えた温補派の考え方に似ていました。李杲は脾臓と胃の気を補って病気を治すことができると主張したので、彼は温補派と呼ばれました。もちろん李杲のいう脾臓とか胃とかは、必ずしも現代解剖学でいうところの脾臓と胃のことをいうわけではないということも知っておいてください。前回のペーパーで脾臓を面白半分で免疫器官としてコメントしましたが、実は彼らは免疫の概念もなかったわけですから、それこそ面白半分で書いただけであることも理解してくださいね。ワッハッハ!同じように、朱震亨も陰の気を補うことで病気を治せると主張したので、朱震亨は養陰派とか滋陰派と呼ばれました。劉完素や張従正の攻下派とは反対の考え方を唱え、攻めるのではなくて補うという李杲の考え方に朱震亨は似ていたので、この2人の主張した医学を合わせて李朱医学と呼ばれたのです。

   

 朱震亨(朱丹渓)の代表的な著書が『格致余論(かくちよろん)』であります。「各致」は「格物致知」の略語であります。格物致知というのは朱子学で用いられる言葉です。朱子学で「格物」という意味は、「自己とあらゆる事物に内在する個別の理を極めること」であり、「致知」という意味は、「後天的に得た知見を拡充すること」であります。朱震亨(朱丹渓)は、『格致余論』の前書きの中に、「医学というものは、儒(孔子の教え)の教えの一部に過ぎない格物致知である」と書いたので、『格致余論』と名付けたのです。言い換えると、「医は仁術である」という言葉と似ていると考えてください。「医者は人命を救う、孔子の教えである博愛の道である」というぐらいに理解しておいてください。この朱震亨(朱丹渓)の医学を室町時代に田代三喜(たしろさんき)が明に行って日本に導入し、さらに曲直瀬道三(まなせどうさん)に受け継がれて後世方派と呼ばれ、以後江戸時代に古方派が出現するまで、日本医学界の主流となっていました。

 

 江戸時代中期に復興思想が現れ、医学も張仲景の『傷寒論』にかえれと叫ばれ、名古屋玄医や後藤艮山らによって古方派が生まれました。この古方派が後世派にとって代わってしまいました。

 今も昔も、病気が何であるかということが正しく認識されていないので、医者が病気を語ることは本当は許されないのです。言うまでもなく、医学が学問である以上は治療に手を出すことも許されないことですが、何とか病気を治そうと中国の天才医学者が努力してきたのです。ここで改めて病気とは何かの正しい定義を復習しましょう。

 病気というのは、人体に異物が入ってそれを排除しようとする免疫の正しい働きです。言い換えると、病気は良いことなのです。なぜかと言うと、人間にとって有害な敵を倒そうとする働きは間違っていますか?このような認識を、医学が高度に発達した現代においても世界中の医者が気づいていないことです。ましてや中国医学の天才医学者といえども、全て病気の意味さえも理解できなかったのは当然であったのです。だって病気の原因である異物は目には見えなかったからです。従って病気が起こる根拠も知らないので、中国の医者達は仕方なく思い込みで医学を語っているだけですから、雲をつかむような理屈を彼らは語っているだけなのは仕方ないことです。けれども何回も繰り返しますが、彼らは漢方生薬や鍼やお灸が免疫を上げるということを何一つ知らずして経験的に、かつ直感的に病気を治すことに貢献していることを知っていたので、病気の理論はともかくとしてやっていることは正しかったのです。彼らは知性の高い人たちですから、その病気が治る理屈をどうしても知りたかったので、陰陽五行論や五運六気説などの根拠のない屁理屈を並び立てただけなのです。世界で一番たくさんの天才を輩出した中国の医学者たちが唱えた理論を屁理屈と言うのははばかるべきでありますが、医学を哲学として考えようとしたと言った方が正しいかもしれません。病気は哲学で治すことは絶対にできませんから、それでも何とかして病気を治す原理を見つけ出そうと様々な哲学を唱える医者が輩出したのです。その中で金元医学の中で最も流行したのが、李朱医学であったといえます。

 さらに付け加えさせてもらうと、漢方医学の理論の根拠は「気・血・水の乱れ」によって起こると漢方学者は口を揃えて言います。しかしなぜ気が乱れ、血が乱れ、水が乱れるのかの根拠は一切口にしません。確かに血と水は見てすぐに分かりますが、気とは何でしょうか?気についてはいずれ詳しく書くつもりですが、それこそ目に見えない気というのは一体なんなのでしょうか?人によってはエネルギーと言う人もいますが、そのエネルギーが異常をきたす根拠も誰一人語る人はいません。気にしろ、エネルギーにしろ、目に見えるものではありませんから、目に見えない病気の原因を目に見えない気やエネルギーに仮託したかもしれません。ワッハッハ!

 科学がなかった未熟な時代であったために仕方がないかもしれませんが、それでは現代医学は病気の原因を明確にして、医療を科学に基づいてやっていると思いますか?答えはNOです。中耳炎ひとつとっても、現代の耳鼻科の医者はなぜ炎症が起こったかについては一言も触れません。ただただ免疫を抑えるステロイドや痛み止めを出すだけですから、現代医学は古来からある中国医学に大差がないどころか、現代は免疫を抑えて患者を騙していつまでも治らない病気に仕立て上げているので、より罪深いことは何十回も述べていることです。ちなみに現代医学会が公的に認めている病名、つまり病気は22000種類以上ありますが、ほとんど治りにくい病気の原因は全て不明となっております。そんな原因の分からない病名をつけたところで何の意味があるでしょうか?いや、意味があるのです。難しい病名をつけて治療と称して免疫を抑える薬をどんどん出せばお金がもらえるという意味があるのです。そしてさらに新しい病気を作ることができ、医薬業界は永遠の繁栄が保証されるという何よりも大事な意味が医者にはあるのです。患者は踏んだり蹴ったりですが。皮肉を言わせてもらえば、そのような医療が一般大衆は大好きなのです!アッハッハ!

 今述べたように、現代医学は根拠のある臨床医学をやっているわけではありません。彼らも李朱医学と同じレベルであり、病気が何であるかということさえ知らないものですから、(ごめんなさい、彼らは皆、病気の原因は知っているのです。にもかかわらず、知らないと言ってごめんなさい!医者を無知呼ばわりしたことを謝ります。)常に的外れな医学研究や臨床をやっているだけであるどころか、病気を作る研究と臨床をやっているだけですから、李朱医学よりもはるかに悪いことをやっているのです。つまり病気を作るための研究をやっているだけです。免疫を抑える方法を朝から晩まで研究し、それを材料にして製薬メーカーを結託し金を儲ける研究をし、その間違った情報をマスコミに流し続けているのが現代の医療です。STAP細胞などは、まさに「ないものをある」と理研の小保方晴子博士(?)が世界的なニュースを捏造しましたが、仮にできたとしても何のためのSTAP細胞だったのでしょうか?

 近頃iPSでノーベル賞をもらった山中先生も、どんどんiPSの効用を創薬のために役に立つと言い始めました。何の病気のために創薬が必要なのでしょうか?21世紀に残された感染症の原因はヘルペスウイルスだけであり、新たに毎日毎日作られる病気の原因は化学物質だけです。

 

 ヘルペスはひとたび人体にの神経に侵入すれば殺しきることは絶対に不可能ですから、ヘルペスの処理の仕方はできるだけ免疫を抑えずに神経節に閉じ込めればよいので、様々なヘルペスの神経症状に対しては絶対に免疫を抑える薬を使ってはならないのです。免疫を抑える薬を使えば使うほどヘルペスは増え続けていきますから、永遠にヘルペスとの戦いで苦しまざるをえないのです。このヘルペスに対する抗ヘルペス剤はソリブジンが最高の薬だったのですが、この世から葬り去られてしまいました。ソリブジンに関してはここを読んでください。それでは化学物質が原因で生まれるアレルギーや膠原病はどうすれば治るのでしょうか?免疫寛容を起こせば治ってしまいます。誰が免疫寛容を起こさせるのでしょうか?患者さん自身の免疫の遺伝子だけです。それでは成人病はどうなるでしょうか?成人病は言い換えれば強欲病であります。物欲や支配欲や快楽欲を持ちすぎるために美味いものも食べすぎて糖尿病になり、金儲けや出世のためにストレスをかけて交感神経を高めて血圧が上がり成人病になるだけですから、生き方を換えれば良いのです。心のあり方を薬で変えることは絶対にできません。このように成人病は自分の強欲による自業自得で起こった病気ですから、自己責任でしか治すことはできません。

 ところがこのような病気を治すために、医者達は真実を語らずして金儲けのために異物である糖尿病薬や降圧薬を大量に投与して、その薬という化学物質という異物を、病気を治すと称して大量に長期に患者に放り込み、その異物が免疫に認識され、最後は新たなるアレルギーや膠原病を起こし続けているだけなのです。医者だけが病気を作っても誰も責任を問うわけではないので、病気造りの名人である医者の方はストレスが全くかからないうえにお金がどんどん入るものですから、最高の仕事となるのです。今年の東大や京大の医学部合格者たちも、入学後に悪事を成してお金を稼いでいることを医学生の時代に医学部の教授に教えられることは決してないので、偏差値の高い学生達は猫も杓子も医者になろうとするのです。いや、学生達だけではありません。一度社会に出てお金儲けがいかに難しいかを分かった頭の良い人たちも、再び大挙して医学部に入り直そうとするのです。医者になった暁には、せっせと病気造りに励み、人間に異物となる薬という化学物質をしゃぶらせるのみならず、その化学物質たるや38億年間かけて生命を進化させてきた免疫の遺伝子の働きをも変えようとしているのです。恐ろしい医学という言い方以上におぞましい現代医学というべきでありましょう。しかも免疫を抑えている間に、ヘルペスウイルスが人体のあらゆる神経に増え続けていることさえも気づいていないのです。ヘルペスが最も多数の、かつ最も苦しみを与える病気の原因になっていることを、絶対に医学部の授業では教えないのです。言うまでもなく、自分たちが使っている薬がさらに人間を苦しめていることも一言も口にしないのです。悲しいです〜悲しいですね〜!病気を治すのは人間の免疫の遺伝子だけです。未だかつて医者や薬が病気を治したことはないのです。ここまで分かった現代社会においては医者も薬も病院も要らないのです。医者という職業がなくなることが、医学の最高度の発達と同義語なのです。

 

 中国の伝統医学である漢方医学や鍼灸は、このような現代医学の悪事は一切したことがないのです。それどころか漢方薬は植物であるので遺伝子の成り立ちが動物である人類と全く基本的には同じであります。薬用植物である漢方薬は、光と水と二酸化炭素を使って光合成をして、炭水化物・脂質・タンパク質の3大栄養素に加えてビタミンも作ってくれます。しかも土から取り込んだミネラルもたっぷり含んでいます。これらの5大栄養素を元にして植物は自分を守る様々な免疫成分をたっぷり作ってくれるのです。これらの成分を、私たちは今もなお植物に感謝もせずに盗み続けて漢方薬として利用しているのです。これらの漢方生薬を飲めば飲むほど人間の免疫はヘルプされ、化学物質とは免疫寛容を起こし、同時に人体の神経に隠れているヘルペスウイルスが殺され続け、神経節に追いやることができます。まるで製薬メーカーが作った現代医学の免疫を抑える薬とは真逆の仕事をしてくれます。真逆の意味を持っているので、漢方薬を薬というべきではないのです。漢方薬はあくまでも農産物であるのです。こんな素晴らしい農産物でありますが、栽培するのに1年かかるために儲からないので、日本の農家ではほとんど手を出しません。低賃金の中国の貧農だけが作っているのです。悲しいことです。

 近頃アベノミクスで、休耕田において漢方薬を作らせようとしていますが、果たして成功するでしょうか?安倍総理も潰瘍性大腸炎でお悩みのようですが、病気は自分の免疫で治すものであり、ただ漢方薬は免疫をヘルプしてくれるということをお知りになりはじめたのでしょうか?彼もレミケードをたっぷり投与されているはずですが、免疫の出発点となるTNF-αの働きを抑えているだけで、治すものではないということを知られ始めたのでしょうかね?レミケードをやめたときのリバウンドもご存知でいらっしゃるでしょうか?

 ここでヘルペスの話が出たので、追加しておきましょう。以前に6億年前に脊椎動物が進化したということを書きました。もちろんヘルペスウイルスが突然6億年前に出現した訳ではありません。当然、無脊椎動物にも寄生していました。現在でもヘルペスウイルスはほとんど全ての脊椎動物と無脊椎動物にも見つけられ、膨大な種類のヘルペスウイルスが存在しています。それぞれのヘルペスウイルスが自然に感染するのは、動物の種に特異的で、それぞれの動物種は固有のヘルペスウイルスを持っているのです。脊椎動物のはじめである魚類が6億年前に生まれ、2億5000万年前に脊椎動物から哺乳類が進化しました。この魚類と哺乳類に住みついているヘルペスウイルスの共通の祖先が4億年前に存在していました。魚類と哺乳類のそれぞれの宿主に住みついたヘルペスウイルスが、それぞれ独自に進化していったという仮説が提案されています。

 ヘルペスウイルスがなぜこんなに狡猾であるのでしょうか?それは進化の過程でヘルペスウイルスは宿主の細胞や他のウイルスの遺伝子を獲得し、神経や神経節に潜伏し宿主の免疫に殺されないように共存する戦力を獲得した完成度の高いウイルスとなったのです。(その精妙な免疫回避機構についてはこちらを読んでください。)ヘルペスウイルスは極めてありふれたウイルスであるのは、宿主を殺すことをしない選択を取ったためです。医学や獣医学の領域で見られるウイルス感染症はいつも私が言っているように、昔も今も動物にとって極めて大事な病気の原因となっているのです。にもかかわらず今の医学はヘルペスウイルスを無視し続けています。なぜならば免疫を抑えることによってヘルペスウイルスを増やしているのは現代医療であることを認めたくないためです。現代の原因不明の病気や難病といわれる病気の原因がほとんどヘルペスウイルスであることが分かり、その病気を作った責任が医者にあることがバレてしまうからです。しかもヘルペスウイルスは地球上の73億人全ての人々の神経に住みついている事実をまず認めるべきなのであります。認めようとしないのは本当に悲しいことです。口先では医者達は国民の健康を守ると言いながら実はこっそりとヘルペスを増やし続け、その間は症状がでないものですから、それをいいことに頬かぶりをしています。ひとたび免疫を抑える薬を使ってしまえばやめることができないのは、免疫が回復した時に医者が増やし続けたヘルペスと神経で戦わざるをえないので、原因不明の病気が増え続けてしまうからです。皆さん、恐ろしい時代でしょう。原因不明の病気の全てはまず最初はヘルペスと免疫の戦いのために生じたのではないかと考えるべきです。今テレビの宣伝で大流行りのプラセンタもまさにヘルペスを増やしているのです。けれども、どの医者もヘルペスと免疫の戦いが原因不明の病気となっていることを誰一人として指摘しないのです。当然です。自分たちが免疫を抑える薬を使っている時に、増やし続けているヘルペスウイルスをプラセンタも増やし続けるということをどうして指摘できるでしょうか?そんなことは無理です。残念です。

 さて本論の李朱医学に戻りましょう。皆さん、李杲の温補派とか朱震の滋陰派という言葉はどうやってできたかお分かりですか?李杲にしろ朱震にしろ、彼らは医学を形而上学の哲学と考えている訳ではありません。もちろん目の前にいる実態のある形而下の患者の病気を治そうと常に努力してきたのです。患者に自分の理論をしゃべったところで目の前の病気が治る訳ではありません。当然漢方を用い鍼とお灸を行います。それではどんな薬が温補の働きをし、かつ滋陰の働きをするのでしょうか?疑問に思いませんか?だいたいが陰陽といったところで、目に見えない陰や陽であるものを、目に見える実態である漢方薬が陰陽を高めたり下げたりすることを誰が証明するのでしょうか?

 漢方薬の処方は数種類の生薬から成り立っています。昔から、その生薬の働きに応じて「君臣佐使の働き」をすると決めています。君薬というのは、その漢方処方の中で最も中心的な作用を発揮する漢方生薬であります。臣薬というのは君薬に次ぐ重要な作用をもち、君薬を助けて治療効果を高めるという訳です。佐薬というのは「補佐」の「佐」であり、君薬を助けて、随伴症状や合併症を治す薬であり、時には君薬の毒性や強すぎる作用を緩和するものです。使薬というのは、君薬、臣薬、佐薬の補助をし、さらにこれらの作用を調和するものといわれています。

 

 それではどこにこのような仕事をするという証拠があるのでしょうか?実はどこにもないのです。漢方学者は口を揃えて、「その根拠は『神農本草経』に書いてある」と言い張るだけです。さらに漢方薬の生薬は上薬・中薬・下薬と分けることがあります。以前書いたことがありますが、『神農本草経』という中国で最高の薬物学の書物であると聞いたことがあるでしょう。この書物は前漢の紀元5年頃に書かれたのです。それまでに中国漢方で使われていた薬物(漢方薬)を整理分類して書かれた本であります。中国のそれまでの薬物学(本草学)を体系化し、確固たる基盤にしたのは、この論文のはじめに取り上げた紀元6世紀の梁の陶弘景が書いた『神農本草経集注』であることもご存知でしょう。梁という国の名前を決めたのも陶弘景であることもご存知でしょう。この『神農本草経』という書物において、漢方薬を120種類の上薬と、120種類の中薬と、125種類の下薬に分けたのです。上薬は命を養い、毒がなく、大量に長く服用しても害がなく、身を軽くし、気を増し、長生きできるとしたのです。この上薬が先程述べた君薬となるのです。中薬は毒があるものとないものがあるが、考慮して飲まなければならないとしました。この中薬は臣薬となるのです。下薬は毒が多い上に長く飲んではならないものですが、寒熱邪気を除くことができるので、病を治す時には必要になることがあるのです。この下薬が佐薬や使薬となるのです。というようなことが書かれているのです。

 

 しかしこのような分類はどうして生まれたのでしょうか?やはり経験です。例えば人類はどのようにして食べて良いものと悪いものとを選び出したのでしょうか?やはり経験です。漢方薬も上で説明されていたように、上薬はいくら大量に長期に食べても、経験的に死ぬことはないということを知ったのです。ところが、下薬は大量に長期に飲めば必ず問題を起こすことを中国人は経験的に知ったのです。言い換えれば、上薬は食べ物であり、かつ体の病気を治すということを経験的に知ったのでしょう。だからこそ今なお漢方を使う薬膳料理が生き続けているのです。しかし古代の中国人は、食べ物に5大栄養素があるから食べるとか、上薬の漢方薬は、5大栄養素に加えて、様々な免疫の遺伝子を作るタンパク質が含まれているなどとは、知る由もありませんでした。

 今私が「なぜ漢方は免疫を上げるのか」というテーマで書いているのは、まさに経験によって築かれた漢方薬が現代の免疫学と薬学と、さらに分子生物学や分子遺伝学を駆使して解答を出そうとしているのです。その答えを出すために中国医学史や西洋医学史を紐解きながら病気とは何か?や、免疫とは何か?や、病気を治す意味について、かつ伝統医学である漢方医学と近代医学である現代医学との違いとその誤りの根拠を書き連ねようと努力しているのです。結論は何回も触れていますが、要するに「漢方薬は生命を守り続ける植物の免疫の遺伝子が作り出す成分が、人間の免疫の遺伝子が作り出す成分と同じものである」ということを証明したいだけなのです。と同時に、現代の製薬メーカーの作る薬は抗生物質と抗ウイルス剤を除く他の薬は、全て生命を守る免疫の遺伝子の働きを抑えるとんでもない薬を作っているので医学が進んだといってもますます病気が増えるだけだということを証明したいのです。

 現代医薬学が作っている薬は抗生物質と抗ヘルペス剤以外はアンタゴニスティック(免疫の遺伝子を懲らしめる)な薬であり、病気を治すことには何の貢献もしていないどころか、遺伝子を変えているので新たなる病気を作っているだけだということを証明するために書き続けているのです。と同時に漢方薬にこだわり続けているのは、現代医学よりも中国の漢方薬がいかに優れているかを証明したいためにも書き続けているのです。なぜならば今現在使われている漢方薬の成分は、植物や動物に関わらず命を守るための免疫の遺伝子が作るタンパク質である成分が人間の病気を治すのに唯一の薬(農産物)であることも証明したいからです。このような漢方の成分をアゴニスト(免疫の遺伝子と同じ作用をする)ということも既に書いたことがありますが、製薬メーカーはこのアゴニストを現代の遺伝子技術を用いれば簡単に作れるわけですが、絶対に製品化はしません。例えば免疫寛容を起こすIL-10やTGF-βを作れば、現代文明が作り出した化学物質によって引き起こされたあらゆる膠原病とアレルギーはすぐに治ってしまうのに、絶対に作ろうとしないのです。なぜならば人間の病気が全て治ってしまうからです。それはとりもなおさず世界の医薬業界の破滅を導くことになるからです。残念なことです。病気を治すのは38億年かかってあらゆる病気を治してきた人間の免疫の遺伝子であります。未だかつて医者が病気を治したり薬が治したことはないのです。漢方薬といえどもアゴニスト(免疫の遺伝子と同じ作用をする)としての役割しかないのです。

 書きたいことがありすぎて脱線の連続でありますが、李朱医学は実は日本の漢方医学の復興に極めて大きな影響を与えているのです。この李朱医学を日本に導入したのが田代三喜という医者だったのです。これから日本医学史について少し詳しく述べていきましょう。

今日はここまでです。2014/03/20

 元来、世界中のあらゆる国においても、あらゆる国の歴史においても医療が生まれたのは、体に異変が起こりその異変が痛みや熱や下痢などの症状として感知された時に初めて生まれたのです。そのような体の異常を除去するために、まじないや祈りや加持祈祷などによって元の正常な体に戻そうとしたのです。つまり古代から近代に至るまで、人々は病気は人間の力を超えた神の不機嫌や怒りによって生じると考えてきたのでした。病気の本当の原因は全く分からなかったのです。つまり医療とは宗教そのものであったのです。19世紀の終わりに始まった近代科学に支えられた西洋医学が始まるまでは病気になった人々は右往左往し続けたのです。この世の事象の全てには因果律が働いており、原因のない病気はないと分かるまで19世紀の終わりまでかかったのです。

 人体に病気の原因が侵入しない限りは、病気は絶対に起こりえないにもかかわらず、高度医学が最高に達した21世紀になっても、今なお愚かな医学者達は原因不明の病気病気と嘘をつきまくっています。その最たるものが自己免疫疾患であります。エセ医学者達はその自己免疫疾患が起こる原因を突き止めようとする努力をしないのです。いつも言っているように、昔も今も病気の原因はウイルスであり、細菌であり、寄生虫であり、天然の化学物質であり、人工の化学物質であるのです。もちろん言うまでもなく、遺伝子病は人体に異常を生み出し病気となるのですが、遺伝子病は残念ながら治すことはできないので、しかも人体に入った異物ではないので病気と言うべきではありません。癌も病気ではありません。遺伝子の老化です。

 先ほど19世紀の末までは医学は宗教だと述べましたが、それでは現代の医学は真実の医学と言えるでしょうか?無理です。病気の成り立ちが遺伝子のレベルまで全て分かった現代において、医者達は何をやっているのでしょうか?医学という名のついた宗教科学をやっているだけなのです。言い換えると、科学で支えられたインチキ宗教をやっているだけなのです。なぜでしょうか?ご存知のように免疫の遺伝子が病気を治す唯一の医者であり、免疫の遺伝子が作り出すタンパクだけが絶対の絶対唯一の薬であるのにもかかわらず、その働きを全て止めようとしているためです。まさに病気を作って楽しんでいるのが現代の宗教医学であるのです。従って無知な昔の古代から始まった宗教医学の方が、現代の宗教医学よりもはるかに優れているといえます。なぜならば昔の宗教医学は患者の免疫を抑えることを一切しなかったからであります。皆さん、この理屈分かりますね?

 というような以上挙げた真実を、日本人は長い間知らなかったどころか、今なお知らない人が多いのです。先に述べたように、このような時代の中で田代三喜(たしろさんき)は新しい宋・元・明の医学である李朱医学を室町時代に日本に持って帰ってきたのですが、それまでにも中国や朝鮮から漢方医学が輸入されていたのであります。

 日本と朝鮮半島の繋がりは古代からありました。中国医学が朝鮮を経て伝わり、間接的に韓国から中国医学が日本に伝えられていたのです。ところが日本から直接に中国から本格的な中国医学を導入したのは遣唐使だったのです。630年に開始され894年の廃止まで、16回の遣唐使が唐に派遣され、唐文化の輸入と同時に中国医学が輸入され続けたのです。この遣唐使と共に留学僧も一緒に派遣され、この僧たちが中国の医学も勉強し、僧であると同時に医者にもなったのです。平安朝時代(794年〜1185年)や鎌倉時代(1185年〜1333年)になっても僧侶たちが中国の医学を日本に輸入したのです。有名な僧侶にして医療につとめたのは、かの有名な弘法大師であり、行基であり、忍性(にんしょう)(良観)でありました。彼らはあちこちに病人の救済施設を建て、病人に対して治療を施し、様々な慈善につくしたのでありました。現在は宗教と医療は完全に分離していますが、室町時代までは僧と医者とは兼ねていたのです。特に忍性は鎌倉時代に常施院と悲田院を作って療病に力を尽くしたのです。

 室町時代になって田代三喜(たしろさんき)が明に留学し、李朱医学を日本にもたらしたのです。その田代三喜の李朱医学を曲直瀬道三(まなせどうさん)が受け継ぎ、京都において一家を立て、この道三流の医学は天下に伝えられ、江戸初期より中期にかけて日本の医学界の一大勢力となったのです。この時代から仏教から切り離された医業を専門に行う人が増えていったのです。

 戦国時代から江戸時代初期の間に活躍し、118歳までの長寿を生きたといわれる永田徳本(ながたとくほん)がいます。戦国時代随一の名医として関東地方で活躍し、甲斐(山梨県)の徳本といわれるほどに名を売ったのです。その当時の甲斐は武田信玄に支配され、甲斐にいた時間が最も長かったので甲斐の徳本といわれたのです。この人物は極めて興味のある人物ですから、少し詳しく書きましょう。

 永田徳本は、やはりこの戦国時代の主流の医学であった李朱医学をはじめは学んだのでありますが、理屈に過ぎる朱子医学よりも、実証的な張仲景の『傷寒論』を好んで学び、臨床経験を重ねて彼一流の独自の医学を完成したのであります。徳本は、富貴を避け権力者に対しては反抗的で、栄達や名利を求めず、その時代の医学の過ちを痛罵し、常に漢方薬の袋を首にかけ、牛にまたがって、まるで行商人の如く「甲斐の徳本、一服十八文」と叫びながら、村から村へ流浪の旅を続け、貧しい人たちの病気を治し続けたということです。この時代の一文(いちもん)は、現代の何円になるかは分かりませんが、いずれにしろ貧しい人でも十八文は出せたのでしょう。彼にまつわる色々なエピソードがありますが、一番有名なのは江戸時代の二代将軍である徳川秀忠の病気を治したことです。秀忠の侍医が治せなかったときに、この永田徳本が召されて、彼が処方した薬が例の攻下剤であり、その処方を用いて数日にして秀忠の病気を全快させたのです。

 永田徳本の医学は禅宗の影響を非常に受けており、豊富な臨床体験と直感に負うています。彼は鬱滞を全ての病気の原因とみなし、病名を考えずに症状の類似をもって漢方薬を決め、従来の消極的な温補派のやり方を排斥し、攻下的な峻剤を屯服的に用いて病気を治していたのです。この意味では彼は劉張学派といえます。しかしながら治療方針は張仲景の『傷寒論』の方法論に基づいており、様々な漢方処方を充分に勉強していたのです。確かに病気の原因は何かが鬱滞しているのは確かです。それがウイルスであるとか、細菌であるとか、血であるとか、水であるとかは別にしてであります。そのような要らないものを吐き出したり、下したりするのは、病気の根本治療に通じます。とどのつまり病気を治すというのは、異物を排除することと同義であります。

 将軍秀忠は非常に喜んで色々な贈り物を与えようとしたのですが、永田徳本は十八文以外は頑として受け取らず、牛の背に乗って去っていったのであります。その時の永田徳本の年齢は110歳であったといわれていましたが、これは嘘でしょう。永田徳本が長寿であったのは確かなことです。欲を持たず自分の心に恥じず、貧しい人を助けることを最大の喜びとしていた徳本にストレスは何もなかったはずです。つまり寿命を縮めるステロイドホルモンは出しすぎる必要がなかったのです。さらに自分の健康のためにも、漢方薬を自分に合わせて飲んでいたので長生きしたのは当然かもしれません。

 ここでお年寄りには耳寄りな話を加えておきましょう。昔から「おじんおばんには漢方薬は飲ませるな」という言い伝えが中国にも韓国にも日本にもあります。なぜ老人に漢方薬を飲ませるのは良くないのでしょうか?漢方薬を飲ませ続けると長生きしすぎるからです。ただ長生きするだけで食いぶちが増えるばかりですから、用のなくなった老人は長生きしてもらうと、老人をいつまでも食わせなければならない若者にとっては困るからです。口ばかりうるさい老人は、今も昔も若者にとって目の上のたんこぶであったのでしょう。

 近頃意味のないサプリメントや健康食品などエビデンスのない商品が売られていますが、最も価値のある健康サプリメントは漢方薬であることを付け加えておきましょう。漢方薬は炭水化物が少なく5大栄養素が満載されている上に、免疫を上げる成分も豊富であり、かつ細胞の新陳代謝も高め、つまり老廃物の処理を促進し、新しい細胞を素早く作ってくれます。かつ血流を良くし、水分の代謝も盛んにし、脳の働きも確実に高めてくれます。実は私は今年で69歳になりましたが、私が若々しく元気であるのは漢方を欠かさず飲んでいるからです。ワッハッハ!実はこのコラムは「どうして漢方薬は免疫を高めるのか」というテーマでかきはじめたのですが、本当は免疫のみならず、栄養的にも、かつ長生きするためにも、かつ癌にならないためにも、漢方煎薬が最高の農産物であることを証明するためでもあるのです。このコラムの最後にもっと具体的な証拠を論理的に、かつ科学的に提示するつもりです。乞うご期待!

 さてここで永田徳本が治した将軍秀忠の病気は何だったのでしょうか?永田徳本は『傷寒論』を大元として、患者に汗を出させ、吐き出させ、かつ下させるための攻下剤、別名峻剤(しゅんざい)を用いました。「峻」という字は、山が高く険しいという意味でありますが、そのような険しくて高い山を登りきるために、攻撃的な薬が要るということで峻剤といわれるのです。永田徳本が用いる処方は、たったの19種類の処方であり、これを用いて万病を治したといわれています。しかも彼は鍼灸は用いなかったので、将軍秀忠の病気は痛みがなかったと思われます。なぜかというと漢方煎じ薬では痛みを取ることはできないからです。従って、攻下剤を用いて治すことができたわけですから、やはり感染症であったのです。おそらくその感染症の原因は、ウイルスか細菌か寄生虫かのいずれかであったのでしょう。

 将軍秀忠の病状についてはどこの本にも書かれていないので、しかも秀忠おつきの侍医は峻剤を用いることを反対したようですから、やはり彼はそれまで他の侍医が使ってきた補剤とは反対の攻下剤を処方した時に、それを見ていた多くの侍医の医師集団は顔色を変えて「もしも上様に一大事のことがあっては」と詰め寄ったようですが、数日にして病を全快させたようです。侍医たちは脱水症状を恐れたのでしょう。寄生虫もウイルスも口から吐かせたり、汗で出させたりすることはできませんから、やはり永田徳本は腸管から病気の原因である敵を出させたはずです。とすれば腸管感染症だと考えられます。寄生虫で重症なのは、日本住血吸虫症ぐらいですから、残るのはウイルスか細菌であります。大奥には日本全国から美味しい珍味な食べ物が送られてきますから、そこから感染が起こったと考えられます。さらに数日で治ったわけですから、急性の感染性の腸炎と考えてよいのです。とすれば、今でいうノロウイルスやロタウイルスなどの類いのウイルスと考えられます。これらのウイルスをやっつけるのにはふたつ手があります。ひとつは秀忠自身がウイルスに対して特異的な抗体と特異的なキラーT細胞を免疫の力で作り出すことです。大奥はご存知のように将軍を楽しませる素敵な女性が多すぎますから、精力も不足していたはずです。その結果免疫の働きも充分ではなかったはずですから、自分の免疫で治す力は少なかったのです。

 もうひとつは、腸管にいるウイルスを峻剤を使って下し出すことです。永田徳本は、侍医がやっている補剤治療で治らなかったのを知っていたので、侍医の治療と逆のことをやったのです。つまり。おそらく腸管にいるウイルスを下すための攻下剤を使い、同時に漢方で免疫を上げながら秀忠将軍の病気を治したのです。一時は症状はきつくなったでしょうが、永田徳本は自信満々の経験によって一歩も引かずに攻下剤を用いたのです。おそらく永田徳本は同じような症例を何十回も経験していたのでしょう。私も全ての難病を治していますが、実は学会という標準治療を作り出している現代の侍医たちがやっていることと全く逆のことをやっているから、病気は治るのです。いや、実は患者の免疫が治してくれているのです。永田徳本と私の考えは、その意味で似ているといえますね、ワッハッハ!

 永田徳本以後の、江戸時代から明治に至るまでの日本医学について書き続けましょう。江戸時代中期に復興思想が現れ、医学も張仲景の『傷寒論』に返れと叫ばれ、名古屋玄医(なごやげんい)や後藤艮山(ごとうこんざん)らによって古方派が生まれました。この古方派が後世派にとって代わってしまったことは既に書きました。名古屋玄医は、はじめは朱子医学を学んだのですが、後に『傷寒論』に出会い、その正しさを悟り、李朱医学を排除して、いにしえの張仲景に返るべきだと唱えました。しかしながら、名古屋玄医は『傷寒論』の精神は大切であるが、『傷寒論』に書かれている処方だけに限る必要はないと主張しました。百病(全ての病気)は風・寒・湿より生ずるので、とどのつまりはひとつの寒気によるものだとしました。寒気は陰であるために、この寒気を倒すためには陽を助けることに他ならないので、治療の根本はまず陽を助ける処方である桂枝湯を中心に用いました。漢方の個々の処方の意味については機会があれば解説することになるでしょう。

 一方、後藤艮山は、名古屋玄医の弟子になるつもりだったのですが、名古屋玄医に気に入られずに拒絶され、発奮して独学で一家を成したのです。ちょうど松本医学は松本仁幸が独自に確立した医学であるのとよく似ています。後藤艮山は、百病(全ての病気)は一気が体に留滞することによって生ずると考え、この気が人体に充満する状態を元気といい、その気が滞ってしまうと病気の原因となると論じ、その気を全身に巡らせることによって病気は治ると主張しました。治療の根本を順気に置き、解毒と排毒の処方をよく用いました。気を巡らせるお灸や温泉や熊胆(熊の胆嚢)や唐辛子を用いました。後藤艮山の門人で最も優れた弟子に香川修徳(修庵)や山脇東洋がいます。

 香川修徳(修庵)の門人は400人もいたといわれます。香川修庵の著述には『一本堂薬選』があります。「一本堂」という意味は、「儒学と医学はひとつである」という意味であり、『儒医一本論』を唱え、香川修庵自身も一本堂と号したのです。これは香川修庵の思想を明らかにしたもので、孔子の説く聖人の道と真の医道は根本は同じであるという考え方です。このような考え方は現代の医学とは全く相容れませんが、現代の医者に香川修庵の遺灰でも舐めさせてあげたいものです。ワッハッハ!

 特記すべきことは、香川修庵が生み出した処方が治打撲一方湯であることです。治打撲一方湯は打撲や打ち身の筋肉の疼痛を治すことを目的としたもので、近頃私が最も頻繁に使っている処方のひとつです。治打撲一方湯は7つの成分から成り立っております。川骨(センコツ)、ボクソク、センキュウ、桂枝、大黄、チョウジ、甘草の7つです。センキュウは古くから血の鬱滞をよくするといわれています。ボクソクは骨の痛みを取るという効能があります。ボクソクはクヌギの樹皮であります。ほとんどの筋肉痛はヘルペスと免疫との戦いによって生じるのです。

 山脇東洋は後藤艮山の門下生でありますが、薬方は張仲景のものばかりではなく、後世方、つまり李朱医学の処方も用いました。山脇東洋はなぜ有名なのかご存知でしょうか?彼は日本の実験医学の先駆者ともいうべき人で、若狭の医官である小杉玄適(こすぎげんてき)とともに刑死体を解剖し、その結果を日本で初めての解剖図鑑である『臓志(ぞうし)』に記述し、それまでの解剖図の誤りを指摘したのであります。この話は日本史で学ばれたことでしょう。山脇東洋の第一の弟子は永富独嘯庵(ながとみどくしょうあん)であります。永富独嘯庵は古今に珍しい大秀才であり、医学だけでなく経世学にも通じていました。医学は何よりも『傷寒論』を尊信すべきであるとしました。残念ながら35歳の若さで死んでしまいました。

 

 さぁ、やっと吉益東洞(1702〜1773)に着きました。既に吉益東洞については書いたのですが、覚えておられますか?山脇東洋に推奨されて名を成した人が吉益東洞であります。吉益東洞は完膚なきまでに後世方を罵倒し、一世を風靡しました。既に述べたように、吉益東洞は「万病一毒説」を唱え、「いかなる病も毒が身体内にあるから起こり、毒を体外に駆逐してしまえば万病を治すことができる」と主張したのです。その通りです。病気というのはかつては感染症でありましたから、感染症の原因となるウイルス、細菌、寄生虫を体外に駆逐すれば病気は全て治るのです。故に毒薬をもって毒を攻める以外に病を治す方法はないといい、峻剤をもって病気を攻撃し、そのたびに激しい症状を起こした時には「瞑眩(めいげん)」と称したのです。このような吉益東洞の理論に従えば、後世派の李朱医学の温補派説は当然成立しません。そこで東洞は温補派を罵倒し、「元気を補うことが可能だとすれば、人は永久に死なないはずだ」と嘲弄しました。さらに彼は「医者はただ病気を治すのみであって生死のことは知らない。生死は天の司るところである」とまで主張したために、当時激しい攻撃の的となりました。東洞は診察にあたって脈を取らず、万病は腹に目指すものであると主張し腹診を重んじました。脈診を捨てて腹診を重んじたため、日本独自の腹診を生み出しました。東洞の著述には『類聚方(るいじゅうほう)』や『薬徴(やくちょう)』があります。

 天才、吉益東洞派と反吉益東洞派との論争は面白いので次回に必ず書きます。それから現代の漢方医学史で日本の医学史を終わりたいと思います。

○滑寿(かつじゅ)(1304〜1386)

 

 滑寿は、鍼の経絡と経穴についての教科書となる『十四経発揮』を書きました。王惟一(おういいつ)で既に述べましたが、十四経というのは、手足の三陰三陽の12経と、督脈と任脈の2つを加えた十四経を指します。王惟一は北宋の医者で鍼灸銅人を作った人だと覚えていますか?

 滑寿は、幼い時から利発で学問を好み、若い頃から『黄帝内経』や『素問』と『難経』の古典をよく勉強しました。『素問』と『霊枢』の書物を比べながら、経絡と経穴を整理し、教科書に編纂したのが『十四経発揮(じゅうよんけいはっき)』であります。非常に簡便で実用的であったので、後世まで活用され、特に日本への影響は大きかったのです。発揮という意味は働きと効用という意味であり、十四の経脈のそれぞれに鍼をすればどんな効果があるかを詳細に解説され、鍼灸医学を勉強する人にとっては極めて便利であったのです。

 もう一度、十二経脈について復習しましょう。人体には経脈という気が巡る通路があります。その経脈には3つに陰の気が巡る通路と、3つの陽の気が巡る通路があります。3つの陰は太陰、少陰、厥陰であります。3つの陽は、太陽、少陽、陽明であり、合わせて6つの経脈があります。この経脈が手と足にそれぞれ3つの陰と3つの陽があると考え、合計12の経脈があるのです。督脈とは脊柱の上に気が巡る通路であり、任脈とは腹の真ん中に気が巡る通路であります。当院で鍼をやってもらったり自分でお灸をするときには、十四経脈のことを思い出してください。なぜ鍼灸が免疫を上げるかについては最後に書くつもりです。乞うご期待!

 さて明の時代(1368〜1644)の中国医学に突入しましょう。明は1368年に漢人である朱元璋(しゅげんしょう)が創建しました。貧農出身でありながら、元末期の農民運動の中心であった紅巾軍に入って頭角を現し、元を倒したのです。1644年に女真人(じょしんじん)の清に滅ぼされました。清の時代は漢方医学の発展はほとんどなかったので、中国医学史も明で終わることになります。

 

今日はここまでです。2014/03/27

○李 時珍(り・じちん)(1518〜1593)

 

 医者としてよりも中国の代表的な本草書、つまり薬物書である『本草綱目(ほんぞうこうもく)』52巻を編集した本草学者として有名であります。日本にも1607年に伝わり、中国のみならず、日本でも本草書といえば、この李時珍が編集した『本草綱目』を指すようになりました。有吉佐和子が書いた『華岡青洲の妻』を読まれた皆さんの中には、華岡家の診療室にまるで華岡家の宝物のように鎮座している『本草綱目』の描写を覚えておられる人がいるかもしれません。明代以前の本草書や医書を参考にして各地を立地調査し、薬物の採集と知識を集め、編集したものであります。李時珍は35歳のときから26年かけて苦心の末に編集された一大本草書であります。処方の数は一万を超えていました。

 

 李時珍もはじめは官僚になるために科挙試験に何回かトライしたのですが、全て落第したのち、医者であった父について医術を学び、『瀕湖派学(ひんこはがく)』という医書も著しました。彼はのちに瀕湖山人(ひんこさんじん)と号したので、『瀕湖派学』という書名にしたのです。医者としても治療が必要な時には、昼夜、貧富にかかわらず治療を断らなかったので、彼が医者をやっていた湖北一帯で名医として賞賛されていました。李時珍のこのような評判を聞いた楚王の子が気厥病といわれる病を患った時に、多くの名医たちは手をこまねいていたのですが、李時珍が治したのです。この気厥病というのは、気のめぐりが悪くなって、突然目がくらんで倒れてしまう病気であります。おそらくこれはヘルペス性のてんかんのであったか、ヘルペス性のメニエールの前庭神経炎の強度なものであったか、ヘルペス性脳血管炎であったのです。結局原因は例のごとくヘルペスであります。李時珍はこのような症状に対して該博な漢方処方の知識を駆使して楚王の子の気厥病を治したのです。この漢方処方の名前は分かってはいません。楚王は感謝して李時珍を明の朝廷に高級官僚として推薦したのですが、官僚の仕事が性に合わず故郷に帰り、再び医療に従事し医学の勉学と著述に励んだのです。その中で歴代の本草学者が書いた本草書の内容に誤りが多いことを知り、実地に薬草を調べ尽くして『本草綱目』を作ったのです。この書物を知った明の当時の皇帝である神宗(万暦帝)が、素晴らしい書物であることに感動し、この『本草綱目』を天下に知らしめるために出版させたのです。

 

 もう少し『本草綱目』が中国全土に知られることになったいきさつを書きましょう。中国の本草学(薬草学を含めた薬物学)は、中国古代の伝説の人とされている三皇五帝のひとりである「神農」が全ての薬草、毒草を食べて作ったとされる『神農本草経』を原典として、多くの改訂や補足が繰り返されてきました。実は『神農本草経』は後漢時代に編集されたのです。後漢時代を下るにつれて、名称や薬効についての誤りや、重複、遺漏が多数含まれるようになっていきました。李時珍はこのような誤りを正すために、新しい本草学書の編纂を志したのです。参考にした書物は800種、彼自身も多数の薬物の実物を収集して研究を重ねて26年の歳月を費やし、その間に3回の校訂を重ねて、遂に61歳の時に、今もなお世界最高の本草学の書物である『本草綱目』全52巻190万余字をもって完成させたのです。

 

 しかしながら、当時の中国の医学・本草学の世界では、李時珍の作った『本草綱目』が、それまで聖典視されていた『神農本草経』などの説や、配列・構成に対しても訂正を加えた事などから、李時珍に対して激しい糾弾が浴びせられる事となり、その出版は事実上閉ざされてしまいました。ところが李時珍に理解を示す人たちの奔走で、1593年に南京の出版業者・胡昇竜が出版に応じ、また時の皇帝万暦帝への献上の機会を得る事になりましたが、この直後に李時珍は病に倒れて急死してしまいました。献上された『本草綱目』は万暦帝から賞賛されて、出版に便宜が図られる事になりました。この本は日本などの周辺諸国のみならず、ラテン語などのヨーロッパ語にも訳されて、世界の博物学・本草学に大きな影響を与えたのです。現代では西洋医学の薬、つまり製薬メーカーの工場で作られる免疫を抑える薬が欧米で圧倒的な力を持っていますが、これらは病気を作るだけの薬であることを欧米人は何も気づいていないのです。東洋人は中国医学の本草学を今なお用いて免疫を上げて病気を治し続けているのです。漢方生薬は薬というよりも農産物であるために栄養がいっぱいであると同時に患者の免疫を上げることによって、患者自身に病気を治させることができるのです。

 

 ここで『本草綱目』の元になった『神農本草経』について少し復習しましょう。「神農」についてはこのコラムのはじめのはじめに書きましたが、本草学(薬物学)の聖典とあがめられるほどに素晴らしい書物である『神農本草経』ですが、この著者や成立年代が正確に分からないのは不思議です。中国医学本草学の4大著作といえば何でしょうか?まず第一にあげられるのは『黄帝内経』であります。第二の古典は中国における名医の代名詞とされる扁鵲の著作『難経』であります。これは紀元前500年頃に書かれました。第三の古典が医の処方の祖といわれる後漢時代の張仲景が書いた『傷寒雑病論』であります。最後の4つめが『神農本草経』であります。

 

 皆さん、既にご存知のように、南北朝時代の「梁」の国名を決めた陶弘景のコラムを既に読まれたでしょう。陶弘景は薬物学の大家であり、陶弘景が作った『神農本草経集注』の書名に出てくる『神農本草経』の文章に整理改訂を加えたのです。従って、陶弘景以前に『神農本草経』が作られていたというのは分かっているのですが、その著者も成立年代も不詳な、今なおミステリーに富んだ書物なのです。著者は不明でありますが、推定されているのは『傷寒雑病論』を書いた張仲景が書いたか、外科の元祖であるといわれている華佗(かだ)が書いたか、またはそのような中国医学の最高級の人物が書いたのではないか、といわれていることは付け加えておきましょう。

 

 いずれにしろ、病気を治すのは自分の免疫でしか治せないのですが、その免疫を手助けする薬物の全てが記載されていたのが『神農本草経』であります。後漢時代に作られたことは分かっているのですが、この書物が明に至るまでの間に生じた誤りを正し、さらに整理したのが李時珍の『本草綱目』であるのです。私も妻のお父さんから譲り受けた漢文で書かれた『本草綱目』の写本を全52巻持っています。お父さんは漢文を容易く読める人であったので、この『本草綱目』を参考にして漢方処方を出していたのです。ついでに言えば、私は『神農本草経』の流れをくむ漢文で書かれた『経史証類大観本草』も岳父から譲り受け、今も持っています。しかし漢文が難しいので正しく読み切ることは無理な本です。

○凌雲(りょううん)

 

 凌雲は鍼の名人でありました。漢方薬を処方して病気を治したのではなく、鍼一本で明の孝宗皇帝の侍医になったのです。既に中国医学史を勉強してきたのでお分かりだと思いますが、中国は科挙に合格した高級官僚が支配する文が武に勝る国家でありました。従って頭のいい志のある若者は、まず科挙に合格すべく勉強を始めますが、途中で挫折してしまいます。そんなとき、自分が体が弱いとか病人を何とか治したいというヒューマンで勉強好きな若者は医師を志すのです。凌雲もその一人です。ある時に死にかけている病人を鍼で治した道士に会ったのです。道士というのは道教を修めた人でありますが、彼らは鍼灸の技術を身につけた人が多かったのです。凌雲はこの道士に鍼の術を学んだのです。

 

 鍼灸や漢方をやっている人が世に名を成すために一番大必要な条件は何だと思いますか?その国の支配者、つまり皇帝の病気を治すことです。凌雲も地方の王様の病気を治し、皇帝に召されたのです。日本でも天皇の病気を治した心臓外科の先生が一躍有名になったのはご存知でしょう。このように皇帝の前で病気を治す腕前を示すことです。有名になっただけでは不十分です。実力を示す必要があります。そこで孝宗皇帝は、医を司る太医官として凌雲の実力を試したのです。鍼灸銅人を作った北宋時代の王惟一のことを覚えていますか?この鍼灸銅人を持ってこさせ、衣で覆ってその上から命じたとおりに経穴に刺さるかどうかを試験したのです。凌雲の鍼は百発百中であったので、すぐさま孝宗皇帝の侍医に任命されたのです。

 そろそろ中国医学史も終わりに近づいてきました。結局人間が一番苦しむのは痛みです。痛みをすぐに消すことができるのは鍼に勝るものはありません。どうして気息奄奄(きそくえんえん)である病人をすぐに回復させたり、死ぬほどの痛みを即座に消滅させることができるかについての科学的な話をせざるをえなくなってきました。そうです。漢方鍼灸の数千年の歴史の中で、「なぜ漢方が免疫を上げて病気を治すのか」や「なぜ鍼灸が痛みを取るか」について疑問を感じ、その答えを出そうとした中国医学の天才は誰一人としていませんでした。経験医学だけで作り上げてきた漢方鍼灸にその答えを求めさせるのは無理な話です。生理学、生化学、免疫学、病理学、解剖学など何一つとして分からなかった過去の中国において、そのような問いに対する答えは不可能なのです。現代でも目に見えない神経・リンパ管については、彼らは一切知識がなかったのですから、答えが出ないのは当然といえば当然なのです。その答えを私が出す日が近づいてきました。その前に最後の明の3人の中国医学史の人物について語って中国医学史は終わりにしましょう。その3人とは、張介賓(ちょうかいひん)であり、搜廷賢(きょうていけん)であり、載曼公(たいまんこう)であります。

○張 介賓(ちょう・かいひん)

 

 中国医学の天才医師の例にもれず、若い頃から聡明であり、儒教の経書を読むのを好んだ人です。若い時から軍事学もやったのですが、成功しなかったので故郷に帰り、大量の医書を読み、その医書の処方に従って医療を行って病気を治したので、医者としての令名が高くなっていったのです。漢方処方は勉強さえすれば、過去の漢方医書に書かれた通りに出せば、結局は患者が病気を治してくれるので、頭のいい人は独学で誰でも医者になれたのです。しかも上手に治せばすぐに有名になれたのです。

 

 皆さん、「八味地黄丸(はちみじおうがん)」という漢方処方をご存知でしょう。この八味地黄丸の中に地黄が使われ、8つの生薬で作られている処方なので八味地黄丸といいます。地黄という薬草の根から取ったものであり、それを蒸して乾燥させたものを熟地黄といいます。この熟地黄をよく用いたので、張介賓は張熟地(ちょうじゅくち)とも呼ばれました。彼は医術以外に天文、風水、律呂(音律)の学についても研究したことで有名です。特にエピソードが残っているのは、女性のヒステリーを見抜いたことで有名です。

○搜 廷賢(きょう・ていけん)

 

 搜廷賢は『万病回春(まんびょうかいしゅん)』という書物を書きました。さらに推拿(すいだ)といわれるあんまについての手技や治療法についての『小児推拿秘旨(しょうにすいだひし)』を書いた医者として有名です。推拿という言葉を初めて作った人もこの搜廷賢です。この『小児推拿秘旨』は小児を対象としたあんまの本としても初めてのものです。

○載 曼公(たい・まんこう)

  彼は先ほどの搜廷賢の下で医術を学んだのですが、明は侵入者の女真によって滅ぼされ、清王朝(1644〜1911)が建てられた後は、逃れて小児痘科をしていました。痘科というのは、まさに天然痘の専門医のことであります。日本において天然痘が初めて記載されたのは天平時代の735年でしたが、その後天然痘で日本人も中国人と同じように悩まされてきました。載曼公は、1654年徳川4代将軍家綱のときに日本の長崎に渡り、池田正直に天然痘の治療秘術を教えました。載曼公の天然痘に対する治療秘術は、1849年に伝来した西洋式牛痘接種に比べると、その場逃れの手段であったのですが、載曼公の治療法を用いれば少なくとも天然痘で死ぬことも減り、天然痘の後が顔に残る度合いも減ったのです。載曼公は隠元和尚が中国から興福寺にきたときに、彼の下で僧侶になりました。隠元が宇治の万福寺を建てるときにもついて行きたかったのですが、病に倒れて亡くなってしまいました。しかしその墓は隠元の建てた京都の万福寺にあるのです。載曼公の天然痘の詳しい治療法については、また勉強して分かれば付け加える予定です。

 今日はここまで 2014/04/03

 

 載曼公の人痘接種のやり方についてさっそく説明しましょう。牛の天然痘にかかった人は二度と人間の天然痘にかからないということは、ジェンナーが知る前からもちろん知られていました。この事実を利用して世界で初めていわゆるワクチンを作ったのがエドワード・ジェンナーでした。1796年に牛の天然痘にかかった乳搾りの女性から取った牛痘の苗(牛痘のかさぶた)をジェームス・フィップスという8歳の子供に植えました。このかさぶたを「痘痂(とうか)」といいます。牛痘を植えられたフィップスは軽い症状が起こった後に牛痘の症状が消えました。その後ジェンナーは本物の人間の天然痘の種、つまり人痘をフィップスに植えたのですが、天然痘が起こらなかったのです。繰り返し同じ人痘を多くの子供に植え続けたのですが天然痘は起こらなかったので、1798年に公にしたのです。これがいわゆる牛痘法であります。

 

 この牛痘法より前に、中国から人痘接種法が伝わっていました。つまり天然痘にかかった人のかさぶたを人間に植える方法でありました。中国ではこの方法が宋の時代に始まり、効果がなかったり、天然痘になったり、死んでしまったりしたので、一時この人痘法は衰えたのでありますが、明の時代に復興し、清の時代では多く行われました。この清の時代に例の載曼公が日本にやってきて、池田正直に教えたのです。その後、清の乾隆帝の1749年に完成した『医宗金鑑』の中に、この人痘接種のやり方について『種痘心法要旨』という形で載せられました。その人痘接種のやり方は4つあったのですが、天然痘にかかった人の膿やかさぶたを乾燥させたものか、あるいは湿ったものを、皮膚に植えるか、鼻腔に吹き入れるか、鼻腔の粘膜に植えるかを行ったのです。

 

 なぜこの人痘法はジェンナーの牛痘法よりも普及しなかったのでしょうか?この人痘法は、いわば現代の生ワクチンであります。現代の生ワクチンは必ず病原性を弱めた生きた菌を接種するので、弱毒生ワクといいます。一方、宋の時代から始まり、清のはじめ頃に載曼公が持ってきた人痘法は、天然痘のウイルスをそのまま上の4つの方法で植え付けるのです。ところが、かさぶたの中には全くウイルスが入っておらず全く効果がない場合や、ときにはウイルスがたくさん入りすぎていたりして本当に天然痘になってしまって死んでしまう子供も出てきたので一般に広く普及しなかったのです。天然痘にもかかっていないのに、天然痘を治すという治療法で天然痘になって死んでしまえば元も子もありませんから、一般大衆が人痘法を恐れるのも当然だったのです。医者側としては天然痘がウイルスによるものであるかどうかなどは全く知らなかったので、そのウイルスを弱めて接種するなどということは夢にも思わなかったのは当然のことであります。この人痘法がうまくいった人は天然痘のウイルスがごく微量であり、かつ免疫の力が強かった人だったのでしょう。うまくいかなくて死んだりした人は、人痘にたくさんのウイルスがいたか、接種された人の免疫が弱かったと考えられます。最後に付け加えておきますが、天然痘、つまり痘瘡は1980年にWHOが地球から絶滅宣言を出したことはご存知でしょう。

 

 それでは天然痘はペストに次いで歴史上人間を殺した病気で有名であります。それではどのようにして天然痘にかかった人は死んでいったのでしょうか?天然痘ウイルスを殺す免疫系が、免疫が弱まっている時には、血流に入り込んだ天然痘ウイルスがあちこちの臓器に入り込み、どんどん臓器の細胞の中で増殖し続けます。とりわけ天然痘ウイルスは呼吸器の細胞や消化器などの細胞などにも入り込みやすく、呼吸器や消化器などの臓器で増殖していく結果、とりわけ肺の損傷が重篤になるに従って呼吸ができなくなります。最後は息ができなくなり、いわゆる呼吸不全によって死んでしまうことが多かったのです。あらゆる病気で最後に人間が死ぬのは、呼吸ができなくなることと、心臓が働かなくなるかのどちらかであります。とどのつまりは酸素が人体に入らなくなることです。やはり天然痘も最後は息ができなくなるために死んでしまうことが多かったのです。

 

 人類は感染症にかかり、免疫が弱い人は重症になり、感染症の原因菌となる細菌やウイルスが血中に流れ出ていきます。これを敗血症といいます。これらの細菌やウイルスが中枢神経、心臓、肺、肝臓、腎臓、消化管などの複数の重要臓器や、さらに出血を止める凝固系、骨髄や脾臓などの免疫系などの重要な系が同時に連続的に機能不全になってしまうと、多臓器不全に陥ります。いわばウイルスや細菌などの敵が多くなりすぎて、戦いが全身の臓器に及び、炎症が全身に見られる状態であります。とりわけ生命に直接関係があるのはやはり肺であります。人間は4分間呼吸ができなければ、全ての組織において酸素代謝ができなくなり、エネルギーが作られなくなり細胞が死んでいきます。これが一番の死因の原因となります。エネルギーがなくなると社会活動がストップするのと同じことです。

 

 大昔から人類は若くして何の病気で死んだと思われますか?やはり感染症であります。感染症による4分以上の呼吸不全の結果であります。皆さんご存知のように、最新の情報では現代人の死因第一位は癌であり、第二位が心筋梗塞であり、第三位が肺炎であり、第四位が脳卒中であります。癌は細胞の遺伝子の老化であり、心筋梗塞と脳卒中は血管の老化によるものであります。それでは肺炎は老化と言えないでしょうか?実は言えるのです。つまり免疫の老化であります。若くして免疫の老化はありえないのですが、昔は栄養状態が悪いために、若い人でも免疫の成分を作るタンパク質が不足している上に、かつ今よりもはるかに生きるためにストレスが強すぎたために、ステロイドホルモンを出しすぎて免疫を抑え続けたので、簡単に若くして風邪をひいても最後は肺炎になって息ができなくなって死んでしまったのです。もちろん現代はワクチンと抗生物質があるうえに、栄養状態も良くなりますます免疫の方がウイルスや細菌よりも強力になったので、若くして感染症で死ぬことは皆無となってしまったのです。

 

 それでは、現代では免疫を落としているのは何でしょうか?それは製薬メーカーが作る頭痛薬、解熱剤、風邪薬、ステロイドなどの免疫抑制剤であります。このような免疫抑制薬が全世界に溢れ回っているのですが、とりわけステロイドは免疫の中枢であるリンパ球の幹細胞をどんどん殺していき、その結果採血したときにリンパ球数が極端に少なくなっていますが、なぜ現代人は感染症で死なないのでしょうか?それは現代人の免疫力よりも強い感染症を起こす敵がいなくなったからです。

 

 それでは現代に最後に残された感染症の原因は何でしょうか?風邪のウイルスとヘルペスウイルスと、せいぜいインフルエンザウイルスだけです。これらの敵に対して人間の免疫が負けて死ぬことがあるでしょうか?滅多にありません。皆さん、周りを見てください。友達や知り合いの仲間が感染症で死んだという話を聞いたことがありますか?滅多に、いや絶対にないでしょう。つまり感染症の原因菌に現代人の免疫は負けることがなくなったのです。それでは昔から人類が病気と言っていたのは、実を言えば感染症のことであり、この病気がなくなったにもかかわらず、なぜ医者達は「病気、病気」と騒ぎ立てるのでしょうか?文明が作った新たなる病気が生まれたからです。その病気の原因は何でしょうか?化学物質とヘルペスウイルスだけなのであります。しかしながら世界中の医学者たちはこの2つを決して病気の原因と認めようとしないのです。だからこそ原因不明の病気が増えだしたのです。それが膠原病であり、アレルギーであり、様々なヘルペスによる病気であるのです。ヘルペスについてはここを読んでください。

 

 さて、ここで前々回にお約束したとおりに、吉益東洞の古方医学と、反吉益東洞派の医学論争について述べておきましょう。既に書いたように、吉益東洞の病気の考え方は、あらゆる病気の全てに対してひとつの毒があるという「万病一毒説」であります。江戸時代までは、病気というのは全て感染症であると言ってもいいのです。この感染症の原因の全てをひっくるめて彼は「一毒」と言ったのです。細菌やウイルスのことを全く知らずして、とにかく病気の原因の全てを「一毒」と言ったのです。この一毒を攻め殺し、かつ排除して初めて病気が治ると考えたのです。実はこの「一毒」を攻めるのは人間の持つ免疫の遺伝子であるわけですが、彼はそんなことは露知らずして、この「一毒」を別の強い毒である漢方薬で攻めればよいと考えたのです。漢方薬は何も毒ではなかったのですが、漢方薬を飲むと免疫が上がって症状が悪くなるので、毒だと間違えられていたのです。彼はたとえ薬物の毒をもって一毒を攻めた時に患者が死んだとしても、医者の責任ではないとまで言い切ったのです。この毒と毒の戦いを彼は瞑眩(めいげん)と称し、瞑眩がなければ病は治ることはないと主張したのです。「医者はただ病苦を治すのみで生死のことは知らない、生死は天の司るところである」という天命弁を主張したのです。さらに、吉益東洞は診察にあたっては、中国医学の医者たちが一番大切にしていた脈診を一切行わず、その代わりに「毒は腹にあり」ということで、腹診を重視したのです。腹診とは、腹の触診のことです。万病は腹に根ざすと考え、はじめて日本で腹診を重んずることを始めたのです。このように中国医学の日本化は吉益東洞に負うことが多く、吉益東洞以降の日本の漢方医学はその診察と治療において彼の影響を受けない人はいなかったのです。ただあえて言えば、吉益東洞は金元医学の劉完素や張従正が作った劉張医学の攻下派に近いともいえます。

 

 既に李朱医学について書きましたが、吉益東洞の「人の命は天命が決める」という極端な考え方に、李朱医学を受け継いだ他の後世派の医者たちは彼を攻撃したのは当然だったのです。それを理解するために、李朱医学と後世派について少し復習しておきましょう。明の李杲と朱震亨が作った医学が李朱医学であり、体の働きを補うことを主眼として、はじめて病気が治るという考え方であります。この李朱医学を室町時代に田代三喜(たしろさんき)が明に行って日本に導入し、さらに曲直瀬道三(まなせどうさん)に受け継がれて日本で後世派と呼ばれ、以後江戸時代に古方派が出現するまで、日本医学界の主流となっていました。この後世派の考え方と真っ向から対決したのが吉益東洞の考え方でありました。つまり後世派は、補益派であり、吉益東洞は攻下派であったのです。

 

 私が吉益東洞を高く評価するのは、彼は漢方薬を使うことによって症状がひどくなることを瞑眩と言ったことです。実を言えば、この瞑眩という症状は漢方薬が一毒に対して、漢方薬を用いると免疫が高まり、その一毒を排除するために症状がひどくなることを知らずして瞑眩に気がついていたことです。このコラムは「どうして漢方薬をはじめとする中国医学が免疫を上げるのか」ということを理論的に実証するために書いているのはご存知でしょう。吉益東洞は漢方薬が患者の免疫を上げることによって、一毒、つまり感染症の原因であるウイルスや細菌やカビ、さらに原虫や蠕虫などの寄生虫と激しく戦っていることや、かつ漢方薬が免疫の働きを上げていることや、一毒と薬物の毒との戦いが激しくなり、瞑眩となっていることの全てを知らずして、正しい免疫の働きを見つけ出していたのです。だからこそ、彼を日本医学史の天才と私は呼ぶのです。

 

 彼は毒をもって毒を制して病気を治すと述べていますが、実は彼が使った漢方薬は毒ではなかったのです。なぜならば彼が使った漢方の生薬は、それまで中国や日本において使われてきた漢方の生薬を使っていただけなのです。つまり何千年にわたって人を殺すような毒を含んだ生薬は、全て人体実験によって使われることはなくなり、彼が使った漢方生薬は全て安全な生薬だけだったのです。彼は自分の言葉では「一毒を毒でたいらげる」という言い方をしていますが、彼が用いた薬草は全く毒ではなかったのです。ただ主に張仲景の書いた『傷寒論』に基づいて、峻下剤といって、吐かせる、汗を出させる、下痢をさせるなどの攻撃剤を用いたので、後世派の補益剤とは違っていただけなのです。従って、現在ならば「一毒を漢方を用いて体外へ排除する」という表現が最も正しいのです。

 

 ここで、吉益東洞が「生死は医者の司るところではなくて、人事を尽くして天命を待つ」という非常に強い確信をもって治療をした証拠となるひとつのエピソードを紹介しましょう。このエピソードは先ほどまで述べてきた天然痘の治療に関わることであるので書き記しておきます。あるとき、東洞の長男が天然痘を患い重篤に陥った時に、紫円(しえん)という攻撃剤をもって天然痘の治療にあたったのですが、とうとう死んでしまったのです。紫円という薬について説明しておきましょう。紫円という漢方処方は、巴豆(はず)、赤石脂(しゃくせきし)、代赭石(たいしゃせき)、杏仁(きょうにん)の4つの漢方薬から成り立っています。この紫円という薬は、発熱があり、水毒が体に充満していて、胸満感、呼吸困難、浮腫、腹部膨満、腹痛などがあるときに用いるのです。さきほど天然痘ウイルスが肺や消化管の細胞に入り込み、最後に呼吸困難で死ぬことがあることは述べました。まさに紫円が天然痘の治療にピッタリだと吉益東洞は考えたのです。ところが長男の天然痘を治すことに失敗し、長男が死んでしまったのです。次に、次女が天然痘にかかってしまいました。長男を紫円で治すことができなかったにもかかわらず、次女にも紫円を服用させようとしたのです。そこで周りの人が吉益東洞に、「紫円によって長男が死んでしまっているのに、どうして次女にもそんな無茶なことをするのか」と諌めたのですが、吉益東洞は答えました。「漢方の証に合わせて正しい薬を処方して病気が治らず死んでしまうのは天命であり、もはや医の及ぶところではない。しかし名誉が傷つくからといって、どうして自分の考え方を曲げることができるのか」と言ってのけ、敢然と紫円を投与し、次女の天然痘を治したのです。

 

 もう皆さん既にお分かりのように、長男の免疫の遺伝子が劣り、次女の免疫の方が勝っていたのです。何も紫円が長男の命を奪い、次女の命を救ったわけではないのです。免疫の遺伝子というのは、多数の遺伝子から出来上がっているので、一言で兄と妹のどの遺伝子が優れていたのか劣っていたのかを語ることはできません。ただ一つ言えることがあります。それは全ての人が持っているMHCⅡやMHCⅠというタンパク質の多様性を決める遺伝子が多様である人は免疫力が強く、多様でない人は免疫力は弱いといえます。MHCⅡやMHCⅠについてはホームページを読んでください。いずれにしろ吉益東洞は、自分の治療で子供を殺したにもかかわらず、自分の信念を貫き通した偉さはなんと例えればよいのでしょうか?病気を治すのは免疫であるということを知らない時代に、自分の考えを貫き通したという点でも天才というべきです。

 

 この吉益東洞に似たエピソードが昭和の漢方の天才である大塚敬節先生にもあったのです。大塚敬節先生は昭和の漢方医学復興の大恩人でありますが、彼も自分の3歳の子供を漢方薬だけで治そうとして死なせてしまったことを、大塚敬節著作集全8巻の論説・随想篇にチラッと書いておられました。奥様がずいぶん悲しまれ、大塚敬節先生をいつまでもいつまでも恨んでおられたようです。

 

 残念ながら吉益東洞や大塚敬節先生が書かれた書物には、免疫については一切ふれられていません。当然です。吉益東洞は1702年に生まれ、1773年に亡くなっています。一方、大塚敬節先生は1900年にお生まれになり、1980年に亡くなられました。免疫学が凄まじい勢いで解明され始めたのはここ30年前からであります。従って吉益東洞も大塚敬節先生も、漢方と免疫学を結びつけることは不可能でありました。しかし2人とも漢方薬がどんなに素晴らしい薬であるかを臨床を通じてさらに証明し続けられた方々です。今私は、なぜ漢方や中国医学が免疫を手助けすることによって病気を治すかという根拠を解明しようとしているのです。漢方は古来以来、免疫の証拠を明らかにしないのにもかかわらず、確実に人間が免疫で治せる病気を治す手伝いをやってきたことは確かであります。この確かな事実の背後に隠されていたmissing link、つまり免疫と中国医学の繋がりを明確にしようと長い長いコラムを書き連ねてきました。次回からは、このmissing linkをひとつひとつ明らかにしていこうと思います。これを明らかにするのも長い時間がかかりますが乞うご期待をお願いします。

 

 常に皆さんに知っておいてもらいたいことは、漢方薬は薬ではないということです。漢方薬は農産物であるのです。200年前に西洋医学が最初に作った薬はバファリン、つまりアスピリンであります。このアスピリンと漢方薬とは全く違った意味を持つことを知ってもらいたいのです。漢方薬は免疫を上げ、アスピリンは免疫を下げるという全く違った働きを持っているのです。ただ病気を治すのは薬であるということで、古来から漢方薬と言われ続けましたが、漢方薬は患者の免疫を手助けしているということが今なお気がつかれていないのです。一方、200年前から西洋化学が作り出した工場で作られる薬は、ワクチンと抗生物質と抗ヘルペス剤を除いては全ては免疫を抑える仕事をする薬であることをしっかりと知ってもらいたいのです。漢方薬は1年もかけて中国の農民が作る農産物であり、製薬メーカーが作る薬は、一日で工場で作られる薬であり、工場で作る薬は免疫の遺伝子の働きを抑えて症状を取るだけで、病気を治す薬ではないということも重々知ってもらいたいのです。漢方薬も西洋薬も語尾に“薬”がついていますが、これが一般大衆に漢方薬と西洋薬の違いを分かりにくくさせているのです。漢方薬には一切免疫を下げるような薬はありません。一方、西洋薬がほとんど全てが免疫を下げて症状を取るだけで、病気を治す薬ではないということを再確認してもらいたいのです。

 病気を治すのは患者の免疫であり、病気を作るのは患者の免疫を抑えることによってであるということをも充分に知ってもらいたいのです。しかも21世紀の文明社会にはいつまでも人体に侵入して免疫が排除しようとしている敵は化学物質とヘルペスしかないのです。この真実を知った私は現代の吉益東洞といえます。なぜでしょう?私は吉益東洞の言葉を借りて次のように言いたいのです。「万病二毒説」という新説です。それではこの二毒とは何でしょう?もうお分かりのように、化学物質とヘルペスウイルスです。その二つの原因を引き起こされた病気の治し方も、もう皆さん既にご存知でしょう。化学物質と戦う病気はふたつあることもご存知でしょう。ひとつは膠原病であり、ひとつはアレルギーであります。免疫をヘルプすることによって、抗体のクラススイッチを行うことによって膠原病をアレルギーに変えることです。最後はアレルギーを免疫寛容によって戦いをやめさせることです。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのも私です。つまり化学物質と共存できるようになれば膠原病もアレルギーも全て治ってしまうのです。それではもうひとつの毒であるヘルペスによる病気はどのようにすれば治ってしまうのでしょうか?もうご存知でしょう。免疫を高めて神経に居座っているヘルペスを神経節という刑務所に押し込むことです。これで「万病二毒説」の二毒の治し方がお分かりでしょう!アッハッハ!

 今日はここまでです。2014/04/10