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「MCTD手記」

匿名希望 41歳 2012年10月28日

「混合性結合組織病(MCTD)」

 MCTDは英語で、“Mixed Connective Tissue Disease”であり、その頭文字をとってMCTDといわれ、日本語では混合性結合組織病と訳されます。昔はオーバーラップ・シンドロームといわれたこともあります。オーバーラップ・シンドロームは日本語では重複症候群と訳し、結合組織で炎症を起こす病気の集まりであり、複数の膠原病を合併している症例を示しました。例えば全身性エリテマトーデスと慢性関節リウマチや、多発性筋炎などが同時に発症する病気といわれてきました。昔からこのような病気の原因は不明とされてきましたが、実は化学物質が原因であります。 人体には270種類の異なった組織があり、異なった細胞と全ての組織に共通な膠原線維からできている結合組織があります。この結合組織には毛細血管が縦横無尽に張り巡らされており、人体に取り込まれた化学物質が栄養とともに吐き出され、栄養物質は細胞に取り込まれるのでありますが、取り込む必要のない化学物質が結合組織に沈着し、この化学物質が結合組織を構成している膠原線維と結びついたり、その他の様々な人体のタンパク成分と結びつくと、人体の免疫に異物と認識されることがあるのです。このとき、化学物質をハプテンといい、タンパクをキャリアタンパクといいます。この化学物質であるハプテンとキャリアタンパクが結びついて初めて免疫によって認識される異物となるのです。この化学物質とタンパクの抗原複合体を異物と認識したあらゆる組織に存在する樹枝状細胞が取り込んで、それを最も近くのリンパ節に運び込みます。このリンパ節を所属リンパ節といいます。骨髄で作られた未熟な100億単位のTリンパ球やBリンパ球は、1000~3000箇所もあるともいわれるリンパ節をめぐりながら、自分のレセプターにぴったり合うこのような抗原複合体を見つけるべく、昼夜休みなくリンパ管や血管の中を流れまくっているのです。なぜリンパ節が大事かというと、このリンパ節やリンパ小節の胚中心という場所でしかクラススイッチができないからです。(抗体を作るメカニズムとクラススイッチの話の全てを理解するには非常に骨の折れることですが、理解したい人はここを読んでください。) 結論だけをはしょって言いますと、樹枝状細胞がくわえ込んだ敵を細胞膜にあるMHCⅡに結びついた複合体とぴったり合うTリンパ球のレセプターを持っている人は、この化学物質でできた複合体を敵と認識し、と同時にBリンパ球も同じ異物を敵と認識できるようになったときに、初めてTリンパ球はBリンパ球にこの化学物質に対してだけ特異的な抗体を作らせることができるのです。抗体の種類は主にIgGとIgEでありますが、この化学物質に対してIgEを作って戦うとアレルギーになり、IgGを作ってしまうと膠原病になってしまうのです。 Bリンパ球が作るIgG抗体をIgE抗体にリンパ節の胚中心で作り変えることをクラススイッチといいます。幼児期にはBリンパ球は簡単にクラススイッチをしてしまい、化学物質に対してIgGを作って膠原病になることは滅多になく、ほとんどがこれらの化学物質に対してはIgEを作りアトピーになってしまうのです。 なぜ赤ちゃんがIgGを作る必要がないのでしょうか?(もちろん生後6ヶ月になれば、自分の骨髄で新たなる敵に対しては必要なIgGを作ることができるようになるのですが。)それはお母さんの胎盤から赤ちゃんが生き続けるために感染症を引き起こすウイルスや細菌を間単に殺せるように、絶対に必要なあらゆる種類のIgGをもらって生まれるからです。従って既に必要なIgGはお母さんが作ってくれているので、化学物質に対しては簡単にIgGをIgEにクラススイッチすることができるのです。 それではどうしてお母さんのIgGがあれば、簡単にBリンパ球はIgGからIgEにクラススイッチができるのでしょうか?それを説明しましょう。私のホームページをしっかり読んでおられる人なら、その答えを覚えておられるかもしれません。それをもう一度復習してみましょう。ポイントはBリンパ球がIgGからIgEに作り変えるクラススイッチをするためには絶対にインターロイキン4(IL-4)というサイトカインが必要である点です。 さて、赤ちゃんの皮下には無数の肥満細胞があります。この肥満細胞の細胞膜にアレルゲンと結びついたIgEが結合すると、ヒスタミンが肥満細胞から放出され、様々なアレルギー症状が起こるのです。このIgEがどのようにして作られるかが現代の世界中のアレルギー学者が悩んでいることだったのですが、私が答えを見つけたのです。その答えを説明しましょう。 お母さんから胎盤を通じてもらったIgGは、生まれて6ヶ月ぐらいは赤ちゃんの体内に残っています。今述べた赤ちゃんの皮下に大量にある肥満細胞の膜のレセプターにこのIgGが結びつくと、徐々に肥満細胞がIL-4(インターロイキン4)を作り始めるのです。このIL-4は赤ちゃんの骨髄で作られた未熟なTリンパ球と結びつきます。この未熟なTリンパ球が、肥満細胞が作ったIL-4と結びつくと、ヘルパー2Tリンパ球(Th2)に分化します。このヘルパー2Tリンパ球こそが、アレルギーを起こすIL-4を作り続けるのです。このTh2は肥満細胞よりもはるかに多くのIL-4を作り始めます。大量に作られたこのIL-4がIgMやIgGを作っているBリンパ球に結びつくと、Bリンパ球のAID遺伝子を簡単にONにさせ、Bリンパ球が作る抗体をIgGからIgEに変えるクラススイッチを命令するのです。このAID遺伝子を発見したのは、我が母校の京大の本庶佑先生であります。このAID遺伝子が発現して、つまりONになって、初めてクラススイッチが行われるのです。皆さんご理解していただけましたか?これで赤ちゃんが膠原病にならないで、アトピーになってしまう理由が完全に理解できたでしょう。一言で言うと、お母さんのIgGがあるからこそ、赤ちゃんはIgEを作りだせるのです。 彼女も子供のときからアトピーがあり、他の人よりも化学物質を異物であると認識する優れた遺伝子をまずはじめに生まれながら持っていたのです。ところが、中学校時代に英語の先生とのトローマティックな出来事によりストレスがかかり続け、ステロイドホルモンを出し続け、徐々に徐々にAID遺伝子の転写制御因子がONにならなくなり、アトピーがいつの間にか膠原病に変わる準備をしていたのです。過剰なステロイドはあらゆる遺伝子の転写制御因子を簡単にONにしたりOFFにしてしまうことをもう一度確認してください。遺伝子を無理やりに変えてはいけないのです。)

はじめに

 混合性結合組織病(MCTD)とは、臨床的にSLE様、強皮症様、多発性筋炎様の症状が混在し、かつ血清中に抗RNP抗体が高値で検出される病気です。一般的にはステロイド治療が有効とされていますが、私は松本医院に辿り着き、真実の理論に基づき治療を行う事で、ステロイドを使わずに完治目前まで検査データー、症状の改善がみられました。病気を通して真実の医療を知り、心を見ることの大切さを知る機会でもありました。その過程をここに報告します。

発病までの生活

 私は乳児期に軽い湿疹、喘息があり治療したのかは不明ですがその後は特にアレルギーに悩まされる事も無く生活していました。 母は昔、自分の肌にコンプレックスを抱えおり、娘の私には綺麗な肌でいさせてあげたい、との思いで食事も比較的添加物の少ない食材を選んでくれました。食事についてはいつも管理される為少し窮屈な面もありましたが、その御蔭で私はとても綺麗な肌でいられました。

 平成9年、正看護学校を卒業し親元を離れて看護師寮で初めての一人暮らしをしました。毎日が忙しくて寮に帰って自炊する気力もなく、コンビニ弁当やカップラーメンを飽きる事なく毎日の様に食べ、食生活は最悪でした。仕事面では上下関係がとても厳しく、看護学校の恩師が私の働いている姿を見て「学生の時とは別人でとても気を使いながら仕事をしているのね」と少し心配そうでした。

 平成11年、仕事にもようやく慣れ、生活にもゆとりが出来ました。昔から体を動かす事が好きで、以前から習いたかったテニススクールに通い始めました。それだけでは物足りずスポーツジムにも通い始めました。体力だけは人に負けない自信があり、夜勤の前にも、スポーツジムに行き体を鍛えました。真夏の炎天下の中で日焼けも気にせず練習し、人生の中で一番日焼けをしました。職場の人から、何を目指しているのか分らないけど少しやり過ぎているよ、と言われた事もありました。病気とは無縁の体であると思っていました。

発疹の出現(平成12年)

 そのような生活を1年程続けていると、額に突然、にきびのような発疹が出てきました。日焼けのせいかと思い、直に良くなるだろうと軽く考えていましたが、なかなか治りませんでした。皮膚科の医師に診てもらいましたが原因もはっきりせずとりあえず、抗生剤、ツムラの漢方、ローションが処方されました。しかしあまり効果がありませんでした。別の皮膚科に行けばいいのかと、何軒か皮膚科に行きましたが、同じ様な薬を出されるだけで、どの医師も何が原因かを調べる事もなく、また何が原因かも教えてくれませんでした。得体の知れない原因不明の発疹に鬱状態になりました。人と会うのも苦痛になり、テニススクールもスポーツジムも辞めて、仕事以外は寮に引きこもり状態になりました。発疹の範囲は額から、顔全体に広がって行きました。しだいに髪の毛も抜け始めますます恐ろしくなりました。そんな生活が3年程続きました。

 

 いつまでもこんな生活はやっていられない、と思い職場で最も話しやすい研修医の女医さんに相談してみました。とことん調べてみようと、血液一般、アレルギー、腫瘍マーカ等を調べました。結果は非特異的IgE 525とアレルギー値が高く出ました。その他は特に問題はありませんでした。ちなみにリンパ球は28.3でした。当時私は、アレルギーの原因が化学物質によるものである。とは理解出来ていませんでしたので、発疹はアレルギー値が高いから仕方のない事なのかと解釈し、皮膚科をはしごするのを辞めました。すると髪の毛の脱毛も気にならなくなり、皮膚の症状も少しましになりました。しかしまだ皮膚のコンプレックスは続き職場ではマスクは外せませんでした。以前程ではありませんが、あまり外に出歩きたくありませんでした。

 

MCTDと診断

 そんな生活ぶりをある知人に話すと、食事会の誘いがありました。全く乗り気ではなかったのですが、その知人の顔を立てる為にしぶしぶ食事会に行きました。しかしその時に、ある男性との出会いがありました。私は基本的に、自分の事は何でも自分で解決しよう、とする性格でしたが、その人に対しては不思議なくらい、自分の悩みなどが何でも話せました。気持ちがすごく楽になり、ようやく私にも幸せになる道が開けてきた、と思った矢先、平成18年10月頃レイノー症状が出てきました。内科部長の医師に相談し、自己抗体検査をしました。その結果、抗核抗体640倍SPECKLED(斑紋型) 抗RNP抗体64 血清補体価CH50 39、1C3 83C4 17MCTD(混合性結合組織病)と診断されました。

 そういわれてみれば、最近手指の腫れや、全身の倦怠感、階段の上り下りがしんどく感じていました。なんてついてない人生なのか、人生太く短く好きな事を思い切りしてさっさと死ぬに限る、と自暴自棄になっていた時もありました。しかし彼は私を見捨てる事なく病気の事を理解しようと、インターネットで検索し、情報を私に教えてくれました。その御蔭で私はこの病気から逃げ出す事はやめて、絶対に治したいと思うようになりました。そして内科部長に「先生、この抗核抗体640を下げるにはどうしたらいいのですか?」と質問すると、「君は難しい質問するねー」と頭を抱えていました。「でも補体もあまり動いてないし様子観察でいいんじゃない」と言われ特に何も治療しませんでした。しかしこのまま何もせず、様子観察でいいのか?という不安があり、市民病院でもう一度検査をしてもらいましたが、結果は同じでした。レイノー症状に対して、オパルモン、ユベラニコチネートが処方され、二ヶ月程内服しましたが、全く改善が見られないため中止しました。やはりこの病気を治すことは無理なのかと諦めました。

 当時膠原病とアレルギーが同じ病気だと理解出来ていなかった私は、膠原病は治す事は無理でもせめて肌だけでも綺麗にして、彼に良くみられたいと思いました。しかしその浅はかな考えが、今後の険しい茨の道への第一歩を踏み出すことになりました。

プロトピック使用

 平成19年2月、昔足のイボを治してもらった皮膚科の医院を思い出し、あの先生なら私の皮膚を治してもらえるのではないかと、その医院に行きました。今までの皮膚科は、抗生剤やツムラの漢方等が主に処方されていましたが、この時初めてプロトピック軟膏と抗アレルギー剤が処方されました。「この薬(プロトピック)は、ステロイドより、副作用は少ないので安心して使って下さい。塗れば塗る程皮膚は良くなるので怖がらすに塗って下さい」と説明を受けました。そして抗アレルギー剤を内服し、プロトピックを顔に塗ると一日もたたないうちに皮膚の赤みは取れ、久しぶりに8年前の綺麗なつるつるの肌に戻りました。さすが新薬!魔法の薬だと思いました。しかし塗るのを止めると、元通りの赤みがかった肌に戻りました。この薬はいったい、いつまで塗ったらいいのだろうと疑問を抱きながらも、塗れば塗るほど皮膚は良くなる、と言う医師の言葉が頭に残り、私はそれを信じて毎日のように顔に塗っていました。

 

退職

 平成19年3月彼の転勤が決まり、長年勤めていた病院を退職しました。 新しい土地でまた近所の皮膚科に行き、「前の病院でプロトピックを出してもらっていたので、同じのを下さい」と言うと、すぐに出してくれました。しかし塗りつづけているうちに、皮膚の色は赤黒くなり、顔色は悪く、太陽に当たると皮膚がひりひりしました。そして体がだんだんと鎧をかぶっているかのように、重たくなってきました。道で歩いていても人に追い越され、自転車に乗っていても、上り坂が上りづらくなり、家事をするにも、体がしんどくて寝ている日が多くなりました。

 

大学病院名誉教授との出会い

 平成19年12月、頭部、胸部、上腕部、背部、に発疹が出てきました。インターネットで病院を探し、大学病院の名誉教授が総合病院で週二回診察されている、と言う情報を得、平成20年2月に診察に行きました。プロトピック軟膏を使用している事を話すと、「この薬は新薬だから、今は副作用が少ないとされていますが、これから、5年後、10年後いろんな副作用が出てくる可能性があるので、やめたほうがい、それに比べてステロイドは15年使っても副作用はこの程度だから」と15年間ステロイドを使用してきた患者の写真を見せてもらいました。赤黒くなった皮膚を見て、とても怖くなりこの程度、と言っている意味がよく分りませんでした。とりあえずプロトピックとステロイド両方処方してもらいました。

 

MCTD悪化

 平成20年4月、焼肉を食べた後夜間ものすごく下痢になりました。体温37度3分、抗生剤を内服しましたが、全く改善せず水分補給をしながら様子を見ていました。下痢は続き微熱から段々と39代の高熱になり、熱が上がる度に家にあった、ロキソニン、バファリンを何度も内服して1週間過ごしました。しかし熱の下がる気配はなく食事、水分も取れなくなり、尿量減少、全身の体のむくみと関節の痛みもでてきました。しだいに自分で立ち上がる事もできなくなりました。カレンダーを見てみると、同じ大きさの字で書かれているはずの数字が、1段目は普通に見えているのに、2段目の数字が小さく見え、視覚障害まで出来ました。これはまずいと思い、平成20年4月8日総合病院に行きました。採血と点滴をしてもらいました。採血の結果、CRP8.70 CPK450 LDH430 GOT55 Na130 Cl94 腸炎を起こしてそれが引き金になり膠原病が悪化したのではないか、と説明を受けました。膠原病がある為この病院では対応出来ないとのことで、大学病院を紹介してもらいました。

 

大学病院入院

 平成20年、4月9日 大学病院に入院しました。入院時は、39度の高熱、全身の関節痛、全身の浮腫、歩くと息切れがして歩けない為、車椅子で病室まで行きました。入院後皮膚の生検をし(結果異常なし)持続点滴をしました。CRPが10.31あり熱に対しては、解熱剤(アセトアミノフェン)を使用しましたが、効果はなく38~39度代の熱が続きました。個室に3日間入っていましたが、2日目までは個室のトイレに行くのも息切れがして体に力が入らなく、トイレまでの移動が大変でした。トイレと検査以外はベッドで横になっていました。入院3日目になるとようやく脱水症状が取れてきて、尿も普通に出るようになりむくみも少しとれてきました。高熱は続いていましたが部屋の中を少し歩ける位になり、4日目大部屋に移りました。

 一週間以上プロトピックを顔に塗っていなかったため、アトピーのリバウンドで顔はえらい事になっていました。主治医に軟膏を塗ってもいいのか確認し、またプロトピックを塗りました。しかしその翌日から咳が止まらなくなり、左肺の下のあたりが咳をするたびに痛み出してきました。胸部のCTをとってもらうと左下葉のあたりが白くなっており、胸膜炎かもしれないといわれました。夜間も息苦しさと咳で横になって眠る事が出来ず、ベッドの頭元を上げて座った状態で寝ていました。咳止めの薬(メジコン)を3日間内服しましたがあまり効果はなく、肝機能の値が、GOT121 GPT113 γGPT113と上昇してきた為、内服薬は中止になりました。その後2~3日同症状が続きましたが、徐々に改善に向かい咳も息苦しさも無くなってきました。

 

 入院7日目CRPも10.31から3.70になり昼間は高熱も出なくなりましたが、夜になるとまた高熱が出てきました。来週までに熱が下がらなかったら、ステロイドを使う事も考えています。と医師に言われました。勿論ステロイドの副作用も知っていたので全く使う気はなかったのですが、最初からいきなり治療を拒否するのも入院生活が送りづらくなると思い、いざステロイドを使うというときに断ろうと考えていました。しかし研修医も含めて4人の医師が私の担当でしたので、その医師たちが入れ替わり立ち代りステロイドの話をしてきました。熱のせいで頭もクリアでなく、一瞬ステロイド使わないといけないのかな、という気持ちにもなりました。このまま大人しくしていたらステロイドを入れられてしまう。と察し、ステロイドを使いたくない事を告げました。

 そうすると、患者に医師の治療方針を受け入れさせる。などの看護計画が立ってあるのか、受け持ちの看護師がすぐに来て、「ステロイドを使いたくない気持ちは分るけど、使わないといけない時は使わないとね」といわれました。

私は研修医の先生にお願いして、採血のたびに採血結果を全てコピーしてもらっていたので、入院時よりも値が良くなっていることも知っていました。 そこで受け持ち看護師に「私は今使わないといけない時期ではないと思っているので使いたくないのです」というとそれ以上にステロイドの話はしてきませんでした。しかし私も医療現場から離れて一年たっていたので、ステロイドの使い方も変わってしまったのか?と不安になり、以前勤めていた病院の看護師長に連絡し、これまでの経過を話してみました。そうすると「先生達は、あなたみたいな病気ステロイド使って症例数増やしたいから勧めてくるのでしょう。でも熱が下がらない事はないし必ず下がるから大丈夫、もっと自分の体を信じなさい。あなたは患者さんに対しては、とれも冷静な判断が出来るのに、自分の事になると本当にダメやね」と笑われてしまいました。その電話のやり取りを聞かれていたのか分りませんが、その後すぐ顔色を変えた医師が私の所に来て、「僕たちは患者さんがステロイドを嫌がっているのに無理やり使ったりはしませんので」といわれました。その後は一切ステロイドの話は無くなりました。

 その数日後、熱も下がり、退院の予定が立ちました。特定疾患の申請をするかどうかを決める事になりました。主治医より「他の先生達とも話し合ったのですが、結婚前の女性に特定疾患の申請をして、こういった病名(MCTD)をつけるとあなたの経歴に傷がつくし、相手の親御さんにも嫌がられると思うので、このままステロイドを使わずに経過観察でいくなら、申請しない方がいいのではないか」と言われました。私は今まで自分の病気のことをいろんな人に話していましたが、世間一般ではこの病気は隠さなければいけない病気なのかと思い、それ以来私は自分の病気の事はあまり人に話さなくなりました。特定疾患の申請もしませんでした。

 

 入院から13日目ようやく退院を迎えられました。胸膜炎と疑われた影もなくなり、CRP0、30 血沈62、8 GOT77 GPT97 γGTP70 両膝の関節の痛み、手の腫れ、こわばりはまだありましたが、後は外来でフォローする事になりました。「大変お世話になりました。有難うございます。」と主治医に告げると、「僕たちは何にも治療していません、あなたが自分の力で治したのですよ」といわれました。大学病院ではとても良い先生と出会いました。


 

大学病院退院後、強皮症の出現

 退院後、肝機能が高い為ウルソを内服していました。全身倦怠感、関節痛がありましたが、彼の協力を得ながら何とか家事が出来るぐらいの生活をしていました。しかし外出すると歩く速度はかなり遅く、50メートル位歩いては立ち止まって息を整え再び歩き出す、という感じでなかなか目的地に着きませんでした。

 平成20年8月、自己抗体検査は入院時測定したのみでその後検査はしていませんでしたが、血沈16.0 CRP、肝機能も正常になり、ウルソも中止となりました。アトピーに関してはプロトピックを使用していたので、主治医に、「この薬塗っていると体にすごく吸収されている様な感じがするのですが、大丈夫ですか?」と質問すると、「体全身に塗っているのならともかく、顔に塗っている位なら大丈夫」といわれました。しかし軟膏を塗った後の一瞬体が軽くなる様な感覚がやっぱりおかしいと思いました。これは使った人間にしか分らないとも思いましたが、塗らなければ外に歩けない程の顔になるので、仕方なく塗り続けることにしました。

 指の腫れは以前からありましたが手首の腫れも気になるようになり、まるで手首にサランラップを巻いたように皮膚がツルツルと光って硬くなってきました。主治医に報告すると、「これが強皮症です」と言われました。生検を勧められましたが、入院中にも生検をしてとても痛かったのと、検査料も高かったので断りました。その後、強皮症の範囲が上腕、前胸部にまで広がりました。


 

プロトピック中止する

 平成20年11月、久しぶりに実家に帰り、入院していた事も話していなかったので両親に報告しました。たまたま兄も帰省していたので、私がプロトピック軟膏を使用している事を話すと、「その薬、インターネットで医者から勧められても、絶対に使ってはいけない薬に入っていたぞ。使うのをやめろ!」といわれました。やっと目が覚め、プロトピックをすぐに止めてみました。5日後リバウンドで顔が腫れ、外に出られませんでした。尿量も減り全身も少し浮腫み出し、とても息苦しくなりましたが、必死で我慢しました。その後一週間程して徐々に尿も出だし、浮腫みも取れてきました。しかし顔は火傷をしたように真っ赤でした。

松本医院を知る!!

 

 母親の職場で働いているアトピーの方がステロイドを使わずに日に日に肌が良くなっており、母親がその方に松本医院のことを聞き、私に教えてくれました。行く前に必ずインターネットを読むように言われ、ホームページを見てみると、ものすごい量の手記と理論などが載ってあり、とりあえずアトピーの理論と、MCTDの手記を読んでみました。今まで看護師で働いていましたが、臨床では聞いたことのない理論でした。しかしこの理論は絶対に真実だと、今までの私の体で体験したことを思い出し確信しました。すぐにでも医院に行きたいと思いましたが、その他の理論や手記を読むのに時間がかり、ホームページを見てから、2日後に医院に行きました。

 

松本医院受診

 平成21年1月7日、私は顔に出ているアトピーを隠す為にマスクをして松本医院に行きました。待合室に入ると私よりもはるかにアトピーのきつい患者さんが、マスクをせずに堂々と座っていました。その姿を見て私はこれ位でマスクをして、顔を隠している自分の心の弱さに、とても情けなくなりました。みんな頑張っている私も頑張らないと、と待合室で勇気付けられました。看護師さんからの問診と理論の説明があり、サプリメントは止める事と、何を食べてもいいけど旬のものをバランスよく食べなさいとアドバイスをいただきました。

 その後院長の診察がありました。とても丁寧に沢山の話をしてくれました。「MCTDはレイノー位でそれ程困っていないかもしれないけど、アトピーだけを治療する事は出来ないから、一緒にするね」といわれ、2種類の煎じ薬を処方してもらう事になりました。そして病気の症状以外に、私の生活背景を聞かれました。精神的な側面でもしっかりケアしてくれるのだな、と思いましたが、そのストレートすぎる質問がとても面白くて、診察室で爆笑してしまいました。何年かぶりに心の底から笑った様な気がしました。なんて正直で素直な人なのだろう、普通の医者とは違う感性にこの人はただ者ではないと思いました。

 その後、鍼灸をする事になりました。鍼というと昔、鍼が使いまわしされて肝炎になった。と聞いたことがあり少し心配でしたが、ここの鍼は使い捨ての鍼を使用していたので、安心でした。初めての体験で最初は、とてもビクビクしていましたが、女性の先生が親切に声を掛けてくれるので少しずつ緊張もとれてきました。終わってみると鍼の痛みは殆どありませんでした。お灸は一瞬熱いけど十分我慢が出来る熱さでした。

 

治療開始

 家に帰り、早速漢方を煎じました。膠原病の漢方は甘くて飲みやすいのですが、アトピーの煎じ薬は最初少し飲みにくい感じがありましたが、すぐに慣れました。もともと便秘気味のため便通が良くなりました。少し下痢気味にもなりましたが、お腹がスッキリしてむしろ快適でした。(1ヶ月程のみ続けると下痢もしなくなりました。)アトピーに関しては顔にたっぷりの赤い軟膏を塗りました。こめかみからリンパ液のような汁が出てきましたが、自分で勝手に軟膏を止めた時ほどリバウンドはひどくなくむしろ綺麗になっていきました。

 

 一週間後、血液検査の結果が出ていました。プロトピックを使っていた影響か、大学病院で入院時に測定した値より、抗RNP抗体が151から500以上に、RFが57から125、に上がっていました。血沈23と抗核抗体5120倍は同様でした。

 平成21年2月4日(治療開始1ヶ月後)血沈37、RF130とリバウンドしましたが、特に症状的にはあまり変化はありませんでした。

 平成21年3月4日(治療開始2ヶ月後)抗核抗体2560倍RF78と値が下がってきました。鎧をかぶっていた様な体が随分と軽くなりました。2年間も療養生活みたいな生活を送っていましたが、ようやくまた看護師として働けるのではないかと思い、松本先生に相談しました。「夜勤をしなかったら働いてもいいよ」「そうや、君ここで働く気ないか?ここの看護婦さんもうすぐ引越しして、もう通われへんゆうてるから看護婦さん調度探しとったんや、ここは色んな患者さんの病気が治るのが見れるし、病気は治るんやーと分かったら君自身の免疫も上がって君の病気も治りやすくなるよ。とてもやりがいのある仕事やと思うし、考えといて」と言われました。勿論松本先生の、優しい気持ちも十分過ぎるほどよく分かりましたが、それ以上に、私はこの医院にたどりつくために、この病気(MCTD)になり、真実の医療を知っていくという人生を歩んで行くのかな、とも思いとても運命的なものを感じました。そう考えると私はこの病気になってラッキーと思いました。

 そして就職することになり、働くまでにしっかり理論を頭に入れといて、と言われ、私は半月間で患者さんに理論の説明が出来る位まで理論をマスターする為に、毎日インターネットで何時間も理論を読み、分からない言葉に関しては看護学校時代の、教科書を引っ張り出して、自分が理解出来るように、自分の言葉でノートに全て書いて頭に叩き込みました。免疫学の教科書など卒業して依頼開いた事などありませんでしたが、臨床とつなげてみてみると案外面白いものなのだなと思いました。

 

松本医院に就職

 平成21年3月下旬に松本医院に看護師として就職しました。漢方を飲みながら仕事をし、昼休憩の時は自分でお灸をしていました。(以前働いていた看護師さんには仕事の引継ぎもあったので仕事を一緒にやらせてもらった時期があり、とても親切に色んな事を教えてもらいました。有難うございました)

 治療開始4ヶ月後、診察につきヘルペスの話を聞いていると、頭痛、肩こり、首こり、耳鳴り、難聴、めまい、立ちくらみ、寝汗、疲れやすい、吐き気、乗り物酔い、昼間眠たくなる、皮膚がピリピリする、筋肉痛、こむらがえり、肋間神経痛、腰痛、動悸、などの症状もヘルペスだという事を聞き、私にも当てはまる症状があったので(肋間神経痛、乗り物酔い、たまに耳鳴り、軽い肩こり、時々頭痛、)ベルクスロンを一週間内服すると、症状は無くなりました。その後、乗り物酔いは完全にしなくなりましたが、再び免疫が上がったときに同じような症状があったので、その度にベルクスロンを内服していました。何度かそれを繰り返しているうちにあまり症状も出なくなってきました。

 アトピーについては、家にいる時は常に赤い軟膏をたっぷりつけ赤鬼のようでした。治療を初めて4ヶ月間は煎じ薬を飲んでいました。「アトピーが首にすごく出ていますねー」と患者さんからよく言われましたが、顔がそれ程出ていなかったので自分では気になりませんでした。症状も落ち着いていたので、アトピーの粉薬に変えてもらい10ヶ月間内服していました。肌の調子は比較的落ち着いていましたが、もっと早くアトピーを出したいと思いやはり煎じ薬に変えてもらいました。煎じ薬に戻し1ヶ月位たつと、突然目が腫れ、顔もすぐに腫れてきました。仕事に行く前に彼から「その顔で仕事にいくの?大丈夫?」と心配されましたが、職場にいくと、すぐに松本先生が「アトピー出てきたなー」と喜んでくれました。患者さんにも、「すごい顔になっていますねーでも良い事なのでしょ」と言われ、アトピーが出て喜んでもらえる職場でよかったなと思いました。そして1ヶ月位は顔が腫れていました。その後も何度かそのような事を繰り返しアトピーが顔に出てきましたが、出ても一週間位で落ち着くようになりアトピーのでる期間が段々と短くなってきました。アトピーが出た分、肌が良くなっているのが自分でも分かりました。患者さんにも「看護婦さん最近肌綺麗になりましたねー」とよく言われるようになりました。

 膠原病(MCTD)については、治療を始めて一年以内は足首、膝、手首が痛くなったり、時には全身の関節が痛くなったりして少し仕事がしづらい日がありました。(5~6回程)その都度、鍼灸の先生にお灸のツボを教えてもらい自分で昼休憩にお灸をしたりしました。どうしても痛みが取れない時には、お願いして鍼灸をしてもらうと、症状はすぐに無くなりました。鍼灸の先生の技術のすごさに感動し、私も鍼灸師の資格を取ってみたいと思いましたが、入学金の高さにびっくりして諦めました。

 

 検査結果も順調に良くなってきました。下記のグラフ参照。治療開始、9ヶ月頃には随分と体も軽くなり、治療前は50メートル位歩くと息が切れて歩けなかったのが、少しペースは遅いけど休憩せずに歩けるようになりました。随分体も楽になってきたのでこの辺りから漢方もサボリ気味になってきました。しかし漢方を飲まない日でも、症状が悪くなる事はありませんでした。強皮症の症状についても治療開始して1年位で皮膚の光った感じも無くなり、皮膚が柔らかくなってきました。

 平成22年3月30日(治療開始1年3ヶ月)もう少しで完治しそうなのになかなか治らないのは、やはり漢方をサボリ気味で飲んでいるせいだと思い、また真面目に指示通り漢方を飲み続けました。その後、検査結果は平成22年10月5日(治療開始1年9ヶ月)まで順調に良くなっていましたがその後、横這いになりました。アトピーも急に出なくなり、少し手もこわばってきたので、漢方をやめてみたところまたアトピーが顔に出だし手のこわばりも無くなりました。先生にその事を報告し、しばらく漢方飲まないで様子見ることになりました。

 

心を見ることについて

 私は4年前にこの病気(MCTD)を診断されてから、しばらくして仕事をやめて家でゆっくりしていたので、病気以外のストレスを抱えている感じはありませんでした。むしろアトピーの治療でプロトピックを使い続けそれにプラス抗アレルギー剤、ステロイドの軟膏、解熱剤を使用した為にMCTDが悪化したように思います。原因がはっきりしており、それを止めて漢方で免疫を刺激し、アトピーに変え元通りの体に戻していく事で、比較的スムーズに検査の値は良くなり、症状の改善も見られました。しかし最初に診断された時には、免疫を抑えるような薬はそれ程使っていなかったので、やはり心で病気を作ってしまったのだと思います。当時私は皮膚の湿疹でかなり悩んでいた時期があり、その影響もあったと思いますが、今はそのストレスもなくなり、仕事や、家庭の事についても特別ストレスになっている事はありません。しかし何故この病気が後一歩の所で完治しないのか、何かもっと根本的な私の心のあり方が間違っているのかもしれないと思うようになりました。

 私は今意識の流れで学びをされている患者さんとの出会いがあり、私も自分の心を見るという勉強をしています。日常生活の中で起こる出来事に対して、自分がどう思ったとか、どう感じたかをどんどんノートに書いています。その中で気付いた事は、英語、教師を連想させる出来事があると、無性に昔のある出来事を思い出しとても不快な気分になっていました。ある年配の患者さんが来て、「このあと英会話のレッスンに行くのよ」と言われ、とても頭の良い方なので、思わず「昔、英語の教師とかされていたのですか」と聞くと「違うけど私英語好きやから」と言われました。私はまたあの昔の事を思い出し思わずその患者さんに、私が英語嫌いになった中学時代の話をしてしまいました。「あんたアホなことしたね、ほんとにアホやわ」と言われた瞬間、泣きそうになり涙をこらえるのに必死でした。何十年も前の事ですが私は今もその事を引きずりながら生活していた事が分かりました。そして家に帰りその事について、当時の事を思い出しながらノートに書いてみました。中学時代の担任の英語の教師について、今まで自分の心に麻酔を掛けてごまかし、忘れようとしていた気持ちがどんどんよみがえって、昔の悔しかった気持ちを泣きながらノートに書きました。今まで抱えていた恨みつらみが心から吹き出るようでした。何十年もこんな気持ちを心の中に封じ込めていた事が分かり、自分はこれ程までに苦しんでいたという事が分かりました。

 更に私は自分のやろうと決めた事に対しては、とても時間を掛けて病的にやってしまう傾向があります。あの時の挫折を他の分野で取り戻そうとしてしまい、体にまで負担を掛けていた事にも気がつきました。しかし結局はその先生をいくら、憎んでも恨んでも一番苦しんでいたのは私でした。自分で自分を苦しめていたという事に気がつくと、何で私あの時あんなに頑固な振る舞いをしていたのだろう、本当に素直じゃなかったなと心から思えるようになりました。そうするとあの先生ともう一度会って、自分のやった事を誤りたいと思えるようになりました。今なら笑って昔の事が話せるような気がします。自分に対しても何十年も苦しがっていたのに、気付かない振りしてごめんね、と自分に誤りました。それ以来私は英語、教師と連想させる出来事が起こっても苦しむ事は無く、むしろその事を気付かせてもらえた出来事として今では嬉しいくらいです。そして私は日常生活の中でも自分の頑固で素直でない言動や行動にも気がつくようになり、すぐに反省も出来るようになりました。またそれに気づけば気づく程とても楽しい気分になります。自分が楽しい気分でいると、人の笑っている顔をみても嬉しくなるし、ハイテンションで診察されている松本先生を見ても、今日も先生楽しそうで良かったなーとか思える様にもなりました。自分の心を見ることが大切だ、という真実を知りました。

漢方中止後

 平成24年7月24日 漢方を中止してから1年2ヶ月が経ち血液検査をしてみました。結果、抗核抗体が640から320に、抗RNP抗体51が13まで下がりました。今残っている症状としては、日によってはまだ少し顔にアトピーが出ますが、それ程気になりません。MCTDについては夏には殆ど症状はありません。たまに無理するとヘルペスの症状(筋肉痛のような痛み)が出ますがすぐに治ります。冬になるとたまに手のこわばりがあり、レイノー症状が出ます。しかし治療前は、手の指先、足の指先、舌の先にもレイノー症状が出ていましたが、今は指先だけになりました。強皮症の症状は、手の甲、指については寒くなると少し色が赤黒くなりますが、手首、上腕、前胸部、は完全に無くなりました。関節が痛くて鍼灸をしてもらう事も無くなりました。駅の階段も一挙に上れるようになり、ゆっくりなら走る事もできます。「そろそろ途中経過の手記を書いて」と松本先生に言われ手記を書く事になりました。

おわりに

 私はMCTDと診断され松本先生と出会い、真実の医療を知ってしまった事により、最初はとてもショックを受けました。高校を卒業してすぐに医療の世界で仕事をし、さまざまな場面でステロイドをはじめ、免疫を抑える薬を使用する所も見てきたし、又自分もそれに関わってきました。そういった治療がマニュアル化され、現代の医療はそれがあたり前の様になっています。患者の病気を治す手伝いをし、少しでも患者さんが安楽に日常生活を送れるように今まで看護師として頑張ってきましたが、実は病気を治しているつもりの医療が逆に病気を作ってしまっているのだ、という事を知りとても衝撃を受けました。

 松本医院に就職した当初は昔の事を思い出し、あの人もこの人も松本医院に来ていたら治っていたのになーと何人もの患者さんの事が思い出されました。私は今まで誰のために看護師として働いていたのだろう、本当に看護師になって良かったのだろうか?と心が葛藤しました。しかし自分が病気になった事により、病気は薬で治すものではなく、自分の免疫と心で治すのだという事が分かりました。今まで間違った医療を見てきた人間として、真実を知ってしまった以上もう後戻りは出来ません。一人でも多くの人に現代の間違った医療ではなく、真実の医療を伝えていく事がこれからの医療を変えていく事に繋がっていくと思います。

 先日20年ぶりに連絡が取れなくなっていた看護学校時代の大親友と町で偶然会いました。彼女は大病院の看護師ですが、私が松本医院の話をすると、とても熱心にメモを取りながら話を聴いてくれました。患者さんの手記も読んでくれました。私が、「この話聴いたら普通の病院で働かれへんやろ」というと「ほんまやなー」と納得してくれました。 多くの人が真実の医療に一日でも早く気付かれる事を期待しています。

 手記を書くにあたり「頑張って下さい」と励ましてくれた沢山の患者さん有難うございました。ようやく完成しました。この手記のことで何か分からない事があれば、また直接聞いてくだい。長文を読んでいただいて有難うございました。もしこの手記をコメントしてもらえるなら、私の宝物として一生大切にしますのでよろしくお願いします。

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 アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。

 患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。 

アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。

 それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。

漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。

 市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。

松本医院の「なぜ」

病気とは何でしょうか?

 病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。

 それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。

アレルギーとは何でしょうか?

 アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。

膠原病とは何でしょうか?

 膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。

アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?

 敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。

リウマチの患者さんの家族の皆様に

 他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。

 そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。

 また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。

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