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「リウマチ手記」

匿名希望 54歳 2013年1月14日

『リウマチ20年でも治る』

 2008年7月4日(金)初めて松本医院に家内と一緒に…と云うより連れいってもらいました。膝がものすごく痛いのですが最初なので電車で行くことにしました。 健康なときは何も思わず利用しているのに膝が悪いとこんなに不便で歩きにくいとは思いませんでした。なんと身障者の人は利用するなと言わんばかりの駅、施設でものすごく痛くて疲れました。3時間がかりで高槻駅にやっと着きました。上から右斜め下に松本医院の看板を見つけたときはうれしかったです。 でも噂の階段がやはりありました。家内に持ち上げてもらいながら何とか上まで上がり、ドアを開けるとたくさんの患者さんが待っており、漢方のいい臭いが充満していました。 松本先生に力強く握手してもらったことは、何よりの励みと“絶対治るんや”という自信に繋がり、後々のリバウンドを乗り越えることができました。

リウマチ20年

 20年以上前最初は肩の痛みから始まりました。最初は関節炎とのことでしたが頻繁に痛くなり,その痛みも錐で関節の中を掻き回すような痛みで、夜に痛くなると我慢ができず、寝室から出て行き一晩中起きていました。でも2、3日すると嘘のように痛みが消えたのです。痛みが始まりかけると、“あー痛みが来る来る”と解ったものでした。私の治療は一貫してとにかく“仕事ができるように”が最優先。最初は痛み止めだけでしたが抗リウマチ薬とすぐ併用となりました。もちろん胃薬とセットで。今思えば本当に馬鹿な治療をしていました。

 まずシオゾール金製剤(注射)でしたが、あまりにもしんどくて車で家に帰り着くのがやっとだったのを思い出します。それからリマチル、リドーラ、オークル、ときてカルフェニールを7〜8年以上飲みました。ステロイドはなぜか怖いと頭にあり、頑にひどいときも連用はしませんでした。しかし先生(最初は内科の先生)に“私も痛いときこれ飲んでいるから”と“頓服”としてもらっていた中に半分に割った多分0.5mgのブレドニゾロンが何種類かの一つとして入っていました。当時はネットもなく薬の本を買って飲む薬を調べていました。

 

 最初にリウマチで一生治らないと云われたときのショックは忘れません。 原因は?と問うと、不明という。自分ではその頃出来事と云えば献血をしたこと、親知らずを抜いたこと(痛みと抜くのが大変でした)、趣味でその頃、鮎の友釣りに凝っており、時間がないので朝5時頃には川に短パン一枚で膝上ぐらいまで入っていました。仕事開始前の約2〜3時間ですが夏と云え急流でものすごく川の水は冷たかったです。冷えて仕方がなかったのですが若かったのと時間をなるべく有効に使うため休憩なしで川に入っていました。それから戻りすぐ仕事をしていました。(リウマチに関係なくこんなに体を冷やすのは駄目です。)この中に原因があると考え、歯医者で未知のリウマチのウイルスに感染したとか実際現在でも歯医者の滅菌、殺菌対策は遅れていると思います。体を冷やしすぎて体温も下がり免疫が低下して免疫異常になりリウマチになってしまったと当時は考えていました。

 

 抗リウマチ薬が効いてくるまで二日仕事して1日痛みで寝るといった生活をしていました。肩から股関節、肘、足首、首,顎まで痛くて。カルフェニールで落ち着いていたのが、だんだん年数が経つにつれて効かなくなってきました。

 1998年に両親が相次いで亡くなり、リウマチどころではなく、無理を重ねて気が付くと左肘がくの字型になり、両足の外反母趾が酷くなり中足骨の末端に圧がかかるようになり胼胝(タコ)ができまた、山型に変形した第2関節が靴などに擦れて上下に胼胝(タコ)ができました。もう板の間は素足では今でも歩けません。(変形を治すことと、免疫のクラススイッチを行い、化学物質と共存できる自然後天的免疫寛容を起こすこととは別のことなのです。変形は免疫の炎症産物を処理できなかったために瘢痕治癒という状態に関節が固まってしまった状態なのです。これを元に戻すにも大変な努力が必要です。)先生は優しく“変形しても心配しないで、すぐ大阪市大に紹介するから”と手術、人工関節を説明していました。

 この内科医院は他県でしたのでしんどくなり、近くの整形外科のリウマチ科に変わりました。ここでも処方には変わりなく、カルフェニールと痛み止め、胃薬でした。でも頻尿がひどくなり夜中は1時間おきに8回ぐらいトイレに行くようになり、湿疹もひどく、だんだん効かなくなってきたので、アザルフィジンENに変更しました。それはそれはリウマチと云われるのが嫌で仕事のこともありまじめに約20年抗リウマチ薬、痛み止めを毎日朝昼晩と飲んできました。本当にバケツに何杯と飲んできたでしょうか。今考えると空恐ろしくなります。なんとまじめに服用してきたことか。

 アザルフィジンENに換えてから何年かは調子が良かったのですが、蛋白尿が出るようになり、+、+1がずっとでるようになりました。そのうちアザルフィジンENもだんだん効かなくなってきて、蛋白尿が+2、+3となり変える薬がなくなってきました。(薬という化学物質が腎臓の結合組織に蓄積し、腎機能障害を起こし始めたのです。この薬剤性腎障害のゆえに腎透析を生涯やらざるをえなくなってしまった人がたくさんいます。)仕方なくずっと断っていた抗がん剤のリウマトレックスを処方してもらい夕方1回飲んで翌朝になり、家内が私の顔を見るなりびっくりしたのです。顔が土色に変色しておりすぐ医者に行くと蛋白尿がすごいことになっており、すぐ一錠で服用中止となりました。先生には一度腎生検してこいと強く言われていましたが断っていました。後は生物学的製剤のTNF阻害薬(レミケード、エンブレル)に変えようとのことでした。

 そのころは左肩、左肘、右手首、右膝、左足首、手の指etc.が痛くて特に右膝が相当ひどく、中でギコギコ音が鳴っていました。ステロイド剤をあれだけ断っていたのに、膝に注射するようになり、仕事がきついとき、次の日大事な用事があるとき、左に2本、右に4、5本膝に打ってしまいました。それも、半日も効かなくなりだしていました。

 

 もうあかん、もうだめや、こんな治療していたら、腎臓、肝臓など内蔵が薬害で駄目になり、骨もボロボロになる。松本医院に行こうと。

 松本医院のことはすでにネットで調べて知っていました。家内も推していてくれていましたし、早くから西洋の薬をやめるように言われていたのです。 実際のところ、7〜8年前から松本医院のことはホームページを見つけてからよく訪問し、読んでいました。治療はリウマチ20年の私のことですから相当のリバウンドがくることが容易に想像できましたし、クラススイッチしてからアトピーも相当ひどいことになると思い、サラリーマンではないしリバウンドのとき仕事はどうなるのか、家内一人に面倒をかけることになると諦めていました。治療したくても松本医院に行けなかったのです。そのとき娘が大学で機能分子工学を学んで卒業となりリーマンショック前で就職も心配なかったのですが私の体の調子が思わしくなく家業の手伝いに帰ってきてくれたのです。 これで松本医院に治療に行くことができたのです。でも娘には本当に迷惑をかけ申し訳なく思っています。  それから治療となったのですが20年近く飲んできた西洋の薬をゴミ箱に捨て漢方の飲み薬、鍼灸、漢方のお風呂、自分でするお灸と絶対治ると信じて。

 

 当初は40日ぐらい何のリバウンドもなかったのですが、お盆ぐらいから一人ではだんだん歩けなくなってきました。それからの痛みは想像を絶するもので、2階には上れなくなり1階になり、膝が伸びなくなり寝るのも苦痛の一言で続けて1時間も寝れなくなってきました。目が覚めると痛みと体が固まっており,寝返りを打つのも泣きながらでした。横を向いて寝るのですが、左肩が痛くて首に引っ付いて離れなかったものです。自分の足の重さに、手の重さ、羽根布団の重ささえ腹が立ち、仕舞には地球の重力にも腹が立ちました。本当に痛くて動けない時、松本医院には行けず、もし血液検査をしていれば相当な数値が出ていたと思われます。

2008年10月23日

 両肘がいたい。左の肘は約5度しか可動範囲がないのにまだ痛くなる。右も痛い。右膝の痛みが強いまま、階段の上り下りが限界かも、膝の中で骨がすれてガキ,ゴキと音が鳴りっぱなしです。 朝起きるときにはとにかく右膝が非常に痛く、ベッドに座り立ち上がるまで30分はかかりました。杖が1本になり2本になり、2本で必死に歩きました。 それでも営業の配達、得意先回りは、娘を乗せて、運転だけは頑張りました。とにかく自動車に乗り込むのと降りるのが死にものぐるいでしたが1日中寝込むことはほとんどなかったと思います。2009年の1月に長男の結婚式は大阪のホテルでしたのでマイクロバスを借りて家の前からホテルまで直行してもらい、ずっと車椅子でした。この頃が一番きつかったと思います。

2009年6月19日

 右足膝が良くなってきて腫れもだいぶ治まりましたが今度は左足が曲がりにくく、痛くなりました。膝が最終的に伸びるかどうか心配ですが気持ち的には以前とは比べ物にならない程よくなりました。とこの日以後日記に記入はなし。最初に日記ソフトをパソコンに入れ誰かも書いていましたが3〜4回書いただけで後は書けませんでした。どうしても書けませんでした。

 私の場合、抗リウマチ薬を含め西洋の薬を1日も休まず、約20年飲み続けてきて、またステロイドの注射も10本ぐらい膝にしているためにリバウンドの酷さは覚悟をしていました。が免疫を抑えすぎたのかアトピーが少ししか来ないのです。頭皮がカサカサと痒くなるのと,耳の後ろあたりが、痒くなるぐらいで現在もそうです。 長年免疫を抑えてきたので血液検査ではリンパ球が基準値以下で16〜17%ぐらいです。酷いときは8.9%まで下がりました。

 2010年頃春頃より左肩の痛みがやっと無くなり右肘の痛みも取れ左足も少しずつ良くなり始め一人で2本の杖をつきながら車で配達に行けるようになり始めました。少しずつ慣れ始め筋肉もつき始めた頃、8月3日慌てて電話を取りにいき敷居に引っ掛けて右に傾きながら思いっきりフローリングの床に倒れました。股関節の辺りが痛かったのですが、リウマチの痛み(足)もあったのでそのまま起き上がり痛いまま仕事をしていました。打ち身で相当痛かったと思い、まだ車にも乗り座っての仕事はしていました。でも痛みは酷く、熱も38度ぐらいから下がらずでリウマチの痛みにしてはおかしいと。1週間程経過して車椅子で近くの整形に行きレントゲンを撮ると大腿骨頸部骨折で完全に折れているので人工関節ですと。(骨癒合が最もしにくい内側骨折で骨頭壊死・偽関節形成のおそれがあるから)

 これはまずいと、松本先生のホームページには人工関節にしてから来る人はその部位で異物と接触のため炎症が続きクラススイッチがなかなかできないと。 その場ですぐ松本先生に電話しました。先生はお忙しいのに本当に親身に話をきいて、整形の先生ともだいぶ相談して下さいました。とにかく近くの市民病院に紹介状を持って盆明けに診察に行き即入院となりました。人工関節かボルトで留めるか迷いに迷いましたが、家内の一言で決心がつきました。それは骨頭壊死・偽関節形成のおそれまで猶予およそ2年、ようするに血流が悪く栄養が来ないので骨頭が腐るまでにリウマチを治す。折角ここまで良くなったのに今人工関節を入れるより、一か八かでボルトで固定して治れば儲け物、悪ければ2年で壊死するけどそれまでにリウマチを完治すれば良いと。完治してから人工関節にすれば問題ないと。 整形の先生は人工関節を勧めましたが松本先生にも相談してボルトで固定としました。手術の前後2週間は漢方(血流が良くなるから)は整形の医者に止められ、お灸もできませんでした。松本先生には骨折の漢方を出して頂き、お休みの時携帯にも電話して快く相談にも頻繁に乗って頂きました。本当に心強かったです。

 42日間の入院の後お灸の後がすっかりきれいに治っており、最初からのやり直しは相当熱かったです。漢方も途中飲まなかったのですが悪化することもありませんでした。 翌2011年7月2日は世話になった娘の結婚式で、娘との約束のバージンロード杖1本で歩くことができ、本当に感無量でした。最初のお灸は痛くて自分ではできなくて娘に夕食後肩、膝、肘と全部してもらいました。甘えて熱いだの、太いだの文句ばかりマジになって怒っていたのに、文句一つ言わずにお灸をしてくれたのを思い出しながら。

 

 骨折の方は松本先生も随分心配して頂きましたが11月頃になり1年と3ヶ月かかりましたが無事つくことができ、大分食い込んではいますが整形の先生も本当にびっくりしていました。松本先生の骨折の漢方のおかげだと夫婦共々、ほんとうに感謝しております。松本マジックです。

 

 翌2012年1月の終わりインフルエンザにかかり松本先生に漢方を出して頂き治ったと思いきや、またインフルエンザのような症状がでて、型が違うのかなとすごいしんどかったんですが胸が痛くて痛くて。しばらくすると左胸から背中にかけて幅15センチぐらいで200度ぐらい見事な帯状疱疹が出ました。

 痛くて、本当にしんどかったです。先生にベルクスロンと漢方を出して頂き後遺症もなく綺麗に治りました。また帯状疱疹の間、不思議とリウマチの症状がなくなり、痛い左ひざが嘘のように良く曲がり、痛みが消えていました。 これも理論通り、皮膚上に出てきた一種のアトピーなんだと感心しましたが帯状疱疹が治ると元通りの痛さになりました。

 2013年1月今は左膝が痛く、右手中指第二関節が腫れていますが,これは仕事で20、30kgの重いのも持ちますし、配達では歩かないわけにはいかず、杖はついていますが相当膝に負担をかけていますので、どうしようもありません。先生には“リウマチをなめるなよ”と怒られるのは目に見えますが。 でもここまで先生に治して頂きました。今までは少し無理するとあちこち痛みが出てきてどうしようもありませんでしたが、今は少々無理してもその2カ所以外は大丈夫です。

 

 20年あまり薬漬けでステロイド剤も注射した私が西洋の薬をきっぱりやめて、松本先生に出会えたこと。どんなに痛くても辛くても痛み止めを飲みたいとかステロイドが飲みたいとか一度も考えたこともありませんでした。本当に感謝しております。もう4年以上西洋の薬を一錠も飲まないこの清々しい気持ちよさ。何とも言えない幸せです。まだ骨折して車椅子しかだめなころ、病院に行き身障者用の駐車スペースに止めるとすぐさま警備員の方が飛んできて、“ダメダメ、健常者の人、見舞いの人はだめと”と言われ、杖2本を見せてついでに“車椅子お願いします”と。あまりに顔色がよくお元気に見えたのでと大変恐縮されました。ここ1、2年は本当によく言われます。“どこ病気なん?そんな元気そうで顔色よろしいのに”と。こんなうれしいことはありません。

 普段は有機の野菜、米、をはじめ化学物質を使っていない飲料、身の回りのもの、電磁波には気をつけて、鍋一つにしても、アルミ鍋は全部捨て、ステンレス製に、白砂糖は絶対にだめと。いろんな意味で気を付けてきたのに、石油からできた化学物質の固まりである薬を解っていながら飲み続けてきたのです。

 

 医学が非常に発達し、立派な病院がどんどん建ち、大学の医学部は立派な施設と偏差値の高いたくさんの学生と教授陣を備えて研究に従事し、それで一体病気がどれほど減ったのかというと医療費は減るどころかどんどん増え続けていますし病人の数も増え続けています。急性の病気、肺炎であるとか色々な化膿性疾患であるとかを応急処置として命を救ってくれるという点では非常に優れた能力を持っていますがその反面、いろいろな病気、昔人の病気の数は四百四病(しひゃくしびょう)といわれていましたが、いまでは数万~数十万種類あり、さらに増え続けているといいます。松本先生のおっしゃる通り病気は作られ、出される薬で他の病気がその上に作られ製薬会社が大儲けをする。血圧にしてもコレステロールにしても定義が定期的に改訂され、基準値が段々低くなってきて、1000万人単位で患者が作られています。リウマチは東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センターに行こうが近所のリウマチ科に行こうが基本は変わりません。完治しないから寛解を目指す。この薬が効かなければ,次のこの薬。年数が経てば必ず副作用が出てきます。内蔵がボロボロになり、免疫が落ちて感染症にかかりやすくなり、薬剤性肺障害などで命を落とします。

 無知で馬鹿な一般大衆の代表選手の私がいい見本です。どうかリウマチ、膠原病の方でこの駄文を見る機会がありましたら1日も早く松本医院の門を叩いて下さい。完治の道の第一歩です。先生は必ず手を握り約束をしてくれます。(先生の理論を理解し感動された方)

 

 生物学的製剤は強力に免疫を抑えます。寛解はするかもしれませんが残りの人生墓場に行くまでずっと打ち続けなければなりませんし、その間は感染症におびえなければなりません。炎症反応を強力に抑え込むことで、感染症になった時の自覚症状、他覚所見が希薄になるため、感染が重症化しても気が付かないのです。何とも恐ろしいことです。年40〜60万円の治療費を払い、少しずつ少しずつ、破壊も進行していきますよ絶対に。寛解と悪化を必ず繰り返して。

 

 松本先生中間治療報告遅くなり本当に申し訳ございませんでした。先生には心の治療(これが大事)自分の心で副腎皮質ホルモンをできる限り出さない心の在り方を身につけることが一番大事と教わりました。“最高の心の在り方”には知恵のない一般大衆にはとても到達はできませんが心の片隅に何時も置いておきたいと思います。治療開始後家族全員お世話になり娘は生理痛が酷く1〜2日は必ず寝込んでいましたが、先生に処方して頂いた漢方のおかげですっかり元気になりました。家内も色々とお世話になっております。私はもう少しお世話になると思いますがよろしくお願いします。最後に松本先生、鍼灸の先生、地元でお世話になっている鍼灸のO先生、ずっと支えてくれた家内、手伝ってくれた娘に有り難うございます。

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 アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。

 患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。 

アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。

 それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。

漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。

 市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。

松本医院の「なぜ」

病気とは何でしょうか?

 病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。

 それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。

アレルギーとは何でしょうか?

 アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。

膠原病とは何でしょうか?

 膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。

アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?

 敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。

リウマチの患者さんの家族の皆様に

 他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。

 そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。

 また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。