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「リウマチ手記」

M.H. 44歳 2011年2月14日

「ここまで良くなりました。」

 発症から3年、リウマチ治療の現状に疑問を感じながら、やっとの思いで真実にたどりついた体験を記します。

発症/2007年12月~

 私は30代半ば頃より、一日のほとんどをパソコンに向かって仕事をし、食事も睡眠も大変不規則な毎日をおくっていました。肩こり、頭痛は慢性的で、しかしフリーランスで仕事をしているため休むこともできず、その都度、何も考えずに鎮痛剤を飲んでしのぐような生活でした。2007年12月、股関節に違和感を感じたのが始まりだったと思います。数日後の朝、突然、あごがロックされたようになり口がわずかしか開かなくなりました。  原因がわからないまま過している中で、今度は精神的に大きなショックを受ける出来事がありました。父が突然亡くなったのです。実家は遠方にあり死に目にも会えず、ただただそのことを受け止めるしかありませんでした。

 あまりの悲しさに毎日泣いてばかりいました。悲しみを紛らすように無理な量の仕事をこなし、思い返すと、この時の私は本当にリウマチへまっしぐらという感じでした。そして股関節の違和感は少しずつ痛みにかわり、口はちゃんと開かないまま、今度は右膝と両足首が痛み出して、あっという間に階段の上り下りがきつくなり、毎朝、ベッドから立ち上がるにも痛みが伴うようになりました。

リウマチと診断されて/2008年3月

 

 近所のクリニックの整形外科で血液検査を受けたところ、(CRP 1.44、RF 160)でリウマチの可能性が高いと言われ、総合病院で受診するように紹介状を渡されました。わけもわからず、翌日、夫に付き添ってもらって近くの日赤病院へ行きました。このころには右膝が大きく腫れて変色し、立ったり座ったりがスムーズにできなくなっていました。レントゲンなどの検査をひと通り受けるのも大変で、病院の車いすを使っての移動でした。検査結果は(CRP 4.93、RF 304、血沈60)リウマチと診断されました。医師からは「場合によっては入院かもしれない」と言われ、この時、自分に本当に大変なことが起こっているのだとやっと実感したような気がします。リウマチ薬のアザルフィジンと鎮痛剤のセレコックスを飲み始めました。

薬の副作用、遠回りの日々/2008年4月~

 

 リウマチについて何の知識も無かったため、リウマチの事が少しでも書いてある本を主人が何冊も買ってきました。西洋医学の側から書かれた本、東洋医学の側から書かれた本、どちらも必死になって読みました。しかし、一方では免疫を抑制するといい、一方では免疫を抑制してはいけないと書いてあり、読めば読むほど、わけがわからなくなってしまいます。いったいどういうことなのか? 素人が考えてもわかることでもなく、とにかく自分の体で両方試してみることにしました。今思うとこの時は、まだ病気をちゃんと受け止める覚悟ができなくて、どこかに楽な逃げ道はないかと、探しもがいていたように思います。東京にいて病院の選択肢が多いことも仇となり、結果的にこの後、大変な遠回りをすることになってしまいました。

 

 まずは、リウマチ治療で有名といわれている東京女子医大の膠原病リウマチセンターへ行くことにしました。ひと通りの検査を受けてあらためてリウマチと診断されました。検査結果は(CRP 5.33、RF 482、血沈79)。リウマチセンターという名前にも抵抗がありましたが、そこはまるで、巨大なリウマチ患者製造工場のような場所でした。予約のベルトコンベアーに乗せられた患者が次々と呼ばれ、処方箋がどんどん発行されます。リウマチ専門医が大勢いて、診察室の壁には薬のサンプルがずらりと並べてあり真っ先に薬の説明をされました。丁度その頃、アザルフィジンを飲み始めて2週間経ち、体に副作用と思われるじんましんが出てきたことを伝えると、それならとリウマトレックスを処方されました。強い薬だと本で読んでいたので不安を感じ、「また副作用が出るんじゃないですか」と医師に聞くと「大丈夫、その時はそれを治す薬が、色々とあるから」と言われました。驚きました。ここに通っていてはいけない・・・。そう感じたもののどうすることもできず、痛みはますますひどく、これまでの足に加えて手にも症状が出てきていたので、仕方なく薬を飲み始めました。

 

 同時期に、免疫学者の安保徹先生が推奨している、免疫療法のクリニックにも通い始めました。本では免疫をあげれば病気が治るというようなことが色々と書かれていて、とても期待をして受診しました。しかし、クリニックの医師の最初の言葉は「本に書いてあることは宣伝的なこともあるから」というような旨の説明でした。針治療と爪もみ療法の指導を受けて帰りました。2、3回通いましたが、治るとはとても思えなかったのでやめてしまいました。書店で多くの著書を見かけるだけに大きく落胆しました。

 

 やがて足の付け根のリンパ節が腫れて、全身の極度のだるさと喉に何かつっかえているような不快感を感じるようになってきました。女子医大の医師にリウマトレックスのせいではないか、と言うと薬を変えるということで、今度はプログラフを処方されました。リウマチは薬を順番に試していくしかないという説明でした。「合う薬が一つも無かったらどうなるのですか」と尋ねると「何かありますよ」と笑顔で答えられてしまいました。そういうものだと言われても、副作用ばかりで治療に繋がらない薬を飲むことは、どうしても疑問でした。 でも、体がどんどん悪くなる。そんなジレンマを抱えながら、結局そのまま女子医大に通うのもやめてしまいました。かといって他の病院へ行く気にも、なれませんでした。

 

 大学病院で感じたことは、リウマチ専門医とは、なんて楽な仕事の医者だろうということでした。受診する患者は大体がリウマチで、特に難しい診たてを求められない(実際はわかりませんがそんなふうにみえました)、日本で使える限られた薬の名前を順番に処方していくだけ。その上、悪くなっても治らなくても「そういう病気です」と言えばいい。関節が変形したら人工関節をすすめて整形外科へ回す。さらに、患者は命を縮めるかもしれない薬をやめられず毎月検査にも来て、お金をどんどん使ってくれる。少しも治してないのに!何のために病院へ行くのか?患者の質問にちゃんと答えられないのに!おかしい、 何かおかしい!そんな怒りが込み上げてきて、一方で不安と絶望感がじわじわと迫ってきて、リウマチと診断されてからずっと混乱した状態が続いていました。

 

 痛みは激しくなるばかりで、この頃になると、足首、膝、股関節、指、肩関節、顎関節、体中が悲鳴をあげているような状態になっていました。体重は5kg以上減って、日常生活はままならず、まともに眠ることもできません。 膝が痛くて、股関節が痛くて、肩が痛くて、棒のように横たわり動けずに朝をむかえる。タオルケット一枚が重くて苦痛になる。10歩歩けば10回痛い。トイレに行きたいだけなのに、着替えたいだけなのに、食事、洗顔、歯磨き・・・毎日のなにげない動作のすべてに痛みが伴い、痛みに支配されて思考停止になってしまう。やはり、とりあえず病院で鎮痛剤だけでももらえないかと、 たまたま家の近くにあり良い評判を聞いていた北里大学東洋医学研究所へも通い始めました。併せて、同敷地内の病院のリウマチ科へ通院することにしました。医師に副作用が出やすい体質と伝えたものの、やはり鎮痛剤だけではだめでプログラフも少量ずつ飲むように言われました。免疫抑制剤を飲みたくないと、漢方科、鍼灸科の医師にも訴えましたが、リウマチ科の医師と同意見とのことでした。「抑制しながら免疫を上げるなんてできるのですか」と疑問をぶつけても「まあ、そのことはあまり考えなくていい」という返事でした。 仕方なくまた薬を飲み始めました。この時、プレドニンも勧められましたが断りました。やはり東洋医学研究所は施設であって治療するところではないのだ、ということを実感しました。他の大学病院に付属する所もきっと同じようなものでしょうか。もう、どうしたらよいのか考える気力が無くなってきました。

希望/2008年11月~

 

 ある日、実家の母から、リウマチがよくなった人がいるから一度、詳しい話を聞いてみてはと電話がありました。連絡をしてみると年配の男性で、大阪の松本医院というところで治療を受けたところ、それまでは入院するほどだったリウマチが、半年位で車の運転ができるまでになったというではありませんか。とにかく松本医院のホームページをよく読むようにとすすめられ、半信半疑で読み始めました。実は以前に主人がネットで松本医院の情報を得ていたのですが、大阪までは通うのが難しいと思ってしまい、なかなか現実的に考えられずちゃんと読まなかったのです。(先生、すみません。)それから何度も完治の理論、患者さんの手記を読み続けました。 今までに感じた疑問の答えがそこにはありました。「松本医院へ行くしかない」という思いがどんどん強くなり、主人にそのことを伝えリバウンド時の介護やお灸のこと、仕事のことなど話し合いました。

 

 丁度、その頃、少しずつ飲んでいたプログラフにも副作用が出ました。下痢が止まらなくなったのです。「やっぱり!私の体は治りたがっているのではないか・・」そんなふうにも考え始めました。リウマチ科の医師からは「次は生物製剤エンブレルかレミケードの注射」と言われ、「今までも副作用が出たのに、さらに強い薬を使うなんておかしい」と断ると、「あなたは進行が早い。 1年後、2年後に高い確率で手がこうなってしまうよ」と指の変形を示されました。そして「僕だからいいけれど、他の先生だったらあなたみたいな人は診てもらえないよ」と言われてしまいました。リウマチと診断されて9ヶ月、この時の検査は(CRP 6.91、RF 199、血沈90)でした。

松本医院/2009年2月

 

 やっと、松本医院にたどりつきました。主人に付き添ってもらい前日の夜は京都に泊まりました。手記を読みながら2時間位待つと、診察室に呼ばれました。副作用の連続と、治療が一向に進まなかった今までの経緯を話すと、先生は「よし、あんたの体は賢い!大丈夫やで、治るで!」と笑顔で力強い握手をしてくれました。涙が出てきました。

松本医院で治療開始/2009年2月~

 

 初診時の検査(CRP 4.93、RF 225、血沈87、MMP-3 1405.5、ZTT 22.8) それまで飲んでいた鎮痛剤を止め、処方された漢方の煎じ薬とお風呂、お灸の治療を始めました。鎮痛剤をやめた翌日からしばらくは、全身がこわばり痛みでなかなか起き上がれませでした。上体を起こすのに30分、立ち上がるのに30分、やっとトイレに行くと今度は手が痛くて用を足すまでにさらに時間がかかってしまう。着替えもまともに出来ず、股関節が痛くて椅子にも座っていられず、かといって横になるのも痛い。まるで重力さえもストレスになるような感じです。ベッドの上に大きなビーズクッションを乗せて、それに体をだら~っとあずけるような状態で一日中、痛みとだるさに耐えていました。お風呂は入るのも出るのも一苦労でした。漢方風呂の準備は主人に手伝ってもらい、湯船には介護用の吸盤の付いた椅子を沈めてなんとか入りました。浴槽で立ち上がれなくなり、主人に抱えられてなんとか湯船から出ることもありました。

 

 お灸も大変でした。肩、指と手首が痛くて力が入らないため、最初のうちは主人が帰宅後、毎日、作って、並べてくれました。想像はしていましたが、くじけそうになるほど熱くて、初めは20-30個がやっとでした。しかし、骨にも届くその効果を感じて、すぐに200-300個できるようになり、深夜までかけて毎日だいたい600個くらいはしました。時間のある日は1000個くらいはしました。黙々と夫婦で日課としてお灸をしました。熱がる私に対して励ましながら毎日お灸をしてくれた夫には本当に感謝です。

 

 鍼灸治療には週二回行きました。最初あまりの具合の悪さから、松本先生に電話で「とても鍼灸院にまで通えない」というようなのことを言うと「なんのために大阪まで来たんや、言うことがきけんのなら元の病院に戻れ!」 「あんたのリウマチは普通と違うで!ひどい数字やで!」と叱られてしまいました。とにかく、頑張らなくては。この頃のことはあまり思い出せないくらい必死な状態で、もうろうとしながら近所の鍼灸院へ(こちらの先生やスタッフの方にもとても恵まれました)通っていたように思います。真冬なのに、痛みでちゃんと服を着込むこともできずこれも大変でした。関節の痛みに加え、筋肉の痛みも激しく、家の中には『その痛みは必要だから』と書いた紙をあちこちに貼り、自分なりにとにかく耐えました。

リバウンドについて

 

 治療開始から2週間くらいは、関節と筋肉の強烈な痛みとこわばりが全身に現れ、さらに連日、熱が37.5℃前後あり、夜は38℃を超えることもあるので、頭がぼんやりして、食欲も無く、お腹もゆるくなり、ただ耐えるままに過ぎていきました。3週間目に入り食欲が少しずつ回復するにつれて、なんとなく、痛みやこわばりだるさにもメリハリが出てくるように変化していきました。

 

 一日の中でも朝晩は熱があり痛みが強く、午後の時間帯には少しだけ楽になるような感じです。痛い場所もはっきりとわかるようになり、足はそれほどでもないのですが、特に肩と手首が何か鉛の重りをつけているように重く、四六時中、痛みが襲うようになってきました。歩くと今度は肩が揺れたり、手首が揺れただけで痛みます。さらに、治療開始から1ヶ月を過ぎたある日、お風呂に入っていると10分もしないうちに大量の汗が頭から額から流れるように吹き出しました。たぶんこの日を境に、体が変化していったように思います。停滞していた体が動き始めたというか、リウマチに加えてヘルペス症状との闘いが始まりました。首、後頭部、背中が裂けるような激痛が生じました。上体を起こしたり首を少し動かすだけで頭がくらくらするようにズーンと重く痛く、時には吐き気もして本当に不快な状態でした。この症状も収まったり、出たりして1年くらいは続きましたが次第に落ち着きほとんど無くなりました。

 

 治療開始から5ヶ月 この頃になると平熱に近い状態が少しずつ増えてきました。肩の痛みは大分収まり、膝や股関節の状態もだいぶ良くなって、近所なら歩けるようになってきました。ソフアや椅子にも座って過ごせるようになり、体力が少しずつ回復してきたように感じてきました。(CRP 2.28、RF 61、血沈60、MMP-3 480、ZTT 15)しかし両手首と指は腫れていて、痛みもこわばりも一向にに収まる気配がありませんでした。この痛みは両手首や指、甲を日替わりで移動して、時には激痛にもなりながら、その後、1年以上続きました。本当に長く大変な状態でしたが、時間があればお灸をして、針の先生にも手首を集中的にお願いして、なんとか乗り越えました。「あんなに腫れて痛かった膝や肩も痛くなくなったのだから・・」と何度も自分に言い聞かせました。

アトピーについて/2009年7月~

 

 治療を開始して半年位すると、お風呂上がりや寝ている時に、体のあちこちがカーッと熱くなって赤くなり、むずむず、ちくちくするようになりました。それを何度も繰り返すうちに、時々、ポツポツと発疹が現れるようになりました。治療開始から10ヶ月目くらいの時には、足とお腹、お尻に少しまとまって出るようになりました。その後も、今度は発疹が出たり出なくなったりを繰り返し、アトピーがまとまって出るたびにリウマチの症状が楽になっていきました。私の場合アトピーはなんとなく左右対称に出てきました。

 

 リウマチとアトピーが体の中でせめぎあっているような状態がそれから更に一年くらい続き、その後は気がつけばリウマチよりもアトピーの症状の方が勝っているようにまでなっていきました。

最後?のリバウンド/2010年5月~

 

 治療開始から1年4ヶ月 朝起きた時の手のこわばりが日に日に強くなり、以前よりも激しい痛みが手首、手の甲、指の付け根に出始めました。すでに映画や外食に出かけられるほど良くなっていて、さらに良くなると思っていただけに、この時期のリバウンドはショックでした。文字を書いたりハサミを使うこともできないほどの状態でした。リバウンドは2ヶ月ほど続き、針治療とお灸でなんとか乗り越えました。松本先生の理論通り、リウマチ症状が激しかったこの時は、それまで出ていたアトピーはほとんど出ることがありませんでした。ちょうど、梅雨が明けたころ次第に収まり、一段と楽に過ごせるようになりました。生活に支障があるほどの手首の強烈な痛みはこれ以降は出ていません。

京都旅行を兼ねて診察に/2010年9月~

 

 治療開始から1年7ヶ月いつも新幹線の乗り換えで素通りだった、京都駅。いつか良くなったら、と楽しみにしていた京都旅行に行きました。高台寺の辺りに宿をとり清水寺まで坂道、石段も問題なく歩いて散策しました。一日中、普通に歩きまわる私を見て、家族も驚き本当に喜んでくれました。旅館の和室も、まだ手首が付けないので立ち上がる時に少し手間取りますが、特に不自由無く過ごすことができました。帰りには松本医院の診察へ。

 

 先生に京都旅行の事を伝えるととても喜んでくださいました。初めて松本医院へ行くために京都駅を利用した時には、10m歩くのも辛い状態だったことを思うと夢のようです。(CRP 0.29、RF 50、血沈30、MMP-3 111.7、ZTT 11.9)

普通に過ごせる毎日/2010年11月~

 

 治療開始から1年9ヶ月手首に軽い痛みとこわばりが残っているものの、肩が上がるようになり、普通の服が着れるようになり、顔を洗い、お化粧もして、普通の靴をはいて気軽に外出ができるようになりました。地下鉄の階段も怖くありません。しゃがむのもできる、寝返りをうち朝まで眠り、料理も、仕事も、文字も書ける、箸も使える、あたりまえの日常が戻ってきました。と同時にアトピーが今までにないくらい勢いよく、全身に出始めました。二の腕、肩、腰回りと膝から下には特にたくさん出ていて、最近では痛みよりかゆみの方が勝っている感じです。

 

 リウマチが2:アトピーが8くらいでしょうか。皮膚が変質してきて、色も変わり少し掻くだけでも出血するほどです。前は痛みでしたが、今はかゆみで眠れない日があります。アトピーの治療も始めました。痒くて痒くて一日中あちこち掻いている状態ですが、それでも体を掻く指に力が入ることを喜びに思ったりもします。ほぼ、普通に毎日を過ごすことができるようになりました。

ふりかえって・・・/2011年2月

 

 治療開始から2年、私はクラススイッチという言葉を勝手にイメージして、なにか、ある日パッと切り替わるように良くなっていくのかと、なんとなく思っていました。しかし実際には本当に小さな小さな変化が少しずつ積み重なって、やがて大きな変化になっていく、そんな感じだったように思います。少しずつ体の中で何かが目覚め、良くなったり悪くなったりしながら暗闇の中を進んでいく。3歩進んで2歩下がるどころか、4歩5歩下がることもしばしばで、それでもあきらめずに必死で進み続けるうちに、少しずつ少しずつ光が見えてくる、そんな2年間でした。

 

 鎮痛剤をやめた時は本当につらい体験でしたが、それでも、薬で抑えているのではない、まやかしではない本当の体の反応と向き合うことは、たとえ苦痛の中であっても、むしろ前向きになれます。この痛みも本物なら、良くなっていく体の反応も本物。そう感じられることは精神的にとても良い作用をもたらします。薬で維持する『すごく悪くならないかもしれないけれど、良くもならない状態』なんかより、ずっといいです。どんなに小さくても、確かな出口がそこには見えます。薬をやめることで、はじめてその先に希望を感じることができたように思いました。そしてこの希望こそが、いちばんの薬となったように感じました。

 

 最後になりましたが、松本先生、本当にありがとうございました。先が見えず焦ったり、泣き言を言うことも何度もありました。そんな時、いつも「大丈夫、治る、何も怖くない」と言って受け止めてくださった、松本先生の存在がどれほど心強かったか。先生の理論、多くの患者さんの手記、その真実の言葉にはいつも救われました。本当にありがとうございました。そして、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 リウマチと闘っている方ならわかるはずです。松本先生の診察を受け、治療を始めればすぐにわかるはずです。底なしの真っ暗闇だったところに光が見えます。有名大学病院、免疫療法、さまざまな治療を探して、もがきましたが、松本医院こそが希望です。この手記が今まさにリウマチと闘っている方々の参考になれば幸いです。長文を読んでいただきありがとうございました。

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 アレルギーは医学部の教科書には、現代の医学では治らないと書かれています。何故、一介の開業医である私は治すことができるのに他のお偉い方々は治らないとおっしゃるのでしょうか?いずれにしても、私が如何に大声をあげてアトピ-やリウマチが治るといっても変人扱いされるだけでしょうが、ここに証拠をお見せしましょう。ここで紹介される患者さんの手記は、巷に出ているノンフィクションの本よりも遙に感動的であり、今アトピ-や喘息やリウマチと戦いつつある患者さんの皆さんに大きな励ましとなるでしょう。このホームページを読めば、体の中で起こっている自然の正しい免疫反応を抑制してはいけないのに、見せかけだけを良くするために抑制して生じた薬害の後始末をすることが私の主な仕事となり、完治するのはアトピ-やリウマチだけではなく、同時に他のアレルギ-(アレルギー性鼻炎やアレルギー性気管支喘息やアレルギー性結膜炎)が全て消失してしまうのもお分かりになるでしょう。

 患者さんが経験された厳しい症状などについて医学的な意味付けが赤字でコメントしているものもありますから、私のアトピ-やリウマチの治療法がさらによく理解できると思います。何回も読み返してください。この記録から、ステロイド・抗アレルギー剤・抗ヒスタミン剤・抗炎症剤の免疫抑制剤が一時的に症状を良くしても、結局は見せかけの治療薬に過ぎないことが理解され、とりわけステロイドの乱用によりステロイド皮膚症になった人が、いかにステロイドから脱却し、最後はアトピーやリウマチを治しきってしまうこともお分かりになるでしょう。 

アトピー・リウマチをはじめ、全てのアレルギー・膠原病の治療において、一切ステロイドを使いません。

 それは、ステロイドをはじめとする免疫抑制剤を使っている限り、アトピー(アレルギー)やリウマチなどの膠原病はもとより、全ての病気を治すことができないからです。また、私は何も漢方で治しているのではなくて、正しくは漢方を使って免疫を上げて、患者の免疫を高め続けることによって、自分でクラススイッチをしたり免疫寛容を起こさせたりする手助けをしているだけなのです。漢方が治したり、私が治したりしているのでもなく、あくまでもあらゆる病気は自分の免疫で治しているのです。

漢方治療中(治療中でなくても)、市販の風邪薬は飲まないでください。

 市販で売られている、もしくは他医院で処方された風邪薬の中には、抗ヒスタミン剤や、抗アレルギー剤が含まれています。とりわけ、小児用の風邪薬の中には、必ず、ぺリアクチンという抗ヒスタミン剤が入っています。私のアトピーや花粉症の患者さんの治療が、なぜか長引いてしまうことが時にありました。この方々は風邪を引くたびに、このぺリアクチンの入った市販の薬を服用していた患者さんたちであることがわかりました。これらの風邪薬は、鼻水や鼻づまりなどの見かけの症状を取りながら、同時に、本来のアレルギーを抑制しています。風邪が治ったあと、必ずリバウンドが繰り返され、アトピーをはじめとするアレルギーやリウマチの完治が遅れますので、服用しないでください。

松本医院の「なぜ」

病気とは何でしょうか?

 病気とは、人体に不必要な異物が侵入してきたときにそれを排除しようとする正しい免疫の働きに見られる症状のことを病気だといえば一番わかりやすいでしょう。となれば、病気とは否定的に捉えるのではなくて肯定的に捉えるべきものではないでしょうか?つまり否定されるべきものは侵入してくる異物であり、病気そのものではないのです。言い換えると異物が人体に侵入しない限り、免疫の働きは行使される必要はないのです。この世から人体に必要な5大栄養素と水と空気以外の異物が存在しなければ、病気は絶対に起こらないのです。言い換えると、病気を起こす原因は人体に不必要な異物なのです。

 それでは異物には何があるでしょうか?2種類しかありません。ひとつは、病原細菌であり、ウイルスであります。これらはワクチンと抗生物質で征服されてしまいました。つまり、間単に殺すことができるようになったのです。このために人類の寿命は飛躍的に延びました。ふたつめは何でしょうか?まさに近代化学が作った化学物質であります。この化学物質が人体に侵入したときに、それを排除する免疫の働きの症状がアレルギーとなるのです。

アレルギーとは何でしょうか?

 アレルギーとは環境汚染物質を体内から排除する働きであります。何故アレルギーは増えたのでしょう?環境を汚染する農薬をはじめとする化学物質が極めて多く作り出されるようになったからです。実はリウマチもアレルギーのⅢ型であります。

膠原病とは何でしょうか?

 膠原病はアレルギーと同様、環境汚染物質という同じ敵を排除しようとしています。ただ、膠原病はIgG抗体を用い、アレルギーはIgE抗体を用います。つまり武器を変えて戦っているだけの違いなのです。

アレルギー・膠原病はなぜ治るのでしょうか?

 敵は無限に存在する化学物質や環境汚染物質であり、味方はアレルギーの場合は有限であるIgE抗体であり、リウマチの場合はIgG抗体やリウマチ関連抗体であります。排除しても無限に繰り返し入ってくる化学物質を永遠に排除することは不可能であり、有限は無限に絶対に勝つことはできないからです。ところが現代の医学は異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が再び作り出されいたちごっこになり永遠に戦いが終わらないのです。従って免疫の働きを一切抑制せずにアレルギーの症状を楽にしてあげるだけで最後はIgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなるのです。これを発見したのは世界で私が初めてなのであります。これを自然後天的免疫寛容と名付けたのです。

リウマチの患者さんの家族の皆様に

 他医院で治療をされていない初期のリウマチは、「風邪よりも治すのが簡単である」と言っても過言ではありません。しかし、私の患者さんは当院に来られる前に間違った現代医学の免疫を抑制する治療を受けて来られる方がほとんどです。従って、私の治療を始めると、間違って受けてきた治療の度合いに応じて、多かれ少なかれ必ずリバウンドが出現し、それに伴い、痛みが増強します。大量のステロイドを注射されたり飲まされてきた人、長期に渡って他の病院でリウマチ治療を受けてきた人は、激しい痛みのために、自分自身の身の回りの世話が不可能になる事態もしばしば遭遇します。

 そのために、私の治療を受け続けるには、絶対に家族の協力が必要となります。ところが、遠方から来られる方や、お年寄りの方の中には、リウマチ治療の困難さを全く理解せずに、すぐにリウマチが治ると思って気軽に一人で受診される方がいます。実際の治療の困難さや、具体的な私の治療法、何より私自身を知ってもらうためにも、初診時には必ず家族の方と一緒に来て下さい。また、患者さんはもちろん、家族の方も私のホームページに記載されている理論とその証拠である手記を繰り返し読み、私の理論と治療法を理解してから来て下さい。

 また漢方薬だけでは絶対にリウマチを治すことは出来ないのです。他の免疫を上げる鍼・お灸・漢方風呂などを総動員して初めて徐々に免疫は回復し、上昇し、最後はクラススイッチし、自然後天的免疫寛容となるのです。

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