なぜ現代医療では根本治療に導けないのか?(2022年3月31日のtwitterより転載)

今回は、現代医療では慢性疾患の根本治療ができない理由についてお話ししていこうと思います。また長い話になりますが、とても大事な話なので読んでいただければ幸甚です。前回は「生気論(Vitalism)」について紹介し、我々治療家にとってこの生気論的生命観を持つことこそが慢性疾患の根本治療を目指す上では重要であるということについて触れました。その「生気論」と正反対・真逆の「機械論(Mechanism)」という思想・立場について今回ご紹介したいと思います。

「機械論(Mechanism)」とは、「古典物理化学的法則で生命現象を解釈・説明できる」とし、生命現象におけるスピリチュアル(Spirituality=心、精神、意志、霊魂)の存在を認めない思想・立場であり、決定論的因果関係のみに注目します。まさに「生気論」とは真逆の立ち位置・スタンスと言えるでしょう。「機械論」の源流は古代ギリシャのデモクリトスまで遡ります。彼は「万物は分割不能な粒子・原子(=atom)から構成され、その粒子・原子が結合・分離することで万物は生成・変化・消滅する」という“原子論(Atomism)”を提唱し、人類史上初となる唯物論・決定論・目的論的思想を生み出しました。

その後この決定論・目的論的思想は、古代ギリシャ・ローマの「ストア派」によってさらに展開されていきます。ただし、ストア派の指示した決定論はデモクリトスの原子論とは異なり、宇宙の万物は理性的な神によって最適に作られているとし、目的論的な秩序(=“摂理”)を重んじました。この“ストア派”的な哲学である決定論・目的論は、後にキリスト教に受け継がれていきます。全知全能の“神”という理性的存在の手段として造られた万物の一つである人間には、「自由意志がない」という思想もここから生まれ、カルヴァンの“予定説”などに継承されていきました。少し話が逸れましたが、デモクリトスの「原子論」を源流とする機械論は、古代ギリシャ時代以降はアリストテレスの「四体液説」を代表とする生気論が人々の間でも主流の思想・哲学として受け入れられていたために、広く人々の間で支持されていくことはありませんでした。その流れが変わり始めるのは、化学が勃興してきた16世紀の話です。「化学原論」で元素を提唱したラボアジェや、元素の質量まで言及したドルトンらが「近代原子論」の源流を作り出しました。しかし、原子という“概念”のみでは人々を納得させられず原子論は広く受け入れられることはありませんでした。

しかし、17世紀以降デカルトを代表とする心身二元論(精神と物質・肉体を分離したものとして捉える思想)の下で、機械論的唯物論が発展していきました。以降機械論者は人間の意識や有機生命体までもが自然的物質に還元でき、物理化学法則によってすべての生命現象・自然現象を解明できると考えました。当時の天才思想家たちの例を挙げると、「方法序説」で心身二元論を唱えたルネ・デカルト、「リヴァイアサン」で人間を“欲望機械”と捉え、国家さえも巨大な機械と考えたトマス・ホッブス、「エチカ」で徹底した形而上学的決定論と機械論的決定論を唱え、生気論的目的論を徹底的に批判したスピノザ。さらには、「人間機械論」で人間を含む全ての生命体を“機械”と捉えたド・ラ・メトリは、「霊魂は我々がその観念さえ持ち合わせていない無駄な言葉」と切り捨て、魂や精神は物質的身体からの派生物に過ぎないと考えました。彼らの徹底した機械論的唯物論思想は、近代科学の発展に大いに貢献しました。

そしてその“近代科学”の延長線上に誕生した現代医学にも、生命=複雑な機械として捉える「機械論」がその根本思想として受け継がれています。その機械論においては、人体を機械の部品である“臓器”や“器官”でできた物質と捉え、精神でさえ脳の神経細胞や神経伝達物質による生化学的作用として捉えます。このようなデカルト的機械論(唯物論・物心二元論)を源流とする現代医学では、病気の原因は“臓器”や“器官”(=機械の部品)にあると考えるために、病気の原因は特定の臓器・器官・組織にある(特定病因論)とされます。ですから、治療は主に臓器・器官・組織を対象とする治療に終始します。例えばがんの外科的切除・化学療法・放射線・遺伝子治療、様々な抗体医薬、酵素・ホルモン阻害薬、受容体拮抗薬・・・etc。そして、これらは全て医師の主導の下(医師中心)で治療が行われ、あくまでも疾患による症状を除去する、あるいは緩和・軽減することを目的として患者に施されます。このような人間を含めた生命を機械として捉える思想(=機械論)を源流とする現代医学における医療体系は、須く対症療法(allopathy)に終始することになります。

しかし、残念ながら人間を含めた生命は、線形的に捉えることが可能な機械などでは決してなく、非線形的な複雑系(complex system)なのです。そのようなことからも、機械論的な現代医療では慢性疾患を根本治療に導けないのは至極当然といえば当然のことであり、現代医療を学生時分から頭ごなしに教え込まれ、現代医療を実践する臨床医として経験を積むことを余儀なくされる一般的な医師たちが根本治療できないというのは当たり前の話なのです。さらに言えば、そのような機械論的アロパシー(対症療法)医療は、資本家階級以上の支配者層の人たちにとっては、労働者層(=被支配層)をコントロールするのに、とても都合の良いものなのです。それは現代医療を推進する医薬業界がここまで巨大ビジネスになっている事実を鑑みれば、明らかでしょう。ですから、現代医療を受けることに終始しているだけでは、決して病気の根本治療にはなりません。根本治療したければ「適切な環境に身を置けば、疾患は自然治癒する」というような、アリストテレス的な生気論的生命観を持ち、ホリスティックな治療を行なっている治療家・臨床家にかかるしかありません。

以上のことを当院患者のみならず、フォロワーの皆様、特に慢性疾患を患っている方には、肝に銘じておいて欲しいと思います。

なぜ現代医療では根本治療に導けないのか?(2022年3月31日のtwitterより転載)” に対して1件のコメントがあります。

  1. 高橋一浩 より:

    日本は既に戦時下と危機感をもつ同業者です。漢方専門医でもあり、システム論的発想に基づいて生きています。基本的には、日本人であることに誇りをもつ平和主義者です。志をもつ竜を探しています。

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