新型コロナウイルス感染者数とワクチンについて(2021年1月5日のtwitterより転載)
さて、年末年始はやはりコロナ煽り報道が盛んにされており、感染者数が過去最多になった、ということが連日報道されていました。しかし、これは至極当たり前のことです。どういうことかを少し手短に解説しておきましょう。
例えば、PCR検査(実はPCR)の陽性者が100人出現したとしましょう。現在ではその患者は全て新型コロナ感染者として扱われます。そうすると、その100人の感染者(本当は感染者ではない可能性が高い)は当然隔離対象となり、またその濃厚接触者の追跡調査が行われます。そして、追跡調査によって濃厚接触者と考えられる人たち(家族など)もPCR検査が勧められ、場合によっては隔離対象となったりします。例えばPCR検査で陽性になり、いわゆる「新型コロナ感染者」となった人たちの濃厚接触者が平均5人PCR検査を受けさせられたとしましょう。そうすると、最初は100人がPCR検査で陽性になっていただけだったのが、追加で500人の方にPCR検査が施行され、それでまた何人かの人が陽性になり、その後また追跡調査で濃厚接触者に検査が施行され・・・、という繰り返しになっていくのです。これでは感染者数(本当は違う)が伸びていくのは当然です。
しかも、問題はその陽性者のほとんどが無症状であったり、軽症者であったりということです。2類感染症に指定されているために、一度「新型コロナ」と診断されてしまうと、感染拡大防止で指定病院に入院させられたり、数週間の隔離措置がなされた挙句、退院したり隔離解除になっても監視対象となります。例えば季節性インフルエンザの場合、発熱があったり、頭痛や関節痛があるなど、何か臨床症状がない限り検査したりしません。無症状の人が医療機関を受診し、「インフルエンザの検査をしてください」と言っても、検査の必要なしと判断され、追い返されるでしょう。しかし、今回の新型コロナの場合はインフルの場合と異なり、無症状者でも簡単にPCR検査を受けることができます。例えば以下のような、唾液を採取して検査会社に送るキットも各会社から販売されています。
https://www.medaca.co.jp/news/pr_20201204/
また、先ほどのツイートで述べたように、新型コロナ感染者(=PCR陽性者)と濃厚接触者であった場合に、無症状であってもPCR検査が施行され陽性であった場合、「新型コロナ感染者」というレッテルを貼られた挙句、数週間(あるいはPCR検査で陰性になるまで)隔離される恐れすらある。このような人権侵害も甚だしい社会が、正常な社会であると思われるでしょうか?それでも「新型コロナ対策のためなのだから仕方がない」と思いますか?
ちなみに政府は要請のあった東京・神奈川・埼玉・千葉の1都3県に緊急事態宣言を出す方針を固めたようです。これが全国的な広がりを見せないことを願うばかりですが、一方でワクチンの接種の開始時期の話も出てきているようです。どうやら2月には接種開始される流れになっているようです。
日本政府はすでにファイザー社製のmRNAワクチンを6千万人分、モデルな社製のmRNAワクチンを5千万人分、そして現在治験中のアストラゼネカ社製のアデノウイルスベクターワクチンに至ってはなんと1億2千万人分と、全ての日本人に打たせるのに余りある数を供給するための契約を各社と結んでいます。このような過剰とも言えるワクチン供給体制をこの時期に日本国内に整える必要が本当にあったのでしょうか??もちろん答えはNOですが、そのこと自体は私にとってはさほど問題ではありません。なぜならこれまでも政府の身勝手な横暴には嫌と言うほど付き合わされてきたからです。
それよりもっと問題だと私が思っている事は、このようなワクチン供給体制整備により日本人の多くが新型コロナワクチンを打つことになると、ワクチンを打っていない人の方が少数派となり、まるでワクチンを打つことが正義であるかのような社会が構築される可能性があるということです。
そうなると、一般大衆の中にワクチンを打つことが当然のことであるかのように立ち振る舞い、ワクチンを打つことに躊躇いがあったり、良しとしていなかったりする人たちを責め立てるような風潮が出現してくるのではないかと私は懸念しています。そうなれば本当に怖いのは、ワクチン接種を勧めてくる厚労省や保健所などではなく、ワクチン接種することが当たり前だとする社会の風潮(を作り出すマスメディア)と、そのような風潮に流されて自分で物事を考えようとしない一般大衆(付和雷同層=B層)です。
権力者に抗おうとするものたちにとって権力者に迎合する一般大衆は敵となります(こちらが敵と思っていなくても攻撃されることもある)。ワクチンを拒否するものは、新型コロナ感染を蔓延させるものとして一般大衆を代表とする社会から圧力をかけられる可能性があるという事です。