自らの正義を振り翳すことで生まれる分断について 2022年12月22日のX(旧twitter)より転載
本当に多くの人が「マスク社会を終わらせたい」とか「ワクチン接種を止めさせたい」というように考えそうする方向へ行動しています。それ自体悪いとは思わない。 しかし、そのことで自らの正義を振り翳し、他者(身近な者であっても)を傷つけたり争いを生んだり分断・分裂を自ら作り出していないか?
最も身近な共同体であるはずの家族でさえ、ワクチン接種を強要したり、はたまた逆にワクチン接種を止めさせようとしたりして、いがみ合ったり喧嘩をしている人があまりに多い。そういう人たちはお互いに価値観のズレや違いが許せず、互いに理解し合えないことに苛立ちを感じ憎み合うことすらある。家族でなくても、友人や会社の同僚あるいは子供が通う学校にも、ワクチン接種中止を求めたりマスク着用をさせまいとして働きかけている人たちもたくさんいるように思います。それら全てに意味がないとは思いませんが、徒労に終わるどころか迷惑がられ変人扱いされ、時には互いにぶつかり合うでしょう。そうやって一般大衆どうしが争い合い、いがみ合い、分断・分裂していくことこそ権力者層が望むことなんだということに、我々一般大衆は早く気づくべきです。 「争わない・戦わない・憎まない・恨まない」 幸せに生きていきたければ、そういうマインドやスタンスで何事も接することが大切です。
先日、ワクチン接種後遺症で悩む、高齢の女性の患者さんが来院されました。その方はそれまで至って健康だったのに、接種後から全身の痛みや違和感に悩まされ、日常生活を送ることも困難な状態になっていたこともあり、さらにどの病院へ行っても異常なしとされ、メンタル的にも病んでおられました。しかし、その患者さんは「私はワクチン接種を推奨していた政府や専門家を全く恨んだり怒りに感じたりしていません。接種したのは私が選んだことで私の責任だから。ただ一刻も早く元の健康な体に戻りたいという思いがあるだけ」と仰っていました。見習うべき素晴らしいメンタリティをお持ちの方でした。
逆にワクチン後遺症で苦しんでいる方や、ワクチン接種後に家族を失った遺族の方々の中には、居た堪れない気持ちとともに、ワクチン接種を推奨してきた政府(厚労省)や専門家に恨みや怒りをぶつけ、「他責の念」で行動している人たちのなんと多いことか!! それでは結果的に争いを生むだけなのです。もちろん打つことを推奨してきた人々にも大きな責任はある。しかし、批判される言い方かも知れませんが、「打った人にも(こそ)大きな責任がある」と私は思います。 打った後に後遺症が出現しても、「後悔先に立たず」なのです。打つ前に調べて吟味して本当に打つべきかを検討すべきだったのです。「素人だからわからない」、「調べる時間や労力がなかった」、「専門家や政府の言うことが正しいと思っていた」 厳しいことを言うようですが、こんなことを平然と言ってのけることができる人たちは、これからも何度も同じように騙されることでしょう。これを機に考え方を変え意識改革をするべきです。
当院のスタンスは常に「わかる人だけわかれば良い」というものです。マスクやワクチンにしても、 「マスクしたい人はすれば良い、ワクチン打ちたい人は打てば良い(ただ自分はしないから放っておいてね)」 それくらいの温度感でいることが争いや分断を生み出さないために重要だと私は思っています。このような当院の考えや思想に共鳴していただける人は、決してそう多くはないかも知れません。それは当院に来院される多くの人が今の世相に噴き上がってしまって、怒りや悲しみや恨みを抱いて生きていることを吐露されることからも明らかです。しかしそれでは決して幸福な人生を生きることはできない。今後もさらに世界は混沌・混乱へと向かう中で、より一層波動を乱さずに生きて行くことが困難な状況になってくるでしょう。 そうならないよう、是非とも皆さんには一人でも多くマインドリセットできる仲間や場を見つけていただき、平和に幸せに生きて行く術を見つけて欲しいと心から願っています。