遺伝子について(2020年11月18日のtwitterより転載)
今日は、「遺伝子は何も決定しない(Gene decides nothing)」ということを皆さんにお伝えしたいと思います。そもそも皆さんは“遺伝子”とは何か?ということを正確に理解しておられるでしょうか?“遺伝子”とは、その名の通り、親から子へ受け継がれていく(遺伝していく)因子のことです。昔から「子は親に似る」という普遍的な事実から、子孫代々遺伝するものが何かあるということは想定されていました。
例えば、古代ギリシャの哲人アリストテレスは、オスの精液が次代の子の形態を決める遺伝子なのだと考えました。また、古代バビロニアでは、ウマの頭やタテガミの特徴の伝わり方が数世代にわたって記録され、親の形態が子に遺伝することが知られていました。その後、中世ヨーロッパでは、卵子や精子の中にあらかじめ形成された完全体(=ホムンクルス)が存在し、それが母体の中で発達して子供が生まれてくると考えられていました(前成説)。そして1677 年に、オランダのレーウェンフックによって精子が発見されると、精子の観察から「遺伝的な性質は父親の体のあらゆる部位で作られ血管を通じて運ばれる精液が担っており、 体の各部の特徴はその部位で作られた精液中に反映されている」とする主張が誕生しました(精子説)。それとは対照的に、古代ギリシャのアリストテレスや中世ヨーロッパのウィリアム・ハーヴェイらは、種子や胞子や受精卵などの初源的で単純な状態から、より複雑な成体への発展が段階的に起こり、その過程で体を作る新たな構造が順次生じてくると考えました(後成説)。
すなわち、「前成説」においては精子や卵子自体が親の形質を子に伝えるための“遺伝子”そのものであると捉えられ、「後成説」においては精子や卵子が“遺伝子”として働くわけではなく、それらの中に“遺伝子”が含有されていると考えられてきたわけです。紀元前ギリシャに始まるこうした遺伝の考え方(前成説と後成説)や、精子と卵子が受精に際して関与する事実、生物は全て細胞からなるとする細胞説は中世にはすでに一般的に知られていました。しかし、まだこの時代には実証実験や観察実験が進んでおらず、遺伝を理解するための細胞学的な知識も決定的に不十分でした。
こうした状況の中、19世紀半ばにメンデルがエンドウ豆の交配実験から親の形質が遺伝すること(=メンデルの遺伝の法則)を発見し、サットンやボヴェリらが減数分裂の研究から染色体の存在を解明したことで、古くから存在していた遺伝の考え方に細胞生物学的な意義が与えられることとなりました。このようにしてメンデルのエンドウ豆の交配実験から古典遺伝学は勃興し、主にその表現型(丸いか長細いかなど)が親から子にどう伝わっていくかを観察するという実験手法が徐々に広まり、後に効率の良い酪農産物の生産に応用されていくことになります。
この「古典遺伝学」においては、“遺伝子”とは「遺伝情報を担う粒子である」という概念として扱われていました。
その後、20世紀に入り、さらに遺伝子研究が発展するにつれて、遺伝物質(=遺伝子)が染色体上にあることが明らかになり、その遺伝物質の本体はDNA(デオキシリボ核酸)という分子であることが確実視されるようになりました。そしてついに、1952年にロザリンド・フランクリン女史によりDNAが二重螺旋構造をしていることを示すX線写真が撮影され、その構造までもが明らかになりました。それが1953年に、かのワトソンとクリックによって密かに盗用され、世界的な権威ある科学雑誌である、「Nature」誌上で初めて論文化されました。そしてこの犯罪的盗用論文が評価され、ワトソンとクリックはDNA二重らせん構造を解明した研究者として、1962年にノーベル医学生理学賞に輝きました。ちなみに自身のデータが盗用されたフランクリン女史は、1958年にワトソンとクリックらの犯罪を知ることもなく、X線を無防備に浴び過ぎたせいだと思われますが、卵巣がんでこの世を去りました。
遺伝子研究は、この「盗人」と呼んでも過言ではないワトソンとクリックの盗用論文によって過渡期を迎え、それ以降は生命科学分野では、遺伝子であるDNAの構造・機能解析が至上命題として扱われるようになり、いわゆる「分子生物学」が華開いていきます。このように、ワトソンとクリックがロザリンド女史のデータを盗用して発表した論文が発端となって分子生物学が発展していったわけですが、これは論文の捏造・改ざん・盗用がもはや当たり前となっており、学会内でも「どうすれば論文の捏造・改ざんがなくせるのか」ということがテーマのシンポジウムが開催されるほどの状況となっている現在の分子生物学の始まりにふさわしい幕開けだったと言えるでしょう。
さて、話が逸れてしまいましたが、このようにして勃興してきた分子生物学(分子レベルで遺伝子を研究する学問)によって、遺伝子DNAの構造や個々のDNAがもつ機能などが徐々に解明されると同時に、まるでその遺伝子DNAが生命の全てを決めているかのような風潮が世に広まっていきました。この風潮に拍車をかけたのが、かの有名な『利己的な遺伝子(The Selfish Gene)』を著した進化生物学者・行動遺伝学者である“リチャード・ドーキンス”という男です。彼は自著の中で「生物は遺伝子によって利用される“乗り物”に過ぎない」と記し、読者に衝撃を与えました。また、ドーキンス博士は自然選択説で有名なダーウィンの進化論の熱烈な支持者(=ダーウィニスト)であり、無神論者であり、懐疑主義者でもありました。彼の『利己的な遺伝子(1976年)』以降、利他的行動さえもが遺伝子の利己的な行動として説明されるようになりました。そしてそれ以降、個体の発生〜形態形成、個体の形質、行動、思考や精神活動に至る全ての事象がこの遺伝子の働きにより説明可能であるかのような言説が生まれてきました。これを「遺伝子決定論」と言います。
もちろん、全ての事象が遺伝子によって決定されているということを主張する、極端な「遺伝子決定論」者は極めて少数派でしょうけれども、個体における全ての事象には、ある程度遺伝子的な影響があると信じている方が大半なのではないでしょうか?例えば、体型に関して「太りやすい遺伝子」があるとか、性格に関しても「怒りやすい遺伝子」があるとか、病気に関しても「がんになりやすい遺伝子」があるとか言われていて、それを信じている方がほとんどだと思います。しかしながら、ここで明確に回答させていただきますが、そのような「怒りやすい遺伝子」や「太りやすい遺伝子」や「がんになりやすい遺伝子」などというものは一切存在しません。
例えば、説明しやすいので「がんになりやすい遺伝子」についてみていきましょう。
実は「がんの原因となる」(とされている)遺伝子が存在しており、それらは「がん遺伝子(oncogene)」と「がん抑制遺伝子(tumor-suppressor gene)」の2種類に大別されます。よく「がん遺伝子」はアクセル、「がん抑制遺伝子」はブレーキに例えられます。すなわち、アクセルである「がん遺伝子」が何らかの影響で活性化し、ブレーキである「がん抑制遺伝子」が変異してブレーキが効かなくなることで細胞分裂が促進され、細胞ががん化していく、ということですね。このように、がん細胞にとってアクセル役である「がん遺伝子」とブレーキ役である「がん抑制遺伝子」のいずれもが変異を起こすことによって、がんが発生するという仮説を「2ヒット仮説(two-hit theory)」と言いますが、実はこのがん発生メカニズムは誤りであることがすでに証明されています。実際に「遺伝子変異のないがん」というものも存在しており、遺伝子変異がなくてもガン細胞と同様の性質をもつ場合がある、ということがわかっています。また、その逆に「がん遺伝子」や「がん抑制遺伝子」に変異があってもがん化していない細胞もたくさん存在していることがわかっています。
実はがん細胞は遺伝子自体が問題ではなく、ミトコンドリアのエネルギー代謝の問題であることが様々な論文で示されています。そして、これはすでに1950年代から示されていたことです(ワールブルク仮説)。さらに近年の研究において、細胞の周囲環境の問題によってミトコンドリアのエネルギー代謝が障害を受け、その結果として遺伝子変異が生じてくる、という証拠が様々な論文によって示されるようになってきました。すなわち、がん発生のメカニズムは、遺伝子レベルの問題などではないどころか、細胞レベルの問題ですらなく、細胞の周囲環境や個体の体内環境の問題、もっと大きく捉えれば個体の体内環境に影響を与える生活習慣や生活環境が問題なのだということなのです。
ですから、がん細胞が(正常な)細胞の遺伝子変異によって起こってくるという仮説(=Somatic Mutation Theory:SMT)は全くの間違いで、実は細胞の周囲環境の変化からミトコンドリアのエネルギー代謝が阻害されたことによる代謝異常によって細胞の構造・機能ががん化していくということなのです。このような、細胞の周囲環境(場)の変化によりがん細胞が起こってくるとする仮説のことを「組織形成場の理論(Tissue Organizational Field Theory:TOFT)」と言います。これはまさにがん発生における「遺伝子決定論(体細胞突然変異仮説=SMT:Somatic Mutation Theory)」を真っ向から否定する理論です。
少し難しい話であったかもしれませんが、私がここでなぜ「がん」を題材にしたかというと、医学常識的には遺伝子に問題があるとされている「がん」でさえも、実は遺伝子変異ががん化の原因などではないということをお伝えしたかったからです。それどころか、がん細胞は元々自分の正常細胞であったわけであり、それが徐々に変異しがん化していくプロセスの中で遺伝子異常が起きてくるわけです。つまり、がん細胞に認められる「遺伝子変異」は、“原因”ではなく“結果”だということなのです。ここでも「“原因”と“結果”の前後即因果の誤謬」が起こっているわけです。
ちなみに、先述した通り、このがん細胞でよく認められる(認められない場合もある!)遺伝子変異や遺伝子の発現異常は、先天的なものではなく、後天的に起こってくることです。このような後天的な遺伝子の変化のことを、「エピジェネティック(epigenetic)な変化」と言います。この「後天的に遺伝子が変化」することを研究する学問のことを「エピジェネティクス(Epigenetics)」と言いますが、近年の研究で遺伝子は様々な環境の変化に対応して、その構造や遺伝子発現パターンさえもが後天的に変化していくことが示されてきました。例えば、何らかのストレスによりミトコンドリアの糖のエネルギー代謝が障害を受けると、ミトコンドリアから危機信号が核に送られ、この信号を受け取った核の遺伝子DNAが変異したり、その発現パターンを変化させたりして、代謝経路を変化させることがわかってきました(=retro-grade response)。
すなわち、DNAに直接的なダメージが加えられなくても、細胞レベルでストレスが与えられた時に、遺伝子レベルで構造変化(=変異)を起こしたり、遺伝子の発現パターンが変化したりすることがあり得るということなのです。これこそが「エピジェネティクス(epigenetics)」の真髄です。さらに、「エピジェネティクス」の研究によってわかってきたこととして衝撃的な事実は、「環境因子によって与えられた後天的な遺伝情報の変化が子孫に受け継がれる(=環境遺伝)」ということです。すなわち、簡単に言えば「環境因子が与えた影響が遺伝する」ということです。これは大げさに言えば、「環境が遺伝する(=環境遺伝)」ということであり、これまで二項対立として論じられてきた「環境(=nurture)」と「遺伝(=nature)」において、環境が遺伝子に影響するということが「エピジェネティクス」という学問により明らかになったことは衝撃的なことなのです。
しかし、実はこの環境が遺伝子に影響を与えるということを進化論的に考察した人物がはるか昔にいたことをみなさんはご存知でしょうか。それは19世紀の著名な生物博物学者であったラマルクです。彼は自身の無脊椎動物の分類研究を元に、独自の進化論をダーウィンよりも前に提唱したことでよく知られています。その進化論とは、まさに「(環境の変化によって与えられた)獲得形質は遺伝する」という現代の「エピジェネティクス」で明らかになった「環境遺伝」を謳ったものでした。ラマルクの進化論の最も大きな特徴は、ランダムな遺伝子変異こそが進化の原動力だとするダーウィンの「自然選択説」とは異なり、生物側に進化の主体性がある、としている点です。そして、その進化を促す要因として「(周囲)環境の変化」があるわけです。すなわち、このラマルクの進化論には「生物は前進的に姿を変えてゆく能力がその中に備わっている」という思想が内包されていたと言えるでしょう。そしてその思想が真実であるということが、最近のエピジェネティクスの研究からも明らかになってきたということです。
また話が逸れましたが、今日の本題をまとめます。それは、「遺伝子そのものが生命現象を決定する因子となっているわけではない」ということ、そして「環境の変化に適応しようとして生命自身が遺伝情報を刻々と変化させ、それが子孫代々遺伝していく(=環境遺伝)」ということです。遺伝子の働きによって全ての生命現象が説明できると考える「遺伝子決定論」がいかに危険な思想であるかということもいずれ書いていきたいと思いますが、ここで是非とも皆さんに知っておいて欲しいことは、「遺伝子決定論」の行き着く先には極めて危険な思想である「優生思想」があるということです。これはあのナチスヒトラーにも通じる考え方です。すなわち「遺伝子決定論」を極めていけば、「遺伝子の優秀な民族・人種は、劣等な民族・人種を統べる権利がある」と主張するところまで行き着く可能性・危険性があるということです。当院の患者におかれましては、この現代医療の根本思想となっている「遺伝子決定論」に惑わされず、環境(=ライフスタイル)を改善していくことによって、自分の病気や体の状態を改善することができるのだということを肝に銘じておいて欲しいと思います。