感染症法の改正について(2021年3月3日のtwitterより転載)
政府提出の感染症法改正案は、入院を拒否したり入院先から逃げたりした感染者に対し、1年以下の懲役または100万円以下の罰金を規定。感染経路を追跡する「積極的疫学調査」に協力しなかった人にも、50万円以下の罰金を科すと定めていました。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021012800864&g=pol
しかしながら、そもそも罰則の導入以前に、「勧告」や「入院措置」の制度の関係やその法的性格自体が曖昧であることに重大な問題があるとし、現行の感染症法上の制度を明確にすることが先決だとする声も上がっています。
https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20210125-00219321
ところで、過去日本では感染症対策として結核・ハンセン病患者・感染者の強制収容が合法的になされ、蔓延防止の名目のもと、エビデンス(医学的根拠)が乏しいにもかかわらず、著しい人権侵害が行われてきた歴史があり、このような患者を強制的に抑え込むことは慎重になってきた歴史・経緯があります。現行の感染症法における諸施策は、「新感染症その他の感染症に迅速かつ適確に対応することができるよう、感染症の患者等が置かれている状況を深く認識し、これらの者の⼈権を尊重しつつ、総合的かつ計画的に推進される」ことを基本理念(第2条)としています。この基本理念は、「(前略)我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である」ということに加え、「このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている(同法・前文)」との認識に基づいています。だからこそ、今回の感染症法改悪に関しても、罰則規定を導入することは「人権侵害にあたる」としてハンセン病弁護団が声明を出したり、ハンセン病患者らが「許されない」として意見書を提出したりしていたのです。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021012201183&g=pol
学術界からも反対の動きがあります。日本医学会連合は、1月14日「感染症法等の改正に関する緊急声明」を出し、「政府で現在検討されている感染症法等の改正において、患者・感染者への入院強制や検査義務化等に刑事罰もしくは罰則を設ける方針が示されていることに深く憂慮」すると表明しました。日本公衆衛生学会も、「感染症法改正議論に関する声明」を出し、「あらゆる感染症において国民の参加協力のもとに感染を適切に制御する観点から、患者・感染者の入院強制や検査・情報提供の強要に刑事罰・罰則を伴わせることは不適切である」としています。これらはとてもまともな声であると感じます。
さらに、罰則規定を設けることは、「政府による感染症の恐怖・不安に乗じた国民の管理・統制の強化」に他ならず、このような政策展開により、国民がより一層はっきりと分断されていくことになる危険性があります。特に、以前にも書いたような「スケープゴート」にされる人々が増加する恐れがあります。政府(=権力者側)の感染症対策が必要と洗脳されている人々(大多数の国民)にとっては、「感染症対策=正義」ですから、それを拒否する人たち、あるいはその対策に強固なエビデンスを求め、エビデンスのないことはしないという冷静な対応を取るような人たちも大抵の場合「悪」とみなされます。そうすると、徐々にそのようなマイノリティーな人たちは感染症対策が必要と感じている大多数の国民から「スケープゴート」にされ、攻撃されるようになる危険性がある。身近なところでは、マスク着用や休業しない店への自粛警察まがいのヘイト行為、海外(欧米)では中国人を含めたアジア人の排斥など。
また、例えば夜の街の取り締まりでは、警察は風俗営業法の法律の範囲を超えた取締りを行い、それを国も東京都も求めてきました。このような取り締まりが法律の整備とともに拡大・強化されていけば、いずれ必ず国民の自由な生活を脅かすことになっていくであろうことは想像に難くありません(そしてすでにそうなりつつある)。感染症がいくら恐ろしいものであったとしても、政府が主導して行われる感染防護策は、国民の理解と協力がなければ意味がありません。そして、もしその感染防護策により国民の自由や日々の生活が脅かされるようなら、それだけ強固なエビデンスが絶対に必要です。エビデンスより政策実行を優先しようとする御用学者や御用メディアは自由な生活を望む国民の敵であるということを、私たちはしっかり認識しておくべきです。歴史的に政府の横暴(国家権力の暴走)によって、一般市民が迫害されてきた過去を知っている人は、余計に慎重になってしまわざるを得ないでしょう。
某旧帝国大学教授(ノーベル医学賞受賞者)のように、「エビデンスよりもまずは対策を」などと叫ぶことは誰でも簡単にできます。しかし、実際にはPCR検査陽性者が本当にSARS-CoV-2に感染しているのかということすら確認されないままに、PCR陽性=新型コロナ感染症(COVID-19)と診断されているのです。(人為的な)新型コロナパンデミックの下で、人々の不安が強くなっている昨今、大きな力(=国家権力)への漠然とした期待感や社会的心理(感染症予防=正義)を背景に、国家権力が国民の管理統制・経済統制を強化しようとする流れが生まれています。今回の感染症法改正はその流れの一環として位置付けられます。
このような、エビデンスを重視しない(無視した)政府の横暴は今に始まったことではありません。感染症法改正を含め、マスク・消毒・ソーシャルディスタンス・ワクチン予防接種・・・etc。これらはいずれもエビデンスのない感染症対策です。私は、これらの施策によって今後も人々の人権が蹂躙され、自由が迫害される社会がより色濃く形成されていくことになることへの危機感を強くもっています。皆様におかれましても、このような政府の施策が本当に必要なのかについて、今一度各自考えていただければと思っています。