当院ができるだけ現代医療に頼らない理由について(facebookより転載 2019-6-6)

さて、何度か書いてきたように、当院ではできるだけホリスティック(全体論的)な視点から患者の病態を俯瞰し、漢方治療をベースにした根本治療に日々取り組んでおります。

しかしながら、一般的に広く提供されている現代医療においては、ヒトの身体を「心・体・気・霊」などの一つの有機的統合体として捉え、生命が本来的に持っている自己治癒力を高めることによって病気を根本治療するという(ホリスティックな)考え方はほとんど採用されておらず、まるで人間の身体を機械として捉えるような要素還元主義的な考え方(これを「人間機械論」という)が基本になっています。

この要素還元主義的な考え方の裏には「遺伝子決定論」という思想があります。今日はこれについて書いてみたいと思います。

「遺伝子決定論」とは、我々の形質(=phenotype:性別、目の大きさ、鼻の高さ、背の高さ、性格など)は遺伝子によって全て決定されている、という仮説のこと(あくまでも”仮説”です)であり、これはダーウィンの進化論(自然選択説)と(分子)遺伝学を中心に発展してきた理論でもあるため、「ネオ・ダーウィニズム」に含んでも良いでしょう。

しかし、実際には遺伝子が形質を決定していない例は山ほどあり、例えばカメの性別は遺伝子ではなく、卵が孵化する時の温度で決まります。遺伝子は我々の心身を全てデザインし、未来を決定づける神なる存在だとは決して言えません。それはただの材料でしかなく、実際の生物・生命体を作り上げる最大の要因は、遺伝子以外の環境因子であるということを研究する学問が“epigenetics”という学問ですが、その概念自体は1940年代から存在していました(Endeavour.1942;1:18-20)。
現在では環境による遺伝子発現により多様性が産まれ、それが子孫にも伝わる(すなわち獲得形質が遺伝する!!)ということが科学的に証明されています(Annu Rev Genet.1991;25:1-20 , FASEB J.1998;12:949-957 , PNAS.2005;102:1817-1818)。

少し「遺伝子決定論」から「エピジェネティクス」に話が逸れてしまいましたが、動物行動学の創始者であるコンラート・ローレンツという人物が、カモの雛が生後最初に見たものを親と思い込むという実験(刷り込み)を行いました。この動物行動学を人間に適用し、社会にまで応用させた学問を社会行動学と言います。この社会行動学の正当な継承者が、かの「利己的遺伝子」を著して世界的に有名になったリチャード・ドーキンスです。
これらの学問は動物やヒトの形質や行動が全て遺伝子によって操られているとする極端な「要素還元主義」=「遺伝子決定論」をベースとしています。
ローレンツやドーキンスら動物行動学者や社会行動学者は、「本能(instinct)」も産まれつきのものである(すなわち遺伝子によって決定される)と解釈し定義してきましたが、実はこれさえも遺伝子によって決まるわけではなく、母胎内の環境や生後生まれ育った環境との相互作用によって変化するものであることがわかってきました(Science .2017:356;26-27)。

ですから、もはや「生まれか育ちか(nature or nurture)」、すなわち「遺伝か環境か(heredity or environment)」という議論自体が現在ではほとんど無意味なものなのです。
にも関わらず、「遺伝子決定論」をベースにしている社会生物学などにおいては、いまだに「生まれか育ちか」において「生まれ(nature)」、すなわち「遺伝(heredity, gene)」に立脚しています。
つまり、これらは生物学的データなどから得られた客観的事実を無視(=科学を否定)しており、もはや学問と呼べるような代物ではないことは明らかですから、これらは一種の“思想”(主義・主張)でしかなく、人の頭の中で考え出した幻想としか言えないものなのです。

最初に書いたように、実は現代医療もこの極端な「要素還元主義」=「遺伝子決定論」をベースに発展してきたものです。いわば”幻想”とでもいえるこの「遺伝子決定論」をベースにしている現代医学が病気を治すことができないことなど、考えてみれば当たり前なのではないでしょうか??

  がお分かりいただけたことと思います。

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