「中庸で生きること」について(2021年8月3日のtwitterより転載)

今回は番外編として、この混沌とした時代を生き抜くためのヒントとなることについて、私なりの見解を述べてみたいと思います。フォロワーの皆さんにとって参考になれば幸いです。

現在、ここ日本では東京五輪が開催されており、日本のメダルラッシュということもあって、ある程度の盛り上がりを見せているようです。私自身も柔道やスケボーや卓球はリアルタイムで日本人選手がメダルを取る瞬間を自宅のテレビで視聴しており、素晴らしい感動を分け与えてもらいました。しかしながら、思えば今回の五輪開催までのプロセスには酷いものがあり、招致の際にも汚職があったり、選ばれたら選ばれたでエンブレム(ロゴ)問題があったり、選手村(晴海)の破格な金額での土地売買の問題があったり、不正や問題が山積みのままでの開催となってしまいました。それだけではなく、このコロナ禍の中で是が非でも五輪開催を推し進めてきた日本政府の強硬な姿勢に疑問を感じていた方も多かったと思います。実際に今回の五輪に関しては様々な理由で海外からは冷ややかな視線が送られており、そこまで盛り上がっているのは日本だけであるという話もあるようです。実際に私自身も、五輪開催当初は「コロナ禍の中で国民には自粛させておいて五輪開催などけしからん」と考えていた部分もあり、純粋な「スポーツの祭典」として今回の五輪を楽しむことができないでいました(もちろんコロナ禍自体がフェイクだということではあるのですが)。しかし、私がそう思っていようが思っていなかろうが、今回の五輪が行われることには何ら影響を与えることはなかったでしょう。むしろ、日本国民全員が五輪開催を望まなかったとしても開催されていたかもしれません。しかし、実際には五輪開催容認派と五輪開催否定派の間で意見が対立している状況です。

新型コロナワクチン騒動でもそうです。推進派と反対派の間で激しい論争が繰り広げられており、推進派は「集団免疫をつけて新たな感染から人々を守るためにワクチンは必要だ」と言います。一方で、反対派の中には陰謀論を持ち出し、「ワクチンは人工削減のための殺人兵器だ」とまで言う人もいます。私自身も今回のワクチンに関しては、その危険性を示すエビデンスがあることからも、打つべきではないと訴えてきました。しかし、中にはすでに打つことを決めた人もいれば、まだ迷っているという人もいます。当院ではそのような患者の意志を尊重しており、打ってはいけないとまでは決して言いません。意見が対立しているのは、コロナやワクチンに関してだけではありません。例えば、経済で言えば緊縮財政派と財政出動(MMT理論)派、政治で言えば米国のトランプ派とバイデン派、一昔前で言えば資本主義陣営と社会主義陣営、医療で言えば現代医療と代替医療などなど・・・。挙げればキリがありません。

しかし、そのような二項対立には一体何の意味があると言うのでしょうか。経済などは作られた経済システムの中で議論しているに過ぎないわけですし、政治も大衆を分断するための支配者の道具に過ぎないわけですし、資本主義と社会主義なども言ってしまえば元々の根っこは同じものです。ですから、本来我々がそれら対立する概念を戦わせることには、ほとんど意味がないのかもしれません。しかし、支配者側からすれば、我々一般大衆が争うことは非常に好都合です。なぜなら、一般大衆を二項対立で争わせ分断することによって、容易に支配することができるからです(divide & conquer)。

すなわち、どのような場面でも状況でも、そのような対立・衝突を意図的に作り出し、より一層世間を分断して互いに争わせて支配するのが権力者側の常套手段であり、これは今に始まったことではなく、人類の歴史において何千年もの間継続して行われてきたことです(歴史として習わないだけ)。今でもそのような流れで大衆の支配システムというものが継続されており、我々は一般大衆どうしで互いに争わされているわけです。きっと世界の支配者・権力者たちは、そのような我々一般大衆(=現代の奴隷階級)が争い合う無様な姿を傍からこれまでずっと見ており、ほくそ笑んでいることでしょう。

では、このような状況を踏まえて、私たちはどう考えどう行動すれば良いのでしょうか。ここで役立つのが冒頭に挙げた“中庸”という概念です。“中庸”とは古代ギリシャの哲学者であったアリストテレスがその中心的哲学として唱えたもの(=アリストテレスの“中庸”説)であり、彼の徳論の中核をなすものです。ここで私が訴えたい“中庸”とは、「“陰謀論”に陥ることなかれ」ということです。ここで言う“陰謀論”とは、「世界は少数の王族や貴族階級や資本家階級といった権力者たちによって掌握されており、彼らの目的(新世界秩序)を達成するために都合の良い方向へ動くよう仕向けられている」というものです。

確かに私自身も、これまでの人類の歴史的経緯などからも、旧約聖書を中心とした世界観の下で、世の中の動きが操作されているように思いますし、これからいわゆる「グレートリセット」に向けて最終戦争が引き起こされようとしているのではないかという危惧をひしひしと感じています。しかし、そのような陰謀論に陥り囚われてしまうと、結局自分がこの世に生を受けてやるべきこと・やりたいことがあやふやになってしまったり、それを見失ってしまったりする可能性があります。そうなれば最後、世の中への恨みつらみが増すばかりで、本当に幸せに生きることが難しくなってしまいかねません。

多くの人にとって一度きりの人生を最大限に楽しむ・幸せに生きるために重要なことは、陰謀論を極めて世の中の仕組みを解明することではありません(本来それを生きる“目的”とすべきではない)。陰謀論を「確からしい(?)」話として据え置き、自分の中でそれを消化(昇華)する程度にしておくべきです。そして、できればそれをこの混沌とした時代(転換期)を生き抜くための“手段”として用いるということができればなお良いでしょう。例えば今回のコロナ騒動でも、過去にツイートしたように、パンデミック騒動を創作し、大衆を扇動するための「役者」が用意されています(ゲ○ツやファ○チなど)。そして、それは過去のパンデミック騒動を振り返っても同様なのです。しかし、我々がいくらそのような「役者(=スケープゴート)」をあぶり出して攻撃してみても、世の中の流れが変わるわけではありませんし、怒りの感情が湧いてくることはあっても、自分自身を幸せにできるわけではありません。ですから、そのような話はワクチンを打つか打たないかを決める一つの判断材料として、自分の知識として仕入れておく程度で良いのです。つまり陰謀論は(それが事実であろうがなかろうが)、あくまでも今起こっていることや今後起こり得ることを未来予測する上での判断材料に過ぎないということです。

当院の患者と話をしていても、不幸にも陰謀論に凝り固まって、今の状況に絶望して生きている人が少なからずいらっしゃいます。しかし、そのような考え方・思考回路では生きることへの喜びは生まれ得ません。特に慢性疾患の根本治療をする上で絶望は禁忌です。希望があるからこそ人は生きていける。当院のフォロワーの皆様におかれましても、そのような陰謀論に陥って人生を不幸にまでされている人は少ないとは思いますが、ぜひアリストテレスが唱えた「中庸で生きる」ということをヒントに、これからの混沌とした時代を生き抜いていってもらえれば、と思います。参考になれば幸いです。

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