フォーカシング・イリュージョンについて(2020年10月23日のtwitterより転載)

皆さんは「フォーカシング・イリュージョン(Focusing Illusion)」という言葉を聞いたことはあるでしょうか?

”Focus”とは焦点を当てること。”Illusion”は幻想のことです。ですから、”Focusing Illusion”とは、幻想に焦点を当てること、すなわち間違ったところや的外れなところに焦点を当ててしまう、という意味ですね。例えば、私たちは自分の収入や知能や身体的能力が今より高ければ、もっと幸せになれたと思ってしまいがちです。しかし、それらのステータスが高くても(今とは違う人生を送れていたでしょうけれども)、必ずしも幸せになれたとは限りません。それなのに、私たちはついつい「〇〇だったらもっと幸せになれていただろうに」と思ってしまうのです。このように、何かの判断を行うときに、自分が注目する要因(収入・知能・身体的能力など)が持つ影響力を実際以上に重要視する傾向のことを、「フォーカシング・イリュージョン」と言うのです。

この人間の(愚かな)特性に対して「フォーカシング・イリュージョン」と名付けたのはプリンストン大学名誉教授でノーベル経済学賞受賞者でもある、ダニエル・カーネマンです。カーネマンらは「感情的幸福」は年収7万5千ドルまでは収入に比例して増大するのに対し、7万5千ドルを超えると比例しなくなる、という研究結果を発表しました(Kahneman, et al.2006)。カーネマンらの研究は、45万人の米国人の健康と福祉に関する調査結果を分析する内容でしたが、この調査によれば、「人生満足度」は個人の年収とともに増加した一方で、「感情的幸福」は7万5千ドルを境に比例しなくなる、という結果だったのです。

要するに、「金持ちになっても、人生満足度は上がるが、楽しかったり幸せだったりという実感が得られるとは限らない」ということなのです。「年収がいくらまでは年収と幸福が相関(比例)するか」に対する答えは研究によって大きく異なるところではあります。しかしながら、結局のところ「ある年収以上になると(感情的)幸福度は上がっていかない」という傾向があることはどうやら確かなようです。それなのに我々は何のためにさらなる高収入を目指してしまうのでしょうか。年収が増えた方が良い生活ができるし、幸せになれると思い込んでいるとしか思えません。これこそがまさにカーネマン教授が我々に伝えたかった「フォーカシング・イリュージョン」なのです。

ここで本当に大事なことは、年収を高めることや物質的に豊かになることなどではなく、フォーカスする視点を変えてみることです。誰もが「年収や知能や身体的能力が高い方が良いに決まっている」と思われるかもしれません(私もそう思います)が、それらにばかりこだわっていると決して幸せになることはできません。「年収が高い人、知能が高い人、身体的能力が高い人はみんな幸せ(なはず)だ」というのは私たちの思い込み(=幻想:イリュージョン)でしかありません。そしてその自分の思い込みの中に自分を当てはめようとするからうまくいかない(幸せになれない)のです。

それでは幸せになるためにはどうすれば良いのか。それは、先日お話しした「つながり」を持つことも大切ですが、それ以上に大切なことはここで触れてきた「フォーカシング・イリュージョン」から脱すること、すなわち“幻想”に惑わされずに自分軸で物事を考えるということです。本当に幸せな人というのは、結局のところ「自己実現ができている」人です。もっと簡単に言えば「自分のやりたいことがやれている」ということです。それは知能や身体的能力とは関係がありませんし、そのような人は「自分がやりたいことができているかどうか」が幸福かどうかの判断基準となるので、他者と自分を比較することはしません。

逆に幸せになれない人の典型は、これまで話してきたように、自分の頭の中で作り上げたイリュージョンやファンタジー(幻想)の世界の中で「こうしなければ」とか「こうならなければ」というような思い込みで生きている人たちです。「これまでの常識に囚われて生きている人たち」と言い換えても良いでしょう。そのような(常識という)ファンタジーに囚われて生きている人たちは、「自己実現」のために行動する、というよりもむしろ「年収を高めるため」、「物質的に豊かになるため」、「もっと良い暮らしをするため」に、自分の「心の豊かさ」より「経済的豊かさ」を求めて行動します。これが愚かな行為であることは、もはや言うまでもないことでしょう。

これまで述べてきた通り、「経済的豊かさ」や「物質的豊かさ」はある一定程度は幸福度に関連しますが、それ以上は必ずしも「心の豊かさ」とは関連しないのですから。もし、もっと幸せになりたいと思うのであれば、そのような「経済的豊かさ」を追い求めるのではなく、まずは「自分が今本当にしたいことは何なのか」を真剣に考えてみることです。そのためには自分にとって何が必要かをもっと真剣に考えてみることです。そして次なるステップは、自分にとって必要なものを求めて行動することです。

ここでさらに重要なことを述べておきましょう。「自分のやりたいことをできている人は幸せだ」と書きましたが、それが殺人や暴行であってはなりません(当たり前ですね)。「自己実現」には”利他性”が伴うべきなのです。”利他性”とはすなわち、「他者を幸せにする」ということです。例えばボランティアなどで社会貢献している人たちは、自分のため(やっていて楽しい)ということもあるかもしれませんが、それ以上に他者を喜ばせること、他者を幸せにすることを望んでそうされているのだと思います。実際に、内閣府経済社会総合研究所が行なった、社会的課題解決のための社会貢献活動の有無と幸福度を調査した研究では、社会貢献活動度の高い人の方が幸福度は高いという結果が得られています(若年層の幸福度に関する調査、2010〜2011年)。

この内閣府が行なった調査結果は明白なものでした。すでに社会貢献活動に関わっている人がもっとも幸せ。関わりたいがどうして良いかわからない、もしくは余裕がないから関わっていない人は少しだけ幸福度が下がり、加わりたいとすら思っていない人は、断トツで幸福度が低かったという結果が出たのです。ですから、何よりも自分が幸せになるために、他者を幸せにできる活動にはできる限り参加した方が良いのです。他者を幸せにすることが自分の幸せに繋がる。これは明白な事実であり、議論の余地はないほどの社会科学的な真理なのです。ですからぜひみなさんも社会貢献活動をしましょう。今からでもできます。もちろん仕事としてでも、仕事以外(ボランティア)でも構いません。

しかし、このような話をすると「(時間的・経済的に)余裕があるから社会貢献ができるんだ」とか、「そもそも心の余裕があるからこそ、他者にも親切に接することができるんだ」と文句を言う方が必ず出てきます。しかし、これはまるで経済的に豊かな人しか幸せになれないのだと言っているようなものです(もちろんそうではない)。このような人たちは、残念ながら心が貧しく、従って幸せになるに値しない方々です。そのような方々には、一生そのような愚痴をこぼしながら、どうぞ不幸な人生を送ってくださいと言わざるを得ません。

当たり前の話ですが、世界中で貧困で喘いでいたり、戦争で苦しめられていたりするような方々が皆幸せな日々を送っているとは言えません。しかし、ここで取り上げたいのはそのような貧困や戦争をどう解決し、不幸な状況をいかにして改善するかということでは決してなく、各個人が「幸せになる」ためにはどうすれば良いか、という話です。そして、ここ日本では幸いなことに戦争に苛まされたり、餓死するほどの「絶対的貧困」に喘いでいたりする人はほとんどいません。そのような社会で個々人がより一層幸せに、豊かに暮らすためにはどうすれば良いか、ということを書いてきたつもりです。「幸せになるためにはどうすれば良いか?」という質問に対する当院の回答としては、まず「自己実現」のために行動する(=自分のやりたいことをやる)こと、次にその中で自利即利他(他者を喜ばせて自分も幸せになること)を目指すこと、さらに社会貢献することで社会とのつながりを増やしていくことです。

もちろん生まれた時から貧乏だとか、生まれた時から大金持ちだった、など生まれ育った環境の違いにより経済的格差が生まれることは致し方ありません。人は生まれながらに平等ではないのです(ただし、個々人に認められる権利は平等であるべき)。しかし、本来経済的な豊かさや物質的な豊かさは、幸せかどうかを測るためのバロメータになるべきではないし、様々な研究からも、それらは幸せになるための一つの材料・手段に過ぎないことが示されているのです。ですから決してそれらを目的にした生き方はすべきではないというのが当院の結論です。

当院の患者におかれましても、もしお金や物質的な豊かさを享受することが幸せだと勘違い(=フォーカシング・イリュージョン)している人がいれば、ぜひとも「本来自分は何をしたいのか」、「どういう人間になりたいのか」という、本当の自分の心の声を聞くところから始めてもらいたいと切に願っております。

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