前回までご説明してきた通り、遺伝子を主体とした研究が限界を迎えていることが誰の目にも明らかになってきました。
その一方で、「性格は遺伝で決まる」、「知能や努力も遺伝の影響を受ける」といった言説が我々一般大衆の間でも広く浸透しています。こうした考えの背景にあるのが、「行動遺伝学」と呼ばれる研究分野です。
行動遺伝学は、双生児研究や家族研究を用いて、人の行動や心理特性に対する遺伝要因と環境要因の寄与を統計的に推定する学問です。これまでの研究から、知能や性格など多くの心理特性に一定の遺伝的影響が存在することは、概ねコンセンサスとされています[50-52]。しかし、これらの知見はしばしば誤って理解され、「遺伝子が人間の性質や特性を決め、その人生さえ方向づけている」というような遺伝子決定論の根拠として用いられるようになっています。つまり、行動遺伝学が、新たな「遺伝子神話」を創作する装置として働いている側面があるということです。
行動遺伝学でよく用いられる「遺伝率」と言う概念があります。これは、ある集団における個人差のばらつきのうち、どの程度が遺伝的差異によって説明できるかを示す統計指標として用いられています。重要なのは、遺伝率は個人に適用できるものではないという点です[53,54]。例えば、ある集団における調査で、「知能の遺伝率=50%」ということが判明した場合、それは「その集団における個人差のばらつきの約50%が、遺伝的な違いで説明できる」という意味であって、「個人の知能の高さは、半分が遺伝で決まってしまう」という意味ではないということには注意が必要です。また、遺伝率は環境条件に大きく依存しており、環境が均質であるほど相対的に高く見えるということも知られています[50,55,56]。したがって、この遺伝率を「変えられない本質を説明できる」と解釈するのは間違いであるということです。
また、先述した通り、近年のゲノムワイド関連解析(GWAS)の進展により、「失われた遺伝力(率)」の問題が明らかになってきました。これは、例えば双生児研究などで推定される遺伝率に比べて、同定された遺伝子で説明できる範囲や割合は非常に小さいという乖離が存在するということです。実際に、多くの形質において、遺伝的影響の大部分が未解明であることが示されており、多くの形質が「数百〜数千の遺伝子のごく小さな効果の積み重ね」で成り立つということもわかっています[49,57]。これは、「特定の遺伝子が個人の性質などを決定する(=遺伝子決定論)」という単純な図式が成立しないということを意味しています。
さらに重要なのは、遺伝子の働きは単独では完結しないという点です。近年の研究では、遺伝子同士の相互作用や、遺伝子と環境の相互作用(G×E)が大きな役割を果たすということが示されています。[56,58,59]。つまり、遺伝子は単独で結果を決めることはできず、環境(外部環境・体内環境)や各個人の身体状態(炎症・代謝・免疫状態など)と不可分に結びついているということなのです。
行動遺伝学の基盤である双生児研究にも限界があることが指摘されています。一卵性双生児と二卵性双生児が同程度の環境を共有しているとする前提(等環境仮説)には疑問があり、実際には一卵性双生児の方がより似た扱いを受ける傾向があることがわかっています[60]。また、遺伝子が環境選択に影響する「遺伝子–環境相関」の問題もあり、本来なら環境の影響として測定されるべきものが遺伝の影響として過大評価されている可能性があります[61]。さらに、胎内環境や栄養状態などの生物学的環境や、エピジェネティックな変化による影響は十分に考慮されないことが多いという問題もあります(詳細は後述)。つまり、双生児研究ではそもそも環境の変化が与える影響が過小評価されており、遺伝子の影響が過大評価されがちだということです。
このようなことからも、現代の行動遺伝学は、決して単純な遺伝子決定論を支持しているわけではありません。むしろ、
・遺伝子の効果は小さく分散している
・環境との相互作用が不可欠である
・現在の技術でも十分に説明できないことが多い
という複雑な実態が明らかになっています。それにもかかわらず、「全ては遺伝で決まる」という単純な遺伝子決定論に基づく言説が社会に広まることで、新たな遺伝子神話が創出されているのが現状です。
結局、人間の形質や疾患は、遺伝子・環境・生活習慣・身体状態など、複数の要因の相互作用によって成り立っており、遺伝子はその一要素に過ぎません。したがって、遺伝子は「すべてを決める原因」ではなく、「影響を与える因子の一つ」であるという視点こそが、「遺伝子(決定論)神話」から脱却するためにも不可欠なのです。
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